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群馬 渋川市

"渋川山車まつり" Part 2

 翌日、山車まつりの二日目の16日は昨日とは打って変わって、朝から夏の青空が拡がった。雨除けのシートを取り外して、雨で湿った山車の上幕などを乾かすべく、山車の鉾を一杯に上げて、陽に当ててました。

 曳き手衆も昨夜の雨ですっかり濡れた祭り衣裳を着替えて、山車の出発迄の間、会所で待機する人、山車のそばの道路に腰を下ろして談笑して居る人達の顔は明るく、元気でした。

 二日目の山車まつりは、各山車とも午前10時に会所を出発し、各町内をそれぞれ巡行して、午後0時30分から午後2時迄昼食休憩を取って、午後2時過ぎに巡行を再開しておりました。

 今年出場の総数16台(渋川では18町内が山車を所有するが、今年は2町内が欠場した)の山車は、大きく3ブロックに分かれて巡行をしておりました。

 入沢、上郷、元町、上ノ町そして川原町の5町内のAブロック、坂下町、並木町、寄居町、下ノ町、辰巳町、新町、東町そして下郷の8町内のBブロックと、南町、熊野町そして長塚町の3町内のCブロックの3ブロックです。

 この3ブロック毎にまとまって、午後巡行コースを廻るのですが、3ブロックとも、地理的に渋川の中心となる四つ角を通過するようになってます。この四つ角で、名物の暴れ山車のパフォーマンスが競われるのです。

 午後、巡行を再開した各グループの山車は、途中でグループ毎に「手打ち式」を行うのです。私が見たのは新町の交差点での8町内の「手打ち式」でした。8台の山車が二台づつ四辺形に整列します。人形と鉾台を最高に延ばして、お囃子を叩き合います。曳き方衆は囃子に合わせて大きな掛け声を交わして、祭り気分が高揚します。暫くしてから、囃子が止められて各山車の年番が中央に集まって、神主の祝詞と修祓を請けます。

 代表の挨拶と音頭で全員での乾杯の発声があると、各山車のお囃子が一斉に再開されました。他のグループも同じ様に、「手打ち式」を行ったと思います。

 「手打ち式」を終えた山車は四つ角へ向かって進み出しました。

 昨日と違って素晴らしい晴天となり、しかも日曜日でしたから、四つ角周辺は詰めかけた観客で一杯でした。
 8台の隊列グループは新町交差点から四つ角方面に向かいますが、丁度反対方向から入沢、上郷などの5台のグループが四つ角に向かって来ます。
 市街南部の市役所方面からは南町、熊野町、長塚町の3台のグループが四つ角を目指して進んで来ます。

 四つ角の観客はこの場所で、全部の山車を観覧で来るわけです。四つ角には、整理進行係員が居て、3方からの山車を一台一台、巧く四つ角交差点に誘導して、各山車の綱の曳き手同士の"もみ合い"の指揮を執ってました。各山車とも異様な熱意で、この暴れ山車のもみ合いに臨んでいたのには、感心しました。

 東、西、南の3方向から、進んできた山車の隊列が四つ角で、渋川山車まつり名物の山車綱の曳き手同士のパホーマンスを見せてくれました。山車の二本の曳き綱に分かれた曳き手衆の二十歳代の若い男女が、合図と同時に、嬉々として、元気な 「もみあい」(Real Audio 118KB 45秒)を実演してくれるのです。背中で押し合いをするのです。押したり、押されたりの繰り返しですが、中には上半身裸になって汗をとばす元気なお兄さん達も、御輿の様に、ワッショィ、わっしょぃの、掛け声で、どの山車も凄い迫力でした。観客も拍手や声援をして一緒に楽しんでいる様子でした。
 天真爛漫な若者の姿に好感が持てました。

 別の山車の曳き手衆とぶつかり合いをするのでなく、自分達の山車の曳き手仲間同士でやることに意義がありそうです。山車や屋台の曳き手衆は、動作が綱を引くだけで、動きから見ると単調かも知れません。

 お神輿(みこし)の担ぎ手衆は四六時中掛け声と身体の跳躍を続けてます。それに比べると山車の綱の曳き手衆は退屈になるかも知れません。渋川の山車には小学生も多く参加してますが、それ以上に、祭り衣裳を着た若い青年男女が多く参加してました。これらの若い人達の参加があるから、この暴れ山車の行事も可能なのです。又、参加している若い人達の好い意味でのガス抜きにも役立っておるのかも知れません。若い男女がほんとうに楽しそうにやってました。この暴れ山車のイベントがあることも、若い人達の参加を促して居るかも知れません。これは、ほんとうに好いアイディアだと思います。

