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佐 原

"佐原の大祭"

 秋の山車 祭り  祭り好きの私の様な者には、佐原の皆さんが本当に羨ましい..、年に2回も 祭りが楽しめるなんて!いいなぁ〜。

屋上の大型の人形が迫り上がると、 見事の眺めです。

西関戸町の人形"瓊瓊杵尊"(ににぎのみこと)です。
山車に斜 めに立て掛けてあるのが舵取り用の丸太です。

囃子方は、笛、鉦、太鼓、鼓などの十数人の大勢で す。佐原囃子はお神楽や雅楽の様にしなやかな調子のよいリズムです。囃子のデパート リーも広く、曲には現代の"八木節"や"東京音頭"もアレンジされて演奏してました。そ の音色に合わせて曳き方が向かい合って、手拍子、足拍子よく踊るのが佐原山車祭りの 魅力なのです。

木製の車 輪は"だんじり"の車輪の倍ぐらいの大きさでした。4輪固定式であるのも"だんじり"と 同様です。

山車本体はガッチリした堅牢さを感じました。勾欄や柱に精緻な彫刻が施されてます が、漆塗りや金箔などの装飾はなく、木地のままでした。関西の"だんじり"と似た造り でした。

 

 やぁ〜,見てきました。初めて目にするものは 、少なからず、驚きや感動があるものですが、佐原の山車も見事でした。町の真ん中を 流れる川の東側地区では7月に祇園祭りを、西側では10月に秋祭りを、町を挙げての 山車祭りが毎年2回も行われるなんて、素晴らしいことです。300年の伝統を持つ山 車祭りは、江戸時代の佐原の町の繁栄の証として、今に伝えられておるのでしょう。

 秋祭りは10月の第二週の金曜日から日曜に掛けての3日間、と決まっておるのだそ うです。祭り初日の10日の朝、10時過ぎに佐原駅から駅前通りに出ますと、祭りの パンフレットを配る法被姿の皆さんが待ち構えていました。早速、手にしたパンフレッ トを見ながら佐原の街中へ入りました。すぐに祭り囃子の音が聞こえてきました。祭り 初日の朝、祭礼の飾り付けをした商店は品物の展示や、店前の掃除などをしてましたが 、快晴の天気も幸いし、何となく祭り気分の華やいだ雰囲気を感じました。

 近く に聴こえていた祭り囃子は、大きな武者人形を載せた山車からのものでした。そばによ って見なすと、何んとまぁ〜、デッカイ(大きいの意)人形だなぁ〜、と驚きました。 大楠公と書いた大きな木札が掲げてありましたので、パンフレットから東関戸町の山車 と判りました。楠木正成の凛々しい姿ですが、側に居る人と比べると、6、7倍の大き さになるのではないかとと思いました。とにかくデカイ人形でした。山車も長さ幅とも 大きく、大きな箱といった感じのガッチリした構造でした。

 十数人の囃し手(下 座連-げざれん-と呼ぶそうです)が乗ってまして、屋上は大人形と4、5人の世話人が 乗ってました。演奏楽器に鼓(つづみ)が使われ、ポンポンと鼓を打つ姿は粋な感じが しました。佐原囃子のルーツは江戸神田祭りや山王まつりばかりでなく、古都京都の祇 園祭りとも縁があったそうで、笛の音をはじめ、囃子のイメージが雅楽の音色を感じさ せ、雅やかさえ感じさせました。

 これも驚きでしたが、山車の曳(ひ)き手の連中は山車が停止すると、曳き綱を挟ん で向かい合って、囃子に合わせて、手振り身振りを揃えて踊るのです。全員が元気よく 、踊りながら数え唄のようなものを歌うのでした。若い青年男女が中心に、小さい3歳 、4歳の子供も混じって、手拍子をいれて、全員が手古舞を見事に踊るさまは圧巻でし た。よその山車祭りではあまり見掛けないことでした。

 山車の曳き手衆が唄を歌 い、手古舞を踊る姿は、山車囃子だけではどうしても、単調に成りやすい山車祭りの雰 囲気を大いに引き立て、盛り上げる効果があるなぁ〜、と、つくづく感心しました。山 車、屋台どちらにしても、長い綱を持ち、先頭に立つ曳き手衆の動きが山車巡行では大 切です。なるべく全員がお揃いの祭り支度をして、山車囃子に合わせて元気の好い声を 出して行進することが、山車行列には欠かせません。

