Sory,Japanese only.



このページはIE.v5以降でご覧下さい。

三大曳き山祭りの秩父の夏祭り "秩父川瀬祭"の屋台と笠鉾

 平成14年5月20日、埼玉県秩父市、秩父神社の夏の例大祭"川瀬祭り"を見聞しました。川瀬祭りは、例年7月19・20日に行われております。正確には秩父神社の境内の社「日之御崎宮(ひのさきぐう)の例大祭です。秩父の祭といえば、同じ秩父神社の師走の2,3日の例大祭・秩父夜祭りがあまりも有名で、その分、川瀬祭りは馴染みの薄い感があります。

 地元秩父市にお住まいの祭礼研究家の作美陽一氏の文献を参照しますと、江戸初期の文書に秩父地方では春の田植え祭りにつづいて、夏の旧暦6月15日、太陽暦で7月20日の「河瀬(かわせ)の祓(はら)い」の夏の祭りが行われていた記録が載っております。そして、秋の五穀豊穣を祝う祭り(現在は消滅)、翌年の麦穀成就せん事を祈る祭りとしての霜月(陰暦11月)3日に、今の夜祭りの前身の冬の大祭が行われいたことも載っております。なかでも、夏の川瀬祭りと年末の夜祭りのふたつが、秩父の伝統の祭りとして今日まで引き継がれているのです。

画像は秩父神社の神門に向って右手の平成館(参拝者休憩所)に吊るされた"秩父祇園・日之御崎宮天王様"の垂れ幕です。

 作美氏の同じ文献に、旧暦6月15日「河瀬の祓い」の時、「・・荒川の浜に出でて執り行う神事」として、秩父神社の"御輿洗ひ"を執り行ったとあります。この伝統は今でも守られており、20日の午後、中村町の子供広場付近に勢揃いした屋台・笠鉾に見送られた神社神幸行列・御輿は荒川の浜に進み、御輿を荒川の中に担ぎ込む「御輿洗い」の儀が行われます。ページタイトルの川瀬祭りと夏まつりと大書された"うちわ"の画像は、神社行列の先頭の神官の一行です。続いて、各町の御供物の隊列、数十人の氏子に守られた神社御輿が、勢揃いした屋台・笠鉾の前を通過して、荒川へと進みました。

 この日、20日に観覧しましたのは、午前の秩父神社境内の様子と午後の中村町子供広場付近への屋台・笠鉾の集結までの様子です。「御輿洗い」と屋台・笠鉾の広場からの帰還の様子などは次回の川瀬祭り訪問時に見学致します。

 市役所駐車場に入ったのが午前10時ちょっと過ぎ、車から降り、お花畑駅方向へ歩き出しました。土曜日のせいか人通りは少なかったですが、道は梅雨明けを待っていたかのような強い陽射の照り返しで、たちまち汗が頬を流れ出しました。お花畑の踏切で、白装束・白足袋姿の数人の若者とすれ違いました。御輿か屋台の会所に向っていたのでしょう、彼らの姿を見て、そうだ今日はお祭りなんだ、と我に返ったら暑さは吹っ飛びました。

 番場通りに入り、神社に向って進むと浴衣や祭り衣装の大人子供が番場町の会所の前に集まっており、丁度、屋台が仮設造りの屋台倉から引出されるところでした。師走の秩父夜祭ですと、神社表参道となるこの番場の通りは露天商で埋まるのですが、まだ一軒も出てませんでしたし、家の軒先の祭り提灯もところどころにと云った感じでした。神社鳥居の前の交差点で数人の警察官が交通規制の準備を始めてました。"川瀬祭り"の立て札が立つ鳥居をくぐって秩父神社境内に入りました。通りでは少ない人出と感じてましたが、境内には大勢の人がおりました。左手から笛太鼓の音曲が聴えてきたので見ますと、神楽殿で既に舞いが始まっておりました。国指定重要無形民俗文化財の看板が掲示されてました。

 境内は周囲を鬱蒼とした樹木で囲まれ、木陰で涼をとる人たちは、これから始まる屋台・笠鉾の曳き入れを待っておるのかも知れません。正面の神門を通って、社殿に向いました。礼拝を済ませて、社殿の中の様子を見ますと、4,5人の衣冠束帯の神官が並び、対面する形で20人ほどの町の半纏を着た人達が、威儀を正して座っておりました。後で、何をしていたのか窺いましたら、当日祭とか云って、秩父神社例大祭では欠かせぬ伝統の儀式になっているもので、祭礼に係わる秩父市の官民の指導者が社殿に登り、祭りの祈願・祓いを行うのです。

 本町通りの本町交叉点方向からハイテンポのお囃子太鼓が聞こえて来ました。さぁ、いよいよ宮入りの始まりです。神社に向った屋台・笠鉾は境内の左、北詰の車馬通用門から境内に入ります。境内へ曳き入れられた屋台・笠鉾は社殿に向う形で、番場(ばんば)屋台、東町(ひがしまち)屋台、熊木(くまぎ)笠鉾が並び、社殿を背にした形で、宮側(みやかわ)屋台、上町(うえのまち)笠鉾、中町(なかのまち)笠鉾が勢揃いしました。本町(もとまち)屋台と道生(どうじょう)笠鉾は前日に神社曳き入れと祓いは済んでいたので、この日は会所で待機して、途中で合流しました。
尚、当日の屋台・笠鉾の宮入の様子のビデオ画像をこのページに準備してありますので、ご覧下さい。

