根小屋町の翌週、山名町の吉田昭次さん宅を訪問した。途中、根小屋町の飯富さん宅に寄り、お借りした根小屋町の屋台の写真をお返しし、お礼の挨拶をした。屋台小屋から出されたバラバラの部材が、次第に屋台へと組み立てられる一連の過程が写真に撮られていたことは、ほんとうに貴重で、幸運なことであったこと、こんなに優れた祭礼曳き山をこのまま朽ち果てさせてしまうのは余りにも、もったいないことで、屋台小屋の修復など町の保存管理を望むが、場合によったら、市の教育委員会などに働き掛けるなどして、保存に努めたいなど、有意義な話し合いが持てた。
山名町の区長さんからの紹介された吉田昭次さんの家は、山名町の商店街でもある県道 寺尾・藤岡線に面しており、山名駅方向を示す県道の道路標識の角を曲がると山名八幡宮の参道となるT字路の直ぐ脇にあります。吉田さんは、山名町のお囃子保存会の会長さんで、毎年秋の山名八幡宮の祭礼には、保存会員と一緒になって、町の子供達にお囃子の指南をしておる方です。吉田さんは県道に面した広い自宅の敷地の半分を開放して、お囃子の練習場の小屋を提供してます。また吉田さんは事実上、屋台の保存も任されており、山名の屋台とお囃子の保存に大きな貢献をなさっておられる方です。
山名町ではお囃子のことを「しゃぎり」と呼んでます。新潟県村上市では、山車のことを「しゃぎり」と呼ぶそうです。名古屋市の筒井町の山車まつりを見聞したときに気がついたのですが、筒井町でもお囃子のことを「しゃぎり」と呼んでいました。明治の廃藩置県迄長く高崎藩主であった大河内家の初代藩主大河内輝貞は一時、村上へ移封されて、また高崎へ戻った経緯があったそうですから、藩主が「しゃぎり」の言葉を高崎にもたらしたのかもしれません。
今の高崎の市街地の山車囃子には無い言葉が、山名に残っているということは、その当時の高崎城下には山車や屋台の出る祭がまだなかったが、隣村の山名には平安時代末期に勧請された由緒ある山名八幡宮があって、その祭礼には屋台などの曳き物が出ていて、屋台囃子も存在していたと、想像ができます。ですから「しゃぎり」という言葉に大変興味を感じました。