出演団体名 | プロフィールと演目観客へ配布されたパンフレットからの抜粋です。 |
@ 金古六区の二祭太鼓保存会↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | 金古六区の二祭太鼓保存会”プロフィール” 金古町の鎮守である金古諏訪神社では、三国街道金古宿の発展と共に祭礼文化が隆盛し、春祭りでの太々神楽、秋祭りでの獅子舞奉納の他に、豊作・国家慶事・雨乞い等の臨時大祭の折に、屋台の巡行を行う「本祭り」制度を宝暦9年(1759)に定めました。屋台町は7ヶ町あり、各々が特徴ある屋台囃子を伝えています。近年では4年に1度、本祭りが行われ、現存する4台の屋台が宮入する賑わいは金古住民の誇りとする所です。六区の二区では昭和61年に保存会を結成し、技芸の継承と住民の親睦、青少年の健全育成を目的に活動しております。 "演 目" 祭太鼓 @団体打ちA一人打ちB屋台打ち 祭太鼓は群馬地区を始め周辺地域で演じられている祭囃子で、屋台囃子・馬鹿囃子とも言われます。大太鼓をメインに締め太鼓が竹バチで合いの手を入れ、篠笛が囃し立てる楽曲で、本来は屋台後方の幕内で立ったまま演奏します。一対一の演者の個性を引き出すさまが最大の特徴です。
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A 高崎山車ばやし保存会↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 |
高崎山車ばやし保存会”プロフィール”高崎山車ばやし保存会は、長谷川流が町内の枠を越えて集まり、昭和40年に発足しました。初代は笛の名手で名高い銀杏屋源兵衛の流れを汲む故長谷川万次郎です。同会は平成11年10月、後継者育成に向けて再編成され、新しくスタートしました。現在は自前の太鼓を持って、月3回笛太鼓の講座を開いております。有形の山車と無形のお囃子の両方があってお祭りが成り立ちます。大切なのはお囃子の内容です。若手の育成に時間がかかりますが、いずれ長谷川流の本髄を極めていきます。 "演 目" @出・屋台ばやしAかんだまるB新屋台ばやしCしちょうめくづしDかぞえうた⇔松づくしEおおまFしちょうめGあまだれHきり 長谷川流の山車ばやしの特徴は連続で行い、途中でやめる事をしない点であり、曲の継ぎは2種類の「玉」で行い「きり」で終わります。 本日は、お馴染のお囃子を元に当保存会がもっとも得意とするお囃子を混ぜて演奏致します。お囃子は太鼓が中心ですが、笛がリードするものもあります。舞台上から皆様に曲が変わるたびにお知らせします。
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B 倉賀野町仲町文化財保存会↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | 倉賀野町仲町文化財保存会”プロフィール” 倉賀野町仲町においては、山車、お囃子等祭礼を主宰する組織として、江戸の昔より年番制をとっていました。町内を四班に分け、一年毎に交代する制度です。昭和30年代、生活様式の変化に伴い年番制の維持が困難となり、従来の年番制に代わる組織として発足したのが、仲町一体としての「仲町文化財保存会」です。保存会の発足に伴い、それまで解体して保存していた山車を組立てたまま留置できる山車倉を建設し、お囃子練習場所の確保など、飛躍的に利便性が向上しました。文化財保存会発足後、既に三十数年を数えお囃子を通じて培った強い絆は、今の確かなものとして、仲町の幅広い年代を結ぶバックボーンとなっております。 "演 目" @参手古囃子Aきざみ囃子B参手古囃子C四丁間囃子D江戸まか囃子E参手古囃子 仲町の山車囃子は、笛を先導として演奏する。参手古囃子から、きざみ囃子、江戸まか、四丁間への切り替えも、笛の合図で変わってゆくので、大太鼓、小太鼓を演奏する子供達にも、笛を正確に聞き分ける耳が求められる。子供達は素直に笛の音を我が物とし、年を重ねて確実に腕前を上げている。
