そして、中央と右の人物画像は祭り初日に管理者が撮影した山車現場責任者と高崎山車まつり実行委員です。二人のタスキに注目下さい。"高崎山車まつり"と銘記されてます。「高崎山車まつり」は、「高崎まつり」から分離した独立の祭典であるとの意志表示が伺えます。
ここ数年来、「高崎まつり」の運営について、あちこちから意見が出ていた。要は余りにも参加イベントが増えて、祭の運営、進行が混乱し始めていたのです。今年の春先頃に、山車まつりの分離のことが具体的に論議されているこを所属するお囃子グループの仲間から聞いておりました。
山車を分離したい動機は、道路幅を一杯使う山車曳行が他のイベントの動きと競合して、混雑の整理が段々むづかしくなって来たことが理由です。山車の巡行を「山車まつり」として、別の日に分離する案に管理者は大賛成です。
唯し、その理由は、混雑云々からではなく、千数百年の歴史をもつ我が国の「山車文化」が、他のイベントと同列に扱われるのが、祭礼の山車、屋台を愛する者にとっては辛く、もったいないという心境を日頃から抱いていたからと、正直に申し上げます。
しかし、祭りを別の日に分離することは、公安委員会の道路使用許可や交通安全警護体制の問題、高崎まつりと同じ様に学校の夏休み期間中でないと駄目だとか、雨の少ない10月がいいとか、いろいろな意見が出てきて、調整しなければならない問題がいろいろ予想されます。
今後「山車まつり」として実施日を分離することに、思わぬ支障も起きかねません。分離独立してやったみたが運営がうまく行かず、結果、山車の曳行が途絶えてしまった、などということが起こらぬように、38町の山車氏子町内が結束して、山車保存会の方針を支持し積極的に活動すべき正念場だと思います。
画像は高崎の中心街の大手前交叉点での企業御輿の責め儀合いを取り囲む観客の群れ。
そのほか、雷舞、阿波踊り、だるま御輿など人気のある団体が中心街のあちこちで、大勢の観客を集めておりました。