Sory,Japanese only.


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埼玉 所沢市

"ところざわまつり"

「ところざわまつり」は、"商工祭"なのです !

 
 お腹に響くロックミュージックと歌手の大きな唄声や、鼓笛隊や吹奏楽団のパレード音楽の音に混じって、山車囃子の軽やかな太鼓と笛の音、そして、元気な神輿の掛け声が、秋晴れの所沢の目抜き通りを次々と行き交います。
 銀座通りの祭り本部に掲示された商工祭のスケジュール表には、正午を期しての開会式から、最後のサンバーカーニバルの打ち上げ迄の数々のイベント毎に、開催時間と場所などがギッシリと書き込まれてました。

 鼓笛隊、吹奏楽団、バトントアラーのパレード。民謡流し踊り、響き太鼓。子供みこし、ご婦人だけのざわ神輿、大人みこしの和ケ原神輿、弓友会神輿などなど、盛り沢山のイベントです。

所沢の山車 10台の"曳っかわせ"観戦記

 山車の引き回しは、銀座通りの金山町交差点方面からスタートした西組の山車と、ファルマン通り交差点方面からの東組の山車とが途中で行き交う際に、丁々発止のパフォーマンスが取り交わせられる"曳っかわせ"が、何といっても見せ場となります。それぞれの囃子の舞台を、対抗する山車へ向け、囃子の叩き合いをします。互いに相手の囃子のリズムに釣り込まれぬように叩き合うのです。

 統一行動の巡行で、西組6台、東組4台の10台の山車での"きっかわせ"は、4×6 の 24場面(帰路の出会いも考えると、もっと増える)になりますが、残念ながらその全場面の画像が揃いません。この3画面だけで、当日の"ひっかわせ"の様子をご紹介するには、誠に物足りないのですが、お許し下さい。

 何せ、次々と出会う相手の山車に対し、先手を打つたお囃子衆の力強いバチさばきで相手のリズムを狂わせ、翁やお多福の面々は、おかしい仕草で相手を笑わせて、如何にこちらのペースに巻き込むかの作戦、獅子や白狐は、身振り手振りの素早いアクションで相手を威圧して、ひるんだ相手がこっちのペースになったら、こちらの勝ち。取り巻く観衆は、そのやりとりに引き込まれてしまいます。
 元町(本町)と寿町のひっかわせ。
 以下全ての画像、クリックしますと、拡大します。

 "ひっかわせ"は、山車の上に乗った連中だけでなく、綱を持つた曳き手連中も大活躍します。曳き手衆のカラフルな着物衣装をまとった御婦人連が、手に手に持った扇子を手首を返しながら、ひらひらと波打たせて、金切り声の大きな声援で相手を圧倒しており、勝負は、この曳き手衆の頑張りのある方が優勢になってます。所沢の全山車に共通してますが、曳き手衆の男女とも、衣装に凝っていて、祭りの演出が上手です。山車の巡行は、山車そのものの豪華さも魅力ですが、囃子手、踊り手、舵取り、曳き手の支度衣装も大事です。

 星の宮と日東町のひっかわせ。元気でテンポのよい日東町のお囃子をお聴き下さい。185KB 90秒 realplayer 

 
 午後4時過ぎ頃から始まった統一行動の山車巡行で、「ところざわまつり」は最高潮を迎えました。高層マンションが立ち並ぶ所沢銀座通りは、歩道から車道に溢れた大勢の観客と、山車の曳き手で身動き出来ない程の人出となり、祭本部前を通過する山車を紹介アナウンサーのウグイス声も一段と高まり、繰り返される迷子探しの放送など、人混み整理のお巡りさんも汗だくでした。
 旭町と星の宮のひっかわせ。

 江戸時代は天下祭りと云われた東京の祭りは、山車が無くなって、神輿だけの祭りになってしまいましたが、例年、ものすごい観客の人出でとなるそうです。大都会であっても、誰もが祭礼には郷愁があるのでしょう。ここ所沢の「ところざわまつり」も、浅草と同様に、大勢の人々が山車や神輿に心が惹かれて集まって来られるのでしょう。科学技術の先端を行く都会生活であれば尚一層、心を癒してくれるお祭りに、誰しもが魅力を感じられるのかも知れません。そにしても、驚く程の人出で、圧倒されました。

 今年の「ところざわまつり」には、新井町と有楽町の山車が出場してません。有楽町の山車は、所沢市のホームページに、市の指定文化財として、御幸町の山車と一緒に紹介されてます。新井町は居囃子を披露しておりました。今年は何らかの事情で、山車は出せなかったのでしょうが、自分たちの山車囃子を演奏して、祭りを賑やかして、自分たちの町名の存在をアッピールする心意気に敬服します。
 所沢の故事を載せた文献によりますと、所沢には幕末から明治初期にかけて、いわゆる重松流(じゅうまりゅう)の山車囃子を近県に広めた古谷重松の存在が大きかったようです。所沢町の鎮守 神明社の秋の祭礼(9月15日)時には、数町内で山車が曳行されていて、その当時から演奏されていた重松流囃子は、今の「ところざわまつり」ばかりでなく、入間、飯能、川越などの山車囃子の主流になっています。

 西所沢の山車の隊列の先頭に、大きい万度(まんど)が3本、掲げられておりました。他の山車には無かったものです。所沢の故事を載せた文献によりますと、本来、所沢山車まつりの山車巡行時の隊列は、先頭の実行委員から、末尾の救護係まで、「山車の編成」として、決まっていたようです。先頭は、町内会長、副会長で、その後ろに万度係、その次が木遣り連、そして拍子木係、子供万度、手古舞、綱係、拍子木係、梶切りと、細かく規定されていました。江戸の祭礼に模した内容と、思われます。

 日本調の粋な絵の描かれた西所沢商栄会の万度でした。是非、他の町も実施して、所沢の山車の伝統として、続けて貰いたいものです。

 西暦2000年は、所沢市制50周年の記念すべき年です。当然、「大祭」として、12台の全山車が出場することになるでしょう。祭礼の規模も当然、普段より大がかりなものになるでしょう。何といっても、盛留を掲げた指定文化財の山車が、観覧したいものです。是非、関係各位のご尽力をお願い申し上げます。


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