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福島県二本松市の"ちょうちん祭り"と"太鼓台" を尋ねて!

 二本松市の紹介のパンフレットによりますと、二本松市は、福島県の北部に位置し、福島市と郡山市の中間にあります。西部は猪苗代町に、北部の一部は福島市に接し、他は安達郡に囲まれ、安達地方7市町村の中心都市になっています。昭和33年10月に市制を施行し、今年はちょうど「二本松市制施行40周年」という記念の年を迎えています。

 東北自動車道や東北新幹線で、郡山を過ぎるころから、左手にゆったりとした山並みの安達太良山が眺望でき、観光バスで二本松IC付近を通過するときなど、ガイドからの「智恵子抄」の紹介が定番となっております。あだたら高原には東日本での屈指の温泉場のひとつとして有名な岳温泉があります。冬は人気のスキー場としても賑わってます。

 南北朝時代以降、今の霞ヶ城公園付近に畠山氏などの諸将が城を構えたが、その後、伊達、蒲生、上杉、加藤、松下氏などの領主が入れ替わった後、徳川時代に丹羽光重公が白河より移封され、城郭の大改築、市街地の整備が行われ、二本松神社を建立し、町民の敬神を促すために始めた祭りが今のちょうちん祭りの伝統となって引き継がれておるのだそうです。

 二本松の「ちょうちん祭り」は、毎年10月の4日、5日、6日に行われてます。作者が訪れたのは、5日の木曜日でした。予め二本松市役所より取り寄せたパンフレットでは、4日の宵祭りの際に、鈴なりの提灯をつけた7台の太鼓台が繰り出し、若連の掛け声とお囃子が夜中過ぎまで賑わうのだそうですが、残念ながら2日間の日程が取れないので、今回は太鼓台の取材を中心にした"ちょうちん祭り見聞"をレポートすべく、5日の早朝午前6時過ぎのJR両毛線に乗り、栃木県小山市へ、そこから東北新幹線に乗り換え、郡山市で東北本線に、午前11時過ぎ頃、大きな菊人形が出迎える二本松市駅の改札口に到着できました。

 案内パンフレットの予定時刻に従って、既に合同引き回し巡行中の7台の太鼓台の、この時刻の通過点と思われる竹田、根崎町に向かって歩き始めました。駅前から亀谷ロータリー迄の間の街並の両側には真っ白の紙四手の付いた縄が張られ、店や家々の軒先には祭礼提灯が提げられ、町の会所には沢山の清酒や供え物が揃えられ、店先に振る舞い酒を準備した商店も数多く見られ、町中にお祭りの雰囲気が漂っておりました。うぅん、なるほど! と、お祭り気分が充満した町の様子に、こころが躍るのを感じました。
 駅前通りが本町通りに交差し、右折すると直ぐ左に大きな鳥居が眼に入りましたが、早く太鼓台を見たいと気がせいていましたので、二本松神社の前を通りながらも参詣は後でしようと、竹田坂へ急ぎました。

二本松神社例大祭 本祭り日の太鼓台7台の合同曳き廻し!

 この道路図は、二本松神社例大祭二日目の本祭り日、5日の太鼓台の巡行コースの内、作者の訪れた午前11時過ぎ頃からの7台の太鼓台の順路(矢印)を示します。
 本町通りを亀谷坂へ向かって歩きました。途中、祭り衣装を着た3、4人の小学生とすれ違ったので、あれぇ、確か今日は平日だよなぁ、と思い、その子達に、"お祭りで、学校を休んだの?"と質問しましたら、"うぅん、今日は学校が休み・・"との返事でした。後で、大人に確認したら、本祭り日の5日は、毎年小学校だけは、全校が休みとのことでした。

 街路の祭りの飾り付けの力の入れ方、子供も祭り参加できる様に休校とするなど、祭りを盛り立てる意気込みが感じられました。二本松のちょうちん祭りが、これまで永い伝統を受け継いで来られた原動力は、昔も今も二本松の皆さんが祭りに参加することに"誇りと悦び"を感じておられるからだ、と思いました。

 三角形の池を囲む亀谷ロータリーを過ぎて、亀谷坂へと歩きました。ほどなく、亀谷坂下の標識のある交差点となり、そこを左折しますと前方に登り坂が見えました。 本町通りとは違って、ときおり車がエンジン音を響かせて登って行く道の両側は、登るにつれて、人家も疎らとなり、雑木林も散在するなど、のどかで静かな坂道を5、6百メーターほど登ると、両側に鬱蒼と樹木が繁る坂の頂上になりました。道は直ぐに降り坂となりますが、登って来た道とは がらり変わった視界が飛び込んで来ました。

