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最初に、高崎の祭礼曳きもの、"山車"のルーツをご紹介
平成29年8月5日に行われた群馬県高崎市の"高崎山車まつり"のレポートをお届けするに先立ち、高崎の歴史の1部を御紹介します。

享保二年(1717 )高崎藩の第10代の城主・大河内輝貞(てるさだ)が、先祖の平安時代の源頼政の霊を祭った頼政神社の社殿を、城内(今の高崎公園の烏川左岸)に建て、10代輝貞から19代輝声(てるな)に渡って、高崎藩城主・大河内松平家の氏神を祭る正月26日頼政神社の祭礼は、武士が先導した厳粛、盛大な祭りであったという。

祭礼時に飾り屋台と言われた祭礼曳き物"飾り屋台"が、屋台小路から城内に入り、頼政神社に集合し、神社から出た神輿に続いて、城下を巡行したという祭礼の曳き物が高崎の山車のルーツです<土屋喜英氏箸「頼政神社と高崎の町人」参照>。掲載の祭礼行列の画像は、高崎市立中央図書館の新編高崎市史・資料編8近世Wの口絵の頼政神社祭礼行事の絵図からの抜粋です。絵図の曳き物の屋台は現在とはかなり異り、数人で担ぐ軽微な屋台から、飾りを高くして、屋台上に大勢の人を乗せ、数十人で曳く屋台など、その歳々で飾りを工夫して独創的な飾り屋台を、太鼓の囃子を打ちながら曳いていた。

土屋喜英氏は著書「頼政神社と高崎の町人」で、祭礼当時に町として認められていた町内が幟(のぼり)を祭礼行列に出しており、連雀町、鞘町、新町、砂賀町、下横町、田町、九蔵町、新田町、南町、新喜町、通町、檜物町、鍛冶町、赤坂町、寄合町、本紺屋町、中紺屋町、新紺屋町、羅漢町、白銀町、本町、常盤町、四ツ屋町、相生町の町名が記録されており、これらの幟に続いて、各町の飾り屋台がその美を尽くしたと記しております。これらの町が明治なってから今の山車の前身の大型の山車を各町で造る様になった。

明治二年(1869)の藩籍奉還で高崎藩が廃止となり、祭礼氏神の藩主が居なくなったので、頼政神社の祭礼は衰微し、城下の木戸も撤廃されて無くなり、各町は、これまでの飾り屋台でなく、二段の櫓と前部に囃子台を乗せた江戸型の大きな鉾台型山車を造り、正月14日の道祖神祭りに曳く様になった。明治43年(1910)に路面電車が開通し、架線で大型山車が運行困難となり、今の大きさの山車へと造り直したのです。

御知らせ!次の東京オリンピックの2020年の"高崎まつり"は、群馬県高崎市の市制施行20周年で、38基の山車が出る予定です!
平成29年の高崎山車まつりの山車は中央と北の16町です

タイトル画像は高崎山車祭り実行委員会が発行し、委員会祭典事務所で市民に配布したパンプレットです。既に冒頭で述べました通り、高崎の山車まつりのルーツは、江戸時代の高崎藩の藩主、大河内松平家の頼政神社の祭礼でしたが、明治になってからは、庶民の祭りの正月の道祖神(どうそじん)まつりの附け祭りとして、曳き物の山車を曳き廻した。

道祖神は庶民の神様で、人家のある道端の辻々に、文字で道祖神と彫って置かれた石そのもが社殿で、一般庶民の精神的拠り所でした。高崎は江戸時代から界隈の商業の中心地で、<お江戸見たけりゃ、高崎田町、紺の暖簾がひらひらと>、と云われた程、商家が立ち並ぶ繁華な町々が競って、山車を造ったのです。例えば、当時の繁盛店が並ぶ本町一丁目は一台目が明治5年(倉賀野町へ売却)、二台目が大正10年(田町へ売却)、三台目が昭和3年に造られた現在の山車で、江戸期の飾り屋台を入れると少なくとも四台以上の山車が本町一丁目で造られて来たと云われてます(この本町一丁目の内容は高崎山車まつりのパンフの記事を参照)。

