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平成23年 京都祇園祭は東日本大震災の慰霊の祭です

 

 平成23年は、われわれ日本人には忘れられない歳になりました。特に、あの3月11日の午後2時26分、関東、東北の東日本に住む誰しもが経験した思わず身構え、恐怖を感じたあの地震の数十秒間、今も生々しく記憶に残っております。死者15,841人、行方不明者3,493人(2011/12/9現在、警察庁)の皆さまへ合掌。被災された皆さまへお見舞い申し上げます。

東日本大震災発生で、国内各地の祭礼行事の中止や縮小が発表されました。さびしい事でしたが、被災された方々のお気持ちを思えば已むを得ぬ計らいであったと思います。管理者の住む地元の祭も二日間の祭が今年は一日だけになりました。管理者は子供の時から、祭礼の山車、屋台に興味があり、祭に参加しておりましたが、その時々に、大人の先輩から京都の山鉾祭の始まりが我が国の山車、屋台祭りの起源になっている、と聞かされておりました。

次の画像は、管理者が今年、平成23年7月16日に京都を訪れた時に、京都駅やホテルのロビーで配布されていたリーフレット「2011 祇園祭山鉾参観案内書」からの切り抜き抜粋です。クリックして頂くと拡大された画像になります。拡大画像の左上の←で、このページにお戻り下さい。

京都市長と(財)祇園祭山鉾連合会の理事長の挨拶にあります様に、今から1,142年前の貞観11年(869)5月16日に、東北方面を襲った大地震と大津波の記録が奈良時代から平安時代に編纂された日本の正史である『六国史(りっこくし)』中の六番目である『日本三代実録』に漢文で記されて残されております。

貞観11年当時、天然痘などの疫病の全国的な蔓延に窮していた京の朝廷へ、東北地方で発生した大地震と大津波の災害の発生が伝えられ、困窮を深めた朝廷は、非業の死を遂げた人々の怨霊が祟って疫病をまき散らすのだとして、怨霊を鎮めるために、この年の6月7日、全国の国数に準じて鉾66本を神泉苑(平安遷都後に皇居の南に造られた庭園)に建て、同月14日洛中の男児が神輿を奉じて神泉苑に集まり御霊会(ごりょうえ)を行い、我が国の安寧を祈った。この御霊会が山と鉾の祭の起源となったとの事です。

恐れ入りますが、この京都祇園祭の見聞録は、32基の山鉾の内、九基の鉾の巡行の様子を、ビデオ画像で紹介するだけになっております。

東日本大震災の発生当初は、その災害規模の大きさに全国民が悲嘆し、祭礼などの祝い事は自粛するのは当然との声が組長などから出て、東京の三社祭や青梅大祭などの開催が中止されましたが、『祇園祭が貞観11年(869)に発生した東北の地震と津波の大震災の慰霊と当時猛流行していた疫病除去祈願から始まった神泉苑の祭を起源とすること』に思いを馳せると、『平成23年の京都祇園祭はその開始四カ月前に発生した「東日本大震災」の慰霊の祭りなのだ』との主催者の思いが「2011祇園祭山鉾参観案内書」の京都府知事と京都市長の挨拶から強く伺えました。

管理者の素直な気持ちを申し上げますと、我が国日本の神社祭礼の本家本元である一千年以上の奥深い歴史と伝統を持った京都祇園祭を、浅い拙い知識の管理者が云々することはおこがましく、到底無理と思い、京都祇園祭を今日(こんにち)まで拙作の山車祭見聞録には取り上げておりませんでした。

平成23年の終わりに際し、311東日本大地震と大津波、それに加えて原子力発電所の原子炉溶融と爆発事故による放射能の飛散汚染という大事故に遭遇した今年を思い起こし、被災で亡くなれた多くの皆さんの鎮魂として、平成23年の祗園祭を開催するのだと述べた京都府市の組長さんに賛同して、その極く一部分ではありますが、このホームページで報告させて頂きます。

今回の京都祇園祭の参観は大変勉強になりました!

平成23年7月16日(土)の宵山、17日(日)の山鉾巡行の両日とも天候に恵まれ、又、翌日18日の月曜日も祭日でしたからか、京都は祇園祭の見物客で埋っておりました。今まで幾度か訪れた京都祇園祭は独りか家族の同行の旅でしたが、今年の京都祇園祭の見学は管理者独りの旅ではなく、管理者の所属する関東山車まつり研究会の副会長の谷澤氏に同行しての旅でした。

それには訳がありまして、谷澤氏のお話ですと平成22年に、氏のお住まいの埼玉県川越市の「川越まつり」を見学に来られた「京のまつり研究会」の皆さんの案内役を谷澤氏が務められたことからの御縁で、今年、平成23年の京都祇園祭の案内を「京のまつり研究会」の皆さんが引き受けられたので、好い機会だからとの谷澤氏からのお誘いで、管理者は参加させて頂きました。

