12月3日(水)に、秩父市を訪問しました。秩父市は、武州埼玉の西部、秩父
連山に囲まれた秩父盆地の中心をなし、甲武信岳(こぶしだけ)に発した荒川は、
奥秩父の谷を降り、ここ秩父市で横瀬川、赤平川などと合流し、関東平野に出て、
下流は埼玉東京の境界で荒川放水路、そして隅田川となって東京湾に注ぎます。
花鳥風月に恵まれ、四季を問わず訪れる人が多い秩父市です。国道140号を車か、
SLのレトロ気分も味わえる秩父鉄道に乗って県央の熊谷で、関越自動車道や上越新
幹線と楽に連絡できるし、西武秩父駅より西武鉄道で飯能を経て、東京・池袋へ一
直線に出ることもできるなど、アクセスが非常に便利だからでしょう。
遠く13世紀頃に始まったと伝えられる秩父34ヶ所札所巡りや、秩父七福神巡りな
どは全国的に有名です。そして、新緑から紅葉までの自然探索のハイキングに好適
な環境です。来訪者に有り難いのは秩父市には、観光施設が充実して居ることです。
秩父まつり会館、市立民俗博物館、秩父美術館、仏教資料館、市の名前から直ぐに
連想されるセメントの原料の石灰岩の採掘で有名な武甲山の資料を展示した武甲山
資料館、酒造資料館、そして昔から秩父銘仙で有名な秩父織物の資料館などなど。
十を上回るこれら文化施設は、到底1日では全館は観られません。
なかでも秩父まつり会館は、来訪者に年中いつでも、秩父夜祭りが観られるよう
にと、実物と全くそっくりの屋台・笠鉾を展示し、映画上映などで祭りの夜を再現
してくれます。これを観てから現物の山車を見学すると様子が好く判ります。
各地からの観光バスで一杯の駐車場から徒歩で秩父駅方面に進むと、元気なお囃子
の音の響きが迫ってきました。何時(いつ)、何処(どこ)で聴いても祭り囃子の音
は本当に好いものです。祭り囃子の笛と太鼓の音は、何故(なぜ)か私の気持ちを掻
き立てて呉れます。華やいだ気分にしてくれます。思わず早く音の方へ行きたい気分
にさせます。それが祭りの魅力だと思ってます。
駅前広場に集まった大勢の人達に囲まれて、特設ステージ上で十数人の囃子連
中が、秩父屋台囃子Real Audio 176KB 90秒 を演奏してました。人数が多いから音の迫力が違います。若い屈強な男性だけの、太鼓の皮が
やぶれんばかりの力強い囃子で、到着電車から降りてくる祭り見物の観客を迎えるには
、最高の嬉しい演出と思いました。観客の気持ちを嫌が上にも盛り立たせ、祭りの期待
を膨らませたことでしょう。ステージの隣には、夜祭りの主役のひとつである宮地町(
みやじまち)の屋台が華麗な姿で観客を魅了してました。
秩父神社は、秩父市の中央、秩父駅前通りに隣接する柞(ははそ)の森に鎮座する秩
父地方の総社で、権現造りの豪壮な神殿は約400年前に徳川家康の建立といわれ、県指
定文化財だそうです(秩父市観光協会発行のガイドマップより)。秩父夜祭りは秩父神
社の例大祭で、武甲山の男神と秩父神社の女神(妙見宮)とが、年に一度だけ巡り会う
というロマンスのある祭りのようです。
秩父神社の鳥居をくぐって、国道299号
に出ると国道に交差する番場通りは軒を並べる露天と参拝客で一杯、歩くのもやっとと
いった混雑でした。番場通りに平行する本町通りは、駅前で観た宮地町以外の3台の屋
台(本町、中町、上町)の会所(祭典本部)があり、会所の前では各屋台が昼の巡行が
終わり、夜祭り本番の準備を始めておりました。それは一台100本にもなるボンボリや
提灯を屋台に取り付ける作業です。左写真は中町の屋台です。
今回は、この中町
の屋台を採り上げて、秩父の屋台の仕組みの幾つかを観察したいと思います。
屋台正面の唐破風(からはふう=切妻屋根の天辺の棟から左右に伸びる装飾板
を破風といい、そり曲がった曲線状の破風を唐破風と呼ぶ)の上と下を豪華に飾る大き
な柄振台(えぶりだい)と懸魚(げぎょ)の彫刻。故事に基づく縁起ものの人、動物達
の見事に彩色された彫刻は今にも跳び出て来るようでした。同様なものが屋台後部の破
