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小鹿野(おがの)町"小鹿(おしか)神社例大祭" 小鹿野春まつり!

埼玉県小鹿野町を、町の公設ホームページはその冒頭で、次ぎのように紹介してます。
「埼玉県の西北部、秩父市の西側に位置し、四季折々の豊潤な自然に恵まれた町。埼玉県内で川越に次いで二番目に町名を用いた、歴史と伝統に彩られた町。西秩父の山懐に抱かれ、ゆるやかに時の流れる人口12,500人余、面積100.03平方キロメートルの町」 と紹介しております。小鹿野町は地図でみると、ぺージ管理者の住む群馬の南西部に接する埼玉北西部の県境の町で、深い山々と清流に囲まれた山間部に位置しますが、秩父市に近く、西武線で都心へのアプローチも容易な町です。

 平成14年の"小鹿野春まつり"に訪れたのは、祭礼二日目の13日の土曜日でした。初めての訪問でしたが、小鹿野町の隣の吉田町に勤めていた会社の子会社があった関係で、吉田町迄は車で往来した経験があったので、山間部の道も迷うこともなく、屋台・笠鉾の巡行開始の午前9時丁度に、小鹿野町商店街の東端の町役場前へ到着できました。町役場につづく商店街の各店の軒先には、紅白幕や紙四手の綱が張られ、民家の玄関口には祭り提灯が吊るされ、まだ人出は少なかったが、何となく華やいだ街の雰囲気が感じられました。

 車を降り、商店街を歩き始めますと直ぐに、道脇に豪華な祭り屋台が停っているのが眼に飛び込んできました。春日町の屋台でした。小走りに駆け寄って見た屋台は、うぅ〜ん、すごいなぁ と、思わず声が出てしまいました。文字通りの豪華絢爛たる見事な屋台を眼前にして、正直驚きました。先輩諸氏からの話や写真で、小鹿野町には秩父夜祭の屋台に匹敵する屋台があるらしいとは承知してましたが、こんなに素晴らしいとは思いの外でした。

 祭り半纏の大勢の大人に混じって、ひときわ華やかな衣装をまとった女の子数人が、紅と白の髪飾り、花笠、色あざやかな襦袢の長袖、たっつけ袴、白足袋に草履、白手袋の手には頭部に数個の鉄輪がつく金棒を持って、若い粋な手古舞姿で、楽しそうに談笑するのを見て、こちらもすっかり祭りモードの気分になってしまいました。 

小鹿神社例大祭 春まつり二日目、四基の屋台・笠鉾曳き廻し!
 

 この図は、商店街の観光案内所で貰った祭りパンフレットに載っている屋台・笠鉾の曳行予定図を模写したものです。パンフレットの中の祭り紹介文「小鹿野春祭りについて」の中で、祭り最終日の夕刻の屋台・笠鉾の曳き揃いの場所は町の西と東に位置する総鎮守の小鹿神社と元宮で、一年ごとに交替するとの解説を読んでいたので、今年平成14年の春まつりは、二日目の13日夕刻、屋台・笠鉾を小鹿神社に曳き上げて、祭りを終了する年に当たることが分かりました。

 今回の小鹿野春まつりの見聞録は、春まつり二日目の13日朝、各会所を出発した四基の屋台・笠鉾が、町の目抜き通りを曳行されて、正午前後に最初の曳き揃いの場所の元宮に曳き揃いられて、屋台の舞台での奉納舞踊が披露される迄をレポートしたものです。

 下の図は、四基の屋台・笠鉾が各会所を出発して、目抜き商店街を曳行されて、最初の曳き揃え場所の元宮へ到着する迄の様子を、カメラ片手に追っかけた管理者自身が描いたものです。

屋台・笠鉾曳き廻しビデオ画像!=ブロードーバンド= の方々へ

 図中の上一会所、上ニ会所、春日会所 そして元宮の文字を囲む黄色の四角の枠をクリックしますと、その付近を巡行通過した屋台・笠鉾の動画がご覧になれます。上一会所付近では腰之根笠鉾、上ニ会所付近では新原笠鉾、春日町会所付近では上町屋台、元宮では春日町屋台の巡行の場面の一部分です。

