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高崎市八幡町・鳥追い祭の探訪記!

"高崎の八幡(やわた)町って、どの辺?"

 この上のMapionのロゴをクリックしますと、高崎市八幡町を中心にした市街地の地図が出ます。地図はマウスで上下・左右に動かせますし、地図画面の左側に温度計の様なスケールが有ります。そのスケールの下の−(マイナス)を押して地図を縮小させますと、国道18号が現れます。

国道の左方向が安中市、軽井沢方面、右方向が高崎市街、大宮、東京方面です。国道18号の交差点「八幡大門」を、上り車線は左折、下り車線は右折しますと、大きな鳥居の有る八幡宮の参道となります。ほぼ直線のこの参道を鳥追い祭の屋台4基が八幡宮の神門まで巡行します。地図の左上隅の太い←をクリックしますと、ホームページに戻ります。

しめ飾りやお札、書き初めなどを燃やす日本伝統の

小正月の行事「どんど焼き」

旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月のこと)にあたり、その昔この日を正月としていたなごりで、新暦での元日を「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになりました。 大正月が年神様を迎える行事なのに対し、小正月は田畑の作物を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀(米・麦・あわ・きび・豆)やその他の作物の豊かな実りを祈願し、町内厄除・家内安全を願って始められたといわれています。豊作祈願や家庭的な行事が多いのが特徴です。大正月を男正月、小正月を女正月ともいい、松の内に多忙をきわめた女性をねぎらう休息日でもありました。

また、しめ飾りやお札、書き初めなどを燃やす日本伝統のイベントは、ほぼ各地では「どんど焼き」と呼んでますが、関西では、古くは、宮中や公家(くげ)で、旧暦十五日朝、正月飾りなどを焼く悪魔払いの小正月行事が行われていた行事を「左義長(さぎちょう)」と呼んだ。この左義長とは、小正月に竹や木を三脚にして組んで、扇子・短冊・吉書(天皇に奉る政務上の文書)を、清涼殿の庭で焼く儀式の呼び名であって、関西地方では今も使われている。「どんど焼き」「左儀長」、どちらも正月行事に区切りをつける正月十五日に行う火祭であることは変わらない。

八幡町の「鳥追い祭」の屋台の巡行は、小正月行事の「どんど焼き」の一環として行われて来たが、地域の正月の松飾りが廃れ、住民の住宅環境も変化した為、火祭の「どんど焼き」が中止され、現在では「鳥追い祭」だけが賑やかに行われています。八幡町の「鳥追い祭」は小正月の15日の「どんど焼き」に引き続いて行われていた。小正月の1月15日に行われていた成人式が、平成19年から正月の第2月曜日に変わったので、八幡町でも「どんど焼き」と「鳥追い祭」の屋台巡業が成人式の日に行われる様になった。しかし、「どんど焼き」が廃れた今では「鳥追い祭」としての屋台巡業だけになった。

ご紹介物件

ご説明

神門(元、仁王門)

神門前の石碑に "上野国一社 八幡宮(こうずけのくにいっしゃはちまんぐう)"と彫られております。 信越本線・群馬八幡駅の西1Kmほどの八幡町に鎮座。 18号線の八幡大門交差点から北へ入ると、 赤い大鳥居が建っていて、扁額には「八幡宮」。 大鳥居から北上(正確には北北西)し、 信越本線の線路を越えて、突き当たりが当社の境内の丘。 丘の麓に神門がある。以上のご案内は、本ホームページ冒頭のMapionで、ご参照下さい。☆画像をクリックしますと拡大します。左上隅の←で戻れます。

尚、本ホームページでは、静止画像は大半がクリックで拡大可能にしておりますので、マウスを画像に乗せてみて下さい。

鳥居と左手の鐘楼と神門(ふたつ目)

