Sory,Japanese only.


Part 3

 この筒井町天王祭は、初日の朝から、夜迄のお祭りの様子をPart 1、2、3と、3部に分けて御紹介してます。この順序で、ご覧下さい。

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 2両の山車の隊列は、昔の情緒を残す車道商店街を進みます。
 午前中に湯取車の納庫を尋ねて、留守居の方に少しお話を聞く機会がありました。大幕を2年位前に新調した時は、徳川美術館の資料などをあたり、大幕の元の色、色調を調べて復元したそうです。黒漆塗り、金具の取り替えなどで装飾も新しくしたので、綺麗な山車になってました。湯取車の建造は、神皇車より古く、尾張徳川藩の初期に東照宮祭礼の山車として、当時の桑名町で新造されたものを、江戸末期の天保年間に筒井4丁目が譲り請けたのだそうです。
湯取車のからくり人形は、前棚 に太鼓打ちと笛吹きのお囃子人形2体、上山に湯取り巫女と奥の大将座に神官が乗ってます。

 前棚のお囃子人形は、一体が囃子の合わせて笛を吹き、もう一体がバチを小鼓に当てます。二体とも、上手に首を振って、観衆に挨拶をします。ひょうきんな顔付の笛吹きは、まばたきもして、笛を口にあてる時に、口ではなく鼻に笛を近づけるので、囃子に合わせて首を左右に振ると鼻をこすっているように見えるので、この愛嬌のある動作を「鼻こすり」と呼んで、親しまれておるそうです。実物を見て、鼻をこすっているように見えるので、おかしくなりました。

 上山の正面に湯立ての釜、その左右に笹竹が立ててあり、〆縄が張ってあります。人形囃子に合わせて巫女が歩みだし、山車の四方に挨拶をして、釜の前に立ってうつむくと、釜から一斉に湯花をあらわす紙吹雪が吹き出し、舞い降ります。その時、楫方衆から、"おっぉ〜"と、大きな叫び声があがります。この湯取りカラクリ人形の演技の様子が、リアルストリーミング動画でご覧になれます。画像をクリックして下さい。

 動画をご覧なるにはリアルプレイヤーが必要です。ストリーミング方式のリアルプレイヤーはリアルネットワークス社(RealNetworks, Inc.)より、無償でダウンロードできます。このバナーをクリックして下さい。

 この湯取り巫女とお囃子人形の所作は、湯取車に乗り込んだ若衆が巧みに人形を操って演技しております。従って、このカラクリ人形の演技の様子を動画で公開するにあたっては、湯取車の維持管理を行っておられる「湯取車保存会」の許諾を戴いております。
尚、この動画は平成12年10年15日に行われた「名古屋まつり」の名古屋市役所前の山車揃いを見聞した時に撮影したものです。

 山車と、その周囲の観衆で道は一杯になってしまいます。途中、祝儀の返礼の からくり奉納が繰り返されますので、山車の進行はゆっくりです。振る舞いのお酒を用意して、誰にでも注いでくれる商店主さんは、ご自身が祭りが好きでたまらないと、いった感じで店前の山車を嬉しそうに眺めておりました。

 私自身も、こうやってよその土地のお祭りを見学に来るほどですから、人のことは云えた者ではありません。でも、囃子の音、祭り衣裳、山車の装飾などを、見たり、聴いたりしていることで、幸せを感じ、楽しければこんないいことは、ありません。

 やがて、2両の山車は桜通りの交差点に差し掛かりました。進んできた道の数倍の道幅がある桜通りは、土曜日の午後、自動車の往来も激しかった。数名の警察官が、この車道(くるまみち)交差点で交通規制をしておりました。片側一車線を交通止めにして、そこへ、2両の山車を誘導しました。山車の進行はここまでで、山車は今通ってきた商店街の道を戻るわけです。

 交互交通の規制で停車せざるを得ないドライバーさん達や、桜通りの歩行者が足を止めて眺めているなかで、山車の方向転換、ドンデンが元気よく、行われました。名古屋型山車の大きな特徴のひとつは、格子状の車輪の覆いです。車掛(くるまがけ)と呼んでます。犬山、半田などの山車にはありません。

 今、立っている道の下は地下鉄が走り、周囲には、背丈の高いビルが建ち並び、目の前を自動車がひっきりなしに走る近代文明の中で、人の力だけで、重い山車の向きを変える様子は、普段は見られないめずらしい光景です。

 山車祭りという百数十年間も延々と続けられてきた伝統文化に接して、凄いなぁ、よくやるなぁ、面白いなぁ、といった誰もが忘れかけていた感動を思い起こされた方も、少なくない筈です。 大都会で行われる祭礼は、砂漠のオアシスといっても、過言ではないでしょう。

帰路は、ゆっくり"帰り囃子"で、さぁ〜行こう!

