Sory,Japanese only.


このページでは、Real Audio プレイヤー3.0で、実際のお囃子を聴いて頂きます。プレイヤーをお持ちでない方は、このバナーをクリックして下さい。

 この屋台は、蓬莱町(ほうらいちょう)の屋台です。屋台全面に豊富な彫刻が取り付けられてます。「白木造彫刻屋台(しらきづくりちょうこくやたい)」として、完成した姿です。彩色があるなしは、彫刻としての価値には全く無関係です。彩色は見栄えを良くするだけです。漆塗りは木部を漆黒で覆い、艶と品格をもたらしてくれます。この蓬莱町の屋台はこの市制50周年記念の秋祭りに間に合わせる様に4、5年前から彫刻を作成していたのだそうです。

 一般に、鹿沼市を含め、下野(栃木)地方の屋台を一口に、「彫刻屋台」と呼びますが、専門家の調べによりますと、栃木県内には、繰り出し運行ができる屋台だけで現在、245台あるそうです。それらは、大半が彫刻屋台だそうで、彫刻の有無、彫刻の彩色の有無、漆塗りの有無などで、次のように分類しておるようです。

屋台の呼称

@白木造屋台  A白木造彫刻屋台   B白木彫刻黒漆塗屋台

C黒漆塗彩色彫刻屋台

 市制50周年記念で鹿沼市の全部の屋台の27台と、睦町が宇都宮市伝馬町の屋台を借用して参加したので、計28台の屋台を、この@〜Cのタイトルで呼称してます。呼称の内容は、@は彫刻は一切無く、造花の飾りを付けただけの屋台。鹿沼市での今回の市制50周年の秋祭りでは、この@型は一台もありませんでした。ABCは、文字通りで、彫刻に色付けをしているか、素材のままか、そして、彫刻以外の屋台の木部に漆塗りをしているか、素材のままかで、呼び分けただけのことです。


"さぁ〜、いよいよ鹿沼屋台の勢揃いだ!"
 

市制50周年記念、鹿沼秋祭り 
28台の彫刻屋台のお出ましだ!

鹿沼市の市街図と屋台町のご案内

 町名(屋台町)をクリックしますと、市制50周年記念、鹿沼秋祭りに出場した28台の彫刻屋台の紹介ページにジャンプして、その町の彫刻屋台の画像が、ご覧になれます。各屋台には巡行の順番を示す番号札が屋台正面の柱に付いてます。尚、屋台の巡行順番の番号札は、4と9が付く番号は欠番となり、次ぎの数字に飛びますので、屋台の総数は28台ですが、最後の番号札は35番となってます。

 屋台の画像は、10月11日、午後2時半頃から、鹿沼市街のお祭りロードを東武新鹿沼駅方面から北上して、市役所前交差点へ向かう鹿沼市彫刻屋台28台の巡行パレードのコースの途中の鹿沼郵便局前で、作者が撮影したものです。

 当日、郵便局前を実際に巡行して行った屋台の順番は、この巡行番号札の番号順ではありませんでした。巡行の先頭は、番号札11番の仲町で、順次、12番,13番,15番,16番,17番,18番,20番,21番,22番,23番,25番,26番,27番,35番,33番,32番,31番,30番,28番,1番,2番,3番,5番,6番,7番,8番の順番で、最後は10番の番号札の睦町でした。

 本来なら今回の秋祭りの屋台巡行の一番町の泉町が先頭になるべきだと思いますが、各屋台の出発地から巡行パレード時の集合場所迄の途中の交通事情から、順番がバラバラになってしまったものと、想像します。 

 各屋台の梃子衆や大勢の見物客で、屋台の脚周りが隠れてしまって、屋台の全体像が解りにくいので、鹿沼市役所さんが作られたホームページに載っております屋台の画像にリンクしてますので、それも合わせて、ご覧下さい。

 

"全員参加!の活気のある鹿沼屋台の巡行!"

  彫刻屋台の素晴らしさと同時に、屋台巡行の演出が 各町内とも大変うまいなぁと、感心しました。各町で、いろいろと工夫して、準備をしっかりやられての結果だと思いますが、先ず、隊列の先頭に立つ年輩者から、屋台の曳き手衆、舵取りなどの梃子衆、屋台の屋根上で警戒する人達など、屋台巡行に何らかの形で、参加しておる大勢の人達に敬意すら感じました。なかでも、若者が男女とも、大勢参加しておることです。そして、屋台の屋根の上から、曳き手衆を鼓舞する元気な女性の声が盛んに飛んで来ます。一所懸命に屋台巡行の盛り立てている姿に拍手を送りました。

 この写真の右の方は、提灯や幟を付けた竿を持って、屋台の先頭に立つ人達や手古舞のご婦人達を指導する指揮官です。きびきびした動作で、屋台の進み具合を見ながら、進め、止まれの的確な号令で指揮をしてますので、足並みが揃ってキチンと整列した隊列になります。見てても、楽しく素晴らしい巡行でした。いいものを見せようとする鹿沼の人達の意気込みを見る思いでした。
 いやぁ、これでなくては..と、ほんとうに感心しました。

 手古舞(てこまい)とは、「男髷(おとこまげ)に右肌ぬぎて、伊勢袴、手甲、脚絆、足袋、わらじを着け、花笠を背に掛け、鈴の付いた金棒を左に突き、右に牡丹の花を書いた黒骨の扇を持って、煽ぎながら"木遣り(きやり)"を唄って、屋台の先駆をする江戸祭礼の華であった..」と、 先人が書いてますが、屋台巡行には欠かせない、祭りの伝統衣裳です。

