Sory,Japanese only.



このタイトルは、高崎大田楽の予告チラシの一部分を抜粋し加工した。

祝!市制100周年 高崎 "だいでんがく" 特別公演のご紹介!

  織田信長や秀吉などの時代小説の中で、京近在の郷村に"田楽"が流行していた・・、そんな記述があったのを記憶しています。そこで田楽とは、何ぞや、俄か勉強ですが、小学館の「日本百科全書」に次ぎの記述があります。

 "田楽"は日本中世の代表的芸能。もとは田植えにかかわる楽であったが、平安時代中期以降、一つの楽舞として成立した。中国の宋の時代(960〜1279)に、散楽と呼ばれた楽舞が盛んであった。中国の散楽は散楽百戯といわれたようにいくつもの雑技(ぞうぎ)の集合で、その中の一種目であった田楽が日本に取り入れられ、日本風に展開を遂げたものとみられる。

 豆腐、サトイモ、こんにゃくなどに調味味噌を付けて、焼いた料理を"田楽"という。田植の田楽舞に、横木を付けた長い棒の上で演ずる鷺足(さぎあし)という芸があった。足の先から細い棒が出て、腰から下は白色、上着は色変わりという取り合わせが一見、白い豆腐に味付け味噌を塗った豆腐料理に感じが似ていたので、この味噌を塗って、焼く料理を田楽と呼ぶようになり、いろいろの形の田楽料理が日本各地に普及していった。江戸田楽の串は先が分かれていない一本の棒であったが、関西は二股になった串が使われてた。江戸でも後、豆腐が崩れにくい三本足の串になって、外の園遊会向きに好まれた(今はやりの焼き肉バーベキューってとこでしょうか、作者)。田楽の応用料理は数多く作られ、魚を焼いて味噌を付けたものを魚田(ぎょでん)といい、鮎、ヤマメ、イワナなどの魚田、サトイモのいも田楽などが庶民の味であった。江戸後期の川柳に、"田楽は昔は目で見、今は食い"とある。

 敦煌の壁画に軽業、曲芸の図があり、手品、幻術、滑稽物真似を内容とする雑芸があって、中国の史書「周書」に「散楽(さんがく)雑芸」などの語がみられ、中国では、既に紀元前後のころに"散楽"が存在していたことが判る。そのなかの田楽が貴族的な雅楽に対し、卑俗な俗楽として広く行われていた。俳優(わざおぎ)、歌舞、雑奏、擲剣(てっけん)、縁竿(えんかん)などの多くの曲目があった。我が国に入った散楽芸の中心は、曲芸、軽業、奇術などであったが、鎌倉時代になって、楽舞化した田楽の大流行を迎えた。

 中国の田楽の楽器は日本の田楽にも通じ、また形は異なるが曲芸の高足(たかあし)もあった。田植えを笛、腰鼓(こしつづみ)、簓(ささら=竹の先を細かく裂いて、束ねたもの)などで囃し、散楽者が動員された。田植えの労働編成や統制に田楽を活用した大田植(おおたうえ)が、開発領主化する郡司層によって、進展した。

 1096年(永長一)の祇園祭を頂点として、郷村から押し出した田楽団が京中を巻き込んで、狂乱の風流となり、白河院の催した田楽が楽舞化の契機となった。それは後の関白藤原忠実が教書で、「田楽は散楽を基本とし、風流を先にすべし」というように、田楽は散楽を基本にそれを整頓したものといえよう。

 やがて1129年(大治四)頃にはプロの田楽法師が登場し、平安末期から鎌倉期にかけて楽舞化した田楽の大流行をみた。しかし、散楽のうちの滑稽物真似や歌舞が風流を好む風潮に乗って発展し、猿楽と名称がかわった散楽が次第に隆盛となって、鎌倉時代に入って、田楽は猿楽に圧倒されはじめ、室町期には衰退した。猿楽は能、狂言となって大発展し、日本の伝統芸能として、永く今日迄に伝えられている。田楽の一部は田楽法師によって、獅子舞、大神楽、寄席(みせもの)の中に取り入れられたが、往時の田楽としての体裁は全く無くなってしまった。

"高崎大田楽"は、市民100名が楽劇人として参加出演した楽劇だ!