従って、江戸時代の高崎藩の頼政神社の様な大きな神社の祭礼が、明治時代以降の高崎には無く、本町、田町、連雀町などの商店街が音頭を執って、高崎ばかりでなく近隣の町村からの人出も狙って、道祖神祭りを盛り上げた。その伝統は現在も引き継がれて、今の高崎まつりでは、多くの山車と神輿が繁華街を練り廻しますが、伝統に乗っ執った祭神の神輿渡御の祭礼行列(本ページ冒頭に掲載した江戸期の頼政神社祭礼の神輿渡御の祭礼行列)は有りませんので、商業・観光祭りと申した方が的確かも知れません。

上の図は、今年の山車まつりのパンフに掲載されてます16台の山車町から、高崎駅西口前通り迄の山車巡行と、駅前通りから山車集結式の会場の「もてなし広場」迄の順路を示します。

下図は西口駅前通りを出て「もてなし広場」へ出発する出発式での16台の山車の配置図です。図中の山車の1から16迄の脊番号は1番〜8番迄が中央地区の山車で、1は赤坂町、2は常盤町、3は歌川町、4は並榎町坂下、5は柳川町、6は新紺屋町、7は寄合町、8は田町一・二・三丁目。9番から16番までが北地区の山車で、9が並榎町、10が住吉町、11が相生町、12が請地町、13が成田町、14が末広町、15が本町二丁目、16が本町三丁目です。両図とも八月五日(土)だけの山車巡行の経路で、翌日六日(日)は別経路となります。本ページは初日の八月五日(土)の山車まつりの様子を御紹介するものです。
平成29年"高崎山車まつり"の山車巡行出発式

高崎駅西口前の道路の駅に向かって左側に集合した16台の山車の内、9番から16番の山車はその位置に留まり、1番から8番迄の山車は道路反対側へ移動を開始し、9番から16番の山車と会い向かいに整列を開始。

上の画像をクリックしますと、隊列番号の1番から8番迄の山車が、9番から16番の山車の前に移動する様子が、ビデオでご覧なれます。

午後3時、1番から8番の山車は9番から16番の山車の前に移動を完了し、午後3時20分かの出発式を待ちます。

上の画像をクリックしますと、駅前の出発式での山車囃子の一斉演奏の様子がビデオでご覧なれます。

平成29年"高崎山車まつり"の山車巡行集結式

高崎駅西口駅前通りでの山車まつり出発式で気合いの入った16台の山車は、巡行番号順に、太鼓・笛のお囃子を奏で、ページ冒頭に掲載しました山車巡行路に沿って、あら町交差点を右折、田町通りを南下、田町交差点を左折して直進し、もてなし広場の"高崎山車まつり・集結式"の会場に整列しました。集結式の案内図をクリックしますと、整列した16台の山車の様子がビデオでご覧になれます。もしビデオをご覧にならない方は、次の項目でご紹介します山車の静止画像で集結式会場での各町の山車の様子をご覧下さい。

もてなし広場の集結式会場に整列した16台の山車

山車の画像をクリックしますと、拡大します。

画像の左から、巡行番号16番の本町三丁目、15番の本町二丁目、14番の末広町、13番の成田町

画像の左から、12番の請地町、11番の相生町

画像左から、10番の住吉町、9番の並榎町、8番の田町一・二・三丁目、7番の寄合町

画像左から、6番の新紺屋町、5番の柳川町、4番の並榎坂下

画像左から4番の並榎坂下、3番の歌川町、2番の常盤町、1番の赤坂町です。

画像をクリックしますと、集結式での富岡賢治高崎市長の挨拶のビデオです。

集結式が始まる前の時間、各山車町は巡行に参加した人達に、お弁当と飲み物が支給され、休憩を兼ねての早い夕飯となりました。"高崎まつり"と"高崎山車まつり"を同じ日に、同時進行させると云う余り他に例の無い高崎のお祭りは、本ページの冒頭でご紹介しました様に、祭神が居ない「商業まつり」ですが、毎年8月の第一土、日に開催されて、広報高崎7月15日号によりますと、祭り初日の土曜日は午後7時40分から始まる50分間で1万5千発を打ち上げる<打ち上げ花火大会>が開催され、市内だけでなく、県内外からの花火見物の人達で、市街は大変賑わいます。集結式会場の「もてまし広場」の芝生の上には、花火見物の人達で一杯でしたが、皆さんが集結式で集まった高崎山車まつりの山車を充分に堪能されたのではないでしょうか。

