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明治16年12月、新町停車場に"陸蒸気"開通!


1883年(明治16年)12月、上野・新町間の"陸(おか)蒸気"、鉄道が開業。群馬県で最初の鉄道の、新町停車場が開場。上野〜高崎間の高崎線が明治17年に全線開通した丁度一年前に、上野、新町間が一足先に開通したのです。

待望した鉄道が開通し、初めて汽車(陸・おか・蒸気)を見物する人々が近隣近在から新町に集まり、群集2万人が溢れて、町は祭り一色となった、と「新町史」に載ってます。この記念大祭を始めとして、町の鎮守の祭典や祇園には各町内から飾り屋台が引き出された。それら曳き物は神輿の御旅所への渡御、環御の行列に華を添えたことでしょう。

新町の"山車まつり"は、隔年の開催で、平成24年はお祭のない歳でしたので、平成25年に開催される新町ふるさと祭り"山車まつり"は、高崎線全線開通130周年を祝う記念の歳のお祭りとなりました。130年前の開通当時の上野から高崎までの九つ駅では、平成25年の7、8月に、それぞれ記念のセレモニーを行いました。新町は、ふるさと祭り"山車まつり"が行われました。

二区・仲町の人形山車の組立の様子

平成25年8月10日、午前九時から仲町公民館脇の商店組合の駐車場で始められた、仲町の山車の組立の様子を見聞させて頂きました。

平成24年11月に、二区仲町と三区橋場町の区長さんのお二人にお会いして、山車倉を見学させて貰い、新町山車まつりの様子をお聞きし、平成25年8月11日のお祭りの前日の準備の様子を取材させて頂くことのご了解を頂いておりました。画像、向って右の方が二区小森区長で、左の方が三区桜井区長です。二区仲町山車倉の前。

左の画像は、仲町公民館の隣の組立場所の駐車場に曳き出された山車の本体。この形で山車倉に収納されてます。二区の小森区長のお話ですと、"新町山車まつり"は、一日だけのお祭なのですが、準備は数日前から始めるそうです。祭り当日の二日前に、分解して収納してある山車本体を、山車倉から曳き出しますが、その幾日前には、事前準備に入り、大幕や四方幕、擬宝珠などの彫刻類や装飾部品は公民館へ移動して、組立当日に速やかに運び出せるように、段取りをするそうです。

右の画像は、山車の背面です。山車は車輪の付く台座の上に、外側・内側の二層式構造の鉾枠(ほこわく・鉾台とも呼ぶ)が載っております。固定された外側の鉾枠と、その内側を上下に動く鉾枠との二層式構造です。内側の鉾枠は、台座後部の「おだまき」の綱(ロープ)を、人力で巻きあげて、上昇、下降させることが出来ます。

「おだまき」を操作して、鉾枠を上げる様子を右下の「おだまき」の画像の脇に有りますレンガ色のアイコンをクリックしてご覧下さい。明治初期迄に造られた山車は、殆どがこのオダマキ形式です。

250kbps 320×240 pixel 30fps

レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、動画をご覧下さい。オダマキを操作して、鉾枠を上げ、下げする様子をご覧下さい。

源 義経の愛妾、静 御前の唄、「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」(歌意:おだまきのように、〜静、静、と繰り返し私の名を呼んだあの人の輝かしかった頃に、今一度、戻りたい)静御前は各地の人形山車の人形でお馴染です。

組立作業の始めは、鉾枠の先端の擬宝珠高欄の保護の為の晒し布を取り外す作業です。長い布ですから手間が掛ります。上の鉾枠に四方幕を提げるには、「おだまき」を操作して、鉾枠を上へ伸長せねばなりません。

山車の上へ伸ばした鉾枠の先端、擬宝珠高欄迄の地上高は8m。足場がどうしても必要。昔は丸太を荒縄で組んで足場を作ったので、大変な作業だったが、今は鉄パイプの組立式なので、足場作りが随分楽になったと、小森区長の話しておりました。

