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世良田祇園やたいの隊列巡行が復活しました!

世良田八坂神社の祇園祭りを地元の人達は"八坂神社の大祭"と呼んでいた。大祭の様子がどうであったのか、世良田の今井、南八のお囃子の出張指導を行っておられる伊勢崎市にお住まいの福島行孝氏(伊勢崎市茂呂地区1〜5丁の茂呂地区屋台囃子保存会連絡協議会会長)から、昔の世良田祇園まつりの様子を伺いました。

世良田の大祭は昭和30年代半ば迄は、関東三大祭りのひとつとして、関東周辺からの大勢の人出で賑わい、東武鉄道が大田伊勢崎間を徹夜運転をした。

大祭の付け祭の屋台巡行11基の中の飾屋台3基を持つ女塚、栄、三ツ木の町は昭和31年に隣の境町と合併したが、「客屋台」として、大祭の屋台隊列巡行には従来通り参加していた。お客様屋台として参加する女塚を上町の行司長、栄を今井の行司長、三ツ木を上新田の行司長がそれぞれ迎えに行って、世良田地区8基と合わせて11基の屋台が国道354号に勢揃いした。

7月24日の昼過ぎから夜に掛け、囃子連の前座から、本番ではベテランが入れ替わり、8時間以上に及ぶ囃子の競演が続いた。11基の屋台は7月25日午前零時の寺の鐘を合図に354号を進み、普門寺前から総持寺へ、国道を戻って、大川屋(現、世良田交差点)角からを赤門前、東照宮前へと進み、南八地区で整列し、叩き合いを続け、夜明け前の午前4時半頃の終了となった。

昭和35年、世良田地区の中心を通る国道354号が交通量の増加を理由に、11基の祭り屋台の国道の交通が禁止になってしまった。屋台が国道を通れなくなったので、「客屋台」として国道を通って参加していた飾屋台3基の大祭参加は途絶えた。世良田地区の8基の屋台は国道を挟んで、南北に分かれた形となり、今井、南八、下新田の3基は国道の南側地域を、上町、上新田、大門、下町、新町の5基は国道の北側地域をそれぞれ単独に巡行する形になった。手書きマップを参照下さい。その後、八坂神社の台風被害が発生したりして、次第に大祭は縮小してしまった。

左の画像は上から女塚、栄、三ツ木の屋台。伊勢崎市境町の"境まつり"で撮影。画像をクリックしますと拡大します。左上隅の←で戻ります。

往時の「世良田祇園祭」は"地元では"おぎょん"と呼ばれ、江戸時代から明治、大正、昭和と、毎年の祭りは秩父の妙見神社、神田明神と並んで大勢の人達で賑わったとのこと。昭和30年代後半の世良田地域の分割合併や国道交通規制などで、祭り規模が縮小されてしまうまでの「世良田祇園祭」の様子は既に半世紀以上も昔のことになってしまい、その前の昭和戦争以前の祭りの様子を語る人は今ではおりません。そこで、管理者は図書館で群馬の祭りの文献を探したところ、萩原 進 著 「郷土芸能と行事 群馬県」煥乎堂 昭和32年(1957)で、関東一円から見物、参拝者が押し掛けた世良田祇園の最盛期当時の大祭"おぎょん"を迎える世良田住民の生活の様子などが興味深く知ることが出来ました。
福島行孝氏のお話ですと、世良田地域の分割合併後も、八坂神社の神輿渡御の神事と、付け祭の屋台巡行は続けられたそうです。

世良田の出身で、しかも幼少の頃からの祭好きの方で世良田祇園祭りを毎年、見て育ったとおっしゃる世良田祇園祭りに詳しい東京品川にお住まいのT氏から事前に伺ったお話ですと、世良田祇園祭の屋台巡行の近年の様子は『開始は20時です。花火を合図に旧世良田村役場(市道84号と神社参道の交差点付近)前から大門屋台が先ず西へ向かい、上町と上新田の屋台を迎えます。

大門と合流した3台の屋台は東へ向かって運行し、八坂神社前に着くと上町と上新田の屋台はそこに留まります。大門屋台は今度は東に向かい世良田公園グランド(行政センター付近)にある下町屋台と合流し、八坂神社を目指します。そして21時頃神社前に4台の屋台が集まり、八坂神社境内の屋台庫の前に置かれた新町の屋台と合わせ囃子を演奏します。南八、下新田、今井の屋台は各地区内で運行と囃子の演奏をします』とのお話でしたので、管理者は早くから八坂神社前に待機していたのですが、残念なことに夕方七時過ぎから、天空を稲妻が駆け巡る雷りを伴う豪雨となり、昨年平成22年7月24日の祭りの屋台巡行は完全に中止になってしまったので、管理者は世良田祇園祭りの屋台巡行の様子を今年の「復活!世良田祇園まつり」で、初めて鑑賞させて貰いました。屋台待機・巡行路図をクリックしてご覧下さい。