 どんなに本体の山車や、囃 子が好くても、行列の先頭を進む人達がダラダラしていたら台無しです。確かに歩きな がら綱を曳くのですから疲れますが、観客の感心が山車囃子にあるだけではありません 。山車巡行の善し悪しは先頭に立つ曳き手衆の動きで決まるのではないでしょうか。佐 原の山車祭りはこういった面でも手慣れていて、曳き手衆にも観客の感心が集まるよう にして、ジャンボな山車人形、情緒ある佐原ばやしとともに、佐原の山車祭りの素晴ら さを演出しているのだなぁと、伝統の重みを感じました。

 山車本体はガッチリし た堅牢さを感じました。本体の勾欄や柱に精緻な彫刻が施されてますが、漆塗りや金箔 などの装飾はなく、木地のままでした。関西の"だんじり"と似た造りでした。木製の車 輪は"だんじり"の車輪の倍ぐらいの大きさでした。4輪固定式であるのも"だんじり"と 同様でした。関東周辺の山車は江戸型が伝播していった名残りが多いなか、古い伝統の ある町の佐原は江戸時代以前から、独自の祭り文化を京、大阪の関西から取り入れてい たのか、江戸型が生まれる前の江戸初期の飾り屋台が早くから佐原に伝えられたのか、 佐原の山車は、江戸時代後期の2層楼式の江戸型とは全然違う構造でした。

 佐原 の山車は、どの山車も長さ3m位の丸太(丸棒)が2本用意されてます。これもだんじ りと同じでしたが、力のある若者がこの丸太を前輪の内側の側面に押し当てて、進行方 向を右、左に変えるのに使う梶でした。梶取りの実際場面は迫力がありました。山車が 綱で前へ曳かれる力を利用して、丸太で前輪を押さえつけて、むりやり方向を変えるの ですから、道路に木製の車輪が滑る音がガリガリと鳴って、その様子は、京都の山鉾が 青竹を敷いて方向を変えるのとよく似てました。

 囃子方は、笛、鉦、太鼓、鼓な どの十数人の大勢です。佐原囃子はお神楽や雅楽の様にしなやかな調子のよいリズムで す。囃子のデパートリーも広く、曲には現代の"八木節"や"東京音頭"もアレンジされて 演奏してました。その音色に合わせて曳き方が向かい合って、手拍子、足拍子よく踊る 手古舞が佐原山車祭りの魅力なのです。

 佐原の秋の山車祭りは三日間も行われます。そして、実施する町内が違うとはいえ、 同じ年の夏の7月にも山車祭りが行われるのですから、佐原市の祭り関係者も何かと準 備が大変と思います。どこのお祭りでも、華やかな見応えのある祭りが見られるのは、 御輿や山車運行の手筈を行う各町の世話人さん達の、裏方の準備仕事がうまく出来てる からこそ、と思います。年に2回も大きなお祭りが出来るのは、何と言っても、佐原の 全市民が自分たちの祭りをこよなく愛しているから、と思います。祭りに沢山の若い人 達が参加していることを見れば判ります。

 自分たちの住む町の祭りに誇りを持っ ている様子は、先ず、一般の家々の玄関先に提げられた祭り提灯で判ります。全部の家 々の戸口にキチンと飾られてました。市民全てが自分から祭りに参加しているなぁ〜, と感じられました。そして、佐原市には立派な山車会館がありました。その町や市の公 共施設に、祭りに関する展示品があるかどうかで、祭りに対するその町の感情や思い入 れが判るというものです。だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市にも山車会館がありま した。日常の維持運営のために有料であって好いのです。わたしが住む高崎市には山車 会館がありません。余談ですが、先日、高崎市市制100周年の記念行事のアンケートが 来たので、早く山車会館を作りなさいと回答しました。

 僅か、1日の見学で佐原 の山車祭りを云々(うんぬん)することは誠に僭越至極と思います。これからも、"佐 原の大祭"の見学の機会を作って、山車祭りの勉強をしたいと考えてます。

 


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