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桐生祇園 "本町5丁目の祇園屋台"の各部分の紹介


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襖(ふすま)

襖絵画家・田崎草雲が光琳の「八ツ橋之図」12枚、「牡丹之図」10枚を模写(模倣)した画を、襖絵画家・長澤米習(1865〜1920)が再度、模写(模倣)した襖絵。手前の襖が「八ツ橋之図」で12枚、奥が「牡丹之図」で10枚。奈良彰一氏の解説によりますと、草雲の絵と米習の絵の違いは、草雲が金箔で書いているところを米習は銀箔を使っている。つまり、今の五丁目屋台の襖絵は銀箔の落ち着いた仕上がりになっております。

一番奥の控えの間の襖。正面の襖は6枚で、脇の襖が左右それぞれが2枚づつの計4枚。奥の控えの間の襖の絵は合計10枚で、牡丹の絵ですので、「牡丹の間」と呼んでます。

舞台から見て「牡丹の間」の右脇の2枚の襖が見えます。

舞台の隅から舞台の奥の「八ツ橋の間」の襖を撮影。左右の各々3枚の"張り出し舞台"の襖の計6枚と正面6枚の襖とで、横一列の12枚の菖蒲の絵の襖と、舞台との境にある木枠だけの同じく横一列の骨障子とで、「八ツ橋の間」が造られます。

「八ツ橋の間」の左側の張り出しの3枚の襖の一番外側の襖に、光琳の絵を模倣した早雲の絵を、米習が更に模倣した襖絵であることを示す署名があります。奈良氏は講演の中で、早雲の書いた襖絵、つまり金箔で描かれてある襖絵が足利と佐野の美術館で観られる、と話されております。

木枠だけの骨障子

屋台の一番正面の舞台、歌舞伎や演芸を行う舞台と「八ツ橋の間」を仕切る障子は、紙が張らておりませんので、骨障子と呼びます。

障子の下部は、襖造りの腰板を付けて、品格のある骨障子に仕上げております。

梁(はり)と欄間の彫刻

屋台に向って右側の張り出しの外側から、舞台を横から見上げた画です。正面の欄間に張ってある彫刻は波濤なのか、竜の横臥なのか判断困惑中?

屋台に向って右側の張り出しの外側から、舞台を斜め横から見上げた画です。上の画の視角を少し変えた場面。張り出し部の梁の彫刻は鳳凰鳥。

「八ツ橋の間」の向って右側の梁の鳳凰鳥の彫刻。

「八ツ橋の間」の向って左側の梁の鳳凰鳥の彫刻。

「八ツ橋の間」の正面の梁に付けられた鳳凰鳥の彫刻。

舞台左右両袖の柱

昇り龍
降り竜

巨大屋台の破風屋根をを支える舞台前面の左右に立つ柱にも、竜の彫刻を飾っております。奈良氏は屋台の説明の中で、歌舞伎などの演技をする舞台の柱には、演技者が接触する憂いがあるので、装飾物は付けないのが一般で、五丁目屋台は特例になると、話しております。舞台に向って左の柱には昇り竜。

舞台に向かって右の柱には降り竜です。本町五丁目の屋台の正面の舞台部分は、破風屋根の鬼板、懸魚を含め、舞台の虹梁や欄間などのあらゆる部分を竜の彫刻で覆っております。舞台から奥の「八ツ橋の間」や「牡丹の間」には、竜以外の波濤、鳥などの彫刻で埋められております。

虹梁と扁額 


五丁目屋台には、三つの扁額(へんがく)が飾られている。そのひとつが、屋台正面の破風屋根の下の虹梁(こうりょう)の上に"祇園会"を意味する旧書体字で書かれた額(画像参照)が掲げられております。二つ目は、屋台の後部に"五番街"(本町五丁目の意味)の扁額が掲げられてますが、屋台後部は修理中の幕で覆われていて、撮影不可でしたので、ご紹介出来ません。この二つの扁額を書いたのは、江戸末期の一流書家、巻菱湖の弟子の四天王のひとりの扁額書家の中澤雪城(なかざわせつじょう)の作品。

3つめの扁額は、舞台の次の間の「三ツ橋の間」の欄間に掲げられております。"昇平余興"を意味する旧書体字で書かれた額(画像参照)です。書いたのは台陽山人で、書の意味は「世の中が平和で穏やかだから演芸などで興じる」と、訳せると奈良氏は話されております。 尚、扁額の周囲の彫刻は、三つとも岸 亦八(きしまたはち)。亦八は桐生隣町の藪塚の彫工棟梁で、五丁目屋台の全ての70点以上の彫刻を担当した。、

土台と車台と車輪 

屋台本体を乗せる土台と、四つの車輪を固定する車台の二つの構造物は、屋台の維持・存続を決定する最重要な基幹構造物です。今の五丁目屋台は、この基幹構造物を根本的に造り直せなねばなりません。本町五丁目が次回、6年後の天王番を迎える時には、本町五丁目の巨大屋台が、本町通りを一杯に埋めた桐生市民の大歓声に包まれて、煌びやかに、厳かに運行する姿を想像するだけでも、楽しくなります。
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