京都の研究会の皆さんとの交流会は16日(土)の正午、烏丸通り錦小路上ルの美濃吉烏丸店の昼食会から始まり、昼食後は京の研究会の島田代表さんの陣頭案内で、室町通りの鯉山、山伏山を見学し、京の会の副代表で菊水鉾囃子方総代を務める川塚錦造氏から菊水鉾の解説、京の会の会員の桜井忠弘氏の函谷鉾の説明をお聞きし、四条、錦小路と新町、室町界隈の鶏鉾、月鉾、放下鉾などの会所を訪問。

祇園祭の宵山祭りのメインである京町家の代表格の長江家、杉本家の「屏風飾り」を見学。

下の画像は杉本家の入り口の風景。画像右の駒形提灯は伯牙山。新町通りの町家の屏風飾りを見物しながら、室町通りに入り、占出山を見て、夕食の美濃吉に到着。長刀鉾を眺めて、通りがかった日和神楽の行列を見学し、地下鉄で京都タワーホテルへ向かいました。

宵山で祇園祭の意義を、巡行で山鉾の華麗さを!

16日(土)の祗園祭の宵山は、日暮れから情緒が増します。祇園囃子が流れる中、山鉾の会所の駒形提灯の柔らかな灯りに照らし出された山鉾が宵闇の都大路にぼんやりと浮かび上がる情緒深い風景を堪能できました。リーフレット「2011 祇園祭山鉾参観案内書」は山鉾会所巡り、京町家の屏風まつり巡りに大変、便利でした。そして翌日の17日(日)の山鉾巡行を見学するのにも役に立ちました。

上の案内マップ「山鉾建ての位置と巡行(17日)コース」をご覧下さい。

17日(日)の午前8時半、四条室町の交差点で鶏鉾と菊水鉾の辻廻しを見学しました。左の画像をクリックして、菊水鉾の辻廻しをご覧下さい。

<左>菊水鉾は「くじ改め所」での
"くじ札"の確認が済んで、巡行再開。

<右>四条通りを巡行する船鉾です。
画像をクリックすると拡大します。

四条室町で「辻廻し」を観た後、四条通りの「くじ改め所」の対面側の舗道に移動して、山鉾の巡行を見物しました。管理者達に随伴して、場所案内と解説してくれる京まつり研究会の会員さん方のお話ですと、平成23年7月2日に京都市役所に山鉾町代表全員が集合し、奉行役の市長の立会の下で、くじ引きで巡行順番を決めるのが「くじ取り式」で、その時に決まった順番通りに17日の山鉾巡行が行われているかを確認するのが「くじ改め」で、その場所が四条通りにあります。

この付近は歩道一杯に詰め掛けた観覧者で、身動きもままならぬ状態で、カメラ撮影も不可能になってしまいましたが、幸いにも、地元の「京のまつり研究会」のお計らいで、新町通りの南観音山の会所の二階で鉾の巡行を真近に観ることが出来ました。

新町通りは、四条通りや河原町通り、市役所が面する御池通りの巡行コースとは違って、道幅は狭いのですが、その分、観音山会所の二階からの巡行する山鉾の眺めは、驚く程に真近に大きな迫力で山鉾を鑑賞出来ました。

 

左の「鉾と山の解説」は、「祇園祭
山鉾参観案内書」から抜粋しました。
左図の解説の文字が小さいので、
真木(しんぎ)の頂上から下へ順番に
書き出すと、

鉾頭(ほこかしら)、
大幡(おおはた)、
天王台(てんのうだい)、
真木(しんぎ)、
和縄(わつな)、
榊(さかき)、
角幡(かくはた)、
あみ隠し となってます。

下の画像の菊水鉾の真木です。
花で飾られた天王台の上部に祭神
像が真木に取り付けられる。

会所の二階から撮影したビデオ動画をご覧下さい。

新町通りの南観音山の会所の二階から撮影したビデオ動画をご覧下さい。今回は山鉾32基の内、鉾の7基をご覧下さい。尚、鉾の紹介は同行案内をして頂いた京まつり研究会の会員さん方のお話しとリーフレット「平成23年度祇園祭山鉾参観案内書」を引用しました。

次の表の左枠の中の画像をクリックしますと、動画が再生されます。表の右枠の鉾の説明文は「平成23年度祇園祭山鉾参観案内書」から抜粋したものです。頭の番号数字は平成23年祇園祭での山鉾32基の隊列順番を示します。

