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<南北千木町の屋台> 令和元年5月18日(土)、南北千木町屋台の改修工事の開始です。倉から屋台を曳き出します。
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屋台の解体の最初は、一番上の屋根から始まりますのは当然です。左右に波形に反る板、破風板の下部に懸げられておるので、懸魚(けぎょ)と呼ばれる彫刻の塊を、先ず取り外しました。微細彫刻がされている部品ですから、細心の注意が必要でした。
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懸魚を取り外した後、鬼板をゆっくりと、クレーンで持ち上げます。
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破風の上部と下部に取り付けられている鬼板と懸魚が取り放されると、破風の取り外しになります。
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愈々、屋根の取り外し。屋根の天辺の棟包み板(むねつつみいた) が 下ろされると、屋根板がソックリ剥がされ、クレーンで下ろされます。
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屋根が無くなって、スッキリした環境で、間仕切り柱、欄間、障子建具類を外します。
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最初に屋台から取り外された鬼板、懸魚(けっぎょ)、欄間、障子などは、縦・横の記し、前・後面の記しを書き留めます。
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外した障子、欄間などには付箋を付けて、目じるしを書きます。
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屋根の一番上の棟木の一本と、屋根の両端の棟桁の二本が取り外されました。
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屋台の飾り柱から外した木鼻の彫刻など、傷めないように慎重に扱います。
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祭礼の屋台は、普通は祭礼が行われる時に屋台を組立てて、終わると
屋台を分解するのが一般的で、その繰り返しが容易に出来る様に、部材の組み付けは差し込み
式にしてあり、後で抜けられる様に、支えのクイ打ちは大切です。
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外蘭間の木鼻の彫物、しっかりと手渡しをして下げる。
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柱と梁、そして床だけとなった屋台。
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柱と梁、そして床だけとなった屋台。
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南北千木町屋台の"棟札"に、この屋台の製作に携わった棟梁、脇棟梁、彫刻、木挽きなど、多くの宮大工達の名前が記されており、大変貴重な棟札です。寺社建築の技術者集団の参画によって、一台の屋台が建造されることを示しております。 尚、この棟札の宮大工達の役割、出身地などの紹介を別のページで行いますのご覧下さい。
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屋台解体の最初に、屋根から取り外された、屋根の天辺の"棟包み板(むねつつみいた)"です。
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屋台の両側面の中柱に取り付ける"脇障子"です。見事な彫刻で仕上がっております。
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リスの素晴らしく可愛い籠彫りです。脇障子の一部分の彫刻。
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屋台正面の梁(はり)の両端の右の"木鼻"です。見事な浮き彫りの彫刻です。 | |
屋台正面の梁(はり)の両端の左の"木鼻"です。見事な浮き彫りの彫刻です。 | |
彫刻に平たい板がある破風の鬼板に差し込まれる彫刻部品。 | |
屋台後部の破風の懸魚の一部の彫刻。 | |
彫刻に平たい板がある破風に差し込まれる彫刻部品。 | |
