往時の「世良田祇園祭」は"地元では"おぎょん"と呼ばれ、江戸時代から明治、大正、昭和と、毎年の祭りは秩父の妙見神社、神田明神と並んで大勢の人達で賑わったとのこと。昭和30年代後半の世良田地域の分割合併や国道交通規制などで、祭り規模が縮小されてしまうまでの「世良田祇園祭」の様子は既に半世紀以上も昔のことになってしまい、その前の昭和戦争以前の祭りの様子を語る人は今ではおりません。そこで、管理者は図書館で群馬の祭りの文献を探したところ、萩原 進 著 「郷土芸能と行事 群馬県」煥乎堂 昭和32年(1957)で、関東一円から見物、参拝者が押し掛けた世良田祇園の最盛期当時の大祭"おぎょん"を迎える世良田住民の生活の様子などが興味深く知ることが出来ました。
福島行孝氏のお話ですと、世良田地域の分割合併後も、八坂神社の神輿渡御の神事と、付け祭の屋台巡行は続けられたそうです。世良田の出身で、しかも幼少の頃からの祭好きの方で世良田祇園祭りを毎年、見て育ったとおっしゃる世良田祇園祭りに詳しい東京品川にお住まいのT氏から事前に伺ったお話ですと、世良田祇園祭の屋台巡行の近年の様子は『開始は20時です。花火を合図に旧世良田村役場(市道84号と神社参道の交差点付近)前から大門屋台が先ず西へ向かい、上町と上新田の屋台を迎えます。
大門と合流した3台の屋台は東へ向かって運行し、八坂神社前に着くと上町と上新田の屋台はそこに留まります。大門屋台は今度は東に向かい世良田公園グランド(行政センター付近)にある下町屋台と合流し、八坂神社を目指します。そして21時頃神社前に4台の屋台が集まり、八坂神社境内の屋台庫の前に置かれた新町の屋台と合わせ囃子を演奏します。南八、下新田、今井の屋台は各地区内で運行と囃子の演奏をします』とのお話でしたので、管理者は早くから八坂神社前に待機していたのですが、残念なことに夕方七時過ぎから、天空を稲妻が駆け巡る雷りを伴う豪雨となり、昨年平成22年7月24日の祭りの屋台巡行は完全に中止になってしまったので、管理者は世良田祇園祭りの屋台巡行の様子を今年の「復活!世良田祇園まつり」で、初めて鑑賞させて貰いました。屋台待機・巡行路図をクリックしてご覧下さい。
付け祭の屋台巡行は中止になっても、しかし祇園神社の神事の主体は"神輿渡御"です。T氏は『祭りの最高潮は、「隠居様」神輿の渡御です。22時、八坂神社でお祓いを受けた担ぎ手たちは、八坂神社南のお仮屋まで神輿を迎えに行きます。お仮屋は八坂神社参道が国道354号と交わるところに設けられます。担ぎ出された「隠居様」神輿は八坂神社を目指し、水を浴びせられながら威勢よく八坂神社に向かいます。そして屋台の前を神輿が通過する時お囃子は激しさを増します。八坂神社に着くと神輿は激しく揉まれ、水を浴びせかけられながら神社を3周し、ようやく台に納められます』と、述べておられます。
T氏は平成22年と今年23年の世良田神輿渡御に輿丁(神輿の担ぎ衆)として活躍しておられます。
尚、毎年7月25,26日と決まっていた祭礼日が第四土曜日と翌日に変わったのは何時ごろかは残念ながら不詳です。
画像は平成23年7月23日に管理者が撮影した「隠居様」神輿が鎮座してますお仮屋です。八坂神社の神事の責任者をなされております高橋宗二氏のお話ですと、今年の15日は平日で、世話人の都合で、17日にお仮屋を建てたそうです。