下仁田町 旭町(あさひちょう)旭組の山車の概要と変遷



 旭組の山車の概要

旭町は、平成14年下仁田諏訪神社秋季例大祭・山車台巡行の当番町で、巡行番号札は第壱番です。構造は、二層鉾台形式で、二層目鉾台と人形は上下の迫り上がり可能な、江戸鉾台型山車です。前後各二輪の四輪式で、両端に前輪が取り付けられた前車軸は、車台と"すべり軸受け"構造になっているので、前車軸と一体の梶棒を左右に振ることで、山車の進行方向が楽に変えられる。

 龍の彫刻の鬼板と懸魚をもつ重厚な唐破風屋根。下鉾台を支える四本の柱は大幕の外に露出するのは、江戸型では珍しい。下鉾台の欄間の上の水きり(ひさし・庇)屋根と、露出の四本柱とが優美さを醸し出している。上鉾台の天辺の金箔で飾られた三味線胴は重厚で、山車が赤を基調とした彩色で彩られているのが、人形の静の舞を一層、引立てている。旭組の人形の静の舞いの拡大画像をご覧下さい。

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次ぎの「旭組の山車の変遷」でご紹介します内容は、平成14年下仁田諏訪神社秋季例大祭の山車巡行の当番町である旭組祭典委員長大嶋良雄氏よりご提供頂いた平成14年の上州下仁田秋祭りのポスター裏面の特集記事保存版の中の旭組の部分の記述の中から抜粋したものです。

 旭組の山車の変遷

 旭町には、明治四十二年より書き継がれている祭典買い物帳が現在でも使用されております。この祭典買物帳によりますと旭町では、山車のことを芸者さんが乗っていることから花車と書いてあります。大正十五年の祭典は、樽みこしを三台造り、例年にない盛大な祭りになったそうです。中略。

 現在の旭町の花車は、昭和八年十月一日より毎日一銭づつ町内全戸で、一年間貯金を始め花車製作の費用を集め、旭町在住の大工、武藤弥作氏へ製作を依頼、神戸米吉氏や数人の大工、彫師の方々によって製作され、昭和十年八月末日に完成しました。
 費用は当時の金額で、花車代:七百五十円 西陣織り幕:五十二円五十八銭 彫刻:百円 塗り:百十六円 全額: 壱千四百九十三円八銭 です。塗りは、総漆塗りでたいへん美しかったそうです。

 人形は、昭和三十年までありませんでした。その間は、野菜などを形どって(それを人形代わりに山車に載せて)お祭りをしていたようです。現在の花車の人形は、一戸一ヶ年七百二十円の積立金により、昭和三十年三月、本庄市米福人形店から、静の舞の人形を当時、一式二十一万円で購入しました。静の舞は、鎌倉時代の源義経婦人静御前が、舞を舞っているところが形どられております。中略。

 近年では、町内に子供が少なくなり、お囃子の伝承に大人も参加し熱心に練習しています。旭町では、女性人形「静の舞」にちなんで、前橋よりお囃子の師匠を招き、バチを廻しながらの優雅なおはやしを習い、今に至っております。今年(平成14年)は、法被も新しくなり当番町ということで、若連を中心に盛り上がってます。

初日昼間の町内合同巡行で、牧口橋手前を進行する旭組です。臨場感のある動画と音声をお楽しみ下さい。

 <旭組のビデオ画像をご覧下さい>

 画像データーを、ナローバンド(ダウンロード速度56Kbps)用と、ブロードバンド(ダウンロード速度250Kbps)用の二つにデーターを分けてありますので、次ぎの操作要領に従って、ご覧になる皆さんの通信環境に合わせて、クリックして下さい。

通信環境が一般モデム回線及びISDNの方は左側のLO (56kbps) の欄の山車の名前を、ADSL及びCATVの方は右側のHI (250kbps)の欄の山車の名前をクリックしますと、十数秒後、Windows Media Player が立ちあがって、ビデオ画像がご覧下になれます。LO とHI は同じ場面ですが、LO は 160ピクセル×120ピクセルの画面で、通信速度が56kbps 、コマ数が15fps 。音声は正常ですが、動画がコマ跳びします。HI は大きいサイズ320×240の画面で、通信速度が250kbps 、コマ数が30fps ですので、TVのような動きが滑らかな動画が再生されます。 

LO(56kbps)
 160X120ピクセル動画
HI(250kbps)
320X240ピクセル動画
旭組山車←クリックして下さい。旭組山車←クリックして下さい。

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