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千葉 成田市

"成田祇園会(ぎおんえ)"

 


 早速、"山車"の側に駆け寄って、構造を見ました。全長の後ろ三分の二は、屋根でなく彫刻を配した欄間と擬宝珠高欄を廻し、その内側にも高欄を廻した欄間を設けて、二層に見える構造になっておりました。
 一見、内側の二層目は上下するのかと思いましたがそうでなく現状の固定式で、その中の人形だけが上下出来る仕掛けになってました(以降、この形式を二重高欄と呼びます)。
 そして、擬宝珠の付いた欄干(下高欄)を廻した後部は、板張りの舞台で、囲む幕の無い屋台形式で、笛や鼓、太鼓を演奏する大勢の浴衣姿の囃子連中が乗り込んでおりました。

 前三分の一は破風式屋根で覆われ、同じく擬宝珠の付いた欄干を廻した囃子台になっていて、正面両側には町名の入った大型提灯が下がり、"光明"と銘記した額を掲げた重厚感溢れた"成田式"(屋台と山車の折衷型)の田町の山車でした。
 この"成田式"の山車形式は、佐原の一本柱山車と並んで、北総(下総)地方を代表する屋台と山車の折衷型の形式となっていて、この形式の山車が周辺各地で作られてます。電線を避けるためか、山車人形は見えませんでした。お祭りパンフレットを見ますと、人形は素戔鳴尊となってました。

 パンフレットで、一番威勢のいい山車の曳き廻しで知られていると紹介されているほど、元気な田町の曳き手衆でしたが、音頭取りの棟梁の掛け声が大きすぎて、折角のお囃子がかき消されしまったのは、如何なものか。ハンドマイクは祭りには似合わないのでは・・・あくまでも、掛け声は生の声がいい。

 
 薬師寺の境内から降りて、表参道の坂道を歩いて見ることにしました。幸い、梅雨の合間の青空に恵まれ、浴衣姿の若い娘さん達が、談笑しながら散策する姿を見かけると、思わず "お祭りは、いいなぁ"、と感じました。
 下り坂ですから、目の遠く前方に、道両側の洒落たみやげ屋さんの看板の間に挟まれる様に、成田山の塔の屋根が眺められる坂の参道の祭り気分の風景が大変、印象に残りました。
 坂の途中迄来ると、下からお囃子の音と、曳き手の元気な掛け声が聞こえてきました。

 成田山の塔を背にして、坂の参道の角から現れた山車の華麗さは見事でした。成田市が誇る「江戸鉾台型山車」のひとつの仲之町の山車でした。江戸末期の山王祭りに、江戸各町から曳き出されたと伝えられる江戸鉾台型山車の形式で、山車前部の囃子台の上部が破風式の屋根ではなく、金箔彫刻と漆塗りで飾られた欄間形式であることが、この江戸型の特徴です。

 太鼓が全面に据えられ、囃子手は前方を向いて太鼓を叩きます。鉾台は刺繍幕で囲まれ、二層の迫り上がりの鉾の天辺に人形が乗ります。現在、栃木市に江戸で曳行されていた当時の原型を保つといわれる欄間形式の山車ありますが、それと並んで、伝統的な囃子台欄間型の江戸型山車の優美さを伝える、文字通り絢爛豪華な山車です。        

 JR成田駅で配布されていたパンフレットの表紙は、280年の歴史を誇る初夏の風物詩「成田祇園祭」となってました。実際に新勝寺の大本堂で行われた護摩に参列して、境内の内外の参拝者の数の多さに驚きました。単に唯、御輿や山車を観覧に来るだけでなく、不動さまへの参拝の人達が沢山おることも判りました。"成田市=成田山"と云っても過言でない中での成田祇園祭なのです。名刹「成田山新勝寺」の大きな法要である「成田祇園会」の一環としての成田祇園祭は、成田山新勝寺の御本尊不動明王の本地仏である奥の院に祀られている大日如来に捧げるお祭りなのです。

 3日間の奥の院開扉と大本堂での特別大護摩などの祭事諸行事のひとつとして、新勝寺所有の御輿と10台の山車、屋台の巡行が行われるのです。祇園会の一行事といっても差し支えないのです。しかし、山車屋台の巡行が、成田祇園会の中心的な行事のひとつであることは間違いないでしょう。

 祇園会初日に、御本尊大日如来は、普段、安置されている光明堂から本堂庭の仮屋へ移られた後、駅東口脇の権現社の御旅所へ渡御し、翌8日に堂庭の仮屋へお移りになるとのこと。その渡御する御輿の列が参道の坂を登って来きました。古式豊かな白装束の担ぎ手に護られた御輿も格式がありました。

 薬師堂前からの坂の参道を下り切る付近で、別の山車の巡行に出会いました。豪華仕立ての幸町の山車でした。

 

 幸町の山車は、ページの冒頭でご紹介した田町の山車と同型の"二重高欄"形式の山車です。田町の山車との大きな違いは、正面の舞台の屋根が破風式屋根でなく、金箔張り彫刻と漆塗りで飾られた欄間形式であることです。この欄間形式は仲之町の山車とそっくりです。実は今回の訪問では現物が見られなかった土屋の山車と囲護台三和会の山車が、祇園祭の案内パンフレットの写真で見ますと、丁度この幸町と同形式の"二重高欄"で正面の屋根の部分が欄間形式の山車になってます。つまり整理しますと、成田式の"二重高欄"形式の山車は、正面の舞台の上が、破風式屋根(田町)か、彫刻欄間式(幸町、土屋、囲護台)かの2系統になっている、と云えます。

