Sory,Japanese only.


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群馬 渋川市

"渋川山車まつり" Part 1

8月15日(土)、16日(日)

いやぁ〜、いいですね。山車だけのお祭りですって!
 山車を中心にした祭礼は、いままでも犬山市の犬山まつり、半田市の亀崎の潮干祭りなどを見聞しましたが、山車だけのお祭りは最高ですネ!

 渋川市は、鶴舞う形の群馬県のほぼ中央に位置し、人口4万9千人、1万6千所帯ほどの地方都市です。
 渋川へのアクセスはJR新幹線ですと、高崎で上越線に乗り換えて、東京から2時間弱ほどで渋川です。車ですと、東京練馬大泉JCから関越自動車道に入り、そのまま渋川インター迄、同じく2時間位です。
 渋川に近づくと、右手に赤城山、左手正面には榛名山の嶺々がくっきりと現れ、その間の遥か遠くには谷川岳が望見できます。

そして、渋川は万葉集にも名前が出てくる伊香保温泉の玄関口でもあります。
赤城山(あかぎやま)、榛名山(はるなさん)からの関東平野の眺望は見事です。


 左が榛名山、右が赤城山、間の低い山が子持山で、渋川はこの方向になります。子持山の左奥が谷川岳ですが、雲で隠れている。県南の伊勢崎で撮影。
 画面解像度640X480以下のディスプレーですと横一列にキチンと並ばないかも知れません。


 JR渋川駅前に石造りの洒落た渋川市の案内モニュメントがありました。「日本の真ん中、緑の渋川 Shibukawa The Center of Japan」と、書き出して、「渋川市は“潤いと安らぎにの空間”“豊かな文化が育まれる地”として、活力ある文化豊かなまち作りを目指してます」と、元気がいいです。
 確かに渋川市は、広い榛名山麓を活用した市民運動公園、彫刻の森公園など自然を利用した施設が充実してます。4月から5月上旬に掛けて、市内の正蓮寺の「ぼたん園」では、50種 1500株の牡丹が見事な大輪の花を咲かせ、京浜方面からも見学者があるそうです。

 渋川市は東経139度、北緯36度29分の地点にあり、日本のほぼ中央に位置してますので、「日本のへそ」と云われてます。毎年7月25、26の両日に、渋川"へそ祭り"が行われてます。青年達が中心になって、上半身裸になり、臍(へそ)丸だしのお腹全体に漫画や歴史上のキャラクターを絵の具で書いて、中心街を練り歩くのです。踊ったり、身体をねじったりするとお腹の画が生きている様に面白、おかしく動いて見えるので、沿道の観衆から爆笑やら拍手、声援が飛び出します。

 渋川市は北毛(群馬北部の意味)の玄関口です。北毛一帯は温泉の多い所です。特に全国的に有名な伊香保温泉のある伊香保町はすぐ隣りの町で、渋川市と一体になっていると云っても過言ではありません。
 榛名山に抱かれる伊香保温泉は与謝野晶子の歌に、又 文豪徳富蘆花の名作「不如帰(ほととぎす)」の舞台として、有名です。榛名山の嶺のひとつの二つ岳の爆発に始まるといわれる約2000年前から、この地に湧き出ている源泉で、万葉集にも詠まれている名湯です。関東屈指の温泉地で、渋川駅前からバスで25分です。伊香保温泉を紹介した伊香保商工会を参照下さい。

渋川市から10km南の群馬町郊外での榛名山の眺め 
伊香保温泉は丁度、この二つ岳の右後ろ側の位置になります。

渋川山車まつり 初日の"宵祭り"

渋川山車まつりは、2年に1度の開催です。山車の若連中にしても、山車囃子の稽古や準備、そして2日間の巡行曳き廻しでで全精力を使った後、次回を目指しての反省と休養に時間が多く持てる隔年の祭礼は、それなりの意義があります。

 初日15日は生憎、群馬県地方は朝から曇り空で、高崎から乗った上越線電車が渋川に近づいたころから、電車の窓ガラスにぶつかった雨粒が斜めに流れ始めてました。
 初日は宵祭りがメインと聞いてましたので、渋川駅の到着したのは午後4時過ぎでした。駅前に出て、既に車の交通止めが始まっていた右手の通りを歩き出しました。

 本降りにはならないでしたが、小雨の中、暫く歩くと、新町の交差点で、最初の山車に逢いました。新町の山車です。鉾台には雨よけのシートが被せられ、人形は鉾台の中に隠れてます。

 別方向から山車囃子が音が聞こえて来ました。他の山車が近づいて来たのです。渋川市には総数18台の山車があります。「渋川山車まつり案内図」の町名をクリックしますと、今年の出場した16台の山車の画像になります。翌日の本祭りの時に撮った画像です。ご覧下さい。

 何処へ行っても、この山車囃子の音を聞くと血が騒ぎます。急に元気が出てきます。早く、山車が見たいと、音のする方向に眼を遣ります。
 この後、立ち寄った山車まつり本部で購入した市役所発行のパンフレットによりますと、この新町の山車は、大正2年に今の埼玉県鴻巣から購入した山車で、明治34年頃製作された山車だそうです。

