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 川瀬祭り出場の8基の屋台と笠鉾の履歴の解説の掲載を、地元秩父市にお住まいの祭礼研究家の作美陽一氏にお願いしました。解説に添付しました各屋台・笠鉾の画像も作美氏からお借りして、掲載させて頂きました。

秩父唯一の朱漆塗りの豪華な屋台 番場(ばんば)屋台の履歴

番場屋台



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初代笠鉾 明治28年建造。3層笠の大きな笠鉾だった。大正3年、電線架設により二代目山車に改造。

二代目山車 大正3年に製作。初代笠鉾 の土台に神武天皇の人形を乗せたが、不評のため、数年で廃止。

三台目屋台 初代笠鉾以来の土台に唐破風造りの屋根を付設。昭和10年、四台目完成により皆野町親鼻へ売却。

四台目、現在の屋台 昭和10年建造。朱漆塗り金具打ちの豪華な屋台。彫刻は中国風にまとめる。秩父唯一の朱塗り屋台。

黒漆塗り金具打ちの豪華な屋台 宮側(みやかわ)屋台の履歴

宮側屋台



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初代笠鉾  明治22年建造。当初は一層笠だったが、明治27年三層笠に改造。白木造りの大きな笠鉾だった。

二代目屋台 大正3年電線架設で曳行できなくなった笠鉾を改造。唐破風造りの屋根を付設。彫刻も多く本格的な屋台。

三代目屋台 昭和10年、他町に対抗して建造。黒漆塗り金具打ちの豪華な屋台。一部に初代以来の彫刻も残る。

黒漆塗り四方唐破風屋根で豪華 東町(ひがしまち)屋台の履歴

東町屋台



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初代曳物 土台に柳の木を立て、釣り鐘等の飾り物を載せた。当時はまだ中町の一部だった。

二代目笠鉾 明治32年に横瀬町宇根から中古の笠鉾を購入。三層笠の大きな笠鉾 。大正3年電線架設で屋台に改造。

三代目屋台 大正3年、初代笠鉾を改造。土台の上に棚を組み、キュウリの造り物を飾った。キュウリ棚の屋台として有名。

四代目笠鉾  大正末頃に三代目屋台を改造。電線に対応した小型の三層笠鉾。した昭和8年、小鹿野町上一へ売却。

五代目屋台 昭和8年建造。黒漆塗り金具打ちの豪華な屋台。彫刻は日本神話でまとめる。四方唐破風の屋根が特徴。

紅色の花笠がひときわ映える 熊木(くまぎ)笠鉾の履歴

熊木笠鉾



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昭和28年 横瀬町中郷の笠鉾を借用して奉曳。
一年限りで返却。

昭和29年以降、大滝村栃本笠鉾の土台と初代宮側笠鉾の笠・万度・石台を購入して製作。後に階段を付設。

町民の夢の実現 平成生れの道生(どうじょう)笠鉾の履歴

道生笠鉾

画像 S


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初代
太鼓山車 
昭和20年代の末頃に東京から購入した太二枚板型の標準なタイプ。

二代目
笠鉾
 平成9年、上町の先代笠鉾を購入し改修。金具の一部には「上」の字も残る。 

川瀬祭り最大の笠鉾 上町(うえのまち)笠鉾の履歴

上町笠鉾



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初代笠鉾  明治22年建造。三層笠の大きな笠鉾だった。大正3年、電線架設により二代目の山車に改造。

二代目山車 大正3年建造。初代笠鉾 の土台に柳の木を立て、小野道風の人形を飾った。不評により数年で中止。

三代目笠鉾 大正中頃に山車を改造。当初一層の笠鉾だったが、昭和8年電線対応型の小さな三層笠鉾に復活。

四代目笠鉾 昭和57年建造。川瀬祭り最大の笠鉾 。土台の彫刻には夜祭り屋台の旧部品を使用。

欄間風腰組みを持つ異色の笠鉾 中町(なかまち)笠鉾の履歴

中町笠鉾



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初代曳き物 江戸時代末期に存在した曳き物。詳細は不明。

二代目笠鉾 明治20年建造。三層の大きな笠鉾 。大正3年電線架設で短縮。昭和11年三代目完成により長瀞へ売却。

三代目笠鉾 昭和11年建造。欄間風腰組みを持つ異色の笠鉾。唐子遊び等、中国風彫刻でまとめられている。

八つ棟造り屋根! 川瀬祭り最大の本町(もとまち)屋台の履歴

本町屋台



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初代笠鉾 明治17年建造。三層の笠鉾だったが、電線架設でで一層に短縮。昭和10年二代目完成により、飯田へ売却。