 

 車道交差点で、2両の山車は、Uターンして、来た道を戻ります。まだ半道中ですから未だ、先はありまが、山車囃子の曲は、能管でなく、篠笛で演奏する「帰り囃子」に変わりました。 帰路とはいえ、飛び入りの祝儀を受けると快活な車切が、当然演奏されます。人形囃子が元気よく演奏もされます。車道通りを北へ向かって、東西に伸びる筒井町商店街の交差点をそのまま、真っ直ぐ進み、建中寺東の交差点で、湯取車は右へ、神皇車は左へとまがり、2両の隊列曳行は終了しました。

 筒井町商店街には、大都市名古屋の都心部との思いを忘れさせる雰囲気がありました。建中寺の落ち着いた佇まいと、その豪華な山門、参道に拡がる大きな公園は緑も多く、大都会の喧噪を忘れさせてくれます。

 午後になって、建中寺の周辺の人出が増えて来ました。昼過ぎの公園の内外は露天のお店がずらりと並び、まだ店の組立中の露天や、到着したばかりの店もあり、その凄い数に内心驚きました。筒井天王祭は毎年、夜にかけての人出が多いい名古屋の祭礼だそうで、さすが、大都市、名古屋だなぁ〜と、感心しました。

 梅雨の切れ目の晴天に恵まれ、しかも昼の長いこの時季ですから、夕刻6時過ぎても明るい中、夜の曳き廻しの用意を始めました。この時刻になると、神皇車の本陣のある建中寺周辺は人、人で一杯になってました。建中寺公園の中も露天の天幕がずらりと並び、行き交う人の中には、浴衣姿の女性も多く、皆 楽しそうに、露天を覗いたり、おしゃべりをしながら散策してました。そんな風景が大都市のなかでも見られるなんて、祭りは田舎も、都市も変わらないなあと、嬉しい気持ちになりました。 

 山車の提灯の取り付けは、町内の人達の手慣れた作業で、すいすい進められてました。ローソクを一本一本、火をつけ提灯に立てる作業も手際が好いです。やはり伝統ある山車や屋台は、照明一つでも伝統を受け継いで行くという姿は素晴らしいと感じます。ローソクには、電気の照明では味えない風情があります。

 上山の勾欄に据え付けられた釣り竿の様な支柱の尖端から、灯の着いた3個の提灯が数珠つなぎ状に垂れ提げられます。少しの山車の振動でも、中のローソクの火が揺れて、提灯が生きているかの様に呼吸をします。江戸時代の先人も同じ思いで、山車を観覧していたと思うと不思議に感じます。

 夜のとばりに包まれた建中寺周辺は、軒を並べる屋台の電球が光々と照り、山門の内外は参拝者、見物人の人、人、ひとで一杯でした。小さい子供を連れた若い夫婦連れ、人波に押されて足下を気遣う年輩の二人連れ、3、4人で食べ物を口に頬張って、おしゃべりしているギャル達など、両側の屋台店で狭くなった通りは、肩が触れて歩くのもやっとでした。

 朝、町内の人達が祭りの支度をした山門脇の不動会館で、神皇車の町内役員さんや、昼間活躍の楫方さん達と一緒に夕食休憩をさせていただきました。町内のご婦人の手料理も用意され、ビール、肴で皆さんは、ほっとした気分になられた様子でした。その席で、からくりの説明や、囃子のことなど、町の皆さんからいろいろお聞きできて、このページ作りの貴重な資料になってます。

夜の天王祭は、豪快なイベントで!さぁ〜行こう!

  午後7時半、元気な木遣りの唱和を合図に、神皇車は夜の巡行に出発しました。山車正面の左右の柱には、"楫方"と書かれた提灯も掲げられ、上山勾覧からつり下げられた提灯は、風と山車の振動で上下、横に揺れ、中のローソクの灯が小さく息づき、まことに情緒がありました。

イベント,その1は、"出会い"

「どんでん」「からくり」「囃子」の技比べだ!