 作者の住む高崎では、お囃子衆以外の綱の曳き手に青年男女の参加が非常に少ないのを知ってますので、どうしてかなと、休憩中のそれら若い人達に質問をしてみました。学生さんか勤めかは聞きませんでしたが、東京から里帰りして参加している人が多かったです。同じ町内の若い人同士の連絡が良くできているようで、誘い合って参加しているとの回答が多かったです。これにも、感心しました。

 "もみ合い"を済ませた山車は所定のコースを巡行して、渋川駅に近いサティ職員駐車場の集合場所へと進んで行きました。

 "凄い!見事な眺めだ!山車の勢揃い

 

 16台の山車を5枚の画像で並べて見ました。画面解像度640X480以下のディスプレーですと横一列にキチンと並ばないかも知れません。
 左から、
辰巳町、新町、東町、下郷坂下町、並木町、寄居町、上ノ町下ノ町、川原町上郷、元町、入沢長塚町、熊野、南町の順番です。一番右端の南町は、立木で少し隠れています。町名をクリックしますと、リンクバーの部分の画像が拡大します。

 

 16台の山車が集合場所のサティ駐車場に整列しました。山車が到着する度に、その山車の紹介を女子アナウンサーがしておりました。町名、山車の特徴、履歴などをマイクで観客に説明しておりました。市民の人達に山車を知って貰うことは、大変、好いことと思います。

 広い駐車場ですから、16台の山車は、「手打ち式」のブロック毎にまとまって、全部の山車16台が横一列に並びますと、誠に壮観でした。人形や鉾台を最高に延ばすと隠れていた上幕も現れて、山車は見違える程に、大きく豪華になります。

 これぞ、まさしく江戸鉾台型山車の姿だ。道路の巡行時は電線などの傷害物を避けるべく、人形や鉾台はどうしても低くしますので、完全な姿ではないので、物足りない気もしましたが、こうやって、せり出し構造の二重の鉾を持つ「江戸鉾台型山車」の完全な姿を見ることが出来るのは、嬉しいことです。

 "凄い!お囃子が洗練されている!

 渋川の全部の山車は、大太鼓を向拝柱の外側に追加した柱に据えて、囃子台の勾欄の外側に立って叩きますので、正面に小太鼓(締太鼓、キンダイ)が3個並びます。寄居町は山車が大きいので、4個並べてます。全身を大きく使ってのアクションが見事な大太鼓の叩き方が素晴らしいのと同様に、小太鼓の演奏も見応えのあるものでした。

 小太鼓の奏者のバチさばきが、見事にシンクロナイズされてます。演奏者(囃子手)の姿勢もしっかりと背が伸びていて、厳しいキッチリした指導と訓練の成果が現れてました。強調した囃子手の腕の振りも、全員がピタットと一致してますので、シンクロナイズスイミングの華麗な眺めを思い出させます。

 渋川の山車に共通するこの腕の振りの見事な小太鼓の演奏の振り付けは、各町がそれぞれ特徴を持った、独自なものに仕上げてます。 画像をクリックしてご覧下さい。

 渋川の山車囃子Real Audio 118KB 60秒 は群馬北西部(北毛、西毛)に分布する江戸神田囃子の流れのひとつであるユックリした重みのある囃子に近いと感じました。川越や八王子などの埼玉南西部、都下で聴かれる囃子台での舞が伴う軽快なリズムを持ったものとは違ってます。中山道筋の高崎や埼玉北部の本庄の山車囃子に類似すると思いました。控えの交代はおりましたが、笛は一人だけの演奏でした。長い笛で力強い、澄んだ音色を出してました。

 渋川山車まつり運営委員会々長と渋川市長の挨拶RA 99KB 51秒で、山車の出場に際して、各町内の市民の協力への感謝と、このように一堂に全山車が集まり、祭りを通じて、地域の連帯感を強くして行きたい旨の決意が述べられました。
 各町内の山車の運行責任者の紹介があり、代表から各位への謝辞と、今後の渋川山車まつり継続への取り組みの決意が述べられました。そして、全員で手打ちの後、山車の巡行を再開しました。


 渋川山車まつりは、作者の住む高崎と同じ地方都市の夏祭りです。東京方面に学業、就業で出て行く若者も多いのですが、祭りの時は故郷に馳せ参じて昔の仲間と祭りに興じることで、本人のリフレッシュになるばかりでなく、地域の伝統芸能を守るという貴重な貢献をしておることを、再認識致しました。
 若者が活躍する活気ある渋川山車まつりは、印象に残る素晴らしいお祭りでした。


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