 遠くの山並を背に一直線に伸びる降り坂は、道両側に街路灯が整然と並び、秋の柔らかい太陽の光を受けて白く反射するビルや民家で埋まった市街地を見下ろす眺めは、まことに見事でした。 二本松市は中央部が丘陵となっていて、街並みが2分された格好なのです。作者が訪問した5日の本祭り日の昼間に行われる太鼓台の7町合同引き回しの午後の巡行コースは、作者が今登って来た亀谷坂とこれから下る竹田坂を、丁度逆方向に、竹田坂を登って、亀谷坂を下り、亀谷ロータリーへ到着して、太鼓台の7台合同曳き廻しは終了する内容になってました。

 竹田坂は、一般民家と商店が隙間なく軒を並べ、両側の歩道には人通りもあり、商店や事務所の看板も目立つ立派な商店街の装いでした。竹田坂を降り始めましたら、かすかに太鼓の音が聴えてきました。二本松へ入って初めて聴くお囃子の音でした。切り通しを過ぎて、郭内町から竹田見付と進む太鼓台一行からのお囃子でした。俄然、小走りになって坂を下って行くと、見えました! 前方の交差点をゆっくりと左から右へ進む太鼓台の姿が見えました。まだ遠くでしたので、太鼓台がはっきり見えたのでなく、白い大きな幟旗と前後を歩く大勢の人達の姿でした。

 小走りで坂を下りきった付近は道幅も広くなって、祭り衣装を着た大勢の人達がぞろぞろ通り過ぎている竹田見付けの交差点に辿り着きました。
 丁度、笛太鼓のお囃子の軽やかな響きを奏でながら、眼の前を太鼓台が一台交差点に迫ってくるところでした。7町合同引き回しの6番目の若宮の太鼓台でした。

この場面の様子が、ストリーミング方式の"動画"でご覧になれます。左の画像をクリックして下さい。

 交差点を直進して勢揃い位置へ進む若宮の隊列を、既に整列を終えた本町、亀谷、竹田、松岡の若連の幹部達が、それぞれの太鼓台の前に横一列に並んで、出迎えます。各町の若連幹部の着物衣装が目立ちます。

この場面の様子が、ストリーミング方式の"動画"でご覧になれます。右の画像をクリックして下さい。  動画をご覧なるにはリアルプレイヤーが必要です。ストリーミング方式のリアルプレイヤーはリアルネットワークス社(RealNetworks, Inc.)より、
無償でダウンロードできます。このバナーをクリックして下さい。
小型ながら金箔、漆塗りの絢爛豪華な太鼓台は ほんとうに見事!

 太鼓台は、文字通りに解釈すれば、"太鼓を載せる台"と云うことになります。

 江戸天下祭りを彩った山車・屋台が姿を消してしまった東京都心部の今のお祭りでは神輿が主役です。それでも御神輿に混ざって、畳一畳位の大きさで、勾欄を廻し小さな車をつけた台に太鼓を載せただけの「曳き太鼓」と呼ばれる曳きものが祭りに出ています。同じように、太鼓だけが載せられる様に造った四本柱の枠組みに車輪をつけて、歩きながら太鼓を叩く「底抜け屋台」と呼ばれる小型の曳きものが、埼玉の飯能をはじめ、今でも関東各地の多く祭りに、出場しております。
しかし、この度、見聞した二本松の太鼓台はその豪華さではまったく別格なものでした。

 二本松神社例大祭の「太鼓台」は、想像をはるかに超える優美さと品格を兼ね備えておりました。みごとな曲線を描く破風で前後を飾り、 金箔の輝く幅の厚い彫刻で飾られた棟を戴く重厚感のある屋根は、その下のしなやかな曲線で四方に伸びる庇(ひさし)と共に、古寺名刹のもつ品格と厳かな雰囲気を醸し出しております。そして破風の精緻な彫刻で飾られた鬼板と懸魚の全面と、屋根と庇の間のこれも精細な彫刻で埋まった欄間の全面とには、贅沢なほどの金箔が施されており、その金箔の輝きは漆塗りの勾欄や台座に見事に映えておりました。源氏車の車輪や亀や唐獅子などの刺繍のある横幕など、すべてが華麗に仕上げられている、まことに絢爛豪華な太鼓台です。
二本松市の7台の太鼓台のひとつ、それも作者が二本松を訪れて、竹田見付けの交差点で最初に出会った太鼓台の若宮町を例にして、太鼓台の様子を紹介します。