 この"二重高欄"形式の山車の構造の特長は、
@屋台の舞台と同じ広い板の間があって、大勢のお囃子連が収容できる。佐原囃子に代表される下総地方のお囃子は、笛、太鼓、摺り鉦など、大人数であることからの必要性から考えられた様式かも知れません。

A上下に伸縮する鉾台はないが、後部に鉾台に擬した高欄(二重高欄)を廻して、人形が上下に迫り上がれる様な仕掛けになっている。これは、やはり関東人には江戸の華であった人形のある江戸型山車への憧れの様なものがあって、屋台と山車を折衷した形式が、特に江戸近辺で多く造られたのではないかと思います(八王子などの都下に、この種の折衷型が多く現存)。

B人形と二重高欄以外の構造は屋台仕様でありながら、ともに外観が、屋台でなく、むしろ、山車の様に見えるのが"二重高欄"形式の山車の不思議な特長です。 

幸町の山車の写真です。外観はあたかも二層の構造の様に見えますが、内側は天井の高い一階だけの舞台式の部屋です。この部屋に太鼓を積み込み、笛、鼓、鉦などの大勢の囃子連中が乗り込みます。この写真で、幸町の山車の後部の舞台の天井に設置されている人形を上下する仕掛けの様子が判ります。


 幸町のお囃子を、"動画" MPEG-1(926KB) で、視聴できます。Windows Media Playerが必要です。
マイクロソフトが提供しておりますこのWindows Media Playerは、最近のWin OSには付属しておりますが、無い方は、マイクロソフトのサイドからダウンロードして下さい。無償です。
この浴衣の囃子手の画像をクリックしますと、動画が再生します。クリックの後、ダウンロードに数分掛かりますが、やがてMedia Player が現れ、お囃子の動画が始まります。静止画と違って、臨場感があります。幸町のお囃子は、さわやかな軽快なテンポで演奏され、小気味よい笛の音がお祭りの雰囲気を盛り立ててくれます。祭り狂には最高です。

 田町の囃子(RealAudio 124KB.1分) や上町の囃子(RealAudio 124KB.1分) でも、この同じ囃子を演奏してました。平成9年の佐原の秋祭りを見聞した際、耳にした囃子の音でしたので、帰宅して調べたら、"あんば"と判りました。佐原囃子系の囃子が下総各地の祭りで演奏されるているとの話を聞いた覚えがありましたが、そのことを成田で実感しました。 

 田町、上町とも大変、威勢のいい山車の曳き廻しで、元気な曳き手衆でしたが、音頭取りの棟梁のハンドマイクを使っての掛け声が大きすぎて、折角のお囃子がかき消されしまったのは、如何なものか。ハンドマイクは祭りには似合わないのでは・・。あくまでも、掛け声は生の声がいい。

 平らになった参道を進むと、成田山新勝寺の門前に出ました。左側は、成田山の大きな山門の仁王門への入り口で、右手側に信徒会館です。会館前に、これも華麗な2台の江戸型山車が整列待機しておりました。新勝寺自前の成田山公道会の山車と、本町の山車でした。人形と二層目の鉾を一層目の鉾台に収納した状態ですので、完全な姿でないのが残念でした。構造様式は、既に紹介した仲之町の山車と同じで、囃子台が欄間形式の江戸鉾台型山車です。両山車とも、漆仕上げの高欄、欄間に金色の彫刻金具が映え、金色の向拝柱の柱隠し彫刻と鉾台の精緻な刺繍幕など、贅を尽くした絢爛豪華な山車です。

 成田山祇園会のパンフレットの行事日程表を見ましたら、7、8、9日の内、私が訪問した祭り中日の8日は、JR駅脇の権現社で午前9時過ぎから行われた御輿の渡御法要行事の一環として、全町内の山車・屋台がJR駅前に集合整列しての囃子の競演が、8日のハイライトとして実施されたのです。

 言い訳けになりますが、今回の"成田祇園会"の見聞は、8日の正午過ぎからの半日足らずの見学でしたので、この日のハイライトは残念ながら、見聞できませんでした。電線などの障害物がある市街での巡行時では、山車人形や上鉾台を下げてしまってます。従って、どこの山車祭りでも、神社境内とか駅前での山車の叩き合い競演の時しか、江戸型山車の完全な姿は、写真撮影出来ないのが普通です。

 祇園会初日の午後2時からの成田山大本堂前庭で行われている山車屋台の総揃いか、最終日午後5時過ぎからの大本堂前での成田山貫首総見の時を狙って、来年もう一度訪問して、今回の見聞録の追録版として、ご紹介したいと考えてます。また、今回の訪問では東町の屋台も見学出来ませんでした。土屋、囲護台の山車と同様に、来年見学させていただきます。

 最後になりましたが、今回の成田祇園祭の見聞で知ったことで、是非ご紹介したいことがあります。それは、仲之町の山車の曳き手衆の大半が、JR東日本の法被を着た人達でした。その一人にインタビューしたところ、JR千葉支社の皆さんで、毎年お手伝いしておる、とのお話でした。いろいろの経緯があってのことでしょうが、大きなヒントになりました。私の住む高崎でも、町内の住民が減って、山車の巡行が出来なくなって、貴重な山車が山車倉に入ったままになっておる町内があります。山車を持たぬ町内からの応援も始まってますが、衣装などのことで、実際は思うようになってません。町の官庁、企業の人達がまとまって応援するのも、宣伝にもなるし、市民町民からも好感を持たれると思います。ご参考迄にご紹介しました。

 とまれ、名刹成田山の門前町として発展してきた成田市は、品格品性を備えた活気のある観光都市です。来年の祇園会の見聞が今から、楽しみです。


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