風にも飾られています。軒下の欄間の彫刻も豪華で、金色の飾り金具は下地の漆の黒に
映えて、全体が極彩色に飾られた屋台は、日光東照宮の陽明門を彷彿させる程、見事な
ものでした。
中町の屋台の背後からの眺めです。大きな海魚が跳ねる海の幸を
象徴する金糸銀糸の豪華な刺繍幕。秩父の屋台4台に共通することですが、全ての笛、
太鼓の囃子連中は屋台の巡行中に囃子を奏でても、その姿を観客には見せません。囃子
連中は、屋台前部の広い踊り舞台の奥の4枚の襖(ふすま)と、屋台の後部の後幕とで
仕切られた部屋の中で、屋台囃子を演奏するのです。この中町の囃子の指導者でおられ、自らも笛をなさる井上 孝さんからお訊きしましたのですが、お囃子は、舞台で踊る伴
奏はしません。太鼓は、あくまで巡幸のお囃子で、「曳き踊り」と呼ばれる踊りの伴奏
は地方(じかた・三味線や唄)が襖の前に二重箱(にじゅうばこ)と呼ばれる箱の上に
座って演奏します。踊りの前の、所作太鼓(歌舞伎で言うふれ太鼓のようなもの)は太
鼓の方で叩くのだそうです。
この中町の祭り半天の背中の文字は丸に"白抜き"の
中ですが、囃子連中の半天は丸に"黒抜き"の中でした。山車に乗る人と乗らない人とを
、厳密に区別をしてますのには、驚きました。
右の写真で、囃子連中が
入って居る部屋の襖が見えます。300年以上の伝統を誇る屋台の歴史が残している慣習
の一つの面になりますが、秩父の笹鉾・屋台には京都の山鉾と同じ様に、女性は乗車し
てません。従って、囃子連中も全て男です。同じく、井上さんのお話ですと、唯一前出
の「曳き踊り」の踊り子、地方(じかた・三味線や唄)のみ、女性の方が山車の上に乗
ることが許されておるそうです。当日、山車の綱曳き衆の中に、若い女性が居るのを
目撃しました。
舞台正面左右の向拝柱と襖の両脇の柱は全て、白木の柱でした。
清潔さを表しているのだそうで、毎年、屋台の組立の際に柱の表面を削り直すのだそう
です。この写真ではハッキリ見えませんが、舞台の天井一面には、飛翔する勇壮な龍が
描かれてました。
屋台のボンボリの明かりは全て、本物の蝋燭(ローソク)です。明かり
一つでも、しっかりと伝統を守る姿勢が伺えます。同時に、力強い囃子太鼓の空気の揺
れや、進行する時の屋台の振動で、ボンボリの蝋燭の灯が微妙にゆらゆら揺れて、
何とも云えない情緒、風情を醸し出して呉れます。
屋台前輪の前に突き出ている彫刻
のある部分を摺(す)り出しと呼ぶそうですが、形が船の舳先(へさき)にそっくりで
す。
この中町の屋台は後幕の海魚の刺繍の絵や、屋台の側面の波を思わせる彫刻や欄間の下
に下がる横幕や屋台の腰幕の波濤の青の色彩からして、屋形船を擬しているのかなと感
じました。重量が12トン以上もある屋台の車輪は肉厚で大きい。太い欅(けやき)の輪
切りだそうですが、その堅牢さに驚きます。
4輪固定のこの重い屋台をどうやって方向転換するのか、大きな興味のあるところです。
たすき前掛け姿がキリッとした十数人の若者が屋台の後部で、長さ6m余りの角材でで
きた梃子(てこ)棒を操作して、屋台の方向転換をするのです。秩父市にお住まいで、
ご自身もこの中町の屋台に乗って屋台囃子を演奏し、後輩の指導もなさって居られる
井上 孝さんのホームページに、その梃子を使っての屋台の方向転換の様子が写真で
紹介されてますので、
クリックしてご覧下さい。
中町以外の3台の屋台と、中近笠鉾(なかちかさ
さほこ)、下郷笠鉾(したごうかさほこ)の2台の笠鉾の紹介も、合わせて御覧下さい
。お帰りは、ブラウザー上部のツールバーの左端の←をクリックして、このページへお
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秩父の中近と下郷の2台の笠鉾は、秩父夜祭りの巡行の際に笠は取り
外していますので、現物は見られませんでした。笠のない笠鉾です。笠そのものが屋根
