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三区・橋場町の踊り屋台の組立の様子

JR高崎線新町駅前の国道17号を横断して、暫く直進しますと、"新町駅入口"の標識の交差点になります。そこを右折し、100mほど進みますと、左側に"行在所公園(あんざいじょこうえん)"があります。

この公園は、明治天皇が明治11年8月から11月にかけての北陸、東海地域のご巡幸の途中の9月2日に、新町に宿泊された施設があった場所だそうです。この公園に、三区橋場町の祭典事務所が置かれております。

公園内では、橋場町の踊り屋台の組立、飾りつけが始まっておりました。左右の画像をクリックしますと、拡大します。左上の←で、お戻り下さい。

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右の画像は、行在所公園内で飾り付け中の橋場町の踊り屋台です。2百メートル程、離れたところの於菊稲荷神社の隣りの3区屋台庫から、公園へ曳き出されたばかりの屋台です。屋根の覆いのシートを外して、外してある屋根の鬼板や飾り金具、刺しゅう幕などを順次、取り付けます。
画像をクリックしますと、拡大します。左上の←で、お戻り下さい。

踊り屋台正面の左右の向拝柱(ごはいばしら)には、見事と申し上げる以外に表現のできない昇り竜、降り竜の彫刻が、橋場町の踊り屋台を観る人達の眼を釘付けにします。右が昇り竜、左が降り竜です。龍をクリックしますと、拡大しますので、彫りの細部迄ご覧になれます。

「新町史」の記述に、「明治16年、東京上野より新町まで鉄道が開通することになり、開通記念の大祭を開催 するため、新町各町内が活気づいた。前年の15年に仲町が人形山車、橋場町が踊り屋台を、同時に新調したほか、各町内もそれぞれ屋台を調えた」とありますが、新町の町中を流れる神奈川を国道17号(中山道)で渡ると埼玉県本庄市、JR高崎線では新町駅から上り二つ目が本庄駅ですから、新町と本庄の両町は、明治16年の鉄道開通は全く同じ出来事、慶事であったわけです。

絵守すみよし著"原舟月三代の記"に、舟月は「明治15年(1882)には、埼玉県本庄市の宮本町の人形山車を請け負い、人形は「日本武尊」(山車とともに現存)で、山車上段の四方幕は雲龍図を三代目が描き、神田玉亀が刺繍している」と、あります。

鉄道開通を待つ沿線の町、村の住民にとっては、生涯の最高の慶事であって、祝賀祭りの山車・屋台の新調を競っていた様子が伺えます。三代記によれば、本庄の宮本町の世話役と舟月との間で取り交わした山車作製依頼の契約書や、山車製作に関わる書簡がいくつも現存しており、その中に8月22日付けには、当年の祭に山車を間に合わせるため、舟月が手抜きをするのではとの本庄世話人の心配に、舟月が手抜きはせずにご注文通りに造る、と応えているほどで、隣り同士の新町と本庄は競って祭りの準備をしていたのではと、想像できます。

明治15年に、新町仲町の人形山車と踊り屋台の製作を同時に、時の名士、三代目原舟月が請け負ったという事実を考えると、当時の新町の町民の生活基盤の蓄積の裏付けが想像できます。江戸初期からの有力宿場町で、蓄えもあったからと推察できます。

正面左右の竜の向拝柱(ごはいばしら)に支えられる唐破風屋根を飾る彫刻、竜の鬼板(おにいた・上)と鳳凰鳥の懸魚(けぎょ・下)です。
画像をクリックして、拡大画像をご覧ください。左上の←を押して、お戻り下さい。

台輪・台座は堅牢な仕上げになっており、囃子台を囲む側板の飾り彫刻は精緻です。
"轅・ながえ"を操作して、方向を変えます。轅はピボット式ですから、左右の方向転換が容易です。明治初期の踊り屋台としては、先端を行く形式です。クリックして、拡大してご覧下さい。

橋場町は、宮本町、仲町との三町で、"上三町"と呼ばれた。江戸中期より明治・大正へと、例大祭時には三町は交代で旅所を設け、新町八幡宮神霊の御座する神輿の渡御、還御の列にご奉仕をしておりました。橋場町の踊り屋台の町名額と八幡額は、前面の舞台と楽屋との仕切りとなる格子戸の上の欄間に掲示されております。
画像をクリックして、拡大画像をご覧ください。左上の←を押して、お戻り下さい。

舞台を囲む高欄、脇障子、格子戸、欄間、天井絵図の調和の取れた舞台の眺めです。

踊り屋台の前部の舞台と後部の囃子座を区分する格子戸です。左右の脇障子と相まって、屋台の間取りを決める役目があります。

屋台が"踊り屋台"と呼ばれるのは、祭礼時の寺院参詣者、参拝者への余興として、往来の辻々で、舞踊を始め、鬼面、ひょっとこ面などの仮面踊り、水芸などを披露しのが屋台の目的でした。

