本町三丁目(上 町・わでまち)の舞台の概要


人  形

"弁財天"


この山車概要の記述内容は、小林三郎氏から提供された資料、並びに三丁目公民館で管理者が閲覧させていただいた舞台改造改修の報告書、三丁目山車管理委員会の報告書から抜粋しました。


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所有者本町三丁目
舞台製作年月日明治19年(1886)9月 高崎市本町二丁目の山車として製作。明治43年(1910)に高崎市街地に路面電車が開通し、道路中央上に動力電線が張られ、その線を支える架線が道路を横断するように張られた為、山車の運行が阻害され、当時の高崎の山車の大半はやむなく近県の町々に引き取られたそうです。この高崎の路面電車が開通した明治43年(1910)は、弁天様が池田町に嫁入りした年にもなりました。来年、平成22年(2010)は弁天様舞台の嫁入り後、100年の記念の年です。
改造年月日昭和58年(1983)9月から昭和60年(1985)1月までの大改造実施。
改造費用舞台及び人形の修復改造工事費、幕と簾、太鼓、発電機、蔵建造など合計総費用額1,800万円。
構 造改造の主眼は、囃子衆の乗り込み数を増やす為に、後部鉾台を囃子台に改造し、併せ人形座の改造、台座・脚周りの修繕、幕と御簾の新調などであって、改造前の構造物大半は改造後も使われております。上層:四方擬宝珠勾欄を廻す彫刻豊かな三味線胴、その下に四方幕を懸ける、上層と人形座は別個に迫上がり可能。下層:正面前部は囃子台。彫刻、飾り金具と漆塗りの唐破風屋根を支える向拝柱(ごはいばしら)の左右は登り降り竜の彫刻。三方を大幕で囲み、三面に手摺・勾欄付き渡り廊下、四輪。前外輪二輪は轅(ながえ)と軛(くびき)が台座とセンターピボットで連結する自在舵取り式、後二輪は外輪・大八車。
仕上げ漆塗り 一部金箔貼り
人形人形名弁才天(べんざいてん)
改造者人形本体と頭:京都市 伊藤久重 衣装:京都市(株)川島織物
改造費用260万円(s59.4.22会計報告書より )
その他棟飾り
向拝柱正面向かって右柱は降り竜、左柱は登り竜の金色の彫刻
電気設備平成9年8月の年番長の報告書「山車発電機取付費用明細」にて、発電機、提灯用ソケットとランプ120組、他で35万円。
制作者平成6年3月3日発行日付の通知書「高欄幕改修の報告」の記述に、幕改修諸費用が97万円とあり。請負者:京都市(株)川島織物
幕 様
舞台の保管場所八幡神社境内・舞台倉庫
その他の特記事項明治43年に池田町へ輿入れした弁天様は、池田町の祭礼に曳き出され、以降70年の間、役目を果たし、町の人達には可愛がられ来ましたが、車体の手入れが課題となって、昭和58年(1983)9月から昭和60年(1985)1月までの年月を掛けて、大修理がなされました。嫁入りした当時のままの弁天様にも手が加えられ、容姿端麗、それは素晴らしい弁天様に仕上がって来ました。舞台及び人形の修復改造工事費、幕と簾、太鼓、発電機、蔵建造など合計総費用額1,800万円。山車修復工事請負人:飛騨高山渠ェ野大工、八野忠次朗、明親子。人形修理:京都市北区十二代目人形師伊藤久重。飾り幕、御簾:京都市叶島織物。蔵建造:巨逞t工務店代表千葉幸進。(平成19年4月、三丁目山車管理委員会発行の「三丁目山車の由来」保存版より抜粋)

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