の上に飾られますと、高さが中近笠鉾で14.5m 下郷笠鉾で15.5m にもなるそうですの
で(秩父観光協会発行/国指定重要民俗文化財の秩父夜祭りのパンフより)、巡行コー
スの道路の電線の地下埋設が完了するまでは取り付けないそうです。しかし、その笠鉾
を取り付けた様子が、井上 孝さんのホームページにありますので、
クリックしてご覧下さ
い。貴重な記録と思います。
師走の日暮れは早く、蝋燭に火が灯された屋台の提
灯が、夕闇の中に映えてくると、ド・ドーンという轟音で、打ち上げ花火が大きな光の
輪を夜空に拡げ、夜祭りの開始を告げました。各屋台と笠鉾は待機所を出発して、秩父
神社に向かうのだそうです。中町の屋台は午後6時に、神社に向け会所前を出発しまし
た。その際、屋台の方向転換の様子を見ました。しっかりした作業手順で、掛け声を掛
けながらテキパキと作業する梃子方(てこかた)の皆さんが、重い屋台を確実に方向を
変えたときは、屋台を取り囲んで居た観衆から、大きな拍手と歓声が揚がりました。こ
れも祭りの見所の一つですね。その場面の録音
Real Audio 118KB 60秒 をお聴き下さい。
この頃になると、つめかけた観客で、
道路は人でギュウギュウ詰め。歩くのも自分の意志ではなく、後ろや、横から押されて
動かされていると申した方が、ホントでした。持っていたカメラや背中のリュックの中
のものが、壊されしまう危険が出てきたので、歩くのを止め、一ヶ所に留まって屋台行
列の通るのを待つことにしました。角にNTTがある交差点では、警察官によってお花畑
駅方向へは完全に歩行者進入禁止でした。この先に、笠鉾、屋台が登る有名な団子坂が
あるからでしょう。
順番は昔から決まっているそうで、中近、下郷の2台の笠鉾
が、その大きな四方入母屋造り(しほういりもやつくり)の絢爛豪華な屋根を聳えさせ
て、交差点に迫ってくると、観客から"わぁ〜"と、云うどよめきが揚がりました。確か
に大きい屋台でした。ぼんぼり提灯の灯がゆれ、道路脇からのスポット照明に浮き上が
った姿は、これぞ、秩父の笠鉾だ!と、云わんばかりの見事な眺めでした。よく、まぁ
〜、こんな豪華なものが造れたものと、感心もしました。ここで気が付いたのですが、
笠鉾の笛、太鼓の囃子連中は、笠鉾の舞台の下の腰幕の中で囃子の演奏をしておりまし
た。あくまでも、囃子連中は黒子で、表には出ないのですね。2台の笠鉾に続いて、宮
地、上町、中町、そして最後が本町の各屋台と続きました。ここでも、交差点での方向
転換が見せ場になってました。
屋台行列に続いて、烏帽子装束衣装に身を固めた秩父神社の神主など祭主を先頭に、
厳かな御神幸行列(ごしんこうぎょうれつ)が始まりました。続いて、先端に町や地区
の名前の入った大きな提灯を付けた竿を手に手に持った人達の大勢の列が進行した後を
、江戸時代の町人駕籠に似たお供物の駕籠が各町毎に行列し、神官に担がれた華麗な御
神輿1基がその後に続く御神幸と呼ばれる行列が、古式豊かに進行しました。そして、
最後は飾り衣装で着飾った御神馬(ごしんめ)が一頭連れ出されてましたが、大勢の観
客に興奮してか、落ち着けず、左前足で道路を打ち続けていました。それにしても、こ
のような大がかりな祭りの行列は、普段はなかなか見られない光景であったし、伝統の
まつりを徹底して引き継いでおられる様子に感心させられました。
今年は巡行時に遠くからしか見られなかった中近笠鉾、下郷笠鉾を、来年の秩父夜祭りでは、近くで、
じっくり見学してから、団子坂際に陣取って、勇壮と評判の屋台と笠鉾の坂の登り、降
りの様子を篤と見たいと思ってます。しかし、流石、全国的に評判の高い秩父夜祭りだ
けあって、主役の2基の笠鉾と、4基の屋台の造りの見事さは、観るものを飽きさせな
いし、祭りの運営も手慣れていますし、全市民が祭りへ積極的に参加している様子が、
屋台だけでなく御神幸行列に大勢の人が参加していることでも、判りました。本当に、
素晴らしい秩父夜祭りでした。