東京都と隣接する所沢市は、所沢インターで関越自動車道、国道16号経由で中央自動車道につながる至便な物流環境になっております。
本社を所沢駅東口に構える西武鉄道は、南埼玉から都心一帯に、隙間なく敷いた鉄道網とバス路線で、地域住民の日常の生活はもとより、都心への通学、通勤を容易かつ便利なものにしております。そして四季を通じて自然が豊富な多摩地域へ、多くの観光客を呼び寄せ、フランチャイズを所沢に置くプロ野球球団を傘下に持つことは、どなたもご存知のことです。ですから、"所沢"と聞くと、直ぐに球団の名前が頭に浮かんでしまうのは、私だけではないと思いますが、皆さんは如何でしょうか。
今回の見聞録の取材で訪問した所沢市は、このような環境のなかで発展して来て、丁度、西暦2000年に市制50周年を迎える血気盛んな"若い都市"なのです。
山車見聞録の取材には、今までは近くであっても鉄道の乗り物を使うようにしておりました。訪問先の市町の玄関は、鉄道の駅が普通でして、祭礼の時などは特に、駅のロビーや駅前通りの飾り付けなどが祭りの雰囲気を盛り上げてます。そんな様子を見るのが嬉しいのと、どこの市町でも大概、祭りの案内パンフレットを駅頭で配ってますので、それが欲しい為です。
今回の所沢訪問はマイカーで出掛けましたが、祭礼時の街中の交通規制や駐車難を想定して、所沢市へは車で直接入らずに、隣町の狭山市入曽(いりそ)で車を預け、西武新宿線入曽駅から電車に乗り、所沢駅へ向かいました。余談ですが、訪問した10日の2日後に、この乗車した駅近くの西武新宿線でトレーラーの踏切事故がありましたが、その時でなくてよかったと思ってます。
駅頭で、所沢まつり特集と印刷された民間の発行の「所沢ニュース」と、商工祭本部発行の催事スケジュール一覧表と山車の引き回しで車輌通行止めとなる中心街の街路地図が載った「ところざわまつり」の案内パンフレットが手に入りました。
「所沢ニュース」によりますと、明治初期に山車の曳き廻しが行われ始め、後期頃から所沢神明社の秋の祭礼に各町内から山車が集まった。
戦後は、昭和25年の市制施行祝典での祭礼時に、市制施行から3周年目の昭和28年に実施した祝典の祭礼以降は、5年毎に山車まつりと呼ばれた「大祭」が行われ、山車が曳かれていたが、5年のスパンでは間隔が空き過ぎて、お囃子の後継者も育たないという意見が出され、商店街の活性化の目的も兼ねて、「大祭」の間に、商工祭「ところざわまつり」を実施するようになった、とのことです。今年は商工祭ですが、来年は市制施行記念の「大祭」になるのでしょう。
大手デパートと大手スーパーが向き合う駅西口前のロータリー左隅には、特設ステージが設けられて、そこから大きなロックのリズムが響いておりました。祭りスケジュール表の「駅西口ロータリーイベント」と書かれた項目には、笛、太鼓の居囃子ではなく、[ジャズ、ロックバンド] 12:00〜20:30 と、ちゃんと載ってました。さすが、若者の多い都市の祭りだからでしょう。
反対側のロータリー右手側は商店街で、その入り口のモニュメントが変わってました。現代彫刻を連想させる奇抜な形であるだけでなく、商店街の名前が銀座通りとかではなく、横文字でした。見た瞬間は、何て読むのかなと、思ったのですが、手元のパンフレットにプロぺ通りとあったので、解りました。
この "PROPE"の意味が何なのかは、家に帰って、このプロペ商店街のホームページを見る迄は、解りませんでした。
しかし、所沢まつりの飾り幕や幟旗が、商店街にびっしり飾られていて、流石 商工祭だなぁ、と、その意気込みと、日曜日の祭日でもあり、当然人出は多いのでしょうが、人通りの賑わいには驚きました。
プロぺ商店街は、道幅はそれほど広くありませんが、目障りな電線は見あたらず、道端や店前に空箱などが乱雑にごちゃごちゃと置かれてなく、すっきりと整頓されている綺麗な街並みでした。大手都市銀行、証券会社や大型店も軒を並べ、商店の構えも立派で、商品も豊富で、どの店も明るく、活気がありました。
最近は各地の商店街で、廃業でシャッターの閉まったままの店が多くなってますが、このプロぺ通りはそんな様子はなく、商売繁盛を感じさせる雰囲気で一杯でした。駅前のロックのリズムや都心の渋谷を連想させるセンスの佳い街頭に、大勢の人達が集まってくるのでしょう。いやぁ、こんな商店街もあるんだと、内心驚きました。
"さぁ、いよいよ山車とご対面だ!"