午後6時から始まった集結式が終ると、各山車は銘々、お囃子を演奏し、最後に同じ演目曲を16台の山車が同時演奏した際は、もてなし広場ばかりでなく、周辺市街地まで囃子音が響き渡って圧巻でした。午後7時、山車提灯を点灯して夜の山車姿に変身した16台の山車は、巡行番号順に広場を出て、叩き合い場所の山車まつり祭典事務所の在る田町交差点へ向いました。

平成29年"高崎山車まつり"の山車の叩き合い

叩き合いの田町交差点には8台の山車が整列。初めは各山車が事前申告したお得意の囃子曲を3分間、各山車が独奏。その後は進行係が指示した曲目を全山車で合奏。所謂、叩き合いです。各画像をクリックして、ビデオ動画をご覧下さい。

5番の柳川町の演奏です。曲目は<あまだれ>。画像をクリックしますとビデオ動画です。

6番の新紺屋町の演奏です。曲目は<うめがいの>"。画像をクリックしますとビデオ動画です。

7番の寄合町の演奏です。画像をクリックしますとビデオ動画です。

8番の田町1-2-3の演奏です。曲目は<おおま>。画像をクリックしますとビデオ動画です。

12番の請地町の演奏です。画像をクリックしますとビデオ動画です。

13番の成田町の演奏です。曲目は" <うめがいの>と<かんだまる>。画像をクリックしますとビデオ動画です。

14番の末広町の演奏です。画像をクリックしますとビデオ動画です。

16番の本町3丁目の演奏です。曲目は<あまだれ>。画像をクリックしますとビデオ動画です。


平成29年"高崎山車まつり"の!!歓喜の山車ばやし!!

司会者の敢えて、"べらんめぇ〜"調な"開始の宣言で、交差点をコの字に囲んだ8台の山車が、一斉に叩き合いを始めました。囃子衆も気合いの入ったバチ、笛を奏でれば、それに増して、曳き手衆もじっとしては居られません。

画像をクリックすると、ビデオ動画となります。

各町の8台の山車のお囃子披露の演奏が終ると、次は全部の山車の囃子の競演となります。この時れからは、笛・太鼓だけでなく、曳き手衆の活躍の場となります。囃子に合わせて、それ!それ!それ!と大声を発して踊り出す人、両腕を振り、跳びはねをする人達、、子供を肩に乗せ、纏いを振って踊る人、皆さん、祭に酔いしれてる状況が、司会がストップを云う迄、続きました。

画像をクリックすると、ビデオ動画となります。

盛り上がった叩き合いも終盤を迎え、開始の時と同じ司会者の感謝と〆の挨拶。つづいて、見事な手締めの演出は、山車衆の皆さんの気持ちが一層、盛り上がった〆でした。

画像をクリックすると、ビデオ動画となります。 田町通りを道幅一杯の横一列に行進した4台の山車は、八間道路の交差点で、一列行進の一般の通行に戻り、成田町が先頭に立ちました。丁度、打ち上げ花火の真っ盛りの時、花火の炸裂音と光と、山車の太鼓、笛の音が祭の雰囲気を引き立てて、お祭り気分を一層、引き立てて呉れました。祭って、好いなぁ〜。

画像をクリックすると、ビデオ動画となります。

高崎まつりの初日の土曜日は、花火大会が高崎西部を南北に流れる烏川で毎年行われます。午後7時40分から、約1万5千発の花火を打ち上げるそうです。田町通りの田町交差点で行われた山車の叩き合いの終わった午後8時過ぎ、山車が各山車町へ帰るのに、田町1-2-3、成田町、柳川町、本町3丁目 の4台の山車が、叩き合いの有った田町交差点から、田町通りの道幅一杯に横一列になって、行進しました。見事な眺めでした。祭時の交通規制の御蔭です。高崎警察に感謝申し上げます。

画像をクリックすると、ビデオ動画となります。



平成29年"高崎山車まつり"の!成田町の特集!

地元、成田山光徳寺のお祓いです。

画像をクリックすると、ビデオ動画となります。

高崎駅西口通りの出発式場所へ向って巡行。

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高崎駅西口通りの出発式場所へ向って巡行。高崎山車ばやし保存会の皆さんがお囃子に参加しております。

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画像をクリックすると、ビデオ動画となります。

高崎駅西口通りの出発式開始前のお囃子の披露。画像をクリックすると、ビデオ動画となります。

本ページにアクセス頂き、ありがとうございました。今後も宜しくお願いします。