 太鼓台正面の小太鼓の奏者の脚が見えます。車軸が付く台座の上は全面床張りでなく、台座に板が渡してあり、奏者はその板に尻を置いた姿勢で太鼓や笛を演奏します。足が地面に着いておりませんから、「底抜け」ではありません。

 漆塗りの勾欄には飾り金具も打ってあり高級感があります。太鼓台の中は笛、小太鼓、大太鼓で6,7名の奏者でびっしり、屋根上に2名が乗ってます。 持参していた巻き尺メジャーで計測した太鼓台の構造寸法は、前後の長さ、幅とも、ほぼ2.0メーターで、縦、横同じでした。車軸長さ1.7メートル、前後の車軸間隔は1.7メーター。車輪直径は0.9メーター。地面から庇の端までの高さ2.0メーターでした。さぁっと計測したものですから、数字は概略です。また、各町の太鼓台ともこれらの寸法はまちまちですが、大きな違いはないようです。

 車輪は四輪とも固定です。車輪が固定されておる山車・屋台や鉾の方向転換は、舵取りの若衆の体力と腕力に頼って、山車・屋台の本体を強引にひきずって向きを変えます。二本松の太鼓台の方向転換も同じやり方です。数人の若衆が台座の端を持ち上げる者、車輪を持ち上げる者、台座や車輪を押し出す者と分担して、車輪をひきずるようにして、向きを変えてます。唯、この若松町だけは少し、違ってました。回転方向の内側の前輪をローラースケートみたいな車の付いた下駄の上に載せてから、他の3輪を持ち上げながらローラースケートを滑らせて方向を変えておりました。この車付きの下駄は、若宮町だけが使っているだけで、他の6町は使ってません。多分、各町が補助具を使わずに太鼓台を回転させることで、自分たちの回転技へのこだわり、自負を現わしておるのかも知れません。

 祭り初日4日の宵祭りでは、各太鼓台は300個以上もの提灯を載せますので、そうとう重くなるでしょう。京都祇園祭りの鉾の方向転換では、地面に水を撒いてから、割った竹を敷き詰めて、その上に前輪を載せて、大勢の舵取り衆が掛け声を掛けながら力任せに、鉾の車輪を引きずって向きを変えてます。力の要るむづかしい山車・屋台の方向転換ですが、この方向転換を行う舵取り衆の一連の動作が、山車・屋台の巡行の華でもあり、見所になっております。  

太鼓台の勢揃い

 この日、本祭りは、昼間に、7町合同曳き廻しと御神輿渡御が行われます。丁度、若宮の太鼓台が竹田交差点を通過したときに、数台の車に前後を挟まれて御神輿を積んだ一台のトラックが、別方向から交差点を通過して、作者が下って来たばかりの竹田坂へと向かって行きました。

 パンフレットの説明ですと、この日、朝8時半過ぎに駅前を出発した太鼓台の隊列は、10時前に二本松神社に到着、7台が神社正面に向いて整列、勢揃いします。お囃子の奉納、稚児の奉納舞い、お祓いなどの一連の神官行事が行われたあと、二台の御神輿の渡御が出発します。作者が竹田見付けの交差点に着いたときに遭遇した、トラックに鎮座した御神輿の隊列は、この二本松神社の八幡宮、熊野宮の二基の御神輿でした。二本松神社と御神輿については、ページの後編でご紹介します。 

 竹田見付けから根崎見付けに掛けての路上に、太鼓台が整列を始めておりました。既に、交差点手前側から本町、亀谷、竹田、松岡の順で四台の太鼓台が並んでおり、根崎の太鼓台が回転をしながら後退して、松岡の隣りに並び終えると、待っていた若宮が回転を始めました。最後の郭内が並び終えて7台の太鼓台の勢揃いが整いますと、暫く、お囃子の叩き合いが続きます。囃子に合わせて、2名の屋根係が威勢のよい手振り、身振りでアクションを競います。それに負けじと、下の舵取り衆も拳を突き上げ、声を掛けあって応援します。祭りならではの愉快な光景が暫く続いた後、合図で一斉に囃子が止まりました。各太鼓台の前に舵取り衆、曳き手衆が整列して、若連幹部からの伝達を受けた後、昼食休憩になりました。上の画像はその時に撮ったものです。

