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Part 1

 この筒井町天王祭は、初日の朝から、夜迄のお祭りの様子を Part 1、2、3と、3部に分けて御紹介してます。この順序で、ご覧下さい。

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このページでは、Real Audio プレイヤー3.0で、実際のお囃子を聴いて頂きます。プレイヤーをお持ちでない方は、このバナーをクリックして下さい。


名古屋市

"筒井町天王祭" 6月6日(土)、7日(日)

 今年は、全国的に、昨年よりも十日余りも早い梅雨入りとなって、筒井町天王祭が行われる6月第一周の週末は、生憎、九州から東日本に掛けて雨、又は曇りの予報が出ておりました。天気予報が必ず的中するとは限らないし、現地に入らないことには始まらないと、初日が駄目だったら翌日もあるさと、宿の予約もして予定通りに名古屋へ向かいました。

 祈る気持ちが天に通じたのか、6日の名古屋は朝から晴天になりました。JR名古屋駅の改札を出て、すぐそばにある地下鉄桜通り線への降り口の階段を下り、3番ホームで乗車しますと、8分程で車道(くるまみち)駅に到着。階段を昇って地上に出ますと、昨日迄の雨に濡れて一層、深緑を濃くした街路樹の葉が、朝の陽の光に眩しく輝き、雨上がりの澄んだ青空を背景に、背の高いビルの立ち並ぶ幅の広い桜通りに出ました。

この 筒井町の地図 をクリックして、Mapionさんの地図をご覧下さい。

 地図画面の下縁の広い道路が桜通りの車道6丁目交差点。ここに地下鉄の車道駅の出入り口があります。交差点を北(地図では上)へ向かう道を進むと、この道は直ぐに筒井町を南北に通る筒井町商店街の道と交差します。

尚、ブラウザー左上の戻りの←をクリックして見聞録に戻って下さい。

 地下鉄駅から出た歩道の間際の交差点を右へ曲がりますと、そこは道路拡張で拡がった部分は、大層広い空き地になってましたが、大部分はまだ昔からの趣を残した道幅の狭い商店街でした。早朝ですので、低い軒を並べた両側のお店は、未だしっかりと戸が閉まっておりました。既にここはもう筒井町でした。各店の軒先には垂(しで)の付いた縄が張られており、お祭りの雰囲気が感じられました。

*画像は、クリックしますと、拡大します。尚、ブラウザー左上の戻りの←をクリックして見聞録に戻って下さい*

 筒井町3丁目、4丁目と電柱の住所札を頼りに進むと、広い道路に出ました。交差するその道路の左を見ますと、筒井町商店街の大きな道路横断看板が眼に入りました。後で知ったのですが、この東西に伸びる商店街が筒井町の中心道路で、神皇車と湯取車の2台の山車が巡行する場所でした。交差点を左折して歩くとすぐに、右側に筒井小学校があり、ずらり並ぶ両側の商店の各戸口には、筒井町天王祭のポスターが、掲示されてました。

 そして、暫く進むと右側に大きな幟が立っておりました。何だろうと近づくと大きなお寺の門前でした。道路より7、80メートル入った所の立派な門は建中寺の山門でした。尾張徳川家代々の菩提寺であった建中寺は、歴代藩主も参詣した格式ある寺で、筒井町は門前町として繁栄した下町であったとのことで、その名残が感じられます。

 今回の筒井町天王祭の見学を予定したときに、幸運にも知人を通じて、神皇車保存会の会長さんを御紹介いただけましたので、予め、訪問見学の目的をお伝えして、祭礼当日に見学の便宜をお計り頂けるとの、有り難い了解を頂いておりました。会長さん宅は建中寺のお側と伺ってましたので、早速、ご挨拶に伺うことが出来ました。

 その時、会長さんから、町の若い者が隣町の出来町へ祭礼の挨拶に行くので、私も同行したらとの、お誘いがありました。丁度、筒井町と同じ東区の出来町、新出来町、古出来町の3町も、筒井町と同じ日程で、天王祭が行われることは、承知してましたが、今年は、筒井町だけと諦めてました。でも、少しだけでも見学できたらと、祭り半纏もお借りして、町の皆様の仲間にして頂いて、早速、出掛けました。