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C 八幡六郷流お囃子保存会↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | 八幡六郷流お囃子保存会”プロフィール” 八幡町に伝わる「八幡六郷流お囃子」は、当町の冨加津徳太郎(1828〜1903)が江戸に出て、六郷流の囃子方六郷新三郎の門に入り、その秘曲を極め「六郷新平」の称を受け、晩年郷里に帰り、その弟子達により伝承された由緒ある郷土芸能です。 このお囃子は八幡宮に奉納される大々神楽、鳥追い祭りのお囃子、底抜け屋台のお囃子に取り入れられ、笛、大太鼓、小太鼓、摺り鉦、つづみ等によって演奏されます。 この貴重な郷土芸能をより正しく伝承して行く為、平成2年に保存会(会員180名)を結成し、次代を担う子供達へ伝える活動を主体とし「鳥追い祭り」や地域芸能大会等に積極的に参加しています。 "演 目" @みんば Aしちょうめ B神田まる C屋台ばやし Dきりん Eおおま Fかまくらしょうでん Gかっこ このお囃子は、毎年小正月に行われる「鳥追い祭り」に町内を引き廻す屋台(4台)で演奏される曲です。荘厳にして優雅な、また躍動的な旋律であり、庶民の無病息災や五穀豊穣の祈りを込めた名調子です。
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D西吉井祭典委員会お囃子連↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | 西吉井祭典委員会お囃子連”プロフィール”吉井町第32区は、43年程前からの新興住宅地で、約600世帯が住み西吉井団地と呼ばれています。草創期に「住民の新睦と和」と「子供達のふるさと造り」の必要性が叫ばれ、盆踊りと山車囃子が夏祭りとして定着、本年で42回目を実施したところであります。現在の山車は、平成元年に高崎市石原町の山車新調に伴い、旧山車を同町保存会より譲り受けたものであります。吉井夏祭りにこの山車が出場して27年、子供育成会の協力の下、毎年40名程の子供達が、夏祭り前の2ヶ月間、週2回のお囃子練習で力をつけ、本番では喝采を浴び胸を張っています。お囃子方にも、曳き手にも、子供達の数が多いのが、西吉井の特徴でもあります。 "演 目" @参太鼓AきざみB四丁目Cさいまき 発足当初から続いている四曲のお囃子を創意工夫しながら笛でつなぐ方法で実施しています。現在は太鼓のリズム、笛のメロディを楽譜に表し、指導に役立てています。子供達が嬉々として、祭りと地域造りに参加している様子が伝えられたら幸いです。
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E 新町橋場町屋台囃子保存会↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | 新町橋場町屋台囃子保存会”プロフィール”新町地域の山車まつりである"新町ふるさと祭り"は、現在隔年で開催されています。10の町内は全て山車を所有しており、当日はそれぞれのお囃子を奏でながら町内巡行を行います。又、夜には全ての山車が駅前に集結し、その眺めは壮観です。1万3千人ほどの人口の地域に10基の山車があるのは珍しいことではないでしょうか。 橋場町(新町第3区)の屋台は、明治15年に鉄道開通の祝賀のために新調されました。人形師原舟月の作で高崎市指定文化財となっております。この屋台のお囃子を祭りで演奏し継承する為、我々は活動しております。 "演 目" @貴扇A四丁間B三手古C皿D四丁間
新町橋場町では、当初隣接の玉村町角淵のお囃子を演奏しておりましたが、昭和44年頃より富岡市の流れを汲むお囃子を導入し、以後続けております。 静寂な雰囲気の貴舟、思わず身体が動いてしまう四丁間等、太鼓の響きと五本調子の笛の音色をお楽しみください。
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F 秀山流花車ばやし保存会↑上の団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画の左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | 秀山流花車ばやし保存会”プロフィール”秀山流花車ばやし保存会は山車笛の会です。高崎市各町内には、それぞれの山車囃子があり、脈々と引き継がれています。現在では山車のある17を超す町内会に会員がいて笛奏者の育成に努めています。秀山流は手作りの竹笛で演奏するのが特徴です。