  このように、大田楽とは、中世、京の都を中心に一世を風靡(ふうび)しながら消滅してしまった幻の芸能「田楽」をベースに、総合芸術家の野村万之丞が日本各地の伝統芸能や音楽を盛り込み、さらには現代音楽や西洋のリズムを取り入れて、躍動感溢れる野外劇に仕立て直した異色の楽劇なのです。

 平成5年に文化庁芸術祭賞を受賞した万之丞は、冬季五輪の後の長野パラリンピック冬季競技大会閉会式で、この大田楽を中心にした楽劇を演出し、我が国ばかりか、全世界の注目を浴びました。

 市制100周年事業の一環として、秋の市制100周年の祝祭イベントとして、もてなし広場の特設ステージで平成12年9月9日(土)の午後7時開演で、この楽劇「大田楽」が市民に公開されました。

 当日来場者に配布されたパンフレットには、"甦る、幻の平安絵巻"楽劇「高崎大田楽」と題して、■ 作 総合芸術家 野村万之丞 。■ 特別出演 人間国宝 野村 万 ■ 構成・演出 楽劇人協会 橋本勝利 ■ 出演 市民 100名、楽劇人 30名 計130名■ 主催 高崎市となっております。

 つまり、この日公開された高崎大田楽は、総合芸術家の野村万之丞氏が創作した演劇作品「楽劇大田楽」なのです。「楽劇大田楽」は、地域住民参加型という形式を取るので、各地の地域の伝統芸能などの文化、風習を取り入れることが可能でり、地域のイベントやお祭りの際に上演されてます。
「大田楽」のもとである「楽劇」は総合文化であり、地域創造の一環として、地域の活性化を目途に、住民参加の大田楽が日本の各地で、上演されて来ました。そして今回は、高崎市の市制施行100周年記念イベントとして、橋本勝利氏の構成・演出のもとに、楽劇人協会の演技指導で、高崎版「楽劇大田楽」の上演が実現したのです。

尚、この「高崎大田楽」の上演の様子を静止画と動画で公開するにあたり、作者は高崎市役所市長公室調整課殿の管理指導を受けておりますことを、ご披露致しておきます。従って、「高崎大田楽」に関する静止画及び動画のコピーと転載は堅く禁止させて頂きます。

もてなし広場を囲む大田楽の幟旗。市制施行100周年記念のメインイベントのひとつ、「高崎大田楽」です。

 もてなし広場中央の南北に、長さ約70メートル幅4メートル高さ60センチのT字形のステージが設置されました。田楽法師達は北側(画像手前)からステージに上がり、ステージ南端のT字形に広くなった"神の庭"に入る。 この高崎大田楽の企画は3年前にスタートし、昨年の8月30日、高崎市民文化会館で プレ「大田楽」が行われました。野村万之丞氏の講演と、楽劇人協会の出演で田楽が市民に披露された。劇中の曲芸のひとつ、高崎工業高校の体操部員の前方宙返りの妙技に大きな拍手が湧いた。このプレ大田楽での迫力のある演技は多くの市民を魅了し、平成十二年3月に市の広報で、高崎大田楽の出演者100人の募集が発表されると、多数の応募があった。

 「日本百科全書」の田楽の中に、京都 宇良(うら)神社に伝わる重文「浦島明神縁起」に寺社の祭礼に行われた田楽の図が載ってます。笛と太鼓にあわせて踊り興じる田楽法師達の絵図が描かれております。大田楽の作者 野村万之丞氏は、多分これらの文献などに描かれております田楽法師の衣装を参考にして、デザイン考案したのでしょう、色とりどりの衣装に身を包んだ楽劇人達総勢130名が、もてなし広場設けた特設ステージに登場しました。当日、観覧者に配布された「高崎大田楽」の解説のパンフレットの公演の各場面のタイトルに添って、「高崎大田楽」の公演の一部をご紹介します。

 この「高崎大田楽」の上演の様子をホームページで紹介するあたり、静止画だけでなく、動きの激しい楽劇の様子のご理解にお役に立てればと、一部場面では"動画"も用意しました。 動画をご覧なるにはリアルプレイヤーが必要です。
  ストリーミング方式のリアルプレイヤーはリアルネットワークス社(RealNetworks, Inc.)より、無償でダウンロードできます。このバナーをクリックして下さい。

 高崎市制100周年記念イベント「高崎大田楽」を紹介するこのホームページで使用する静止画、動画は、高崎市役所市制100周年係の管理のもとで掲載いたしております。従って、このページに掲載されております「高崎大田楽」に関する静止及び動画の全ての画像は、コピー並びに転載を禁止します。

行 進(往)こうしん(おう) ・ 物着 ものぎ

 9日、午後7時少し前、もてなし広場南の市役所方面から、笛太鼓の音の響きが聞こえてきました。響きは次第に近づき、やがて、広場北側のステージ上り口前へ、色とりどりの笠や衣装を凝らした装束をまとって、賑やかに楽器を囃しながら130余名の田楽法師が勢揃いしました。その眺めは観る者を幻想の世界へと誘っていきます。さあ、「大田楽」の幕開けです。広場ステージ上り口で整列した田法師の中の踊り手達は笠を脱ぎ、楽器を外し、踊りの備えを整えて、やがて来る躍動の瞬間をこころ静かに待ちます。