山車の正面の下から、上へ撮った画像です。囃子座の天井は無く、日除けの簾の子が張ってあります。この形式の山車は、江戸末期の天下祭りの山王祭では、大半の山車がこの形式を採用していたそうですから(作美陽一著「大江戸天下祭り」参照)、当時の流行の山車形式でした。

山車の正面から見た台座です。四輪固定の山車形式ですから、据え付けられた樫の梃子棒と車輛用のジャッキで、回転をしておりました。

<管理者より:本ページの管理者は、四神の知識に疎く、以下の"四神"の紹介内容は、http://karen.saiin.net/~soweiru/okaruto/o_top.htm管理人駒村レイコさんのページの記述をそのままコピーさせて頂き、転載致しました>
朱雀(すじゃく)
南を守護する聖獣で、四霊獣の鳳凰のこと。 普通は5色の羽を持つ美しい鳥ですが、江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では背丈が1m以上で、コウノトリ、ツバメ、ニワトリ、蛇、魚、オシドリ、龍などが混じり合った姿をしているとされています。 天下太平のときだけ出現し、鳥の王のような存在で、飛べば多くの鳥がその後に従って飛ぶといいます。 対応するのは、色では赤、季節では夏、朱夏、五行では火、方位では南、臓器では心臓、食べ物では苦いもの、環境では開けた土地。

玄武
北を守護する聖獣で、亀と蛇を合成したような姿をしていて、四霊獣の一つとされます。 五行思想で北は黒を表すため玄(黒)、甲羅を背負い防御に長けていることから武と呼ばれます。 古代の壺などではしばしば蛇を体に巻き付けた亀の姿で描かれます。 のちに真武玄天上帝という神になります。 対応するのは、色では黒、季節では冬、玄冬、五行では水、方位では北、臓器では腎臓、食べ物ではしょっぱいもの、環境では山や丘。

青龍
東を守護する聖獣で、姿は通常の龍と変わらなく、青い色をしています。しかし、古代の壺などに描かれている場合は、頭だけは白や黄色のものもあります。 平安後期の説話集「古今物語集」には、夢殿にこもって聖徳太子の魂だけが青龍に乗って中国に渡り、仏教の経典を取って来たという話があります。 対応するのは、色では青、季節では春、青春、五行では木、方位では東、臓器では肝臓、食べ物では酸っぱいもの、環境では川。

白虎
西を守護する聖獣で、白い虎の姿をしています。江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では虎が500才になると白虎になるといいます。白は五行思想で西の他、土も表すため土の精であるという説もあります。対応するのは、色では白、季節では秋、白秋、五行では金、方位では西、臓器では肺、食べ物では辛いもの、環境では大きな道。


青龍  仲町のせり上げされた上鉾枠の四方幕は、四神を現す東西南北の四面とも、洵爛たる総刺繍仕上げで、誠に重厚な見事な刺繍幕です。

身の丈6尺の武内宿禰人形を車載クレーンで釣りあげます。

レンガ色のアイコン"ブロードバンド"をクリックして、動画をご覧下さい。クレーン使用前は、足場を使って、天辺の高欄まで、人が自分の身長よりもある人形を脊負って持ち上げたそうです。

鉾枠の三味線胴の高欄で待ち受けた人が、人形をクレーンから受け取って枠内に設置しました。万一、落下でもしたら大変と固唾を飲む瞬間でした。



山車人形は、幼帝応神天皇を捧持する武内宿禰です。 吉江美太郎編著「新町明治百年史」(高崎市との合併前の多野郡新町役場発行)の記述の一部が、仲町公民館内に掲示されています。


「新町明治百年史」の記述で、三代目舟月は六尺丈の竹内宿禰人形を三体作っているが、その中で現存しているのは仲町の宿禰一体だけであると、述べてます。超一級品と思います。





吉江美太郎編 群馬県多野郡新町役場「新町明治百年史」の記述の中の、仲町の山車人形の部分が、仲町公民館に掲示されてます。


普段、人形は仲町公民館に安置されております。施錠された隔離部屋に厳重に管理されております。

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