付け祭の屋台巡行は中止になっても、しかし祇園神社の神事の主体は"神輿渡御"です。T氏は『祭りの最高潮は、「隠居様」神輿の渡御です。22時、八坂神社でお祓いを受けた担ぎ手たちは、八坂神社南のお仮屋まで神輿を迎えに行きます。お仮屋は八坂神社参道が国道354号と交わるところに設けられます。担ぎ出された「隠居様」神輿は八坂神社を目指し、水を浴びせられながら威勢よく八坂神社に向かいます。そして屋台の前を神輿が通過する時お囃子は激しさを増します。八坂神社に着くと神輿は激しく揉まれ、水を浴びせかけられながら神社を3周し、ようやく台に納められます』と、述べておられます。

T氏は平成22年と今年23年の世良田神輿渡御に輿丁(神輿の担ぎ衆)として活躍しておられます。

尚、毎年7月25,26日と決まっていた祭礼日が第四土曜日と翌日に変わったのは何時ごろかは残念ながら不詳です。

画像は平成23年7月23日に管理者が撮影した「隠居様」神輿が鎮座してますお仮屋です。八坂神社の神事の責任者をなされております高橋宗二氏のお話ですと、今年の15日は平日で、世話人の都合で、17日にお仮屋を建てたそうです。

このページの冒頭で、今井、南八のお囃子の出張指導を行っておられる伊勢崎市にお住まいの福島行孝氏が、昔の大祭日は屋台が隊列巡行を夜半過ぎまで行って、世良田は不夜城の賑わいを呈したと、述べてますが、その当時は大祭日の夜、「隠居様」が還御した後を追うように、「当住様」の渡御が開始されておりました。「当住様」の神幸を補佐すべく、世良田の分離前までは飾り屋台含めて11基の屋台が整列、隊列巡行が夜明けまで行われていたが、分離後に国道の交通規制が始まってお客様屋台が来られなくなって、大祭当日だけ神社前に5基の屋台が集結して、「隠居様」神輿の旅所からの還御だけを出迎えました。本来は「隠居様」神輿の還御に続いて、その夜に本番の神事たる「当住様」神輿の渡御が始まるのですが、「当住様」神輿の渡御は翌日に延ばされ、しかも付け祭の屋台の巡行は前日の一日だけで、「当住様」神輿の神事に付け祭の屋台巡行は無かったということです。

しかし、平成18年から4年掛かりで進めていた8基の屋台の解体修理が平成21年で完了したのを契機に、世良田屋台8地区の各役員と行政との間で、大祭の復活の議論が始まり、世良田行政センター内に「世良田祇園まつり実行委員会」が設けられ、その主催で、平成23年から「世良田祇園まつり」として、世良田大祭が復活しました。今年、平成23年から付け祭の8基の屋台の勢揃いと隊列巡行が50余年振りに復活しました。祭りの掲示ポスターや祭りのリーフレットも復活しました。

復活!"世良田祇園まつり"の屋台隊列巡行!

画像は7月23日午後7時、行政センター前に整列した7基の屋台。右から左へ、今井、上新田、上町、新町、大門、下町、南八です。
をクリックして、ビデオで整列の様子をご覧下さい。

このマップは管理者が作成しました。

午後6時、県道深谷線を国道354号線に向かって巡行して来た南八の屋台が世良田交差点を通過して、市道84号を右折して、行政センターへ向けて進みました。同様に、今井屋台も国道を横切って、市道84号に入り、上新田と合流しました。この事は、南八屋台と今井屋台は共に、半世紀振りの国道354号線の通過と云うことにになるのですから、思うと感無量です。市道に待機していた下町屋台が南八の後に続きました。

参道方面から進行して来た大門、新町、上町、上新田、今井の屋台が、警察官の交通整理を受けながら、県道深谷線と市道の交差点を通過して、行政センター前に待機する南八、下町の屋台の後に続いて整列しました。下新田屋台は今年は昨年迄と同様に、下新田地区内だけの巡行でした。

配布された"世良田祇園まつり"のリーフレットの祭りプログラムによりますと、24日午後5:30より、各屋台は往路巡行を開始。それぞれの区域を巡行しながら、市道84号線の世良田行政センター広場前に集結。午後7:00より、開会式。閉会後、隊列は市道84号線を戻り、八坂神社参道を挟んで、下町、大門、新町、上町、上新田の5基は午後10:00迄、囃子の競演。南八は囃子の競演には参加せず、世良田交差点を渡って帰路に就く。尚、下新田は行政センター前の屋台整列に参加せず、下新田地区内の巡行だけを行った。



さぁ〜!50年振りの世良田囃子の叩き合いだ!