 日頃、作者が関心を持っていたことなので、ここで、敢えてご披露したいことがあります。それは山車屋台の巡行途中の食事のことです。作者が各地の祭り見聞の際によく見かけるのですが、祭り参加者が路上で弁当を拡げて飲食するということを、この日の二本松の皆さんは一切やらなかったことです。路上で食事をしている様子は、一般観客の眼には、好い光景には映りません。中には酩酊して、怒声をあげる輩などが居たりしますと、見苦しい限りです。

 この日の二本松の皆さんは、どこか予め準備された場所で昼食を取られたのでしょう、昼食時間中は幾人かの留守番が太鼓台の周辺に居るだけでした(画像左: 昼食休憩中で、静かな太鼓台の周辺)。大半の祭りでは、どうしても場所がなくて、食事を路上で取るしかないということかも知れませんが、二本松の皆さんの様に、路上では飲食をやらない、という姿勢に大きな拍手を送りたいです。午後の出発時刻近くになって、祭り衣装の若連の大人、子供達が戻って来ました。

 昼食休憩中に、勢揃いした7台の太鼓台に近づいて、見学しました。巻き尺で寸法を確かめたり、太鼓台の幕の内側を覗いたりしました。休憩時間中は、運行中では見られないものが観察できるよい機会です。その時のことです。太鼓台の中の写真を撮ろうとしましたら、小太鼓の脇に空のペットボトルが置いてありました。撮るのに邪魔でしたので、それを自分で無断で取るのはまずいと思って、側を通り掛かった祭り衣装の子供に、あれをどかしてくれますか、と頼んだところ、「いやぁ、取れません。よその太鼓台に触われないんです・・」と 断わられてしまいました。

 そこで、昼食から戻って来た若連の人に、よその台に触れてはならぬことを含め、二本松の太鼓台運行に関しての質問をさせて貰いました。
 "そのとおりです"と、台の庇(ひさし)の四隅から吊されている長い房の付いている風鈴を示しながら、次の様な話をしてくれました。

 全ての太鼓台の庇に提げられている風鈴の形をした風鐸(ふうたく)は飾りだけでなく、これ以上、中へ踏み込んではならないという境界線を示していて、四つの風鐸で囲まれた内側は聖域で、よその太鼓台の関係者に自分たちの太鼓台に触れさせてはならない慣習・しきたりになっている。ですから、自分たちもよその台の聖域に近寄ってはならないし、決してよその太鼓台に触ってはならない。なぜ触っては駄目なのかの理由は分からないが、昔から厳しく先輩から教えられて来たそうです。
長い伝統なかで造り上げて来た自分たちの太鼓台への愛着心が昂じて、すごく大切に思う気持ちの行き着くところは、"他人に勝手に触らせたくない、よその者が触ると汚(けが)れる"などの気持ちになるのは必定で、よその太鼓台に触れてはいけないし、こちらの太鼓台も触れさせない・・、となったのでしょう。二本松の皆さんの太鼓台への並々ならぬ思い入れを感じさせます。

 二本松の祭りパンフレットによりますと、本祭り日7町合同曳き廻しで、7台の太鼓台が横一列に勢揃いするのは、作者は見ていない朝の出発始点である駅前通りと、巡行途中での"宮詰(みやづめ)"と呼ばれる二本松神社前での勢揃いと、今回作者が見聞した根崎見付での勢揃いとで、合計3回の勢揃いがあります。太鼓台は庇を連ね、ぎりぎり迄寄せられます。自分の町内の太鼓台しかさわれないので、台を回転させる時に、揺れた風鐸の房が よその太鼓台に触れない様に風鐸を手で抑えたりして、随分と神経を使っておりました。見事な太鼓台の操作によって、庇は30センチくらい迄 寄せられます。

 午後の出発時刻が近づいて、食事休憩を終えた若連達や子供達が太鼓台の周辺に戻って来ました。静かだった太鼓台周辺が再び、賑やかになりました。戻ってきた若連衆や子供達をよく見ますと、50センチ位の長さで、先端に金紙、銀紙の鮮やか色紙を挟んで、丁度お正月初詣の神社の縁起物の破魔矢に似た細い竹の棒を、祭り衣装の襟とか帯に差しておりました。二本松神社のお祓いを受けて、太鼓台運行に携わる若連衆に配られるもので、"幣束・へいそく"と呼ばれるものです。途中で知人にあげたりもしますが、自分の家へ持ち帰って、神棚に供えるのが普通だそうです。

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