 鹿沼の皆さんはこれらの伝統をよく守られて、実際のお祭りに生かしております。どうせやるなら派手に、との思いもあるかもしれませんが、鹿沼の皆さんは、郷土の自分たちの屋台や祭りを大切にして楽しい、好い祭りしようとする様子が、大勢の方が祭りに参加しておることや、衣裳にしてもお揃いを用意して、演出も考えてやられていることからもその意気込みが感じ取れました。

 写真の手古舞さんは末広町ですが、同様に鳥居跡(とりいど)町や、下田町寺 町の手古舞さん達の様に、屋台町の各町全てがそれぞれの個性を出した衣裳の手古舞さんを先頭に立てて、堂々の隊列行進をしておりました。

 鹿沼の彫刻屋台は、八王子や熊谷などの屋台より大きいので、屋根の上で電線などの障害物を警戒する人数も沢山乗ってます。足場が悪い場所にも拘わらず若い女性が目立ってました。女性達は唯、乗っているだけではなく、お囃子に合わせて身振り、手振りで盛んに掛け声を出しておりました。これも、立派な心掛けです。お祭りを楽しんでおるからでしょう。反対に、よそのお祭りでしたが、子供ならまだしも、大人が屋台や山車に何もしないで唯、乗って居るだけでは、大変見苦しい眺めであったことを、覚えてます。

 小中高生が減少し、青少年の祭りへの参加が少なくなったと、何処へ行っても聴く話ですが、この現象は鹿沼も同様だと思います。でも、今回の鹿沼秋祭りではそんな様子は感じられませんでした。

 年輩者や壮年の人達に混ざって、青年男女が各町とも目立ってました。鹿沼屋台の伝統が根付いておる事かも知れませんが、素晴らしいことです。最近は、粋な祭り衣裳で屋台の綱を曳く若い男女の姿は、何処でも見られるものではありません。鹿沼の青年達は、自ら参加する気持ちがあるからで、出なさいと云われたから、参加したなんて事はないと思います。先輩の指導もいいのかな。 

 
"さぁ〜、鹿沼彫刻屋台の"ぶっつけ"だぁ!

  総数28台の彫刻屋台が市役所前の交差点を通過し終えたのが、午後5時半を過ぎてました。天神町や久保町などの市役所前の交差点に近い屋台が、交差点を四方から囲む様に向かい合って、並びました。同じ様に、隣り同士の町の屋台が数台のグループになって、駅前とかの、それぞれの町の交差点で、向かい合って並んで、祭りのフィナーレの"ぶっつけ"の準備に入った時は、既に陽はすっかり落ちて、夜になってました。

 提灯が取り付けられた彫刻屋台は、明かりに照らされた部分の彫刻が浮かび上がって見え、芸術的というか、幻想的というか、昼間にはない感じを受けました。屋根の上の人達の手提灯が夜の雰囲気を醸し出しておりました。
朝、駅で貰った祭り案内チラシに、「ぶっつけ」の説明が載ってました。「二台以上の屋台が道路上で向かい合って、お囃子の競演をします。事前に場所と時間を申し合わせて行うのが普通。お囃子連の腕の見せ所で、若衆の意気も最高に盛り上がります。」と、あります。

 市役所前の交差点中央では、各屋台の若衆頭達が集まって、何事か打ち合わせた後、合図が発せられると、交差点を囲む全部の屋台がお囃子を一斉に打ち出しました。
「ぶっつけ」(89KB 45秒)の開始です。すると、お囃子に合わせて、屋台の屋根の上では手提灯が上下左右に大きく振られます。交差点内を埋めた梃子衆や曳き手衆は、手提灯を持った腕を突き挙げながら、喉が裂けんばかりに歓声を繰り返し上げてます。尖端に町名の入った大きな提灯が付いた竿を高々と掲げてながら屋台の先頭に立って、隊列を導いた若い女性達は今度は、竿を上下に揺すって囃子に合わせて歓声をあげてます。提灯の渦の波と、お囃子と歓声の波とがぶつかり合って、鹿沼秋祭りのフィナァーレが迫ってきました。

 秋祭り2日目の見聞だけでしたので、祭り初日の前日の様子はわかりませんでした。朝、駅で貰った祭り案内チラシによりますと、初日に行われた今宮神社への屋台の繰り込みと夜の繰り出しが、初日のメインイベントであったそうです。次回の鹿沼秋祭りでは、是非とも、この繰り込み、繰り出しの見学をしたいものです。

 2日目には、今宮神社の神輿が氏子町内を練り歩く「御巡幸」があったそうですが、今回は見学出来ませんでした。これも、次回の訪問時に見聞することに致します。

 これも、今回は見学出来ませんでしたが、屋台の方向転換を梃子棒(てこぼう)で行う「てこ廻し」は、祭り案内チラシによると、下田町の屋台がその伝統を守っているそうで、栃木県指定無形文化財の指定になっておるそうです。尾張地方の山車や秩父の屋台は今でも梃子廻しですが、一度、鹿沼の梃子廻しを見学したいものです。

 鹿沼の屋台は、ジャッキを使う方向転換が一般的になっておるようです。

 左は戸張町、右は石橋町の屋台の床下に装着されたジャッキ。


 最後になりましたが、作者が屋台の巡行パレードの写真を撮っていた鹿沼郵便局の反対側の歩道を少し入った所に、鹿沼彫刻屋台の展示館が丁度、この市政50周年記念のこの秋にオープンしたのです。すぐそばに居たので、中を見学しましたが、「屋台のまち中央公園」の敷地内には、この展示館の外、屋台の収納蔵もありまして、何とも羨ましい限りですが、彫刻屋台は鹿沼市民の貴重な文化財です。鹿沼市民の皆さんの積極的な取り組みに大きな拍手を送るものです。


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