次の屋台・傘鉾運行図をクリックしますと、各屋台、鉾の解説がご覧になれます。ご覧になられたら、で、このページにお戻りください。


 午後1時前、午前の宮入の順番どおりに、番場屋台を先頭に、宮側、東町と神社を次々と出発して、本町交叉点を直進して中村町方面へ向いました。既に自町の会所を出て、本町通りを本町交叉点迄進み出て待機していた大きな八棟屋根が特徴の本町屋台が、神社を出て本町交叉点へ進んで来た隊列4番目の熊木笠鉾を出迎える格好になりますと、一段とお囃子を力強く打ち鳴らし、舞台上の"うわのり"の子供達が金張りの扇子を大きく振り上げ、振り下ろしますと、黄金色の羽根を持った蝶が飛び回るようにキラ、キラと輝き、躍動感があって見事な眺めでした。

 8基の屋台・笠鉾が整列する場所は、子供広場前の広まった道の交叉点です。本町交叉点から距離にて1キロメートル位のところですが、道幅が狭く、曲がり角もあって、屋台・笠鉾とも方向転換に時間が掛かり、40分余りを要して広場前に到着しました。荒川にも近く、眺望が広く開けた郊外です。白い夏雲が浮く晴天のなか、秩父の象徴の武甲山を背景に屋台・笠鉾が整列を始めました。中型とは云え、人間だけでも総勢20人以上が乗る屋台・笠鉾 はかなりの重量になります。ですから、整列場所での方向転換は労力と手間が掛かります。酷暑のなか、汗で全身がびっしょりの舵取り衆が、拍子木や大きな声を掛け合いながら、きびきびとした動きで作業する様子を見るのも祭りの醍醐味です。

 隊列の最後の本町屋台に続いて、川瀬祭りと夏まつり と大書された"うちわ"をかざして、神社行列の先頭の神官の一行が整列列会場に入って来ました。笛太鼓の御囃子隊列に続いて、各町の御供物の隊列、数十人の氏子に守られた神社御輿が、勢揃いした屋台・笠鉾の前を通過して、荒川川辺の斎場へと進みました。

 梅雨明けしたばかりの夏空から降り注ぐ強い陽射しで、頭がボーっとなって来て、とうとう我慢しきれず、近くのスーパーの店内に一時避難させて貰いました。店内に入って、冷気がこれほど爽快に感じたのは初めてでした。店の通路には、祭り衣装の若い男女が幾人も座り込んでおりました。この日の秩父の気温は、体温より高い37.8度と日本一だったこと、家に帰ってニュースで知りました。カメラを構えていた腕には時計のバンドの痕がクッキリと残ってしまいました。 

 夏祭りの川瀬祭りは、"こどものまつり" となってますが、理にかなった面もあるのでは、と感じました。それは、こうやって子供達を前面に出して、曳き山を運行することで、お囃子の習得、屋台・笠鉾の操作、運行の手順・作法などが実体験できて、成長し大人になったら、今度は大型の屋台・笠鉾を担当するという連携がとれるので、無駄がなく、地元のお祭りに自信と大きな誇りを持っておられる秩父の皆さんの叡智を感じました。祭りを主管する神社と、付け祭りとしての曳き山を造り、曳行する庶民・町民、大人・子供に、伝統文化の継承を自覚させて、うまく分担させた先人の知恵に敬服します。


屋台・笠鉾の曳き廻しと勇壮な秩父囃子を動画でご覧下さい!

 秩父川瀬祭りでの屋台・笠鉾の「秩父神社曳き入れ」、「子供広場付近勢揃い」そして、秩父神社の「奉納神楽」の場面の一部をビデオ録画しました。是までレポートしました川瀬まつりの各場面の一部だけですが、臨場感のある動画と音声でお楽しみ下さい。

 通信環境が一般モデム回線及びISDNの方は左側のLO の欄、ADSL及びCATVの方は右側のHIの欄の各項目をクリックします。数秒後やがて、Windows Media Player が立ちあがりますので、そのままご覧下さい。LO とHI は同じ場面ですが、こま数がLO は15fps 、HI は30fps です。

番場屋台のビデオ撮影をミスしました。お詫びします。

                                               
LO(56kbps)
 160X120ピクセル動画
HI(250kbps)
320X240ピクセル動画
宮側屋台宮側屋台
東町屋台東町屋台
熊木笠鉾熊木笠鉾
道生笠鉾道生笠鉾
上町笠鉾上町笠鉾
中町笠鉾中町笠鉾
本町屋台本町屋台
子供広場子供広場
奉納神楽奉納神楽


次ぎへ
このページの頭へ戻る
"山車の見聞録"へ戻る