後部の破風に差し込まれる彫刻。 |
格子蘭間。
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屋台の台車と、その上に立つ六本の柱と、柱を繋ぐ梁だけとなった屋台。 | |
台車の床板も外され、台車、そのものだけの姿。 | |
自動車専用運搬車で、宮大工さんの修理工場へ運ばれる台車。 その他の外された屋台の部材は宮大工さんの車で運ばれます。
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令和元年5月18日(土曜日)に解体されて、堂宮工事の専業の会社の工場に運ばれ、約4ケ月の"屋台修復作業”が完了した南北千木町屋台が、目出度く、今日、9月28日(土曜日)に"千本木神社"へ運ばれて参りました。 運ばれて来たと云っても、工場で修復作業が完成し、屋台が解体前の元の姿に戻ったことが確認された屋台は、その後、工場で再び解体されて、車台と全ての部材一式が運び戻されて来た、と云うことです。 神社境内で<南北千木町の屋台>が、組立てられて、屋台の倉へ納められて、初めて<南北千木町屋台修復事業>の完了となります。
宮大工さんの車から降ろされた屋台の台車。台車の周囲に足場を組立てながら、台車の四囲の柱の取り付けも始まる。
手際よく、足場が組立てられて行く。
山車の高覧の部材が準備されて居ります。
屋台正面の二本柱の上部と虹梁とが交差する部分で、睨みを効かす木鼻の龍。
長い片方の髭が新しい。
鴨居を飾る浪飛沫、一部が修理。
鴨居の修理個所。
正面の虹梁は左右の木鼻の龍に挟まれて、 びっしり彫刻で覆われ、左右の側面と奥の 鴨居とも、びっしりと彫刻に埋まってます。
屋台の構造は、縦の6本の柱と横の6本の梁とが、しっかりと組み付けられて構成されてます。それらの柱と梁は、組みつけられた後も、組みつけが外れる様に工夫してあります。柱と、その柱に繋がる梁の相互には、突起とその突起の受け口の穴があり、柱と梁が組みつけられます。
組み付けられた柱と梁を固定する為に、クサビを打ち込んで、固定します。クサビは全部を打ち込まずに、解体時に抜ける様に頭を残します。微妙な作業で経験が要する様です。
屋根の取り付けです。先ず、新調された軒桁が梁に乗せられます。
屋根の天辺の棟木が乗せられます。
屋根が運び込まれます。屋台正面から見ると、右側の屋根です。屋根の四角の穴は、屋根裏から屋根に登る際に使う穴です。
今回の修理で新品に代えられた棟木と軒桁に刻まれた凹穴の列に、屋根の裏面の凸状の桁の列を合わせる様にクレーンを操作する緊張の場面です。尚、この画像はクレーン車が在る屋台の後部から撮ってますから、屋台正面から観て、右側の屋根になります。
ゆっくり屋根を降ろしながら、慎重に凹凸を合わせます。
屋根の下側は綺麗な化粧仕上げです。屋台には天井板がありませんから、屋根の裏面が化粧仕上げになっております。
綺麗に化粧仕上げされた屋根裏。屋根の裾が載る棟桁は、今回の修理で新品に交換されております。
屋台の左側から観ての画像です。まだ 屋台正面から観て、左側の屋根が載ってない状況です。
屋台正面から観て、左側の屋根を載せております。右側の時と同じ、緊張する場面です。
左右の屋根が無事、乗せられた後、屋根天辺の"棟包み"(むねつつみ)を載せます。屋台解体の時は最初に外される棟包みですが、組立も終盤です。
屋台後部の破風の鬼板(おにいた)の取り付けです。正面の鬼板ほどの華麗さはありませんが、懸魚(けぎょ)とともに見栄えのある屋台後部の破風になっております。
屋台前部の破風の鬼板の取り付けです。大きく、しかも繊細で華麗な彫刻で埋まっております屋台前部の鬼板は、手、指で触れるのも慎重になります。三人掛りでの取り付けです。
屋台正面の破風の上に、大きく豪華な彫刻が横一杯に並ぶ屋台正面の"鬼板"と、破風の下には、鬼板に劣らぬ豪華な"懸魚"が取り付けられました。
高い屋根の設置組立が終了したので、足場が外される一方、楽屋の襖や障子、欄間の取り付け作業が進みます。
取り外されていた屋台中央左右の"脇障子"が取り付けられました。繊細な籠彫りのされた豪華な脇障子です。
襖、障子、欄間の彫刻がバランスよく、品格を感じる屋台の楽屋です。
屋台背面の画像。楽屋の襖の裏面が落ち着いた気分になります。
南北千木町屋台修復事業が完了したばかりの南北千木町屋台。
南北千木町屋台修復事業を計画し、その修復作業の完了を喜ぶ南千木町、北千木町の皆様。
南北千木町屋台の"棟札"に、この屋台の製作に携わった棟梁、脇棟梁、彫刻、木挽きなど、多くの宮大工達の名前が記されており、大変貴重な棟札です。寺社建築の技術者集団の参画によって、一台の屋台が建造されることを示しております。
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堂宮入秀(どうみや・いりひで)社寺建築株式会社のご紹介! |