下仁田町 東町(あずまちょう)東組の山車の概要と変遷



 東組の山車の概要

 東町は、平成14年下仁田諏訪神社秋季例大祭・山車台巡行の番号札は最後の第六番です。構造は、二層鉾台と人形は上下の迫り上がり可能な、江戸鉾台型山車です。前後各二輪の四輪式で、両端に前輪が取り付けられた前車軸は、車台と"すべり軸受け"構造になっているので、前車軸と一体の梶棒を左右に振ることで、山車の進行を楽に変えられます。破風屋根周辺と三味線胴の造りが大変丁寧です。彩色、飾り金具も一切ない白木造りの江戸型鉾台型の山車。

 人形・日本武尊は第十二代の景行天皇の皇子。父天皇の命を受け、西は九州の熊襲(くまそ)、東は奥州の征討へと、東奔西走し、大和朝廷の全国支配の機運を高めたといわれる伝説上の英雄。下組の人形・素戔鳴命は皇室の祖神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。腕っ節の強い皇子で、天の岩屋戸事件や出雲の国での"やまたのおろち"退治と"あまのむらくもの剣"で有名。

 東組の上幕、下組の三味線胴に提げられている16重弁の菊の紋章は、皇室の家紋です。皇族の人形を掲げる山車に、同時に菊の紋章を掲げることは至極当然のことと、今更ながら感じました。各地の祭りの山車に載せられている人形には、神武天皇や神功皇后など、神代の天皇や皇后をはじめ、素戔鳴命、日本武尊などの皇子の人形が大変多いです。管理者の住む町の山車人形も素戔鳴命ですが、菊の紋章を同時に掲げてはおりませし、管理者が今迄各地で観覧した山車の中に天皇家の家紋があった記憶はありません。今回、下仁田の山車に菊の紋章が掲げられているのを拝見し、何か教えられた気持ちになりました。東組の 山車人形日本武尊の拡大画像です。

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次ぎの「東組の山車の変遷」でご紹介します内容は、平成14年下仁田諏訪神社秋季例大祭の山車巡行の当番町である旭組祭典委員長大嶋良雄氏よりご提供頂いた平成14年の上州下仁田秋祭りのポスター裏面の特集記事保存版の中の"東組"の部分の記述の中から抜粋したものです。

 東組の山車の変遷

 石神、東村と称していた往時は、若衆が集まり樽みこしとか纏などを造り、町の祭りに参加していたが、山車造りの機運が高まり、町の数人の有志の人が山車製作に係わって、高崎の八島町の山車を参考にして図面を引き、昭和7年10月1日、町の宮大工、神戸米吉氏を中心に町内の大工さん達が、製作に着手し彫り物を除き、16日間の短期日で山車を造り上げた。緞帳の菊のご紋は東京から購入、人形は昭和12年埼玉・本庄の米福人形店から購入。お囃子は隣町の富岡の師匠に指導を受けた。

初日昼間の町内合同巡行。信金角を北へ向う"東組"です。臨場感のある動画と音声をお楽しみ下さい。

 <東組のビデオ画像をご覧下さい>

 画像データーを、ナローバンド(ダウンロード速度56Kbps)用と、ブロードバンド(ダウンロード速度250Kbps)用の二つにデーターを分けてありますので、次ぎの操作要領に従って、ご覧になる皆さんの通信環境に合わせて、クリックして下さい。

通信環境が一般モデム回線及びISDNの方は左側のLO (56kbps) の欄の山車の名前を、ADSL及びCATVの方は右側のHI (250kbps)の欄の山車の名前をクリックしますと、十数秒後、Windows Media Player が立ちあがって、ビデオ画像がご覧下になれます。LO とHI は同じ場面ですが、LO は 160ピクセル×120ピクセルの画面で、通信速度が56kbps 、コマ数が15fps 。音声は正常ですが、動画がコマ跳びします。HI は大きいサイズ320×240の画面で、通信速度が250kbps 、コマ数が30fps ですので、TVのような動きが滑らかな動画が再生されます。

LO(56kbps)
 160X120ピクセル動画
HI(250kbps)
320X240ピクセル動画
東組山車←クリックして下さい。東組山車←クリックして下さい。

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