作美氏の同じ文献に、旧暦6月15日「河瀬の祓い」の時、「・・荒川の浜に出でて執り行う神事」として、秩父神社の"御輿洗ひ"を執り行ったとあります。この伝統は今でも守られており、20日の午後、中村町の子供広場付近に勢揃いした屋台・笠鉾に見送られた神社神幸行列・御輿は荒川の浜に進み、御輿を荒川の中に担ぎ込む「御輿洗い」の儀が行われます。ページタイトルの川瀬祭りと夏まつりと大書された"うちわ"の画像は、神社行列の先頭の神官の一行です。続いて、各町の御供物の隊列、数十人の氏子に守られた神社御輿が、勢揃いした屋台・笠鉾の前を通過して、荒川へと進みました。 この日、20日に観覧しましたのは、午前の秩父神社境内の様子と午後の中村町子供広場付近への屋台・笠鉾の集結までの様子です。「御輿洗い」と屋台・笠鉾の広場からの帰還の様子などは次回の川瀬祭り訪問時に見学致します。
市役所駐車場に入ったのが午前10時ちょっと過ぎ、車から降り、お花畑駅方向へ歩き出しました。土曜日のせいか人通りは少なかったですが、道は梅雨明けを待っていたかのような強い陽射の照り返しで、たちまち汗が頬を流れ出しました。お花畑の踏切で、白装束・白足袋姿の数人の若者とすれ違いました。御輿か屋台の会所に向っていたのでしょう、彼らの姿を見て、そうだ今日はお祭りなんだ、と我に返ったら暑さは吹っ飛びました。
番場通りに入り、神社に向って進むと浴衣や祭り衣装の大人子供が番場町の会所の前に集まっており、丁度、屋台が仮設造りの屋台倉から引出されるところでした。師走の秩父夜祭ですと、神社表参道となるこの番場の通りは露天商で埋まるのですが、まだ一軒も出てませんでしたし、家の軒先の祭り提灯もところどころにと云った感じでした。神社鳥居の前の交差点で数人の警察官が交通規制の準備を始めてました。"川瀬祭り"の立て札が立つ鳥居をくぐって秩父神社境内に入りました。通りでは少ない人出と感じてましたが、境内には大勢の人がおりました。左手から笛太鼓の音曲が聴えてきたので見ますと、神楽殿で既に舞いが始まっておりました。国指定重要無形民俗文化財の看板が掲示されてました。
境内は周囲を鬱蒼とした樹木で囲まれ、木陰で涼をとる人たちは、これから始まる屋台・笠鉾の曳き入れを待っておるのかも知れません。正面の神門を通って、社殿に向いました。礼拝を済ませて、社殿の中の様子を見ますと、4,5人の衣冠束帯の神官が並び、対面する形で20人ほどの町の半纏を着た人達が、威儀を正して座っておりました。後で、何をしていたのか窺いましたら、当日祭とか云って、秩父神社例大祭では欠かせぬ伝統の儀式になっているもので、祭礼に係わる秩父市の官民の指導者が社殿に登り、祭りの祈願・祓いを行うのです。
本町通りの本町交叉点方向からハイテンポのお囃子太鼓が聞こえて来ました。さぁ、いよいよ宮入りの始まりです。神社に向った屋台・笠鉾は境内の左、北詰の車馬通用門から境内に入ります。境内へ曳き入れられた屋台・笠鉾は社殿に向う形で、番場(ばんば)屋台、東町(ひがしまち)屋台、熊木(くまぎ)笠鉾が並び、社殿を背にした形で、宮側(みやかわ)屋台、上町(うえのまち)笠鉾、中町(なかのまち)笠鉾が勢揃いしました。本町(もとまち)屋台と道生(どうじょう)笠鉾は前日に神社曳き入れと祓いは済んでいたので、この日は会所で待機して、途中で合流しました。
尚、当日の屋台・笠鉾の宮入の様子のビデオ画像をこのページに準備してありますので、ご覧下さい。
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