それらの芸能は屋台前面の舞台で行われ、琴、三味線、笛、太鼓の伴奏は、格子戸で仕切られた背面の隠し部屋で行われておりました。現在は各地のほとんどの踊り屋台が舞台での芸能はやらず、楽屋の楽器を舞台に移して、舞台でお囃子の披露をするのが普通になっております。但し今でも、秩父市、所沢市などの埼玉方面の祭礼屋台では、舞台で芸能が行われてます。

管理者は、平成15年5月25日に行われた善光寺御開帳奉賛の弥栄神社(やさかじんじゃ)の祭礼を見聞しました。右の画像は、その時の長野市西後町の踊り屋台の画像です。屋台前部の舞台のご婦人は善光寺拝殿前の広場で舞踊を披露しました。レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、動画をご覧下さい。この日、出場した八台の踊り屋台が舞踊を披露しました。画像も拡大します。

250kbps 320×240 pixel 30fps

脇障子は、舞踊を披露する屋台の前部の舞台と、後部のお囃子座とを区別する格子戸の左右に位置する彫刻の衝立です。右画像の赤白の太い棒は、大太鼓を載せる台です。

さぁ〜! 一、二、三区の"上三町"の巡行開始だ!

平成25年8月11日(日)午前10時、"新町ふるさと祭り、山車まつり"の開始です。この日、管理者は車でなく、新町駅を降り、徒歩で、一区、二区、三区の祭典本部へ向いました。晴天、朝から気温は三十度超え、文字通りの暑い夏祭り日和になりました。一区・宮本町の祭典本部の在る新町八幡宮の境内では、宮本町の踊り屋台の飾り付けをしておりました。二区・橋場町の祭典本部は行在所公園(あんざいじょこうえん)"です。前日の夜遅くまで、山車、屋台の組み付け、飾りつけなど、翌日の巡行の準備を行った二区、三区の皆さん、晴れやかな祭衣装に身を調えて、二区は仲町公民館の隣の駐車場、三区は"行在所公園内"に集合しておりました。


一区・宮本町の踊り屋台は、新町八幡宮の境内に在る屋台倉から曳き出されて、静寂な濃い緑の環境の中で、朱色の屋台が組立てられておりました。

レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、動画をご覧下さい。宮本町の巡行の様子をご覧下さい。

正装の整った二区の人形山車の晴れ姿です。
先端に榊を載せた幟(のぼり)が屹立し、華麗に縁取りされた三味線胴の句欄に囲まれた露台には、幼帝応神天皇を抱える武内宿禰が鎮座し、上段の重厚な刺繍の四神の四方幕と下段の大幕、高い台座の腰幕は、均整の摂れた背丈のある山車姿を演出して、観る人を飽きさせません。

正装の整った三区の踊り屋台の晴れ姿です。二区の人形山車とともに、人形師三代目原舟月の作です。

技術に優れた医師・画家などに与えられた五位の位階に相当する法橋に任じられ、祭礼曳き物の設計・製造に秀でて、江戸ばかりでなく、江戸・東京周辺の町・村から引っ張りだこだったという人形師三代目原舟月が、同時期に手掛けた秀逸の2作品を、正に眼前にして、その素晴らしさに、管理者は感無量でした。画像をクリックしますと拡大します。←でお戻り下さい。

三区・橋場町の踊り屋台です。画像をクリックしますと拡大します。←でお戻り下さい。

二区・仲町の人形山車の後ろ姿です。隣りの小型山車は氏子町内巡行の為に造られ、人形山車が通れない小路を専門に巡行します。クリックしますと拡大します。←でお戻り下さい。

二区、仲町の人形山車の巡行開始だ!

二区・仲町の人形山車出発式で、お祓いの儀を奉仕下さる"於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)"の神主さんです。

前日の山車組立時に、仲町区長さんのお計らいで、管理者は於菊稲荷神社の神主さんから、新町の江戸期から明治に掛けての祭礼の様子をお聞き出来て、このホームページの構成にお役に立たせて頂いております。

