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犬 山

"犬山祭"

   4月4日、犬山市を訪問しました。JR名古屋駅を出て、すぐ隣りの駅で名鉄に乗り 換えて、快速で25分程で犬山市です。犬山市は岐阜県境に近い、木曽川の中流域の南 岸に位置する愛知県北西部の都市です。木曽川を眼下に見て、毅然と聳える我が国最古 の天守建築である国宝の犬山城(別名、白帝城)の容姿は、石垣を囲む満開の桜に映え て荘厳な眺めでした。

 犬山城のすぐの南脇に針綱神社(はりつなじんじゃ)があ ります。この神社の祭礼として始まったと伝えられる犬山祭りを見学しました。その針 綱神社に近い犬山市文化資料館のパンフレットに依りますと、「江戸初期の寛永12年 (1635年)に、大火の復興を祈念して下本町が馬の塔、魚屋町が茶摘みの練り物を出し たのが始まりとあります。まもなく馬の塔を車山(やま)にかえ、人形からくりを奉納 するようになった。成瀬正虎(犬山城成瀬家二代)の祭礼奨励もあり町々が参加して、 規模が大きくなった。1700年代に現在の三層の"車山(やま)"の定形が整い以降、太平 洋戦争中の一年を除いて、現在まで途切れぬことなく引き継がれている」とあります。

  祭りの開始セレモニーで、犬山市長が挨拶の中で、第362回の伝統の祭りと話し ておりましたが、江戸から明治大正昭和の長い年月の間、毎年開催された祭りは地元住 民の絶大の支持があったればこそと、思いました。祭りや山車の維持費などの費用負担 も半端なものではなかったと思います。幸い、犬山は木曽川を水運にした商工業の発展 があって、町民の負担を支えたのかも知れません。

 犬山の山車、地元の呼び名は"やま"で、漢字も順序が逆の"車山"です。見聞した13 台の車山(やま)は全て3層構造でした。下山(したやま)と呼ばれる一層目は台車の 上で、お囃子所になってます。左右両側は大赤幕(おおあかまく)と呼ばれる幕が下が ってますが、前後は跳ね板になっていて、常時、上に跳ねられていて、したやまの前後 の張り出しで演奏する囃し手の日除けにようになってます。その跳ね板を覆うように町 名の入った大幕が掛かってます。桝組(ますぐみ)と呼ばれる緻密な彫刻の欄間の下の 水引幕も金糸、銀糸の刺繍で鯉や波濤などの豪華なものです。囃子方は、概ね 笛は2 、3人、鉦ひとつ、前後に3個づつで計6個の締め太鼓と、したやまの天井から吊され ている胴の薄いオオダイがひとつです。能管笛が主流のようで、能楽に近い山車囃子と 思えました。夜山(よやま)と呼ばれる4日の夜の"やま"の巡行時に録音した囃子の一部をお聴き下さい。(118KB 60秒)

 二層目は中山 (なかやま)と呼ばれる人形操り所です。その中に、上の3層目で演技をするからくり 人形を操る人達が入っております。一層目は柱や張り出しなどは白木のままで地味な感 じですが、二層目からは、ネギの頭に似た擬宝珠勾欄(ぎぼしこうらん)の黒漆仕上げ に金具張り、中山丸柱(なかやままるばしら)と呼ばれる丸い4本柱、欄間の中山桝組と "木鼻"(きばな)と呼ばれる丸柱を繋ぐ横木などの豪華な仕上げに驚きます。三層目の 四本の上山四本柱(うわやましほんばしら)や、上山桝組に支えられた唐破風の屋根と 懸魚(けぎょ)及び鬼板などは、漆の黒と金具の金とが緻密な彫り物に映え、二層目の 中幕の緞子(どんす)や西陣が品格を醸し出して、絢爛豪華な装いで、観る人達すべて に感嘆の声を上げさせてました。