〜画像をクリックすると拡大します〜

屋台名の脇のをクリックして、ビデオ画像をご覧下さい。

上 町
"屋台の正面"に囃子台があります。


上新田
"屋台の正面"に囃子台があります。

今 井
"屋台の背面"に囃子台があります。

大 門
"屋台の背面"に囃子台があります。

新 町
"屋台の正面"に囃子台があります。

南 八
"屋台の背面"に囃子台があります。

下 町
"屋台の正面"に囃子台があります。

下新田
"屋台の正面"に囃子台があります。


"お客屋台"でなく、"お客居囃子"の叩き合いだ!

分割合併で世良田から離れた女塚、栄、三ツ木の飾り屋台は、交通規制などの影響で、屋台自身の祭り参加は出来なくなったが、お囃子衆が世良田屋台囃子の伝統を守るべく、大祭時には八坂神社境内で"居囃子"として、演奏を今日まで続けてます。三ツ木は居囃子でなく、上新田屋台に乗って、お囃子を披露しております。東町は伊勢崎市の、本町は熊谷市の世良田囃子保存会の皆さんです。

女 塚


東 町

本町(篭原)



八坂神社の神事!"ご隠居様神輿"と"当住様神輿"

"当住様"神輿

画像を クリックしますと、"隠居様"神輿の画像です。"隠居様"神輿は7月15日に、神社参道が国道と交差する脇の旅所に渡御なされ、7月25日(現、第四土曜日)に、神社へ還御なされる。

画像右が神社境内に鎮座する"当住様"神輿です。他の小型神輿は子供用神輿です。 群馬の歴史学者 萩原 進氏は著書の中で、世良田八坂神社神社から神輿が氏子地区を巡る神幸式は大祭月に二回に亘って行われるが、第一回を七月十五日(以前は六月七日)に行う。これを「神事始め」と呼んでいる。俗に「ご隠居さま祭」(ごいんきょさま祭)と呼んでいる。これに対して七月二十五日(以前は六月十五日)の祭を本祭と呼び、又の名を「当住様祭」(とうじゅうさま祭)というと、古い永い習慣として定着されてます。

世良田の出身で世良田祇園を毎年観て育ったとおっしゃる東京品川にお住まいのT氏から、昨年の大祭時の神輿渡御につりて『22時、八坂神社でお祓いを受けた担ぎ手達は、八坂神社南のお仮屋まで、「隠居様」神輿を迎えに行きます。お仮屋は八坂神社参道が国道354号と交わるところに設けられます。担ぎ出された「隠居様」神輿は参道を八坂神社を目指し、水を浴びせられながら威勢よく八坂神社に向かいます。そして整列する屋台の前を神輿が通過する時、お囃子は激しさを増します。八坂神社に着くと神輿は激しく揉まれ、水を浴びせかけられながら神社を3周し、ようやく台に納められます』と、お聞きしてます。T氏は平成22年と今年23年の神輿渡御に輿丁(神輿の担ぎ衆)として活躍しております。

復活の最初の祭りとしては、とにかくも、これまでのバラバラな屋台巡行を統一した形で行い、一か所に集結して、屋台祭りの気運を高めようとの意図は充分、達成できたのではないでしょうか。記念すべき復活初年度の世良田祇園まつりの見聞が出来て、管理者は大変満足いたしておりますが、来年の祭り時のまつり実行委員会でご検討頂きたい提案がございます。それは屋台隊列の順番を世良田大祭時と同様に、上町を先頭にして最後尾は下新田となる様に、下新田の屋台の集結参加に期待をします。実現できれば、昔の大祭時と同じ隊列順番が可能となり、話題が増えると思います。

花火の画像は八坂神社境内より撮影。クリックして、花火のビデオをご覧下さい。

今年の世良田祇園祭は"復活!"のイメージが強く出ておりました。屋台の改修が完了した一昨年から、祭り復活の動きが出ているとは聞いておりましたが、今年、世良田に入って、道路の掲示板に祭りのポスターが貼ってあったのには先ず、驚きました。 神社参道脇の旧世良田役場のテントでは、町民に配る祭案内リーフレットも用意してあり、一部を頂き、表紙をこのHPのタイトルに使わせて貰っております。そして、去年の大祭当日の参道には所謂、露天商の屋台店は一軒も出ておりませんでしたが、今年は正午過ぎには数店の露店が店開きをしており、夕暮れになると、浴衣姿の子供達がキラキラ輝く発光の髪飾や玩具を手にしている様子は祭り気分を盛り上げておりました。

露店の画像をクリックしますと拡大します。露店の背景に参道を挟んで整列する新町、上町、上新田の屋台の提灯が見えます。
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