於菊稲荷神社には、高崎市指定文化財の 水屋が有名です。

同じく、於菊稲荷神社には、高崎市指定文化財の絵馬の 武者絵が有名です。

そして、於菊稲荷神社には、高崎市指定文化財の絵馬の 遊女参詣も有名です。

二区・仲町の人形山車は、祭本部の仲町公民館を出発して、県道中島・新町線を東へ巡行、三区・橋場町の祭本部の"行在所公園"前にて、お囃子のご挨拶披露。

レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、仲町の人形山車の巡行の様子をご覧下さい。

県道中島・新町線の新町郵便局前交差点の手前迄進み、台座の底の車軸に自動車用のジャッキを当てて、車輪を少し上げて、山車を180度方向転換してました。

レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、仲町の人形山車の巡行の様子をご覧下さい。


仲町の人形山車は四輪固定ですから、台座の正面に並行して突き出た舵棒を左右へ強く押し出して、進路変更をしますので、道路面に車輪の擦り傷跡が残ってます。

長身の祭礼曳き物とは云えば、京都祇園祭の鉾が思い浮かびます。中でも生き稚児(人形でない稚児)を乗せ、常に巡行の先頭に立つ長刀鉾(なぎなたぼこ)の高さは、地上から長刀の先端迄でが21.7mです。

新町2区・仲町の榊の幟を立てた人形山車は、長刀鉾よりは背丈が低いにしても、榊の幟を立てたフル装備で巡行可能なのは、新町では新町駅からの県道新町停車場線の群馬銀行新町支店のある四つ角迄です。他の道路では、人形は胸位迄、上鉾枠の中へボデーを沈め、上鉾枠自体も半分程、オダマキを使って、下鉾枠の内側へ降しております。


三区、橋場町の踊り屋台の巡行開始だ!

橋場町の巡行出発式は、橋場町の祭典本部のある"行在所公園(あんざいじょこうえん)"で、行われておりました。正装飾りつけの整った屋台の前に立つ区長さんを囲んで、組頭から巡行の予定内容を聞く祭姿の町の人達。区長からの檄の言葉を相図に、出発しました。

屋台の脇に、荷台が飾りつけされた軽トラックがありますが、これは屋台が通れない小路に入って、三区の氏子挨拶巡りを行う小屋台です。

三区・橋場町の踊り屋台は、祭典本部を出発して、新町駅入口交差点(群馬銀行支店の角)を左折し、県道新町停車場線を駅方向へ巡行。良く鍛錬されたお囃子は響きも揃い、曳き手衆もテキパキと動いておりました。
上のレンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、橋場町の踊り屋台の巡行の様子をご覧下さい。


上のレンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして下さい。平成24年9月9日(日)に開催された"高崎お囃子大会"に出場した橋場町屋台囃子保存会の皆さんの舞台での演奏がご覧になれます。

四区から十区の踊り屋台

平成25年(2013)8月11日(日)午前9時半、JR新町駅下車。"新町ふるさと祭り・山車まつり"は、前日同様に晴天、上三町の祭本部の訪問、朝からぐんぐんと気温が上がり、申し分の無い絶好の夏祭り日和になりました。 山車、屋台の巡行出発を前にして、祭本部では祭衣装に身を包んだ皆さんが談笑し、華やいだ明るい雰囲気につつまれておりました。

二区、三区は近いので、様子を見ながら、三区の本部へ行ったり、ニ区へ行ったりの往復を何回かしながら、途中で一区の本部のある八幡宮、宝勝寺にも寄って、取材をさせて頂きました。二区、三区は小型の山車での町内氏子巡りの支度も完了しており、出発式が終われば直ぐに出発できる体制でした。


ここで、お詫びを申し上げます。11日の祭本番を迎える午後3時過ぎになって、管理者は二日続けての酷暑に身体が耐えきれず、残念至極でしたが、夕方からの夜の山車、屋台の巡行を拝見することを断念して、帰宅しました。ここから掲載します踊り屋台の画像で、四区の画像は四区の倉林区長さんから、祭礼終了後にご提供頂いた今年の四区の画像です。それから八区の画像は管理者が今年、撮影したものですが、五区、六区、七区、九区、十区の画像は、前の前の平成21年の新町ふるさと祭り・山車まつりを管理者が見学をした際に撮影してものです。今回のお祭りで撮影した画像ではありませんが、このページで紹介させて頂きました。


四区の区長さんからご提供の四区の屋台の画像です。画像をクリックしますと、拡大します。
下のレンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックしますと、四区の笛木町屋台の巡行の様子がご覧になれます。

五区の踊り屋台、撮影は平成21年のお祭りの時。画像をクリックしますと、拡大します。

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六区の踊り屋台。撮影は平成21年のお祭りの時。画像をクリックしますと、拡大します。

七区の踊り屋台 撮影は平成21年のお祭りの時。画像をクリックしますと、拡大します。

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八区の踊り屋台です。管理者が帰宅の為、新町駅へ行く途中で、八区の笛木本町の踊り屋台の巡行を、ビデオと静止画で撮影しました。レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、八区の屋台の巡行の様子をご覧下さい。尚、左画像をクリックしますと拡大します。

九区の踊り屋台 撮影は平成21年のお祭りの時。画像をクリックしますと、拡大します。

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十区の踊り屋台 撮影は平成21年のお祭りの時。

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