二台目屋台 昭和10年建造。八つ棟造りの大きな屋根が特徴。川瀬祭り最大の屋台で、幅は夜祭り屋台と同じ。


以上、川瀬祭りの8基の屋台・笠鉾の履歴を、関東はじめ、東北、北陸、四国、中国、九州などの我が国各地の祭礼曳き山研究の第一人者でおられる作美陽一氏に解説して頂きました。

秩父三社の秩父神社、三峰、宝登山は秩父地方の総鎮守

秩父神社

 社 殿



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秩父の中心に位置する秩父地方の総社。およそ2,080年余りの昔(崇神天皇の御代)、祖神知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が先祖である八意思金命(やごころおもいかねのみこと) を祀ったのが、始まりとされています。権現造りの社殿は、天正20年(1592年)、徳川家康の命により造営。名工・左甚五郎作といわれる逸品の彫刻を含め、数々の優れた彫刻で飾られた風格ある荘厳な美しいたたずまいの社殿。(秩父神社平成館パンフレット参照)

社 殿



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秩父神社へ屋台・笠鉾の曳き入れが行われておる午前の同時刻に、社殿の中では屋台・笠鉾の各町の総代が、数名の神職のお祓いをうけておりました。

社殿正面の左側にあります彫刻、「子宝・子育ての虎」、社殿東側の「つなぎの龍」は名工・左甚五郎の作と伝えられている。そのほか、恵比寿大黒や3匹の猿など優れた彫刻物が多い。

神社境内



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川瀬祭りは子供が引き手衆の先頭に立ったり、屋台・笠鉾の正面舞台上で派手な祭り衣装を着て、金扇で曳き手衆を煽動する"うわのり" は全て子供たちで、子供を前面に出した"こども曳き山まつり"なのです。子供達の出場を記録するために、各屋台・笠鉾とも記念写真(クリック)を撮っておりました。 


神社神門



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秩父神社境内の前庭から社殿のある神域に通じる神門は十段の石段があります。石段の一番上に整列した子供達は、後ろに控える大人達と共に、神職から祝詞と祓いを受けます。この日、平成14年7月20日は、関東地方の梅雨明けが発表された翌日でした。朝からカンカン照りの晴天で、冬の冷え込みと夏の暑さで定評のある秩父地方の真っただ中、気温はうなぎ昇り、午前十時過ぎには30度を超え、森に囲まれておるとは云え、熱線が全身を容赦無く貫ら抜きます。暑い!!。この日の秩父は37.6度の体温より高い、日本一の最高気温を示しました。ホントに暑かったです。

神社神門



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神門で神官の祝詞奏上、お祓いを受けるのは宮側町の屋台です。神門の石段近くに曳き寄せられた宮側町屋台と曳き綱の先頭に立つ子供達(クリック)です。神官の祝詞を静聴しようにも、酷暑で頭が"ぽーと"なって、どこまで聞こえたか。そして姿勢が崩れるのは無理もない、当日の暑さでした。

神楽奉納



境内の神門の向って左側に神楽殿があります。葵の紋の幕は徳川家の寄進を示すのか、大きな立派な神楽殿です。天の岩戸の題名で、神代神楽が奉納されておりました。師走の秩父夜祭りでも演奏される神楽で、川瀬祭りが秩父神社の伝統の例祭であることを示しております。


子供広場



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20日12時40分過ぎ、屋台・笠鉾が秩父神社を出発しました。川瀬祭りのメイン祭事である「神社御輿洗い」の御輿を出迎える為に、御輿洗いの斎場の手前近くの中村町子供広場付近の整列場所へ向っての出発進行です。東町屋台と道生笠鉾は会所から出て、隊列に加わりました。

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