会員が作った笛ですので、太さ、形、長さもバラバラですが、既製の笛には無い暖かさ優しさがあります。特に自分で作った笛を吹ける楽しみもあります。当会では、事業の一環として、笛奏者の育成を目的とした講習会を行っています。また、高崎伝統民俗芸能祭り、お囃子大会、スプリングフェスティバル等の参加をはじめ、来年の1月3日には高崎イオンモールへの出演も予定しております。今後も秀山先生の遺志を受け継ぎ竹笛に興味を持つ人の育成と継承に努めていきたいと思ってます。 "演 目" @かまくらAさんてこB花車ばやしC雨だれD神田ばやしEかぞえうたF四丁目G新花車ばやしH大間ばやしIきり 本日は、高崎祭りの巡行時に演奏される曲と、おもに舞台でのみ演奏される曲を織り交ぜてご披露します。どの演目もそれぞれに特徴があります。ゆっくりとご鑑賞していただけたらと思います。
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出演団体名 | "舞台画像"と、"プロフィール"と、"演目"閲覧の皆様へ ☆左枠内の@からH迄の出演団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。動画表示のブラウザーの左上隅の戻る←をクリックして、このページにお戻り下さい。 |
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☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”高崎山車ばやし保存会は、長谷川流が町内の枠を超えて集まり、昭和40年に発足しました。初代は、笛の名手で名高い銀杏屋源兵衛の流れを汲む故長谷川万次郎です。同会は平成11年10月、後継者育成に向けて再編成され、新しくスタートしました。現在は自前の太鼓を持って、月3回、笛、太鼓の講座を開いております。大切なのは、お囃子の内容です。若手の育成には時間が掛ります。 長谷川流山車ばやしの特徴は、連続で行い途中で止める事をしない点であり、曲の繋ぎは2種類の「玉」で行い「キリ」で終わります。 "演 目" ☆出・屋台ばやし ☆かんだまる ☆新屋台ばやし ☆しちょうめくづし ☆かぞえうた⇔松づくし ☆おおま ☆かまくら ☆あまだれ ☆きり | ☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。
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A 秀山流花車ばやし保存会
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☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”秀山流花車ばやし保存会は山車笛の会です。高崎市各町内にはそれぞれの山車囃子があり引き継がれております。初代金井秀山先生は、そのお囃子方の指導を各町内におもむき、伝授されていました。現在では山車のある多くの町内に会員が居て、笛奏者の育成に努めています。また、当会では事業の一環として、笛奏者の育成教室も行います。本日は高崎祭りで演奏されている演目を中心に紹介し、皆様に興味を持って頂けるよう頑張ります。 現在、高崎山車祭りの巡行で、演奏している秀山流山車笛のお囃子をご披露します。各町内会で演奏されているお囃子は、少しずつ変化しておりますが、それが各町内の特徴でもあります。本日は請地町の小学生4名による太鼓に合わせてお送り致します。竹笛の温かみのある音色をお楽しみください。 "演 目" ☆出囃子 ☆花車ばやし ☆神田ばやし ☆かぞえうた ☆四丁目 ☆大間 ☆花車ばやし
☆さんてこ ☆鎌倉 ☆雨だれ ☆きり
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B 八幡八幡宮大々神楽保存会 |
☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール” 当八幡宮の神楽は、今から263年前の宝暦4年(1754)に京都神祇官領に出願して、直接その指導を得て再興されたものです。能形式を取り入れた舞、お囃子には荘重優雅な趣があるのが特徴となっています。座は前座21、後座16の計37座、舞は12種類、お囃子は16種類で、その前部が完全な形で伝承され、平成2年みこ舞も復興され華を添えました。平成元年には、市重要無形民俗文化財第1号に指定されました。現在、神楽師によって年4回祭典日に奉納され、また氏子崇敬者を中心とする神楽保存会によって、更なる維持、発展が図られています。 "演 目" ☆巫女舞(みこまい) ☆醜女の舞(しこめのまい)
