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埼玉 花園町

"小前田諏訪神社秋祭り"

小前田屋台の観察記

   中町の屋台

 唐破風屋根に一杯に拡がった龍の彫刻は、大型で見事な彫りです。鬼板には、角を逆立てた鋭い眼光の龍の頭と前脚が躍り、長い胴と後脚は懸魚から破風の端迄延びて、躍動感抜群の彫りで、凄い迫力です。
この屋台は、豪華さでは我が国最高の屋台を作った秩父の大工の手で製作されたとのことですから、彫り師も秩父の屋台に関与していた人と想像されます。極彩色に色付けすれば秩父の屋台にひけを取らない精緻な彫刻です。後背面の画像です。懸魚の彫刻は同じく、龍です。

 屋台前部は三方に漆塗りの勾欄を廻した舞台で、後部は囃子座で、勾欄はない。八本柱構造で、前部左右の2本の柱には登り龍、降り龍の彫刻で飾られてます。本町と上町の屋台には、この柱の彫刻はありません。2列目の2本柱の脇障子には同じく龍の見事な彫刻が施されてます。3列目の2本柱には囃子座の仕切用の四枚の襖が立つはずですが、はずされていて襖がありませんでした。囃子座にも太鼓が用意されてましたが、実際は屋台正面の舞台でお囃子が演奏されておりました。

  上町の屋台

 四輪の直径は約1.2m で、他の屋台に比べ大径。唐破風板屋根の彫刻も中町と同様に精緻で豪華です。中町、本町のものより屋台幅は大振りに仕上げてあり、締太鼓4個、大太鼓1個が余裕をもって設置されている。
屋台前部は三方に漆塗りの勾欄を廻した舞台で、後部は囃子座で、勾欄はない。八本柱構造で、前から2列目の2本柱は脇障子がある。囃子座は3列目の2本柱の四枚の襖で仕切られ、江戸型の踊り屋台のほぼ完全な姿を保存している。秩父の屋台の様な全面漆塗り、金箔、飾り金具と極彩色で飾り立てられた華麗さはないが、それに近い見栄えのある立派な屋台です。

  本町の屋台

 四輪。唐破風板屋根造り。正面鬼板の彫刻は龍、後ろ鬼板は獅子に牡丹。屋台前部は三方に漆塗りの勾欄を廻した舞台で、後部は囃子座で、勾欄はない。八本柱構造ですが、2列目の2本柱に脇障子は無く、屋台の造りは上町、中町と比べ、やや簡素でした。但し、本町の屋台だけは、台座(土台)が、上下二分割式になっていて、舞台囃子座の上部本体が中心軸で回転できる構造になってます。
お囃子は、締太鼓、大太鼓に笛、鉦の布陣で、曲目は3台とも同じで、一曲の繰り返しでした。なかでも本町の囃子(RealAudio 146KB 70秒)です。近隣の熊谷の世良田囃子に似た囃子の調子でした。

 小前田屋台は3台とも3トンを超える重量があり、しかも四輪固定です。
「たすき前掛け姿がキリッとした十数人の若者が屋台の後部で、長さ6m余りの角材でできた梃子(てこ)棒を操作して、屋台の方向転換をするのです」  これは、秩父夜祭りでの四輪固定の屋台の方向転換の模様をレポートした見聞録の一節ですが、この屋台の方向転換に使われる梃子(てこ)の棒がありません。さぁ、どうやって方向転換をするのでしょうか。

 新たな文明の利器が登場するのです。それは工場構内での荷役作業などで使われているハンド式油圧フォークリフトでした。

 以前、川越まつりで、山車の回転に自動車のパンクなどの時に使うジャッキが使われておるのを見てましたが、ハンドフォークリフトを利用するのを見るのは、初めてでした。川越の様なジャッキアップですと、持ち上げたその場で山車本体を水平に保って廻すのですが、大型の屋台は重量があり、しかも縦横の幅と長さが長い大型の屋台では、ジャッキで水平にもち上げることが難しいので、屋台の前か後ろの車輪をハンドフォークリフトで持ち上げて、屋台の方向転換をしておりました。梃子棒の代役がハンドフォークリフトなのです。舗装の凹凸にフォークリフトが引っかかって、リフトが外れてしまったりして、何回もやり直しておりました。昔は、大勢に梃子衆が秩父と同じ様に梃子棒を使って、気合いの入った元気な方向転換をしていたのでしょう。文明の利器では、祭りの情緒が薄れますね。祭り文化の継続保存の容易でないことを思わせる場面でした。

 このページの冒頭の花園町の略図の中の「お祭り会場」となってますのは、作者が勝手に書いたものです。この旧国道の交差点で、交差点の中心に向かって3台の屋台が並びました。本町と上町が正面に向かう形です。祭りのセレモニーが始まりました。町長の挨拶の後、各屋台の組頭の紹介と各町屋台のお囃子の演奏がありました。地元出身の女性演歌歌手の熱唱や浴衣姿の婦人会の踊りの披露など、ローカル色を出しての演出も又、楽しいものでした。

 その中で、ボーイスカウトの演技で行われた「竜の舞」が異色でした。小学生の学童が、手に持った棒の先に自分達自身で作った張り子の竜を載せて、竜の頭と胴を上下左右斜めに振って、3台の屋台の前を円状に駆けめぐるのです。練習の成果があって、怪しげに動く竜の姿と爆竹を鳴らしての元気な演技に、見物人から拍手が出てました。作者も予期せぬことでしたが、この竜の舞が、屋台の唐破風屋根や柱の竜の彫刻と、うまくマッチしておるのに気が付きました。中国大陸の祭礼で行われているこの竜の舞は、我が国の獅子舞と同様に、屋台や山車まつりにこれからも益々、出場して欲しいと思いました。  

 埼玉県西部には、秩父屋台を代表とする秩父型の屋台が多く分布しております。北関東を代表とする屋台形式となってます。この小前田の3台の屋台も秩父型です。以前、閲覧した関東山車祭りの書籍のなかに載っていたこの小前田の中町の屋台の写真には、秩父の屋台と同じ様に、歌舞伎などを披露する張り出し舞台が左右にある写真でした。今回見学した中町の屋台は本体だけでした。張り出し舞台は古くなったか何かの理由で、既に廃棄されてしまったのかも知れません。拝見した3台の屋台は、幕は新しいし、勾欄の漆塗りや彩色の手入れもしてありました。屋台を常時展示するということは、唯 観光の為だけではないと思います。自分達の町の屋台に愛着を持って、町の誇りとして大勢の人に知って貰いたい、との願いの現れだと思います。そのお手伝いに、この小前田諏訪神社秋祭り見聞録が少しでもお役に立てればと、念じてます。

 確かに、今回の花園町の祭礼は、町の外から大勢の観客が押し寄せるということはありませんでしたが、子供からお年寄り迄の大勢の町民が祭礼に参加しておりました。お祭りはそもそも地域住民の為に行われるものですから、ローカル色を持った自分たちのお祭りを今後も大事にして貰いたいものです。そうすることが、貴重な屋台や山車、お囃子などの文化財の保存継承に大いに役立っておるのです。花園町の皆さん、これからも、価値ある立派な3台の屋台に誇りを持っていただき、益々、お祭りを楽しんで下さい。


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