 昼間の山車曳行は、経路の殆どを湯取車と神皇車の2両の山車が前後の隊列を組んで、同一行動を致しました。しかし、夜の曳行はそれぞれが、氏子町内だけを単独で巡行します。但し、神皇車の巡行する筒井町商店街通りと、湯取車の巡行する車道商店街が交差する筒井小の脇の交差点で、2両の山車が丁度、午後の9時頃に、鉢合わせになります。

 2両の山車は、交差点の中で、山車囃子を叩き合ったり、からくり人形を競い合い、ドンでんを盛大に行ない、お互いの健闘を讃え合うわけです。しかし、相手には負けたくないとの対抗意識がありますので、楫方さん始め、囃子手の皆さん、上山の人達、綱引き、後押しの人達全てが、その日の最高の演技を披露しようと、死力つくして頑張りますから、凄まじい迫力になります。その一連の内容を"出会い"と、呼んで、人気があります。この出会いだけを見に来る観客もかなりおられるのだそうです。

 出会いは、山車巡行の祭り初日の前夜祭の宵山と、初日、千秋楽(2日目)の夜間に行われてます。


 「この図は、筒井町天王祭の初日、千秋楽の夜間の山車の曳き回しの経路を示した山車曳行図です。」



「この図は、筒井町天王祭の千秋楽(2日目)の昼間の山車の曳き回しの経路を示した山車曳行図です。」


 その場で、気が付いたのですが、日が暮れると、大都会の名古屋市であっても、町全体の騒音が減るのか、山車囃子が昼間の時より、大きく、しかもいい音色に聴えました。特に、笛の音が綺麗に周囲に響き渡り、祭りの雰囲気を嫌が上にも掻き立てておりました。建中寺山門前の商店街は、昼間と違い歩道から観客が溢れ、山車の周囲は人垣ができ、山車は、山車囃子を演奏しながらその中をゆっくり進みます。整理のお回りさんも、汗だくでした。

 前棚の唐子人形は、山車囃子に合わせて、左右の手に持った采を休みなく振り、ひょうきんな笑顔で、観客に挨拶をしてました。人形がなかなか上手にできていて、見る人を飽きさせないお可笑しさがあり、初めて見る人達を魅了させずにはおきません。上山のからくり人形奉納も、間を置かずに巫女さんの変身が行われ、その都度、観客から歓声に似たざわめが立ちました。

 山車の進行中は、電線を避ける為に、上山を少し下へ下げます。からくり人形が演技をするときは、山車を停車させて、上山を一杯に上に伸ばしてから行います。道路拡張をしていた筒井4、3丁目の商店街の道路などは、好い機会ですから電線の地中埋設を考えて見たら如何でしょうか。街の美観にも好いし、山車がのびのびと巡行できる道路が欲しいですね。

イベント,その2は、力 比べ、

楫方さん達の"力(ちから)自慢"だ!

 "力(ちから)比べ"は、楫方さんの腕っ節の披露です。山車保存会や筒井町町内の世話役さん達の家や、店の前で、楫方の人が、独りで梶棒を持ち上げて、山車の車輪を浮かせてみせると云うものです。

 山車の前後に二本づつ突き出ている丸太の楫棒の一本を、肩で押し上げるのです。囃子手や人形操作の大人達が乗っている山車ですから、4トン近い重量の山車の楫棒の一つを肩にあて、気合いを入れて持ち上げるのです。数人の楫方が次々と、担ぎ挙げて行きました。中腰になって、目を見開いて"やぁっ!"と、気合いの発声をあげて、ぐいっと、持ち上げた時は、見ている方がホットとします。

 中には、持ち上げた梶棒を直ぐに降ろさずに、梶棒を2、3度、煽るように繰り返し上下させて、大きな拍手をもらっていた豪傑もおりました。楫方の皆さんは、背丈も普通で、筋骨隆々の力持ちと思わせるタイプの人はおりません。が、いざと云うときのあの力は、何処に隠されているのかと、感心しました。

 昔から、楫方を経験してない人は、山車のことに口は出せないそうです。楫方の大変さから、それを成し遂げた人が尊敬され、将来の幹部になれるのだそうです。力持ちの皆さんには、町の役員からご褒美の祝儀が進呈されました。

 今回、初めての名古屋の訪問でした。しかし、山車祭りの宝庫といわれる尾張地方のなかの一つを見させて頂いただけに過ぎません。同じ日に、お隣の出来町でも天王祭をやってますし、西枇杷島町でも行われてました。これからも、是非、見聞の機会を多く持ちたいと思ってます。

 神皇車保存会長さんのご好意で、筒井町天王祭の"密着取材"ができましたことを、心から感謝申し上げます。


 

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