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C 八幡原太々神楽保存会 |
☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”八幡原太々神楽は、当地若八幡宮の春秋例祭の一環として始まりました。1923年(大正12年)3月15日の春祭りに初めて奉納され、地元はもとより、滝川地域の大きな行事として定着、親しまれてきました。伝来をさかのぼると、この神楽は八幡原町の対岸にある、多野郡小野村立石神社(現在の藤岡市立石)に伝わる神楽を伝授されたものです。立石の神楽は埼玉県秩父郡吉田町井上の貴船神社へと続きます。貴船神社の神楽は190年前頃、江戸神楽の流れとして伝えられたと云われております。こ神楽も地域の様々な変化と時代の流れに押され、昭和40年代後半から徐々に衰退、後継者難ともあいまって、やがて活動中止となりました。しかし、滝川地区の皆さんの応援により1993年(平成5年)の春祭りおり復活、活動を継続して行く為に保存会を発足させ、会員を中心にその活動を継続し、地域に伝わる伝芸能の伝承に努めています。 "演 目" ☆巫女舞 ☆山乃神の舞
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D保渡田諏訪神社獅子舞保存会 |
☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”高崎市保渡田町は群馬県のほぼ中央に位置しおり、この獅子舞は当地の諏訪神社に伝わるもので、今から360年以前(寛永中期1630年代)から行われていたと云われてます。当時は非常に辺地で、河川も多く、”七坂七橋片葉ヨシ”保渡田の奥の黄金塚と云うような歌まで作られt集落であったと聞いております。薬師塚、八幡塚、二子塚の高貴豪族の墳墓は数多く文化の発祥地であったと云われております。当時、この地を治めていた権力者が無病息災悪魔退治、氏子の繁栄、ひいては五穀豊穣祈願のため、獅子舞を取り入れ数多くの曲目(48種類)を有し、春秋の祭典に舞われていたと云い伝えられています。昭和52年4月に市指定重要無形文化財にされました。 "演 目" ☆綱切りの舞、 ☆三拍子 ☆暇乞い(いとまごい)
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E大八木町諏訪神社獅子舞保存会
☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”当獅子舞は宝暦年間(1750年代)から伝承されているもので、その起源は「信州の諏訪」「和州の高市郡天の香具山」「濃州醒ヶ井の日本武尊」の三か所から分霊され、その神事行事には既に獅子舞を奉納したとあります。戯曲化されておらず、農耕民族芸能の特徴をよく残しているとして、東京上野の国立博物館の視聴覚室に記録が収蔵されました。流派は判官流。かっては全て成人男子により受け継がれて来ましたが、昭和47年から、かって指導を受けた青年達が若き指導者となり、小学校の男女に舞と笛を教え、継承に努めております。 "演 目" ☆道中 ☆三拍子
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F三ツ寺町諏訪神社獅子舞保存会 | ☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”三ツ寺の獅子舞は一人立ち三頭獅子舞で、稲荷流、起源伝承は京都よりとされています。三百有余年前、寺の祈祷獅子として、寺の隆盛衰退に左右されながら、伝承継承されて来ました。そして百八十年程前から高崎市大八木町の獅姉妹が基礎となり、その後低迷した時期に高崎市阿久津町より伝えられた獅子舞を基に、三ッ寺独自の獅子舞が形成されています。寺よりのゆわれは、江戸時代より明治、大正、昭和の初期まで、新稽古を立てた時、寺の大門より振り出し、神社に奉納されたと云われています。それに伴い神社の祭典獅子として、五穀豊穣・無病息災・商売繁盛・町内安全の願いを込めて、神社の春秋の祭典には奉納獅子として、若い人達に引き継がれて、現在に至っています。演目の剣の舞は、獅子が人々の為に世の中の様々な災害や疫病などを追い払い、ほっと一息ついた処で、動物なるが故に、女獅子が恋しくて、「獅子どもや、いかに女獅子が恋しくも、よりつかえして遊ばしょ獅子ども」と、歌が有る様に前獅子と後獅子が剣をくわえて闘争する処を表現した舞です。 "演 目" ☆橋掛かり ☆剣の舞