 道中、祭りのこと、山車のことなど、いろいろと教えていただきした。実際に祭りに係わっておられる方々のお話は、面白く、役に立つことばかりで、見聞録を纏めるときに、助かります。徳川美術館方面に向けて歩いてますと、山車囃子が聞こえて来ました。新出来町の鹿子神車(かじかしんしゃ)でした。祭り半纏に"西"をデザインした西之切奉賛会(保存会のようなもの)の山車でした。

 私は、ここで、初めて名古屋型山車を肉眼で見たわけです。本や雑誌、4月の犬山祭りの帰りに寄った徳川美術館の掲示品やパンフレットで、名古屋型のなんたるかの様子は、知ってましたが、こうやって現物を鑑賞することで、知識が裏打ちされて、身に付く思いがしました。そして、豊な気持ちにもなれます。百聞は一見に如かず、ですね。

 僅かな時間の出来町見学でしたので、内容は次の機会に譲ることにします。帰り道でも皆様と、名古屋型と知多型との違いや時代の背景などの山車談義の華が咲きました。皆さんが山車好きの人ばかりですので、山車の話につい夢中になるほどでした。帰り道の途中で、納庫(のうこ、山車の倉)へ寄りました。神皇車を出して、本陣のある建中寺山門前へ山車を曳行するのです。

 建中寺山門の丁度、向かって右隅に"社" やしろがありました。御神灯が飾られ、神木に囲れたお宮で、筒井天王祭の氏神様でした。筒井町山車のひとつである神皇車の保存会発行の冊子"神皇車"の年賦によりますと、1953年、昭和28年1月「御天王様建中寺門前へ新築遷座式」と、あります。このほか、筒井町4丁目の情妙寺前にも天王様の社があります。ともに、須佐之男社です。

 午前10時、神皇車を「納庫(のうこ)」から曳き出して、午前10時40分、建中寺山門前に駐車しました。山門の前、御天王様の社の隣りに本陣が設営されてました。山車倉を「納庫」と呼びます。半田市は「さや」でしたが、各地の文化の違いは呼称でも現れてます。駐車した山車の飾り付けを行います。

 前日の宵山で、山車を曳き出してましたので、楽屋の清掃もします。前棚の榊や垂(しで)の取り付けや、からくり操作の点検です。出発までの間、人形の顔が汚れないように頭からスッポリと袋で覆ったりもしてました。
そして、準備万端整えられて、午後1時過ぎの山車巡行の出発を待つばかりです。

神皇車
じんこうしゃ

神皇車の保存会発行の冊子"神皇車"に載ってます記述を紹介します。

<履 歴>文政七年(1824)製作。元は、那古野神社の天王祭の見舞車(よその祭礼を盛り立てるための応援車)で、元広井町の所有のものを明治20年7月に筒井町が購入し、筒井の独自の祭礼に曳きだすようになった。
昭和48年名古屋市指定民俗資料第6号に指定。
名古屋市筒井町1、2、3丁目の所有。 神皇車保存会会長 野々山好昭氏。 

<山車の形態> 名古屋型からくり人形山車、二層唐破風 全高(最高時)5.65m  幅(間口)2.67m 全長(楫棒)6.2m 重量 約4トン。 

<からくり人形> クリックで、大きなjpg画像(230kb)が、見られます。 正面の前棚に唐子の采振り、上山(うえやま)に巫女(みこ)と、武内宿弥(たけのうちのすくね)そして、奥の大将座に勇ましい具足姿の神功皇后(じんぐうこうごう)が座している。

<装 飾> 神皇車の勾欄、四柱、屋根は朱塗りで、朱色が青地に金で刺繍した波の千鳥大幕と十二支の水引幕に豪華な調和を見せている。
神皇車の保存会発行の冊子"神皇車"より。

 山車の水引幕の豪華な刺繍は、その下絵を森高雅、山本梅逸、渡辺清の高名な画家が描いた十二支で、江戸時代の工芸美術の粋として珍重されている。
 なお、山車の神功皇后(じんぐうこうごう)と、武内宿弥(たけのうちのすくね)、巫女(みこ)の三体よりなり、糸操りで囃子につれて見事な所作をする。とくに、おどりの最後のところで、巫女が鬼面をつけ錦の衣裳に早変わりするさまは圧巻である。昭和四十八年名古屋市文化財として指定されている。
本陣脇の高札より。 

 

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