 三層目は、からくり人形の舞台です。針綱神社の前で奉納からくるを演ずる時には、 三層目の幕を外します。この2枚の写真は外町の車山(やま)のものです。上幕(うわま く、三層目の幕)に"梅梢戯(ばいしょうぎ)"という車山の呼び名が書かれてます。隣の 写真はその上幕を外した梅梢戯の後ろ姿です。からくり人形が見えてます。梅の枝に逆 立ちなどをして戯れる唐子(からこ)人形です。梅梢戯という車山の名前は、このからく り人形の演技から名付けられたそうです。犬山の13台の車山にはそれぞれ名前が付け られてます。全車のからくり人形の奉納が終了したのが午後4時過ぎでした。

 犬 山祭り初日は試楽祭で、翌日が本楽祭です。昨年は試楽祭、本楽祭2日間とも雨だった そうですが、今年の初日の4日は、朝からの快晴で正午前後の頃は日射が強く、写体の 日陰と日向での陰影差が強く、カメラ露出調節がむずかしくなり、逆光に手をやきまし た。また、観客も大勢が押し掛け、針綱神社前広場に車山が勢揃いして、からくり奉納 が始まった頃の観客はラッシュ時の電車並で、落ち着いてカメラなど構えておられない 状態でした。やむを得ぬ事ですが。

 

 からくりの動作はロボット的ですから、次の動作に入るのに 少し間があります。しかし、ゆっくりした動きから突然、瞬間的に変身するからくり人 形をカメラ撮影するには、経験が必要でした。ある程度予め、からくり人形の演技動作 を知った上でないと、人形の決定的瞬間の撮影がうまくできないことがわかりました。 従って、2、3度は犬山に通って、やっと、納得の撮影ができるということですね。

 写真は、車山の名前が"真先(まっさき)"の魚屋町からくり人形です。何の支え もなく、高下駄で乱杭(らんくい)を渡る技は、「離れからくり」といわれる部類のも ので、そのなかでも極めて難易度が高いものだそうです。

 犬山市のホームページ に、詳しい犬山祭りの紹介が載ってます。最近は、日本全国での各地のお祭りが、地元 の市町村の役所、役場で発信するホームページで紹介され始めましたが、なかでもこの 犬山市のものは内容が濃く、しっかりした祭りの紹介になってます。見聞録の作者とし ては、実際の祭り現場で自分の眼で直接"見たこと"、自分の耳で直接"聞いたこと"で、 面白かったこと、印象に残ったことなどを中心に、地元のホームページには載ってない ものを紹介したいと考えてます。 犬山祭り

  犬山市文化資料館のお話ですと、車山(やま)の高さは、8.7m もあるそうです。重量 は3トンもあります。直径1.2m 厚みが24cmもある4個の車輪は車台に固定されてます 。舵取りは車台の前後に突き出ている梶棒を使います。30名前後の屈強な青年が車山 の前後の梶棒に取り付いて、棟梁の合図で梶棒を横に振って、車山の向きを変えます。

 これが凄い迫力です。"手子(てこ)" と呼ばれる青年達は梶棒に肩をあて、合図 が出るや、藁草履を付けた脚を踏ん張り、腹の中から絞り出すような唸り声に近い掛け 声とともに、渾身の力を振り絞って、強引に梶棒を横に押し出します。すると、山車の 土台が急激に横へずらされるわけですから、接地面に鉄の輪が巻いてある木製の車輪が 、傾き軋みながら道路面を横にスリップして、車山の尻が振られる形で、向きが変わる のです。

 その時の車輪がスリップして"ガリガリ"っと路面をカジる音、山車全体 がグラグラと身震いする様子に、思わず固唾(かたず)を飲む緊張の瞬間でした。手子 の中には車台の床下に潜って同じ作業をしている人もおり、その懸命な取り組み姿勢に 大きな拍手を送りたいと思いました。犬山市文化資料館のお話ですと、この勇壮な車山 の方向転換を"しゃぎり(車切り)"と呼んでいるそうです。ひきずって、向きを変える 意味で、別の"どんでん"という呼び方は、つり上げて、向きを変えることだそうです。 岸和田のだんじりの方向変換は"やりまわし"と呼ばれてますが、若い屈強な手子さん達 の活躍の様子は全く、同じでよく似てます。東海、阪神の山車祭りは迫力がありますね 。