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G下小鳥町舞踏保存会 |
☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール”下小鳥町では以前、青年団主催で八木節保存会が結成された経緯がありましたが、永らく中断されていました。昭和49年、8月のお盆に、下小鳥町八木節保存会による盆踊り大会が行われました。櫓は北関東一を誇る4階建ての立派なもので、「他には見られない17メートルの大櫓」と各新聞に報道され、多くの町民に喜ばれました。その後、指導部長に広岡三四郎、副部長に室岡右喜雄、室岡幸作、山田ハナ子の方々が推薦され「下小鳥町舞踏保存会」が結成されました。その後、下小鳥町公民館で練習を続け、盆踊り大会、芸能発表会や老人ホームの慰問等の活動を通して、地域の交流、伝統文化の継承を行っております。 演目の「義民五万石」は、廃藩置県の行われる前の明治二年に、高崎藩で起きた農民一揆、郷土の義民物語「高崎五万石騒動」を詩に読んだ八木節。 "演 目" ☆義民五万石
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H高崎木遣保存会 |
☆画像をクリックしますと、拡大画像が表示されます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。”プロフィール"当会の流れを辿ると、明治初年に陸軍省の命で、高崎城址の兵舎の造営に当たり、鳶総取となった高橋清平氏に始まる。氏は高崎藩出入り鳶頭六代目で、工事に集まった鳶の精鋭を傘下に木遣会を作り、明治、大正、昭和と続いたが、戦争で中断、戦後高橋清平氏の末孫の十代目を継ぐ乗附熊吉氏が昭和22年、各親方の二代目を集めて、木遣を復興させた。乗附熊吉氏没後、高弟住谷文夫氏を中心に、昭和45年1月、名称を「上州高声会」として、木遣、棚地形、梯子乗り等の活動するも、平成に入り、木遣の稽古等も少なくなり、高崎の木遣の衰退を危惧した元高声会々員4名で、平成9年より木遣の稽古を始め、高崎鳶職組合を母体とした高崎木遣保存会「粋和会」を発会し、木遣、纏、梯子乗り等を伝承している。 演目の紹介 ☆真鶴 いかなる木遣にも必ず最初に唄われる唄。遣り声とも云う。☆手古 手古(てこ)、手古舞、露払いと云われる様に、清めを意味する、どんな場合でも唄える基本となる木遣。☆五尺手拭い この木遣は端ものと云われる。段階で使われる木遣の中間に用いる木遣。☆小車 この木遣は手古、棒車、小車と、木遣の順序としては3番目に位置している木遣です。木遣の色々な要素を持った木遣とされている。 ☆真鶴(マナズル) ☆手古 ☆五尺手拭い ☆小車
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出演団体名 | プロフィールと演目観客へ配布されたパンフレットからの抜粋です。 |
@ 秀山流花車ばやし保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール” 秀山流は手作り笛で演奏するのが特徴です。初代金井秀山先生は、弟子たちに先ず笛を与え、自分の笛としての物を大切にすることから教授しました。弟子たちも秀山先生の精鍛こめた笛を大事にし、日々練習に励みました。 当会では、秀山先生の遺志を継ぎ、和笛に興味を持つ人に継承しています。また、事業の一環として笛の作製講習も行っております。大勢の会員が個性ある自分の笛を作成しています。今後も広く周知して会員増強に努めます。 "演 目" @出ばやしA花車ばやしB神田ばやしC数え唄D雨だれEさんてこFみんまばやしG四丁目H大間ばやしI新花車ばやしJ切り |
