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桐生祇園屋台の構造  襖絵、扁額、彫刻

破 風



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唐破風様式で四方全面に素木(白木)の装飾彫刻を据えている大型踊り屋台を代表する象徴的部分が、この破風です。
天辺の鬼板と下端の懸魚には、長い髭を幾筋も流し、鋭い爪をもった脚で破風板を掴んで、長い胴体を破風板に絡ませる大型の龍がそれぞれ居座り、破風の両端と中央部、破風下の虹梁も、龍、龍の彫刻で埋まってます。
虹梁の向かって左端の龍の頭は、見事な木鼻彫刻に仕上げられております。

下  座

囃子座



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屋台の下座つまり、囃子座は通常は、正面舞台の奥で、襖の仕切で区切られております。この四丁目屋台は、大型であるので、下座を二階に設置してます。中央柱より奥、襖の仕切より奥の階上が囃子座となっている珍しい構造である。その分、舞台が広くなって、廻り舞台装置が可能になってます。別掲の飛龍と下座も参照下さい。

襖 絵




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奈良氏の調査に依りますと、襖絵は、中央舞台の6枚、左右の袖に各3枚の計12枚です。画家は清水東谷(しみずとうこく 1841〜1907)である。この「芭蕉之図」は、当時としては大変珍しい南方のバナナをモチーフにしている。清水東谷は、2度目の来日をしたシーボルトに雇われ、植物の写生に従事した。長崎で油絵と写真を学び、その影響もあって、洋画風の大胆な構図となったものである。のちに横浜で写真館を開き、東京に上京する。大変貴重な美術品である。この襖の反対面は「鶴の図」です。同じく東谷の作の襖絵「鶴と秋草の図」が別にあり、この「芭蕉之図」と、二種類所蔵してます。

木 鼻




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正面の二本柱 の上部と虹梁とが、交差する部分を木鼻と呼ぶ。真ん中部分が虹の様に丸みを帯びた梁なので、紅梁(こうりょう)と呼ばれる梁は、波間を泳ぐ大きな2匹の龍の彫刻で仕上げられている。向かって左の木鼻は、精悍な目玉をもった龍の頭だ。
 龍は、日本の古典神話のうえでは、水神、海神として神聖視されていた。水田耕作や農耕儀礼に結び付いて、民間信仰の中で、龍は雲や雨水を司る神として信仰され、古くは万葉集にも水を司る龍神として歌われている。神社の建物や祭りの屋台、山車に龍が多く彫られるているのは、日本の農耕文化に深く影響を持った龍への強い崇拝心と、水を司る龍を飾ることで火防を祈願したのではないか、と ある彫刻研究家が、その著書で龍について、こう見解を述べておりました。

扁 額

屋台正面




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奈良氏の調査に依りますと、扁額は正面の破風下と屋台背面の破風下の二種類がある。正面の扁額の「楽郷華観(らっきょうかかん)」は、江戸に居た館林藩の書家 田口江邨の筆によるものです。先代屋台の嘉永7年のもので、桐生の図案家石田九野(いしだきゅうや)と親交があり、依頼されたものであろう。寄進者は、四丁目の金子吉右衛門である。

扁 額

屋台背面




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奈良氏の調査に依りますと、裏の扁額の「四街目」は、屋台完成を記念して磯部庄七が寄進した。(「四街目」とは、四丁目のことでしょう。)尚、一部の彫刻と構造物が、嘉永7年(1854)製のものを再利用している。桐生の屋台では、一部とは云え、最古のものである。

 画像の中の蛍光灯は、鉾座の奥の壁と、壁間際にピッタリと置かれた屋台の背中との間隔が狭いので、扁額を撮影するときに、一緒に蛍光灯も撮れてしまった。

飛 龍




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屋台側面、二階の下座の手摺り勾欄を飾る龍の彫刻。翼を付けた飛龍である。

 ある彫刻研究家が、その著書で、龍について、こう記述してます。「龍は、九種類の動物の特徴を有している。目は鬼、頭はラクダ、耳は牛、角は鹿、胴体は蛇、鱗は蛇、腹は蜃(しん 顔は龍に似ているが、一角獣で口からカメレオンの舌のようなものがでている)、掌は虎、爪は鷹、上顎の左右から鯰(なまず)のような太くて長い二本の髭が生えている」。ところで、翼を持った龍とは、はたして、どんな意図なのか?

飛 龍
と下座




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二階を下座(囃子座)とした屋台は他に余り例を見ない。高さ7メートル、奥行き6.5メートルという、まさに巨大な屋台だからこそ、できた構造です。下座側面は格子戸で、その手摺り部分が、翼を背に付けた飛龍の彫刻で飾られています。

廻り舞台




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舞台の迅速な場面変化が可能な廻り式とは、設計の先進さを思わせます。二階建ての下座といい、大型の屋台だからこそ可能な構造で、桐生型屋台の面目躍如の感があります。襖の裏側の「鶴の図」の一部が見えます。
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