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町役場の裏手に広場があって、その隅に"元宮"と呼ばれる鳥居と神社の本殿が鎮座してます。近くに居た町の人に尋ねましたら、昼頃、ここに屋台・笠鉾が曳き揃えられる場所だと教えてくれました。広場から商店街に戻りましたら、停まって居た春日町の屋台が引き綱を延ばして、出発の準備をしてました。そして、お囃子が鳴り出しました。後幕で囲まれた屋台舞台後部の楽屋からで、囃子衆の姿は見えません。金太鼓と大太鼓のハイテンポな連打が大変小気味よい、勇壮な秩父屋台囃子です。 会所を出発した春日町の屋台は商店街を西へ進み始めました。上乗り(うわのり)と呼ばれる役人(やくびと)は赤や青、黄の原色の派手な着物と鉢巻で身を飾り、屋台前面の反り木(そりぎ)に乗って、扇子をもつ手を掲げ、腕を大きく振って、梶取り衆と曳き衆を煽ります。腕に手甲をつけた上半身は裸で黒の腹掛けだけ、柄の股引きに晒しの胴巻き姿が凛々しい十数人の青年達からなる梶取り衆が反り木にガブリついて、神輿を担ぐようなアクションで、ワッショイ、ワッショイの掛け声を挙げます。それに呼応して、曳き手衆がワッショイ、ワッショイと返します。 |
春日町の屋台は元気よく暫く進むと、逸見歯科の前に停止しました。 後で分かったことなのですが、止まった場所は春日町と上町の境で、春日町の屋台はこの場所の駐車して、元宮へ向かって曳行されて来る他町の屋台・笠鉾を出迎えるのです。ここに陣取った管理者は、図らずも四基の屋台・笠鉾の曳行、"ひっかわせ"を取材できることができました。 春日町屋台の前方に、同じ西方向へ進んでいる上町屋台が見えました。上町屋台は上町2丁目の会所を過ぎて進み、上町と原町の境に位置する"みつはし"の前でUターンして、商店街を元宮に向かって進むことになります。 暫くして、商店街を東に向かって進んで来る二基の笠鉾が現れました。先頭は腰之根笠鉾で、つづいて新原笠鉾が威風堂々と、曳き揃えの元宮へ向かって曳行されて来ました。二基の笠鉾とも馴染みの薄い名称なので、地元の人に尋ねてみました。 "腰之根"とは、昔から小鹿神社のある地域を腰之根と呼んでいて、腰之根上区と下区の二地域に分けられている。腰之根笠鉾の曳き手衆が着る祭り半天の背中の"宮"は宮本の宮で、小鹿神社を宮本(本宮?)とも呼ぶからだそうです。よその人には少し分かり難い。 "新原" は、しんはら、と読みます。これは新井(あらい)という地区と原町(はらまち)の両地区の笠鉾の意味になってます。パンフレットの案内では、笠鉾二基とも明治十年に新造されたもので、大正時代に電線敷設で一層とか二層に改造されたが、平成9年に新原が、平成10年に腰之根が今の型の三層構造に復元された。総高11メートル余り、秩父型と呼ばれる大型の笠鉾です。平成11年、両笠鉾同時に、県指定有形民俗文化財に指定された。 二基の笠鉾の構造等は別掲のページ「小鹿野屋台・笠鉾」でご紹介します。
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待機していた春日町の屋台の舵取り衆、曳き手衆そして、手古舞娘の皆さんが屋台の前に、道に沿って横並びになりました。曳き揃えの場所、元宮へ向う二基の笠鉾が停車している春日町の屋台に近づいて来ますと、横に並んでいる春日町の手古舞娘や舵取り衆、曳き衆の役人達が腰を折って歓迎の意を表します。 この頃になると、商店街は大勢の観客で埋められ、笠鉾の先頭を歩く手古舞娘の姿が観客に遮られて見えなくなったりしました。
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二基の笠鉾が春日町の屋台の横を通り過ぎる時は、どこの山車・屋台まつりでも通常行われているもので、巡行中に対面した山車や屋台同士が笛、太鼓のお囃子の演奏を競う「ひっかわせ」がありますが、それと同じに、ここ小鹿野でもすれ違う屋台と笠鉾のそれぞれの上乗り衆は大きく身を乗り出して、扇子を振り、囃子衆は笛・太鼓を打ち鳴らして、お互いの健闘と歓迎の意を表します。二基の笠鉾は床下の腰四方幕のなかで演奏をします。 |
停止している春日町屋台の前方の商店街を西方向へ進んでいた上町屋台は、上町と原町の境にある"みつはし"の前でUターンして、上町2丁目の会所の前で待機して、後ろから進んできた二基の笠鉾をやり過ごしてから、笠鉾の後を追うように曳行を再開しました。今度は二基の屋台同士の対面、すれ違いの場面になります。 祭りパンフレットによると、春日町と上町の両屋台は、ともに江戸時代からあった屋台で、明治の初めに二基とも改修されたことを示す古文書もあるそうです。昭和51年、両屋台同時に県指定有形民俗文化財に指定されている。
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春日町屋台は、腰之根・新原の笠鉾、上町の屋台の出迎えが無事終了すると、いよいよ元宮に向けて曳行の再開です。出発といっても、待機していたその場でのUターンから始まります。屋台の方向転換は舵取り衆の大きな仕事です。二時間近く待機していたので、舵取り衆は待ちくたびれた気持ちを吹き飛ばすかのような大きな元気な掛け声で、腕力の要る屋台の回転を苦もなくやってしまいました。そして、先を行く上町屋台を追ってワッショイ、ワッショイの力強い掛け声の中、曳行が再開されました。 春日町屋台は、総体漆塗りで、金色に輝く飾り金具と極彩色の彫刻で飾られ、全長が約4間、幅1間半、精緻で巨大な彫刻に埋もれた破風の鬼板迄の背丈は二丈(6m)はあると思われる堂々たる大きな屋台です。 管理者が日頃ご厚誼を頂いております秩父地方の屋台・笠鉾に造詣の深い著名な研究者でおられる作美陽一氏は、「春日町の屋台は、正面鬼板の覇気に富んだ巨大な彫刻は秩父一で、屋台本体も大きく、秩父市の中町屋台と秩父型屋台の双璧をなしている」と、語っておられます。 |
屋台の前正面の両側に突き出ている雲型の反木(そりぎ)は龍が彫られ、肉太のいかにも堅牢な仕上がりです。 四輪の堅固な土台に六本の柱で唐破風造りの屋根を支え、屋根下の軒の四方には雲に鶴の軒支輪彫刻を廻し 、その下に鳳凰の刺繍をした緋羅紗の水引幕を吊す。
屋台は六本の柱の真中の中柱で前後に区切られ、前側が舞台、後ろ側が後幕で囲まれた楽屋になっている。後幕は青地の羅紗に猩々酔舞(猩々が盃を酌み、舞を踊る)の見事な刺繍がなされてます。 上町と春日町両町の屋台の構造等は別掲のページ「小鹿野屋台・笠鉾」でご紹介します。
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小鹿神社例大祭"小鹿野春まつり"でのハイライトの数々! |
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