屋台の中では、4、5人の囃子衆が、笛、太鼓を盛んに演奏しておりました。テンポの速い軽快なお囃子(RealAudio 30秒 154KB)は、埼玉南部の入間、飯能、川越の仁羽(にんば)、栃木、鹿沼のお囃子に酷似してます。これらの地域と烏山とで、何らかのつながりがあったのかも知れません。
先着300名の列に混じって、烏山町名産のうどんのプレゼントをありがたく貰いましたが、その天幕の場所は、烏山町観光協会の数人の係員が「山あげ祭」のパンフレットを配布したり、烏山の民芸品や特産品を販売している場所でした。「山あげ祭」は、本で読んだ以外は、見るのは初めてなので、どんな祭りなのかと、ひとりの係員に尋ねたところ、たいへん親切にいろいろと教えて呉れました。その時の説明と頂いたパンフレットで、「山あげ祭」の様子が概要、理解できました。
パンフレットによりますと、今から450年も前の昔、疫病消除、五穀豊穣を祈願して、永禄三年(1560年)に、烏山城下の八雲神社に、鎮守牛頭天王(素戔鳴命 すなのおのみこと)を祀った。この神社の祭礼には、当初、奉納余興として、相撲や神楽獅子舞などが行われていたが、次第に踊りが演じられるようになって、元禄期には狂言が行われ、宝暦年間には常磐津の勃興から、江戸歌舞伎舞踊が盛んになり、烏山でも本格的歌舞伎舞踊が取り入れられ、同時に舞台装置や舞台背景も、「山あげ」により大規模になり、江戸末期には、こんにちのような全国でも類似を見ない絢爛豪華な野外歌舞伎の形態になったのだそうです。烏山町のガイド嬢による「山あげ祭の紹介」の音声です。RealAudio 70秒 358KB.
この「山あげ祭」の野外歌舞伎に似た祭礼の屋台芝居として、現存するものに、夜祭りで有名な秩父まつりの屋台芝居があります。秩父では、屋台上の舞台で歌舞伎を上演します。秩父まつりの「屋台曳き踊り」と「屋台芝居」は、「山あげ祭」と同様に、国指定重要無形民俗文化財です。巡行中に、任意の所で行う「屋台曳き踊り」は、屋台上の舞台で行われますが、「屋台芝居」の歌舞伎は、据え置いた屋台の左右両側に、袖と呼ばれる張り出し舞台を増設し、屋台上の舞台と合わせた広い舞台の上で、観衆に歌舞伎を披露しています。平成10年 秩父まつり 当番町の上町屋台の「屋台芝居」の画像です。演目は、秩父歌舞伎のひとつの 白波五人男でした。
屋台の両袖に舞台を増設して、屋台の舞台上での上演にこだわった秩父とは対照的に、烏山の「山あげ祭」では、屋台の舞台は、形式的に残し、独立した大型の舞台を野外に設置し、多種多様な舞台背景を配置したスケールの大きい歌舞伎芝居の形に変化していったものと、考えます。烏山でも、元は、今の秩父の「屋台芝居」と同じように、屋台の上で上演していた踊り芝居から、常磐津の興りで、江戸で歌舞伎舞踊が盛んになり、烏山でも本格的歌舞伎舞踊が取り入れられ、いつしか舞台が外に出て、その舞台を飾る背景として、山や川の波などの舞台装置が考えられ、広い舞台で、動きのある舞台演出が考案されて、今に至ったものと、推察します。烏山町の踊り手とお囃子衆の紹介のアナウンスの声をお聴き下さい。RealAudio 50秒 256KB.
お囃子を演奏している屋台を、「山あげ祭」では「向拝(ごはい)」と呼んでます。御拝とも書きますが、一般的に、神社仏閣の拝殿正面の、突き出た廂(ひさし)のある階段部分を、向拝(ごはい)と呼びます。神社、仏閣の廂(ひさし)は、破風の付いた豪華な屋根です。それ以上に、彫刻や金箔、飾り金具で飾られた屋台や山車の屋根は一層豪華です。従って、屋台や山車の前正面の二本の柱を、向拝柱(ごはいばしら)と呼んでます。 ですから、屋台そのものを、向拝(ごはい)と呼んでも、何らおかしくもありません。
「山あげ祭」では、向拝と呼ばれる屋台の意義が大きく変化して来たことが分かります。屋台は、所作(しょさ 踊り芝居)を行う舞台ではなく、舞台背景としての存在感が大きくなってます。所作の無いときは、休むことなくお囃子を奏でて、祭りの雰囲気を見事に醸し出しております。そして、黒の漆塗りに飾り金具が映え、豪華な彫刻や極彩色に彩られた花鳥で飾られた唐破風の屋根や、みごとな彫りの龍が巻き付く向拝柱などは、舞台の雰囲気づくりに無くてはならない思いがします。
「山」は、所作の背景で、観客の前に据えられた舞台(踊台、地車じんぐるま)から、道路上約100メートルの間の一番奥に、大山(おおやま)が置かれ、中山(なかやま)、前山、館(やかた)、橋、波など遠近よろしく配置され、所作の実演中は、その進行に合わせて、木頭(指揮者)の拍子木を合図に、一斉に背景の山を千変万化する仕掛けが工夫されております。そして、よく訓練された100名以上の若衆達が、一糸乱れぬ団体行動で裏方を勤めます。所作狂言は、常磐津の三味線にのって、美しい衣装を着けた町の踊り娘(こ)達が、舞いを披露します。全国でも類のない絢爛豪華な野外劇を演出するのです。昭和五十四年、国の重要無形民俗文化財に指定されております。