=ブロードバンド=ADSL接続、 CATV接続、またはそれと同等の接続を使用の方にお奨めします。Windows Media Player  250kbps、 320X240(解像度76,800ドット) 、 30fps、  30秒〜40秒。

屋台・笠鉾曳き廻しビデオ画像! =ナローバンド= の方々へ

 =ナローバンド= アナログモデムやISDNなどを使ったインターネットへのダイヤルアップ接続を使用して、一般的に128kbps以下の速度の通信回線をご使用の方は、こちらをクリックして下さい。

  ●新原笠鉾●腰之根笠鉾●上町屋台●春日屋台

*順次クリックして下さい。画像が現れる迄に暫く時間が掛かります。Windows Media Player  30kbps、 160X120(解像度19,200ドット)、 15fps、30秒〜40秒。

 町役場の裏手に広場があって、その隅に"元宮"と呼ばれる鳥居と神社の本殿が鎮座してます。近くに居た町の人に尋ねましたら、昼頃、ここに屋台・笠鉾が曳き揃えられる場所だと教えてくれました。広場から商店街に戻りましたら、停まって居た春日町の屋台が引き綱を延ばして、出発の準備をしてました。そして、お囃子が鳴り出しました。後幕で囲まれた屋台舞台後部の楽屋からで、囃子衆の姿は見えません。金太鼓と大太鼓のハイテンポな連打が大変小気味よい、勇壮な秩父屋台囃子です。

 会所を出発した春日町の屋台は商店街を西へ進み始めました。上乗り(うわのり)と呼ばれる役人(やくびと)は赤や青、黄の原色の派手な着物と鉢巻で身を飾り、屋台前面の反り木(そりぎ)に乗って、扇子をもつ手を掲げ、腕を大きく振って、梶取り衆と曳き衆を煽ります。腕に手甲をつけた上半身は裸で黒の腹掛けだけ、柄の股引きに晒しの胴巻き姿が凛々しい十数人の青年達からなる梶取り衆が反り木にガブリついて、神輿を担ぐようなアクションで、ワッショイ、ワッショイの掛け声を挙げます。それに呼応して、曳き手衆がワッショイ、ワッショイと返します。

 春日町の屋台は元気よく暫く進むと、逸見歯科の前に停止しました。 後で分かったことなのですが、止まった場所は春日町と上町の境で、春日町の屋台はこの場所の駐車して、元宮へ向かって曳行されて来る他町の屋台・笠鉾を出迎えるのです。ここに陣取った管理者は、図らずも四基の屋台・笠鉾の曳行、"ひっかわせ"を取材できることができました。

 春日町屋台の前方に、同じ西方向へ進んでいる上町屋台が見えました。上町屋台は上町2丁目の会所を過ぎて進み、上町と原町の境に位置する"みつはし"の前でUターンして、商店街を元宮に向かって進むことになります。

 暫くして、商店街を東に向かって進んで来る二基の笠鉾が現れました。先頭は腰之根笠鉾で、つづいて新原笠鉾が威風堂々と、曳き揃えの元宮へ向かって曳行されて来ました。二基の笠鉾とも馴染みの薄い名称なので、地元の人に尋ねてみました。
 "腰之根"とは、昔から小鹿神社のある地域を腰之根と呼んでいて、腰之根上区と下区の二地域に分けられている。腰之根笠鉾の曳き手衆が着る祭り半天の背中の"宮"は宮本の宮で、小鹿神社を宮本(本宮?)とも呼ぶからだそうです。よその人には少し分かり難い。

 "新原" は、しんはら、と読みます。これは新井(あらい)という地区と原町(はらまち)の両地区の笠鉾の意味になってます。パンフレットの案内では、笠鉾二基とも明治十年に新造されたもので、大正時代に電線敷設で一層とか二層に改造されたが、平成9年に新原が、平成10年に腰之根が今の型の三層構造に復元された。総高11メートル余り、秩父型と呼ばれる大型の笠鉾です。平成11年、両笠鉾同時に、県指定有形民俗文化財に指定された。

 二基の笠鉾の構造等は別掲のページ「小鹿野屋台・笠鉾」でご紹介します。

 待機していた春日町の屋台の舵取り衆、曳き手衆そして、手古舞娘の皆さんが屋台の前に、道に沿って横並びになりました。曳き揃えの場所、元宮へ向う二基の笠鉾が停車している春日町の屋台に近づいて来ますと、横に並んでいる春日町の手古舞娘や舵取り衆、曳き衆の役人達が腰を折って歓迎の意を表します。

