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美茂呂町屋台
伊勢崎市・美茂呂町屋台修復の探訪記!

 この上のMapionのロゴをクリックしますと、伊勢崎の市街地の地図が出ます。 伊勢崎市の“水神宮(すいじんぐう)”が地図に示されます。伊勢崎市を貫流する広瀬川の光円橋の脇の水神宮(すいじんぐう)の境内に、美茂呂町屋台の"屋台倉"が在ります。


美茂呂町屋台倉です。"水神宮"は 小ぶりの社ですが、美茂呂町々民の参拝が絶えぬとのこと。屋台倉は水神宮の境内に在りますが、これは人家から距離を取って、屋台防火に役立っております。火災の類焼を防ぐ為に、隣家と離れた所に山車倉を建てたと、町の世話役のお話です。屋台の収納の他、太鼓、提灯、幟など、祭道具類が納められております。画像をクリックしますと、拡大します。

美茂呂町屋台の紹介です。江戸時代から、美茂呂地域の庶民に愛されて来た美茂呂屋台は、水害で多くの屋台の部材を失ってしまったが、屋台を愛する町人の幾多の努力で、今日の屋台姿に復帰でた旨の記録です。筆者の福島行孝氏は、この度の茂呂町5基の屋台修復の文化庁・地域文化財総合活用推進事業の責任者でおられました。美茂呂町屋台囃子保存会の顧問で、お囃子の指導をされております。この画像は拡大出来ません。



画像はクリックしますと、拡大します。


美茂呂町屋台修復完成披露の様子のご紹介

静止画と動画でご紹介します。


令和2年11月8日(日)、美茂呂町屋台修復完成披露会の開始です。先ず、参加者全員にコロナ禍予防の取り組みの徹底が呼び掛けられ、準備された体温計、消毒液を全員が使いました。


屋台倉から、装飾幕や付属品が一切、外されている台座と屋根の本体だけの屋台が外に引き出されました。


幕、前、後部の提灯、襖と障子、装飾品が装着され、高床になる後部には金太鼓が3、大太鼓の1が据え付けられました。
屋台の提灯の文字の「ほ」は、美茂呂町屋台囃子保存会の元祖の名前が"堀組"で、その伝統の提灯名との事。


屋台正面の破風は、上の鬼板の彫刻と下部の懸魚(けぎょ)の両方とも透かし彫りの繊細な見事な彫刻で埋まっております。  


屋台正面の破風は、上の鬼板の彫刻と下部の懸魚(けぎょ)の両方とも透かし彫りの繊細な見事な彫刻で埋まっております。  


屋台正面の左右の向拝柱(ごはいばしら)と欄間の間には、木鼻と呼ばれる巻竜の彫刻が見事です。彫刻の修正箇所が見てとれます。木鼻彫刻の有る屋台は珍しく、余り見られない貴重な屋台です。  


屋台正面の左右の向拝柱(ごはいばしら)と欄間の間には、木鼻と呼ばれる巻竜の彫刻が見事です。彫刻の修正箇所が見てとれます。木鼻彫刻の有る屋台は珍しく、余り見られない貴重な屋台です。  

この度の美茂呂町屋台修復完成の披露と、新装の屋台の上での美茂呂町屋台囃子保存会の記念演奏を準備なされた美茂呂町屋台保存会の会長、村田利雄氏のご挨拶です。画像をクリックして、動画をご覧下さい。  


<さんてこ> 大太鼓が一人、金太鼓が三人、笛と鉦が其々一人の6名の奏者です。笛と鉦の奏者は太鼓に隠れて御覧なれませんが、太鼓、笛、鉦の奏者6人の揃ったテンポと音色での圧巻のお囃子です。  


<神田丸>  


<大間> 


<昇殿> 

この度、伊勢崎市美茂呂町屋台修復事業完成観覧会に参観の機会を頂き、貴重な見聞の機会を賜り、厚く御礼申し上げます。頂戴した観覧会の案内状で、福島行孝会長は次の様に述べておられます。『美茂呂町の屋台は、幕末の嘉永7年(1854)水無月、吉日に製作された。彫刻師は勢多郡山上の人と記録に残っています。彫刻は水神に相応しく、上り龍、下り龍が彫られており、出雲神話の素箋鳴尊、八岐大蛇の彫刻は素晴らしく、馬、猿、獅子、犬、兎、鶴、亀などの彫刻も施されています。昭和22年9月15日に来襲した大型のカスリーン台風による広瀬川の氾濫で、公円橋が崩壊して、左岸に有った屋台小屋も流され、屋台の部材も37個余りが流失してしまいました。  その後、昭和時代に2回の修理を行い、昭和31年秋頃、いせさき祭りに本町迄、屋台を曳き、平成15年には、自治宝くじ助成金によって、流失した部材の一部分が復元されました。 平成31年度及び令和2年度には、文化庁の「地域文化財総合活用推進事業」の補助を仰ぎ、流失した部材を全て修復、復元されました。広瀬川に流された為、彫刻の破損があまりにもひどく、彫刻の欠損部分をを継ぎ足し、欅の一部が風化している部分を修繕致しました。台風による流失から73年が経過し、先人が幾多の困難を乗り越えて残してくれた貴重な文化財が見事に蘇りました。これを契機に、郷土の貴重な文化財の保存と、後継者育成に更に励む所存であります』と、述べられております。次に掲載します5基の屋台は、福島氏が中心になって進められた修復事業で、平成30年(2018)から令和元年秋迄に、茂呂町1丁目、2丁目、南北千木町が完成。令和2年に、茂呂町南、そして美茂呂町の修復事業が完了しました。ご努力に感銘致し、このホームページで、山車、屋台の愛好者各位へお知らせ致す次第です。

続いて以下、ご披露致します屋台の画像は、この度の「文化庁・地域文化財総合活用推進事業」での修復事業が完了となった茂呂地区の5基の屋台です。この5基の屋台の画像は、伊勢崎市南千木町にお住いの鈴木 宣男氏からご提供頂きました。彫刻の細部迄がご覧になれる素晴らしい貴重な画像です。


茂呂町一丁目屋台 

 


茂呂町二丁目屋台 

 


南北千木町屋台 

 


美茂呂町屋台 

 


茂呂南町屋台 

 

堂宮入秀(どうみや・いりひで)社寺建築株式会社のご紹介!

 この上のMapionのロゴをクリックしますと、群馬県渋川市の市街地の地図が出ます。 群馬県渋川市白井2248-1の堂宮入秀社寺建築株式会社が地図に示されます。

堂宮←これをクリックして、堂宮入秀社寺建築株式会社のホームページをご覧下さい。 多くの寺社建築の他、祭の山車、屋台の新調、修理の実績を持たれております。

「文化庁・地域文化財総合活用推進事業」で、屋台修復事業を進めておりました伊勢崎市茂呂地区5基の屋台は、今回の美茂呂町屋台の完了で、5基全ての屋台の修復が完了しました。


御知らせですが、今回の伊勢崎市茂呂地区の5基の屋台修復事業が行われる情報を、このホームページの管理者に御知らせ下されたのは、この美茂呂町屋台庫の画像の左に居られる福島行孝氏です。茂呂地区5基の屋台の修復事業を、総括推進にご活躍なされて居られる方です。画像をクリックしますと、拡大します。

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