相生町の山車の概要


人形の由来

"鎮西八郎 源 為朝"
 ちんぜいはちろう みなもとのためとも

 為朝は平安末期の武将で、少年のころから勇ましく十三歳で父為義に京都を追われた後に、九州に勢力を張り、鎮西八郎と称した。保元の乱に敗れ伊豆大島に流されたが、伊豆諸島を略取るしたものの、討伐軍に破れ自刃した。弓の名手とされ、豪勇無双の武将であった。高崎市役所ホームページ「高崎まつり 山車」の記述を参照。 



所有者相生町
代表者保存会長 馬場敏夫
連絡先相生町3番地 TEL 027-323-4289
山車製作年月日 大正12年11月 

撮影 00/8/5

制作者佐藤鷲七、白木鉄工所、埼玉より中古買い入れ、改造。 
製作費用約1,700円
構造総ケヤキ廻り上造り 四輪御所車 前輪自由 後輪固定
仕上げ漆塗り 一部金箔塗り
人形人形名鎮西八郎為朝公 撮影00/8/5
制作者山本鉄五郎
製作費用300円(製作当時)
彫刻棟飾り 
向拝柱右/上り竜 左/下り竜
制作者彫刻師
制作者 
幕 様上幕/ 下幕/
山車の保管場所相生町52番地
その他の特記事項費用65万円。

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この山車概要の記述内容は、平成9年3月、高崎市商工部商業観光課発行の冊子、「高崎の山車」の中の記述を、商業観光課殿の了解の上、転記致してます。