 この頃になると、商店街は大勢の観客で埋められ、笠鉾の先頭を歩く手古舞娘の姿が観客に遮られて見えなくなったりしました。

 
 二基の笠鉾が春日町の屋台の横を通り過ぎる時は、どこの山車・屋台まつりでも通常行われているもので、巡行中に対面した山車や屋台同士が笛、太鼓のお囃子の演奏を競う「ひっかわせ」がありますが、それと同じに、ここ小鹿野でもすれ違う屋台と笠鉾のそれぞれの上乗り衆は大きく身を乗り出して、扇子を振り、囃子衆は笛・太鼓を打ち鳴らして、お互いの健闘と歓迎の意を表します。二基の笠鉾は床下の腰四方幕のなかで演奏をします。

 

 停止している春日町屋台の前方の商店街を西方向へ進んでいた上町屋台は、上町と原町の境にある"みつはし"の前でUターンして、上町2丁目の会所の前で待機して、後ろから進んできた二基の笠鉾をやり過ごしてから、笠鉾の後を追うように曳行を再開しました。今度は二基の屋台同士の対面、すれ違いの場面になります。

 祭りパンフレットによると、春日町と上町の両屋台は、ともに江戸時代からあった屋台で、明治の初めに二基とも改修されたことを示す古文書もあるそうです。昭和51年、両屋台同時に県指定有形民俗文化財に指定されている。  

 春日町屋台は、腰之根・新原の笠鉾、上町の屋台の出迎えが無事終了すると、いよいよ元宮に向けて曳行の再開です。出発といっても、待機していたその場でのUターンから始まります。屋台の方向転換は舵取り衆の大きな仕事です。二時間近く待機していたので、舵取り衆は待ちくたびれた気持ちを吹き飛ばすかのような大きな元気な掛け声で、腕力の要る屋台の回転を苦もなくやってしまいました。そして、先を行く上町屋台を追ってワッショイ、ワッショイの力強い掛け声の中、曳行が再開されました。

 春日町屋台は、総体漆塗りで、金色に輝く飾り金具と極彩色の彫刻で飾られ、全長が約4間、幅1間半、精緻で巨大な彫刻に埋もれた破風の鬼板迄の背丈は二丈(6m)はあると思われる堂々たる大きな屋台です。

 管理者が日頃ご厚誼を頂いております秩父地方の屋台・笠鉾に造詣の深い著名な研究者でおられる作美陽一氏は、「春日町の屋台は、正面鬼板の覇気に富んだ巨大な彫刻は秩父一で、屋台本体も大きく、秩父市の中町屋台と秩父型屋台の双璧をなしている」と、語っておられます。


 屋台の前正面の両側に突き出ている雲型の反木(そりぎ)は龍が彫られ、肉太のいかにも堅牢な仕上がりです。 四輪の堅固な土台に六本の柱で唐破風造りの屋根を支え、屋根下の軒の四方には雲に鶴の軒支輪彫刻を廻し 、その下に鳳凰の刺繍をした緋羅紗の水引幕を吊す。

 屋台は六本の柱の真中の中柱で前後に区切られ、前側が舞台、後ろ側が後幕で囲まれた楽屋になっている。後幕は青地の羅紗に猩々酔舞(猩々が盃を酌み、舞を踊る)の見事な刺繍がなされてます。 上町と春日町両町の屋台の構造等は別掲のページ「小鹿野屋台・笠鉾」でご紹介します。


小鹿神社例大祭"小鹿野春まつり"でのハイライトの数々!

