高崎からJR八高線に乗り、寄居で乗り換えて、正午丁度、秩父鉄道小前田駅に到着した。跨線橋が無いので降りた電車が過ぎるのを待って、フォームから下りて、線路を横切って駅舎の改札口へ進んで、都会の喧噪さとは無縁の静かな駅頭に出ました。駅員さんに屋台の居場所を尋ねましたら、町の案内パンフレットを見せて、親切に教えて下さいました。帰りにまごつかぬようにと電車の駅発時刻表迄頂いたりして、気持ちよい見聞のスタートが出来ました。この町の地図は、この駅員さんから頂いたパンフレットを参照して、作成しました。
駅員さんに教えられた諏訪神社は、駅の直ぐ側にありました。パンフレットに諏訪神社例大祭の説明がありました。それによりますと、諏訪神社は、花園町大字小前田の鎮守様として、地域の人達に大事にされている。この神社は、その昔この一帯を支配していた土豪の武蔵七党のひとつ、猪俣党の藤田氏が領地、領民の安寧の為に、信濃の国の諏訪大社より正一位南宮法性大明神の分霊をお祀りしたのが始まりと書いてあります。
森に囲まれた閑静な拝殿には、例大祭の幟が数本立てられ、祈祷のお札や町民からの寄贈品名を書いた札が、沢山、貼られておりました。拝殿脇に張られた天幕の中に留守役の祭典役員の年輩者が数名おるだけで、参詣者は見あたりませんでした。駅員からは、屋台の巡行は神社から2キロほど南の国道周辺で行われると聞いていたので、そちらへ向かいました。
駅前の道を南へ歩き始めましたが、祭礼というと何処の町でも、道筋には祭礼を祝う横断幕や、家々の軒先に垂(しで)の付いた縄を飾り付けたりしますが、そういったものも無く、祭礼の雰囲気は感じらませんでした。暫く歩くと左手遠くからお囃子の音が聴こえて来た時は、あぁよかった、と思った程でした。とにかく、屋台が見学出来れば万々歳なので、それ行けとばかりに、囃子の音の方角へ小走りに駆け出しました。
今回の花園町小前田の屋台の見学は、知人から花園町の関越道インターチェンジを降りたところの「道の駅」の中に大きな屋台が展示されているとの情報を得て、早速町役場へ電話をして、屋台の様子を問い合わせしたところ、この日の祭礼時に展示されている3台の屋台の巡行があることを聞き、展示の屋台より実際に運行する時の屋台の方がお囃子も聴けるし、屋台の全てが分かるので、この日の訪問となった訳です。そして、以前読んだ関東の山車屋台の研究家の著書に、この花園町小前田の屋台の紹介記事があり、豊富な彫刻で飾られ、左右に張り出し舞台のある踊り屋台が、写真付きで紹介されていたので、小前田の屋台を一度見てみたいとの希望からの訪問でした。
お囃子の音を目指して、急ぎ足で進んで、角を曲がったところで、屋台を見つけました。そこは国道140号の交差点でしたが、その南にバイパスが通っておるので、既に道端には数軒の屋台店も並んで、この交差点周辺は車の交通規制が始まっていて、歩行者専用のお祭り会場になっておりました。
鉄火肌着に股引き、腹掛け、ねじり鉢巻きに地下足袋姿の威勢のよい祭り衣装に身を固めた青年が、屋台の屋根に陣取り、祭り半纏を羽織った町衆達が、忙しそうに屋台の巡行準備の最中でした。上町(かみちょう)、本町(ほんちょう)、中町の3台とも、唐破風屋根の鬼板・懸魚の彫刻が緻密で威風堂々としていて、秩父屋台を彷彿させるほどでした。
左から、上町、本町、中町の屋台です。それぞれ画像をクリックしますと、説明のページへリンクします。各屋台の内容説明は、国道140号沿いの「道の駅・はなぞの」の中の屋台展示場で、見学者に渡している屋台の説明パンフレット「小前田祭屋台」(花園町教育委員会発行)を参照して、作者がまとめたものです。
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