A 八幡六郷流お囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール” 八幡町に伝わる「八幡六郷流お囃子」は、当町の冨加津徳太郎(1828〜1903)が江戸に出て、六郷流の囃子方六郷新三郎の門に入り、その秘曲を極め「六郷新平」の称を受け、晩年郷里に帰り、その弟子達により伝承された由緒ある郷土芸能です。 このお囃子は八幡宮に奉納される大々神楽、鳥追い祭りのお囃子、底抜け屋台のお囃子に取り入れられ、笛、大太鼓、小太鼓、摺り鉦、つづみ等によって演奏されます。 この貴重な郷土芸能をより正しく伝承して行く為、平成2年に保存会(会員180名)を結成し、次代を担う子供達へ伝える活動を主体とし「鳥追い祭り」や地域芸能大会等に積極的に参加しています。 "演 目" @みんば Aしちょうめ B神田まる C屋台ばやし Dきりん Eおおま Fかまくらしょうでん Gかっこ |
B 神山本町山車保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール” 神山本町の山車の由来は、延亨4年(1747)頃に、上里見藩の松原忠恒が神山陣屋を設け、その御祝いに山車を作ったと言われています(里見村史より)。その一つが、私達神山本町の山車であります。お囃子は六種類あり、笛は大太鼓のリードで、演奏が始まります。祭りが近づくと、10日間練習をして祭り当日に備えます。今年は笛の後継者育成の為、保存会鼓笛部が中心となり、毎月2回練習を積んで来ました。先人から引き継いだこの素晴らしいお囃子を、住民の親睦を図りながら、永く伝承できるよう努力して参りたいと思っております。 "演 目" @四丁目(おかめ)AちゃりBさんてこC四方拝D屋台ばやし 神山本町の演目は六種類ありますが、今回は「おかめ」を小学校低学年、「さんてこ」と「ちゃり」を高学年生。そして「四方拝」と「屋台囃子」は、演奏途中で曲調が変わる「玉」が入ります。太鼓と笛の掛け合いや曲の変化をお楽しみ下さい。 |
C西吉井祭典委員会お囃子連団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール”吉井町第32区は、43年程前からの新興住宅地で、約600世帯が住み西吉井団地と呼ばれています。草創期に「住民の新睦と和」と「子供達のふるさと造り」の必要性が叫ばれ、盆踊りと山車囃子が夏祭りとして定着、本年で42回目を実施したところであります。現在の山車は、平成元年に高崎市石原町の山車新調に伴い、旧山車を同町保存会より譲り受けたものであります。吉井夏祭りにこの山車が出場して27年、子供育成会の協力の下、毎年40名程の子供達が、夏祭り前の2ヶ月間、週2回のお囃子練習で力をつけ、本番では喝采を浴び胸を張っています。お囃子方にも、曳き手にも、子供達の数が多いのが、西吉井の特徴でもあります。 "演 目" @参太鼓AきざみB四丁目Cさいまき |
D 新町橋場町屋台囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール”新町地域の山車まつりである"新町ふるさと祭り"は、現在隔年で開催されています。10の町内は全て山車を所有しており、当日はそれぞれのお囃子を奏でながら町内巡行を行います。又、夜には全ての山車が駅前に集結し、その眺めは壮観です。1万3千人ほどの人口の地域に10基の山車があるのは珍しいことではないでしょうか。 橋場町(新町第3区)の屋台は、明治15年に鉄道開通の祝賀のために新調されました。人形師原舟月の作で高崎市指定文化財となっております。この屋台のお囃子を祭りで演奏し継承する為、我々は活動しております。 "演 目" @貴扇A四丁目B三手古C皿D四丁間
新町橋場町では、当初隣接の玉村町角淵のお囃子を演奏しておりましたが、昭和44年頃より富岡市の流れを汲むお囃子を導入し、以後続けております。 静寂な雰囲気の貴舟、思わず身体が動いてしまう四丁間等、太鼓の響きと五本調子の笛の音色をお楽しみください。 |