 小鹿野町の豪華絢爛な屋台・笠鉾を、更に引立ててくれるのがひときわ華やかで色あざやかな祭り衣装の手古舞姿の若い娘さん達です。

 手古舞とは「江戸時代の祭礼の余興に出た舞。元は氏子の娘が扮したが、後に芸妓が男髷に右肌脱ぎで、伊勢袴、手甲・脚絆に足袋・わらじを着け、花笠を背に掛け、鉄棒(かなぼう)を左に突き、右に牡丹の花をかいた黒骨の扇を持って煽ぎながら「きやり」を唄った・・ 」と広辞苑に載ってます。

 各町とも手古舞は女子中学生の皆さん達で、毎年、各町内で趣向をこらして、動物のぬいぐるみを腰に下げたり、肩に乗せたりして、清純可憐な手古舞姿です。娘さんを手古舞に出している親御さんは付きっきりで、衣装の着崩れを直したり、なにやかやと世話をしてます。手古舞に我が娘が参加することを名誉に感じておられる様子なのも、地元に定着した永い伝統のある祭りだからこそと思います。


 屋台・笠鉾の前正面の両側に突き出ている雲型の反木(そりぎ)は龍が彫られ、肉太のいかにも堅牢な仕上がりです。大変な力仕事である曳行中の屋台・笠鉾の進路変更・修正を担う梶取り衆は、足腰の頑丈な血気盛んな若いお兄さん達でなくてはなりません。

 腕に手甲をつけた上半身は裸で黒の腹掛けだけ、柄の股引きに晒しの胴巻き姿が凛々しい十数人の青年達からなる梶取り衆が反り木にガブリついて、神輿を担ぐようなアクションで、ワッショイ、ワッショイの掛け声を挙げます。それに呼応して、曳き手衆がワッショイ、ワッショイと返します。


 上町屋台と春日町屋台の進路方向の変更はどのような仕掛けで行うのだろうか。両町の屋台の後部の車輪の軸が通る土台に縄(綱)を巻き取る装置が据付けられてます。後で聞いて分かったのですが、その巻取り装置を"シャチ"と呼ぶのです。横幕で覆われている舞台とその下の土台の空間は、しゃがめば大人もゆっくり入れる高さがあります。その舞台下に太い角材が置いてあります。

 春日町屋台が進路変更をする現場を観たのですが、巻き取り装置は位置違いで幾つかの穴を明けた太い横木(裁縫ミシンの糸が巻いてある芯の形に似た)で出来ていて、その木の穴に野球のバットに似た棒を差し込んで、棒を上へ動かし、巻き取り装置を回転させていたのを目撃したのでが、それがどう作用して屋台の後輪が浮き上がるのかが理解できなかったのですが、13日の元宮の曳き揃えの観覧の際に付き添い下されて、四基の屋台・笠鉾の解説をして下さった秩父市の作美陽一氏にお聞きしました。

作美氏からお聞きしたシャチの操作方法は次ぎの通りです。

@舞台下にある太い角材(シャチ棒という)を舵取り衆が手で持ち上げる(B)。

A持ち上げたシャチ棒の下(屋台の中心付近)に軸木(ギリ棒という)を据える(C)。

B屋台後部にある縄の巻き取り装置(シャチという)を使い、シャチ棒から出ている縄を巻いていく。シャチ棒はギリ棒があるので縄で引っ張られても動けませんので、縄を巻き取るシャチが固定されている土台が、逆にシャチ棒に引っ張られる形になってしまって、屋台が浮き上がります。シャチ棒の下に据えたギリ棒を軸として屋台を回転させる(D)。

現在、シャチによる回転を行っているのは、小鹿野の屋台2台と飯田の屋台1台だけですが、大正頃までは、秩父の屋台でも行われていました。

この方式は、江戸時代末期に秩父で考案されたもので、狭い場所でも少数の人により大きな屋台を回転できる優れた方法です。ただ、見物人ウケがあまりよくないため、秩父では廃止になりました。幕末から明治にかけて造られた秩父型屋台、及び秩父系の屋台には、このシャチが標準装備となっていました。今でも、花園町小前田上町屋台ではシャチを実施しています。この方式をシャチ式回転と呼んでます。



 秩父型屋台、及び秩父系の屋台・笠鉾では定番と云ってもよい屋台曳き廻しの華麗なパフォーマンスです。上乗り(うわのり)と呼ばれる役人(やくびと)は赤や青、黄の原色の派手な着物と鉢巻で身を飾り、屋台前面の反り木(そりぎ)に乗って、扇子をもつ手を掲げ、腕を大きく振って、梶取り衆と曳き衆を煽ります。

左:腰之根 右:新原 

左:春日町 右:上町 

 

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