この日、本祭りは、昼間に、7町合同曳き廻しと御神輿渡御が行われます。丁度、若宮の太鼓台が竹田交差点を通過したときに、数台の車に前後を挟まれて御神輿を積んだ一台のトラックが、別方向から交差点を通過して、作者が下って来たばかりの竹田坂へと向かって行きました。 パンフレットの説明ですと、この日、朝8時半過ぎに駅前を出発した太鼓台の隊列は、10時前に二本松神社に到着、7台が神社正面に向いて整列、勢揃いします。お囃子の奉納、稚児の奉納舞い、お祓いなどの一連の神官行事が行われたあと、二台の御神輿の渡御が出発します。作者が竹田見付けの交差点に着いたときに遭遇した、トラックに鎮座した御神輿の隊列は、この二本松神社の八幡宮、熊野宮の二基の御神輿でした。二本松神社と御神輿については、ページの後編でご紹介します。
竹田見付けから根崎見付けに掛けての路上に、太鼓台が整列を始めておりました。既に、交差点手前側から本町、亀谷、竹田、松岡の順で四台の太鼓台が並んでおり、根崎の太鼓台が回転をしながら後退して、松岡の隣りに並び終えると、待っていた若宮が回転を始めました。最後の郭内が並び終えて7台の太鼓台の勢揃いが整いますと、暫く、お囃子の叩き合いが続きます。囃子に合わせて、2名の屋根係が威勢のよい手振り、身振りでアクションを競います。それに負けじと、下の舵取り衆も拳を突き上げ、声を掛けあって応援します。祭りならではの愉快な光景が暫く続いた後、合図で一斉に囃子が止まりました。各太鼓台の前に舵取り衆、曳き手衆が整列して、若連幹部からの伝達を受けた後、昼食休憩になりました。上の画像はその時に撮ったものです。 日頃、作者が関心を持っていたことなので、ここで、敢えてご披露したいことがあります。それは山車屋台の巡行途中の食事のことです。作者が各地の祭り見聞の際によく見かけるのですが、祭り参加者が路上で弁当を拡げて飲食するということを、この日の二本松の皆さんは一切やらなかったことです。路上で食事をしている様子は、一般観客の眼には、好い光景には映りません。中には酩酊して、怒声をあげる輩などが居たりしますと、見苦しい限りです。 この日の二本松の皆さんは、どこか予め準備された場所で昼食を取られたのでしょう、昼食時間中は幾人かの留守番が太鼓台の周辺に居るだけでした(画像左: 昼食休憩中で、静かな太鼓台の周辺)。大半の祭りでは、どうしても場所がなくて、食事を路上で取るしかないということかも知れませんが、二本松の皆さんの様に、路上では飲食をやらない、という姿勢に大きな拍手を送りたいです。午後の出発時刻近くになって、祭り衣装の若連の大人、子供達が戻って来ました。 昼食休憩中に、勢揃いした7台の太鼓台に近づいて、見学しました。巻き尺で寸法を確かめたり、太鼓台の幕の内側を覗いたりしました。休憩時間中は、運行中では見られないものが観察できるよい機会です。その時のことです。太鼓台の中の写真を撮ろうとしましたら、小太鼓の脇に空のペットボトルが置いてありました。撮るのに邪魔でしたので、それを自分で無断で取るのはまずいと思って、側を通り掛かった祭り衣装の子供に、あれをどかしてくれますか、と頼んだところ、「いやぁ、取れません。よその太鼓台に触われないんです・・」と 断わられてしまいました。 そこで、昼食から戻って来た若連の人に、よその台に触れてはならぬことを含め、二本松の太鼓台運行に関しての質問をさせて貰いました。 "そのとおりです"と、台の庇(ひさし)の四隅から吊されている長い房の付いている風鈴を示しながら、次の様な話をしてくれました。 全ての太鼓台の庇に提げられている風鈴の形をした風鐸(ふうたく)は飾りだけでなく、これ以上、中へ踏み込んではならないという境界線を示していて、四つの風鐸で囲まれた内側は聖域で、よその太鼓台の関係者に自分たちの太鼓台に触れさせてはならない慣習・しきたりになっている。ですから、自分たちもよその台の聖域に近寄ってはならないし、決してよその太鼓台に触ってはならない。なぜ触っては駄目なのかの理由は分からないが、昔から厳しく先輩から教えられて来たそうです。 長い伝統なかで造り上げて来た自分たちの太鼓台への愛着心が昂じて、すごく大切に思う気持ちの行き着くところは、"他人に勝手に触らせたくない、よその者が触ると汚(けが)れる"などの気持ちになるのは必定で、よその太鼓台に触れてはいけないし、こちらの太鼓台も触れさせない・・、となったのでしょう。二本松の皆さんの太鼓台への並々ならぬ思い入れを感じさせます。 二本松の祭りパンフレットによりますと、本祭り日7町合同曳き廻しで、7台の太鼓台が横一列に勢揃いするのは、作者は見ていない朝の出発始点である駅前通りと、巡行途中での"宮詰(みやづめ)"と呼ばれる二本松神社前での勢揃いと、今回作者が見聞した根崎見付での勢揃いとで、合計3回の勢揃いがあります。太鼓台は庇を連ね、ぎりぎり迄寄せられます。自分の町内の太鼓台しかさわれないので、台を回転させる時に、揺れた風鐸の房が よその太鼓台に触れない様に風鐸を手で抑えたりして、随分と神経を使っておりました。見事な太鼓台の操作によって、庇は30センチくらい迄 寄せられます。 午後の出発時刻が近づいて、食事休憩を終えた若連達や子供達が太鼓台の周辺に戻って来ました。静かだった太鼓台周辺が再び、賑やかになりました。戻ってきた若連衆や子供達をよく見ますと、50センチ位の長さで、先端に金紙、銀紙の鮮やか色紙を挟んで、丁度お正月初詣の神社の縁起物の破魔矢に似た細い竹の棒を、祭り衣装の襟とか帯に差しておりました。二本松神社のお祓いを受けて、太鼓台運行に携わる若連衆に配られるもので、"幣束・へいそく"と呼ばれるものです。途中で知人にあげたりもしますが、自分の家へ持ち帰って、神棚に供えるのが普通だそうです。 |