 画像をクリックしますと、「行進」の一部分の"動画"がご覧になれます。
Real Player ストリーミング。尚、この画像は公開日の前日の8日の夕方、大田楽出演者による駅前市街地でのデモンストレーションパレードを、撮影したものです。9日の本番の日は、ステージの脇に居たので、行進が撮影できなかったので、代用しました。

番楽 ばんがく・兎楽 うがく・王舞 おおのまい・ 獅子舞 ししまい

 躍動感に満ちた喜びの踊りが「番楽」です。切れのよい笛に先導されたアップテンポなリズムに乗って、勇壮かつ軽快な踊りで、観衆を一挙に熱狂の渦へと巻き込んでしまいました。パンフレットの中では"山伏神楽"にヒントを得て、作曲されたと解説されてます。舞い法師達は、先端にカラフルな飾り布の束を付けた"番楽棒"を軽快に振って、楽しくって仕方がないと云った感じの笑顔で、活発に躍ってました。脚で飛び跳ねる躍動感のある踊りですので、踊りでなく"躍り"の語句が適切だと思いました。

 パンフレットの解説ですと、「兎楽(うがく)」は、兎の姿態と霊力、そして五穀豊穣を祈願する心を、舞躍として形象化したものです。兎歩(うほ)と呼ばれる特殊な足踏みにより地霊を鎮め、祭場を清めます。画像は踊り手が深く前屈みになって、兎歩の最中です。



 「獅子舞」の場面は、二頭の獅子が跳ね、走り、絡み合いながら舞います。黄色、萌黄色に彩られた色鮮やかな獅子は、鼻面の長い、強く精悍な怖そうなイメージですが、ステージに乗り出して撮影するカメラマンの頭を、大きな口を開けて、がぶりとひと飲みして、観客から笑いがでるなど、跳ね狂う様は豪快なうちにもどこか愛らしく、楽しい獅子舞でした。

 番楽につづいて、「王舞(おうのまい)」の場面になりました。緋色の装束に鼻高面(天狗の面)、鉾を翳(かざ)した王舞が現れます。パンフレットの解説では、鬼門を鎮め、場を浄める舞いなのだそうです。笛の音、大太鼓の重い響きと共に静かに、力強い舞でした。

 画像をクリックしますと、「番楽」「兎楽」「王舞」「獅子舞」のそれぞれ、
一部分の"動画"がご覧になれます。

奏 上 そうじょう

 田楽法師一行の長である田主(たあるじ)が、白装束に翁烏帽子(おきなえぼし)姿で現れ、神に向かって田楽法師の来訪を告げます。気合いの入った声は絹を裂くがごとく、透き通って気高く、朗々と奏上を続み上げる田主の姿で、周囲は思わず厳粛な気分が漂いました。
 田主につづいて、紺色衣装と烏帽子姿の松浦高崎市長が、「もてなし広場に、おのこ、おみな 130余人、田楽法師の集い来て、大田楽と名を変えて、いざ、高崎100年の言祝ぎ(ことほぎ)に、昔もかくやと、舞い躍らん」 と、祝詞を奏上しますと、その声が市長であると知った場内の観客からざわめきが興りました。
 4月2日の市制施行100周年の市民を招いた祝典で、群馬交響楽団の指揮を執ったりして、なかなか市長は人気ものです。市長の祝詞を請けて、「・・・今ここに舞い遊ばん、いざ、ここに躍り狂わん」と、白装束の田主の朗々と奏上を読み上げる声が、場内に響きわたりました。

 画像をクリックしますと、「奏上」の一部分の"動画"がご覧になれます。
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入 場 にゅうじょう ・ 散華 さんげ

 奏上がおわると、田主を先頭に田楽法師全員はステージの奥の「遊びの場(神の庭)」へ進みました。田楽法師達はそれぞれの楽器を演奏しながら行進し、神の庭に入場し、庭の正面、大太鼓の脇に着席した田主の前両側に、整列し腰を降ろしました。
 ステージ上を進行しながら笛、太鼓を巧みに演奏する法師達、銅拍子(どうびょうし)と呼ばれる中央が凹んだ金属のお皿を打ち合わせて、独特の音を奏でる大勢の女法師達の列は、左右からの明るいスボットに浮かび揚がって、一杯の花で飾った帽子にカラフルな衣装がひときわ目立って、われわれ観客の目を楽しませてくれました。 