E 倉賀野町仲町文化財保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール” 江戸中期より当倉賀野仲町に伝わる山車囃子は、当時、利根川舟運の最終点として栄えた倉賀野河岸(かし)を往来する舟頭によって伝えられた。「参手古囃子」を基本に、「きざみ」「四丁目」「江戸まか囃子」などの山車囃子である。仲町は倉賀野宿の中央にあり、中山道が太鼓橋に向けて急坂を作っている。坂を下る時にはゆっくりと「四丁目」で、上がる時には威勢よく「江戸まか」で上がる。ここが一番の見せ場だある。山車は明治初期、甲戌(こうじゅつ)7年の創建で、当時の熊谷縣の焼判が押されている。昭和3年、縁あって高崎市本町より金三千円で購入した。本体総檜、迫り上げ造り、赤樫四輪御所車で、人形は往路「猩々(しょうじょう)」、復路は面を外して「浦島太郎」へと変身する。 "演 目" @参手古囃子Aきざみ囃子B参手古囃子C四丁間囃子D江戸まか囃子E参手古囃子 仲町の山車囃子は、笛を先導として演奏する。参手古囃子から、きざみ囃子、江戸まか、四丁間への切り替えも、笛の合図で変わってゆくので、大太鼓、小太鼓を演奏する子供達にも、笛を正確に聞き分ける耳が求められる。子供達は素直に笛の音を我が物とし、年を重ねて確実に腕前を上げている。 |
F 高崎山車はやし保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 | ”プロフィール”高崎山車ばやし保存会は、長谷川流が町内の枠を越えて集まり、昭和40年に発足しました。初代は笛の名手で名高い銀杏屋源兵衛の流れを汲む故長谷川万次郎です。同会は平成11年10月、後継者育成に向けて再編成され、新しくスタートしました。現在は自前の太鼓を持って、月3回笛太鼓の講座を開いております。有形の山車と無形のお囃子の両方があってお祭りが成り立ちます。大切なのはお囃子の内容です。若手の育成に時間がかかりますが、いずれ長谷川流の本髄を極めていきます。 "演 目" @出・屋台ばやしA神田丸(どっこい)B新屋台ばやしCしちょうめくずしDおおまEかぞえうた⇔松づくしFあまだれGきり 長谷川流の山車ばやしの特徴は連続で行い、途中でやめる事をしない点であり、曲の継ぎは2種類の「玉」で行い「きり」で終わります。 本日は、お馴染のお囃子を元に当保存会がもっとも得意とするお囃子を混ぜて演奏致します。お囃子は太鼓が中心ですが、笛がリードするものもあります。舞台上から皆様に曲が変わるたびにお知らせします。
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出演団体名と演目 | 舞台画像とプロフィール |
@ 高崎山車ばやし保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目@出・屋台ばやし Aかんだまる B新屋台ばやし Cしちょうめくづし Dかぞえうた⇔松づくし Eおおま Fかまくら Gあまだれ Hきり | ”プロフィール”高崎山車ばやし保存会は、長谷川流 が町内の枠を超えて集まり、昭和40 年に発足しました。初代は、笛の名 手で名高い銀杏屋源兵衛の流れを汲 む故長谷川万次郎です。同会は平成 11年10月、後継者育成に向けて再編 成され、新しくスタートしました。 長谷川流山車ばやしの特徴は、連続 で行い途中で止める事をしない点で あり、曲の繋ぎは2種類の「玉」で 行い「キリ」で終わります。 |
A 金古上宿屋台保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目 金古上宿山車祭太鼓 | ”プロフィール”金古上宿は、宝暦9年(1750)約260年 前に建造されたと云われる屋台を所 有しております。 この屋台の魂でありますお囃子を 諸先輩の方々より継承し、外部での演 奏を始め、病院、施設の慰問など 地域に密着した活動を行っております。 | |
B 京目屋台囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目京目屋台囃子 | ”プロフィール” 京目屋台の歴史は古く、約250 年前に出来たもので、初めは担ぎ屋 台といい、数人で担いで歩いたもの でした。明治時代に大改造して、 車輪付きの屋台となり、京目地区に 全部で5台の屋台があります。 | |
C 倉賀野下町山車囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目@さんてこ Aきざみ Bしちょうめ Cえど若 Dさんてこ Eシャンシャンリーコ | ”プロフィール”囃し方が勇壮に、そして粛やかに 奉奏します。8月16日の町内巡行 の夏祭りで、曳行衆が山車を曳き ます。昭和の時代、廃れてしまった 山車囃子と山車曳行の復活は町 民の願いでした。 「山車の無いお囃子は祭りじゃ ない」という当時の区長和田石雄 氏の叱咤激励があり、倉賀野バイパ スの開通を機に、平成元年、山車を 曳行しました。 | |