 祭りの屋台や山車などの曳ものは、数十人の引き衆が長い綱を引っ張って巡行 するのが一般的と思ってましたが、この犬山の車山(やま)には綱はありませんでした 。尾張藩の東照宮祭りから広まったと言われる伝統のある尾張周辺の山車は、この犬山 型車山の様式になっておるそうです。梶棒を前後に梶取りをする"手子"の皆さんが曳く というか、押すというか、30人の手子さんだけで、この三層の山車を動かすのですか ら、これも驚きでした。汗を飛び散らせながら、目を見開き、歯を食いしばって山車を 操作する手子の皆さんの姿は今も強烈な印象となってます。

 

 一方、囃子方は 可愛い祭り衣裳で着飾った、まだ幼い顔の小学生の子供達が主役です。女子は勿論、男 子も長い袂の赤い着物姿に黄色の鉢巻きをして、男女とも、背中に背負ったきらびやか な大きなお飾りを外に向けて、車山の前後の張り出しに3人づつ並んで座ります。一生 懸命に太鼓のバチを振る子供達の着飾った姿は、お祭りの華やかさを一層、盛り立てて おりました。

 

 犬山市文化資料館の別館となってます「からくり展示館」を見学しました。犬山祭り の車山のからくり人形や、祭りに関する資料などが展示されてました。愛知周辺の「山 車からくり」の展示がありました。この中に亀崎潮干祭りの山車からくり人形一式が出 展されていました。今年は、潮干まつりを見学したいと考えてましたので、興味があり ました。


 館内に特設工房があって、日本で唯1人だけのからくり人形の制作 者だそうですが、九代目玉屋庄兵衛さんのからくり細工の実演が、毎週金、土曜日に、 この特設工房で行われておるそうです。

 幸い、祭りのイベントとして、針綱神社 前の市の体育館のロビーにて、玉屋庄兵衛さんの「座敷からくり」の実演があると知り 、早速駆けつけました。「からくり人形の宝庫」(千田靖子 著 愛知県と周辺の東海 、近畿に数多く残されているからくり人形を自分の脚で見聞し、紹介している本。 中日出版社)や、からくり人形研究家高梨 生馬氏のホームページ「からくり人形」などで紹介さ れていた「茶運び人形」の現物を、庄兵衛さん自身が手に取ってメカの解説をしてくれ たのには、感激でした。 写真はその時のものです。尚、玉屋庄兵衛さんの先祖が、犬山の外町の車山"梅梢戯 (ばいしょうぎ)"のからくり人形を製作したとのことです。

 

 犬山駅 西口ローターリーには、犬山まつりの大きなモニュメントが立ってます。夜にそのロー ターリーから出発する車山(やま)を"夜山(よやま)"と呼ぶのだそうです。  午後七時。365個の提灯に一斉に灯が点じられると"やま"は、昼間の雰囲気から変 身します。"やま"が進み出すと、数珠玉のようにつながっている提灯は風をうけて、微 かに揺れます。すると蝋燭の灯は、生き物のように呼吸を始めます。三層の背の高い" やま "は隙間無く提灯で埋め尽くされているので、離れて眺めると、沢山の提灯に 覆われた小高い山が、次々と列を作って迫ってくるようでした。
駅前通りを真っ直 ぐに巡行するので、大きく"しゃぎり"をすることもないので、手子の皆さんもほっとし た静寂の中を、お囃子の音が一段と高まってくるのでした。道路いっぱいに拡がって、 "やま"の前後を挟むように歩む観客は、囃子の音と提灯の灯りが夜桜に映える"やま"の 姿に、しばし夢幻の世界へと誘い込まれているようでした。犬山祭りの初日、試楽祭の 4日は、心地よい疲労感の中で終わった。

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