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千葉 成田市

"成田祇園会(ぎおんえ)"

平成11年 7月7日(水)、8日(木)、9日(金)


 十年を一昔と云えば、もう、ふた昔近くも前の年初めに、成田山新勝寺へ団体で、初詣に行ったのが成田市訪問の最初で、その後もう一度、何かの機会に成田詣でをした程度でした。その時には、成田の山車のことは知りませんでした。近年になってインターネットとお付き合いが始まってから、成田市のホームページにアクセスした際、成田市には豪華な山車と屋台があることを知ったのです。それで、今年の山車見聞の予定の中のひとつにリストしてありました。

 「成田」と聞けば、日本人なら誰しもが日常、聞き慣れている言葉で、直ぐにわかります。特に、関東地方の人たち、なかでも江戸、東京の人達から"お不動さん"と親しまれている成田山新勝寺は、初詣の様子や有名人の年男やお相撲の力士さん達の節分会の豆まきの様子が、必ずTVや新聞で報道されております。典型的な門前町の成田市は、同時に国際都市でもあります。日本の首都の玄関、成田国際空港の街でもあります。
そして、縁有って、この見聞録の作者は、群馬県高崎市の、同じ不動明王を祭る成田山の分院がある成田町に生まれ育って、今に至ってます。

 都心経由で成田へ行くには、東京駅からJR総武本線か常磐線、私鉄の京成線を使うのが一般的です。東京駅から総武本線の「快速エァーポート成田」に乗りました。

 

 
 JR成田駅前広場には、山車一輌が休憩、待機してました。
一見して江戸型と分かる立派な山車で、飾り金具と漆仕上げの重厚な大きい唐破風の屋根に覆われた広い囃子台と、人形が乗った上鉾台を納めた下鉾台も大型で、欄間の黒漆に擬宝珠高欄の朱色が鮮やかに映えて、幕の昇龍と波濤は躍動飛翔して、重量感のある豪華な花崎町の山車でした。
 山車の正面に大太鼓、小太鼓を据えるのが江戸型の一般的な囃子の形ですが、この花崎町の山車は、太鼓は囃子台の奥に据えて、囃子台の正面にも笛や鼓の大勢のお囃子衆が、正面を背にして演奏します。

 そうなったのも、お囃子が佐原囃子だからかも知れません。

 このMapは、7月8日にJR成田駅で配布されていた"成田祇園祭"のパンフレットの中の案内図を参照して、作成したものです。青字の町名は、祇園会で山車屋台を出している町名で、位置は概略です。

 町名をクリックしますと、山車・屋台の紹介画面になります。ここで、お断りしておきますが、囲護台、土屋の山車と東町の屋台は、当日、作者は見られなかったので、この三台の画像と山車・屋台の由来は、JR成田駅頭で配布された(社)成田市観光協会発行の「成田祇園祭」の観光パンフレットの紹介記事をそのままコピーしたものです。来年、自前のものを掲載します。次ページで、成田市の山車の構造を紹介したいので、全山車の画像が揃ってないのでは不都合なので、敢えて、この処置をしました。

 駅前の通りを左に進むと成田山に至る商店街の表参道です。道の両側は、土蔵造りの漢方薬店や成田名物のようかん、手焼きせんべい、鉄砲漬、川魚の佃煮、地酒などの土産屋さん、見上げるほどの大きなウナギの看板を掲げた蒲焼屋さんや、旅情をそそる旅籠風の旅館や土産屋さんが、びっしりと軒を並べる門前町ならではの眺めでした。

 町並みを暫く進むと、お囃子の音と音頭取りの掛け声が聞こえてきました。気分が一挙にお祭りモードとなり、音の先を見ますと、参道の前方右手奥に山車の先端が見えてきました。その先から参道は少し右へカーブしながら、成田山方向へと降り坂になるのでした。丁度、その坂道のを山車が登って来たのでした。参道の左側は石垣となっていてその上に見物の観客が沢山おりました。


 駅前で貰った観光案内図には、その場所は薬師堂と記されておりました。成田山新勝寺方面から参道を登って来る山車を観るのには好都合の場所でした。堂の脇の
案内板には、薬師堂は三代前の本堂であって、新勝寺に現存する建物で最古のものと書かれてました。

 手古舞姿の可愛い女の子がカチンカチンと金杖を響かせながら先頭を進む後に続いて、威勢のよい掛け声が響く中、山車が姿を現わしました。         

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