D新町橋場町屋台囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目 @貴扇 A四丁間 B三手古 C皿 D四丁間 | ”プロフィール”新町地域の山車まつりである「新町 ふるさと祭り」は、現在隔年で開催 されております。10の町内は全て 山車を所有しており、当日はそれぞ れのお囃子を奏でながら、町内巡行 を行います。一万人程度の人口の地 域に、10基の山車があるのは珍し いことではないでしょうか。橋場町 (新町第3区)の山車は、明治15 年に鉄道開通の祝賀のために新造さ れました。人形師原舟月の作で、 高崎市の指定文化財になっております。 | |
E西吉井祭典委員会お囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目@参太鼓 Aきざみ B四丁目 Cさいまき | ”プロフィール”吉井町第32区は、40年程前から の新興住宅地で、約600世帯が住 み、西吉井団地と呼ばれております 。草創期に「住民の親撲と和」と 「子供達のふるさと造り」の必要性 が叫ばれ、盆踊りと山車囃子が夏祭 りとして定着、本年で39回目を実 施したところであります。現在の山 車は、平成元年に高崎市石原町の山 車新調に伴い、旧山車を譲り受けた ものです。吉井夏祭りに、この山車 が出場して24年、子供育成会の協 力の下、毎年40名程度の子供達が 、夏祭り前の2カ月間、週2回のお 囃子練習で力をつけ、本番では喝采 を浴び、胸を張っています。 | |
F下室田上町山車保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目 @四丁目 A花車ばやし B参太鼓 | ”プロフィール”下室田の山車は幕末ごろから、と伝 えられています。明治25年(1892) には、下室田4ケ町の山車を各町内 を曳きまわしたと、室田史誌に記 されてます。当時は正月13日を本 祭りとして、4町揃って夜半まで曳 きました。現在毎年10月に行われ る榛名ふるさと祭りに参加しています。 | |
G八幡六郷流お囃子保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目 @みんば Aしちょうめ Bかんだまる Cやたいばやし Dきりん Eおおま Fかまくらしょうでん Gかっこ | ”プロフィール”八幡町に伝わる「八幡六郷流お囃子」 は、江戸時代末期、八幡町の冨加津 徳太郎(1823〜1903)が江戸に出て、 六郷流の囃子方「六郷新三郎」の門 に入り、その秘曲を極め「六郷新平」 の称を受け、晩年郷里に帰り、その弟 子達により伝承された由緒ある郷 土芸能です。このお囃子は、八幡宮 に奉納される大々神楽、鳥追い祭り のお囃子、底抜け屋台のお囃子に 取り入れられ、笛、大太鼓、小太鼓 、摺り鉦、つづみ等によって演奏さ れます。この貴重な郷土芸能をより 正しく伝承していくため、平成2年 に保存会を結成し(会員180名)、次代 を担う子供達へ伝える活動を主体と して、地域芸能大会や各種祭りに積 極的に参加しています。 | |
H秀山流花車ばやし保存会団体名をクリックしますと、舞台演奏のビデオ動画がご覧になれます。左上隅の戻る←で、このページにお戻り下さい。 演 目 山車ばやしアンサンブル 山車囃子は本来、山車に乗り、曳き回しするなかで、その風情が生かされるものです。舞台ですと、動から静となり、山車の躍動感が失われてしまいます。 デリケートな部分を皆様に お伝え出来ないのが残念です。 本日は、お囃子でも静の演 目を中心に、舞台用に編成 して、御披露いたします。 | ”プロフィール"秀山流花車ばやし保存会は、初代金 井秀山により誕生しました。その後 、高崎市制70周年記念祭りを最後 に二代目、福江豊に全てを引き継ぎ ました。昭和55年には高崎文化協 会に参加し、会長須藤敬文と共に活 動しています。会長の信条では「伝 統文化にプロは要らない」子供から 大人まで、下手でも上手でも参加す ることが大事だと考え、皆の夢を育 てていく事が大切です。会員一同、 この信念の基で、後継者育成に努め ています。 | |