 渋川の総数18台の山車の約半数は主に大正初期に、購入した山車だそうです。鴻巣町(現、鴻巣市)から購入した山車は、この新町の他に上ノ町、下ノ町、寄居町で、計4台になります。

 鴻巣は江戸に近く、江戸鉾台型山車の、それも鉾台が3層の大きな山車が江戸、明治時代に中山道を練り歩いた山車祭りの歴史を持つ町です。購入した各町は2層に改装したりして、大切に保守をしておるそうです。鴻巣の他、東京神田から2台、新宿花園町から1台、高崎から2台購入してます。明治期に作られた歴史のある江戸型山車が現存しておることは、貴重な文化財です。

 渋川山車まつりは、山車巡行の演出に、大きな特徴があります。よその山車巡行では見られない渋川独自のものです。そのひとつは、囃子の大太鼓の叩き方です。出場の全部の山車が同じですから、伝統として定着したおるのでしょう。

 山車の囃子台の右側の向拝柱(山車の屋根を支えている竜の彫刻などがある柱)の外側に柱を一本追加して、そこに大太鼓を据え付けます。大太鼓の囃子手は、囃子台の高欄の外に立って、太鼓を叩きます。山車の外側にせり出す格好になりますので、山車に結わえた帯を腰に廻して、大太鼓を叩くのです。降りしきる雨の中で、全身が濡れても真剣にオオダイを叩く姿に感心しました。

 帯で身体を支えられてますから、足をしっかり踏みしめて、身体の上半身を前後に大きく振り動かすことができます。若い男の囃子手さんは、帯に支えられた腰を完全に前に折って、身体の反動を利用して、足を基点に、バチを持った両腕を延ばし、半円形に身体を振り子の様に揺すって太鼓を叩く様は、見事は眺めでした。凄いパホーマンスでした。

 山車巡行の演出の特徴の二つ目は、山車の曳き手衆のパホーマンスです。山車まつりのパンフレットのなかで、渋川まつりは江戸時代末期、市内八坂神社、渋川八幡宮の例祭に、各町内単位で練り物を繰り出した..。山車の綱の引き手同士のもみ合いから「暴れ山車」の異名がある。..と、紹介されてました。
 これは、山車巡行中に、交差点の様な広い場所で山車を止めて、二本の曳き綱をそれぞれ持って、二つに分かれた曳き(引き)手衆が、先頭に立つ進行係の合図でもって、道の真ん中でぶつかり合うのです。手や腕で殴り合いを行うのではなく、背中や肩で、相手ともみ合うのです。

 昔の子供達の冬の遊びに、お互いの身体を押しつけて合って、寒さしのぎの遊びがありましたが、曳き手の青年男女が童心に還って、ふざけ合うのもお祭りの意義です。お神輿の派手な担ぎ手衆のパホーマンスが暴れみこしであれば、山車の引き手衆の押し合い、へし合いが暴れ山車となるのですが、やっておる若い人達は嬉々として、楽しそうでした。こういうことは、参加しないと面白味がわからないかもしれませんね。

 昼過ぎから小雨の中の山車の自町内の曳き廻しを終えた各山車が、宵祭りの集合場所(祭り案内図に記載してあります)へ向かって巡行を始めた頃から雨脚が強くなってきました。山車はビニールをスッポリ被された為、山車人形や上幕の柄などは隠れてしまってます。曳き手衆の大半は雨合羽を着てないので、全身ビショ濡れでしたが、全員の皆さんが明るい元気な顔をして、大きな声で掛け声を上げてました。ビショ濡れではないにしても、構えるカメラに雨が降り掛かり、傘を持っての片手撮影を続けることの難しさを感じたので、その日の山車見聞はそこ迄で、諦めることにしました。唯、残念だったのは、見る積もりでいた"八幡上り(はちまんのぼり)"を見ずに帰ってしまったことでした。「渋川山車まつり、"八幡上り"40年ぶり復活」と、まつり開始の前日の14日の読売新聞の群馬版に、3段抜きの渋川山車まつりの紹介記事が載っておりました。

   
 「二年に一度、渋川市の旧市街地を山車が練り歩く"渋川山車まつり"で、今夏、渋川八幡宮までの坂道を山車が上る八幡上りが、四十年ぶりに復活する。かって八幡上りは、祭りのハイライトとされていたが、交通事情などから、1958年を最後に取りやめられていた。十五日から二日間行われる今年のまつりでは、初日の十五日に五台の山車が坂を上る予定だ。以下、略 」


 四十年ぶりの復活とは、すごい事だな、これは今後、渋川山車まつりの大きなイベントのひとつになるだろう、是非、見たいと思ってました。でも、その時は、どしゃぶり雨の避難に気が取られ見学するのを忘れてしまいました。翌日、16日の朝刊群馬版に早速、この「八幡上り」の記事が3段抜きの写真とともに載ってました。あぁ、残念でした。

 ですが幸い、八幡上りを観覧された方のホームページ"ひでさんのページ"のトップ項目の「わが街 群馬渋川市と周辺の情報」の中の「渋川山車まつり」で、八幡上りを画像で紹介してますので、ご覧下さい。

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