長刀鉾 なぎなたほこ

山鉾巡行順・解説

長刀鉾の正面には、人形でない美装した男の児童、稚児が乗りますが、長刀鉾以外の鉾の稚児は人形です。長刀鉾は新町通りに入る前の御池通りで、それまで乗車して居た稚児は長刀鉾から降りますので、新町通りの巡行では観られないと、京の祭研究家の島田崇志氏の説明がビデオの中にあります。
鉾先に疫病邪悪を祓う長刀をつけている。この鉾は古来から"くじ取らず"で、必ず巡行の先頭を行きます。前懸及び胴懸は、インドや中国などの絨毯です。

函谷鉾 かんこほこ

山鉾巡行順・解説

"鶏鳴狗盗"の 故事から鉾の命名。 中国戦国時代、秦の昭王に捕らえられた斉の孟嘗君(もうしょうくん)が、巧みに鶏の鳴きまねのできる食客(居候の家臣)を利用して、守り堅固な函谷関から巧く脱出し、追ってから逃れた故事から、孟嘗君の人形を鉾の真木(しんぎ)の天王台に置く。前懸は旧約聖書創世記のある場面を描いた十六世紀にベルギーで作られた羊毛で織った毛綴で、函谷鉾の至宝で重要文化財です。

月 鉾 つきほこ

山鉾巡行順・解説

鉾頭は三日月です。真木の天王台には"月読命(つきよみのみこと)"を祀る。前懸の絨毯は十七世紀インド製の逸品。鉾の高さは約27メートル、重さ約11トンで、山鉾の中で一番脊が高く、一番重い鉾です。

鶏 鉾 にわとりほこ

山鉾巡行順・解説

諫鼓鳥の故事に因む。中国の尭帝が朝廷の門前に太鼓を置き、政道に誤りがあるときは、人民にそれを打たし、その訴えを聞こうとしたが、善政だったため太鼓が鳴ることがなく、太鼓の上に鶏が巣を造ったという故事から、天下泰平の象徴とされています。真木の天王台には住吉明神を祀る。

菊水鉾 きくすいほこ

山鉾巡行順・解説

17日朝、四条室町交差点で、勇壮な辻廻し
を披露。真木の鉾額と榊。

放下鉾 ほうかほこ

山鉾巡行順・解説

鉾の名前の"放下(ほうげ")とは、街角で芸をしながら仏法を説いた僧に由来する。真木の天王台に放下僧が座る。

船 鉾 ふねほこ

山鉾巡行順・解説

見栄えの素晴らしい船鉾です。船首には大きな羽根を広げた金色の瑞鳥が飾られ、船体は贅沢な程の華美な懸装品で飾られています。船首の前掛は龍と鶴、楼の高欄下は鳳凰、麒麟を刺しゅうした豪華な水引。高欄の周囲に座った笛吹き衆の浴衣の絵柄が朱塗りに映える。船尾の黒漆塗りの大きな舵には、龍が螺鈿で施されている。

祇園祭の曳き物を総じて、"山鉾"と呼んでおりますが、32基の山鉾は形式がまちまちです。京都祇園祭の曳きものを"山"と"鉾"と区別する呼び名は、曳き物の天辺に「松」を建てているのが"山"で、曳き物は、@肩に担ぐもの、A本来は肩に担ぐものだったのを底部に車をつけて押し歩くもの、B最初から車が付いていて曳くもの、の三通りです。車が付き、天井に松でなく、長い柱(真木)を建てて、真木の途中に紙四手をつけた榊を付けてますのが"鉾"です。既にお気づきでしょうが、船鉾には真木は建てておりません。

混雑する道路でなく、ゆとりを持って、真近に山鉾の見学が出来る会所の二階を使わせて下さった"南観音山保存会"に、厚く御礼申し上げます。尚、南観音山は32基の山鉾巡行の最終を"くじ取らず" で、毎年担当しております。

 

南観音山 みなみかんのんやま

山鉾巡行順・解説


祇園囃子が流れる中、山鉾巡行の前日の宵山の見物客で賑わう新町通りの会所の前に鎮座する南観音山、駒形提灯の柔らかな灯りに照らし出された山鉾が宵闇の都大路にぼんやりと浮かび上がる風景は、京都祇園祭の独特のもので、来て観なければ味わえないものです。

山鉾巡行の"しんがり"を務める南観音山は、巡行路の最後の新町通りを南下し、会所に帰還した。会所二階の窓に取り付けられたプラットホームには既に待機していた町会役員が山を出迎えて、役員の音頭で、山を囲む曳子、囃子方、車方と大勢の観客との、三三七拍子で幕引きとなりました。尚、この日、管理者は下の写真画像の南観音山が横付けしているプラットホームで、カメラを使わせて頂きました。

"平成23年の京都祇園祭は東日本大震災の慰霊の祭です"との思いから、この京都祇園まつりの見聞録をサイトに掲示させて頂きました。大震災で、行方不明の方、亡くなられた方、合わせて二万名近い方々の御冥福を心からお祈りいたします。合掌。

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