高崎市八幡町の八幡宮とは、平安時代の957年に源頼信が石清水八幡宮を勧請して創建された律令制下の一国一社の八幡宮で、地方官吏の上野(こうずけ)国府の守護神の立ち位置と、上野(こうずけ)国分寺に近くにあって、国分寺の鎮守・守護神であった国分八幡宮であったか、どちらかの区別は判然としてなかったとのこと。その後、 源頼義・義家父子や源頼朝、さらには新田氏、足利氏、武田氏など武家一門の崇敬と寄進を受け、徳川幕府からは朱印地100石を寄進された。

明治政府が行った神仏分離政策の廃仏毀釈にも関わらず、明治維新までの神仏混淆の名残を示す仁王門が、そのままの形で神門として、寺の象徴である鐘楼がそのまま境内に現存する。尚、上記記載の上野国一社八幡宮の紹介内容は、我が国の神社の総覧のホームページ玄松子に詳しく紹介されておりますので、ご覧下さい。本ページは管理者が平成30年1月8日、八幡町鳥追い祭の取材時に訪ねた上野国一社八幡宮の境内の様子の一部の画像と"玄松子"のページの内容を参照し、紹介しました。


八幡町"鳥追い祭"の屋台



<上下(じょうげ)組の屋台> 八幡宮に向かって参道の右側、浅田屋商店さんの店前の駐車場に、すっかり屋台の支度を調え、夕刻の出発を待つばかりの上下組の屋台。八幡町鳥追い祭の4基の屋台は小型です。管理者が見学時に、メジャーで採寸した寸法を別表で掲載してますので、ページを上へ、スクロールしてご覧下さい。
画像をクリックすると、拡大します。 



屋台の屋根の市松模様の四方の囲い枠は、朝顔の花の形に似ているので、町の人達は"アサガオ"と呼んでます。アサガオの周囲には、華やかな造花の枝を各辺に10本余りづつ飾り附け、アサガオの中心には"鳥追い祭"、"町内繁栄"などと書かれた万胴(まんど)が立てられ、お囃子の舞台には手摺り、脇障子も備えた小型ながら、形の整った見栄えのある屋台です。4輪の内、後輪2輪は大きく固定し、小さい前輪は車軸のセンターで左右に方向を変えられる便利な構造です。



<大門(だいもん)組の屋台>

ここで、4基の組名について、東組の組長の桜井様からお聞きしましたので、以下、お伝えします。現在、八幡町と呼ばれている八幡宮の周辺界隈は、昔は八幡宮の参道に沿って、民家が散在する位で、参道の半分の神門に近い方を"上馬場(かみばば)"と呼び、遠い方を"下馬場(しもばば)"呼んでいたので、参道沿いの上馬場、下馬場が氏子の屋台の呼び名を"上下組"とし、「じょうげくみ」と呼ぶ様になったとのお話です。(右枠へ続く)  



そして、参道を八幡宮に向かって、右側の一帯地域の氏子達の屋台を"東組"、反対の左側の一帯地域の氏子達の屋台を"西組"、それから、中山道を折れて始まる参道の大きな鳥居のある一帯の氏子達の屋台を"大門組"と呼んでます。屋台正面の提灯の組名が大門と南の二つとなってます。
大門屋台は、上下組屋台と比べ、やや小ぶりですが、外観・構造・装備は殆ど同じです。

この画像をクリックすると、拡大します。



<東町の屋台>

大門組屋台の待機場所から 参道を八幡宮に向かって歩き、JR信越線の踏切を渡って、少し行くと右へ折れるT路地となり、そこを曲って百メートル程、東へ歩くと道の左側に、東公民館がありました。その玄関前に、すっかり出発支度が出来た東組の屋台が駐車してました。(右枠へ続く) 