左:奏上の後、田主と王舞が鉾(天蓋)を翳(かざ)して入場。右:笛の法師の入場。

左:腰鼓(くれづつみ)の法師の入場。右:銅拍子(どうびょうし)の法師の入場。

左:銅拍子(どうびょうし)の法師の入場。右:編木(ささら)の法師の入場。

左:雑芸(曲芸)法師の入場。右:タム法師の入場。画像の右隅の法師が抱える巴の絵のある太鼓の様な楽器が、タムです。

三番叟 さんばそう

 五穀豊饒を祈る芸能のひとつに、「三番叟」がある。黒色の翁の面を着け、全身を包む黒装束に手にする鈴が映えて、腕を大きく拡げ、テンポの速い笛の音に乗って、身体を激しく躍らせる姿は、なにか神霊感が漂ってました。翁が躍りおわると、静かに控えていた法師の太鼓が一斉に鳴り出しました。笛、太鼓の軽快なリズムに合わせて、舞うと云うよりは飛び跳ねる、跳躍するといった方がいいのかなと、思わせる田楽法師の動きの激しい舞が始まりました。そして、次ぎの「総田楽」の場面へ進みました。

 画像をクリックしますと、「三番叟」の一部分の"動画"がご覧になれます。
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総田楽 そうでんがく

 「楽劇大田楽」のクライマックス、それが「総田楽」です。次ぎから次ぎへと繰り出される舞い躍り、芸能、秘技の連続に、思わず息を飲みました。
 
 胸の前に付けた大型の鼓(腰鼓 くれづつみ)、細かく割った竹の束を操作してサラサラした音を出す編木(ささら)、中央が凹んだ金属のお皿を打ち合わせて、独特の音を奏でる銅拍子(どうびょうし)などの楽器を囃しながらの力強い踊りがステージ上を所狭しと繰り広げられました。
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リアルプレイヤーはリアルネットワークス社(RealNetworks, Inc.)より、無償でダウンロードできます。

 

この躍りが終了しますと、曲芸が始まりました。日傘や大きな火鉢を額の上で、器用にくるくる回転させたり、火の付いた松明や剣を二人で投げ合ったり、手に汗握る中国雑技(曲芸)がつぎつぎと披露されました。なかでも、圧巻だったのは高崎工業高校の体操部の部員と監督の清水先生の妙技でした。田楽法師の衣装を着た生徒数人が、ステージ上で、ダッシュして、勢いよく両手を床に降ろした瞬間、身体を廻して揃えた両足で着地する「前方宙返り」を、何回も連続して見せてくれました。ステージの上を往復して演技してくれましたが、それは本当に見事な一瞬の技で、まるで、生徒の身体が風車の様にクルクル廻りながら移動しますので、カメラを構えても、追うことが出来ずシャッターが切れませんでした。その生徒の妙技に観客から大きな拍手が送られていました。

 その後、今度は、10メートル位の棒がステージ上に立てられ、その棒をまるで猿が登るようにスイスイと白い衣装の忍者姿の人が登りだしますと、場内がわぁと、ざわめきました。スポットライトに照らされる中を棒の先端に登りつめた忍者は、予め棒の先端付近に取り付けられていた袋に片手を入れて、何かを取り出し、さぁっと外へ投げますと、幾筋もの長い細い紐がパァッ!と白い煙幕を張ったように、一面に拡がりますと、場内から大きな拍手と歓声が起きました。そこで、場内の熱狂の渦は頂点へと達しました。その棒登りをしたのは、何と高崎工業高校の清水先生でした。

 画像をクリックしますと、「総田楽=曲芸・棒登り」の一部分の"動画"がご覧になれます。
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 中国雑芸や高工生の演技、棒登りのアクロバット芸が終わると、田楽法師達全員の総躍りが再び始まりました。総躍りの途中で、パンフレットの解説では「宝撒き(たからまき)」と説明されてますが、数人の法師が、春の節分の豆撒きの様に、舞台から観客にプレゼントを撒きますと、観客のあちこちで歓声が揚がってました。
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総乱舞 そうらんぶ ・ 行 進(復)こうしん(ふく)

 高工の生徒と先生の宙返りと棒登りのアクロバット芸が終わって、場内はすっかり興奮の渦に包まれた中、エンディングの踊り手全員による「群舞」の波が大きくうねり出しました。高崎の夜の空に「総乱舞」のますます冴えた笛の音が高く高く、響き渡ってました。

 高崎市民100余名が参加出演した市制施行100周年記念イベント「高崎大田楽」は、大勢の市民の見守るなか盛況のうちに、終演を迎えました。 ひとしきり演技が終わった後、一瞬の静寂の後、タムと呼ばれる銅鑼(どら)に似た楽器の軽やかなリズムが鳴り始めすと、観客の市民もステージへ揚がって、躍り手の法師達と一緒に、躍って下さいとの場内放送があり、最後は一般市民と田楽法師とが、なごやかにタムのリズムに合わせ、「総乱舞」が始まりました。

 画像をクリックしますと、「総乱舞」の一部分の"動画"がご覧になれます。
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