東組屋台も上下組の屋台とほぼ同型で、外観・構造・装備は殆ど同じですが、やや小ぶりですが、大門屋台よりは僅か大き目です。
画像をクリックすると、拡大します。  



<西組の屋台>

東組屋台の止まる東公民館を出て、もと来た路地を参道迄戻って、参道を少し八幡宮方向へ歩くと、今度は左折するT路地になります。その角を左折して150メートル程で、道の右側に西公民館があります。公民館の前に、西組の提灯の付いた屋台が、アサガオの飾り枠と万胴は付いておりましたが、屋根の飾り花とお囃子の太鼓が取り付けられて無い、まだ組立完了前の状態でした。 



西組の屋台は、他の3基の屋台とほぼ同型で、外観・構造は殆ど同じですが、他の3基比べると小型です。前後輪は同寸法の小さい車輪で、前輪も固定式で、屋台の方向転換は屋台の前輪を引き手衆が持ち上げて行います。
画像をクリックすると、拡大します。ご覧になれます。  




 

 


八幡町に伝わる「八幡六郷流お囃子」は、当町の冨加津徳太郎(1828〜1903)が江戸に出て、六郷流の囃子方六郷新三郎の門に入り、その秘曲を極め「六郷新平」の称を受け、晩年郷里に帰り、その弟子達により伝承された由緒ある郷土芸能です。 このお囃子は八幡宮に奉納される大々神楽、鳥追い祭りのお囃子、底抜け屋台のお囃子に取り入れられ、笛、大太鼓、小太鼓、摺り鉦、つづみ等によって演奏されます。 この貴重な郷土芸能をより正しく伝承して行く為、平成2年に保存会(会員180名)を結成し、次代を担う子供達へ伝える活動を主体とし「鳥追い祭り」や地域芸能大会等に積極的に参加しています。

次にご紹介します「八幡六郷流お囃子」のビデオは、平成27年9月6日(日)に、榛名町の榛名文化会館で開催された"高崎お囃子大会"で披露された時の録画です。 "演 目" @みんば Aしちょうめ B神田まる C屋台ばやし Dきりん Eおおま Fかまくらしょうでん Gかっこ「八幡六郷流お囃子」

さぁ、愈々"八幡町鳥追い祭"四基の屋台の八幡六郷流のお囃子の叩き合いだ!

さぁ、愈々"八幡町鳥追い祭"四基の屋台の八幡六郷流のお囃子の叩き合いだ!

屋台が巡行する"八幡宮の参道”の眺め。写真の奥く前方の山並みは、高崎白衣観音像のある観音山の続きの"岩の谷丘陵"で、薄く明りが見える付近に、正月6日の縁起だるま"の少林山達磨寺、丘陵に沿って左右に、碓氷川(うすいがわ)と中山道が通り、参道の入り口の大きな"鳥居"を潜り、参道を八幡宮に向かうと、JR信越線の踏切となり、そのまま参道を進むと、写真の鳥居の前の神門の前に到着です。この神門の前に4基の屋台が2基づつ会い向かえに並びます。

上の"四基の屋台の巡行図"は、ゼンリン地図のコピーです。地図をクリックしますと、四基の屋台の集合の様子のビデオ動画です。
平成30年1月8日、午後六時過ぎ、参道の堀川の脇のT路地に、四基の屋台は八幡宮に向かって、東、西、大門、上下の順番で待機しました。この三差路を堀川に沿って東へ進むと東組の公民館です。

上の"八幡宮前の叩き合い"のゼンリン地図をクリックしますと、四基の屋台の神門前での叩き合いの様子のビデオ動画です。この神門の前に4基の屋台が2基づつ、向かえ会いに並びました。


"巡行開始"
午後七時、参道の堀川の脇のT路地に待機していた四基の屋台は、八幡宮へ向って巡行を開始。

"福撒き(ふくまき)"
こちらをクリックしますと、叩き合いの最中に、屋台の屋上から祝い品が撒かれた様子のビデオ動画です。万胴に投げている人の影が映ってます。

"新年の祝辞"
こちらをクリックしますと、五組の組頭の挨拶。

"帰路"
こちらをクリックしますと、叩き合いが終了し、四基の屋台が出発場所へ戻る巡行の様子のビデオ動画です。

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