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小鹿神社例大祭・小鹿野春まつり"笠鉾・屋台"の各部分の紹介

 以下ご紹介します内容は、祭り当日13日の元宮の曳き揃えの観覧の際に付き添い下されて、四基の屋台・笠鉾の解説をして下さった秩父市の作美陽一氏のお話しと氏がお書きになった小鹿野地域の祭礼曳きものの研究資料を参照しました。
作美氏は秩父地方の山車・屋台をはじめ、関東一円の祭礼曳き山文化に造詣の深い研究家です。

笠鉾

腰之根笠鉾




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明治11年の創建の腰之根笠鉾は、四輪の堅固な土台に勾欄と腰支輪を廻し、長い一本柱を立て、それに下から三層の笠を載せ、造り花を放射状に垂らす大型の秩父型笠鉾であった。大正6年の電線架設により、それまでの三層から二層に短縮されて変則的な姿であったが、平成10年に今の三層の姿に復元された。高さは本来の14メートルでなく、鳥居通過の関係で11メートルほどに抑えられた。この三層復元に際しての大改修で、漆塗り・金具・彫刻彩色の全面修理と、一、二、三層の全ての笠、万度、雲型石台、太陽、御光、各層の水引幕、腰幕が新調された。従来は三枚の笠の水引幕全てが緋羅紗に飛鶴の刺繍でしたが、新調の水引幕は一、二層は従来通りで、三層だけが緋羅紗に雲の刺繍。一層の笠は筒状の軸木の上端に骨木が放射状に取り付き、軸木の下端から弧状の受木が出て骨木を支え、骨木の外縁には乳隠板が円形に廻り、垂木が放射状につく。二層、三層の笠は、直径が次第に小さくなることと、受木が直線になっている以外は一層とほぼ同じである。総体漆塗り金具打ち、波に龍の腰支輪彫刻は極彩色である。勾欄平桁と地覆の間は創建当時の草花を描いた彩色幕板が廃止され、宝珠唐草の幕板になった。お囃子は土台内部の囃子座で行う。反木は西秩父に多い雲形反木。 

笠鉾

新原笠鉾




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明治3年、当時の県庁へ提出された付け祭り復活の窺い書に、新井地区に笠鉾があったことが想像できる記述がある。明治11年に笠鉾が新造された。新原笠鉾は、四輪の堅固な土台に勾欄と腰支輪を廻し、六本柱で油障子の屋根を造り、屋根を貫通する形で長い一本柱を立て、それに下から一層の笠、二層の笠、三層の笠、万度、雲形石台、御幣と付き、高さ14メートルほどもあった秩父型笠鉾でした。大正6年の電線架設により、笠を一層に短縮し、万度も省略した姿になってしまったが、平成9年に本来の三層笠鉾に復活した。ただ、小鹿神社入口に新築された鳥居を通過する関係から、高さは11メートルに抑えられた。三層復活に先立ち、平成8年に大改修を行った。この時の内容は、漆塗り、かざり金具、彫刻彩色の全面修理、一層、ニ層、三層の各笠、万度、雲型石台、笠の水引幕、屋根の水引幕、腰幕の新調などであった。従来の水引幕は笠用、屋根用ともに緋羅紗の無地だったが、新しい水引幕は笠用が緋羅紗に三つ巴の刺繍、屋根用が緋羅紗に牡丹と唐獅子の刺繍入りとなった。
簡単な造りではあるが、秩父地域の笠鉾で屋根を付けたのはこの新原笠鉾が最初です。新原笠鉾の屋根には、当時建造中で2年後の明治13年に完成する秩父中近笠鉾への試験的要素があったとも伝えられる。屋根の付く笠鉾は横瀬町大畑笠鉾、秩父市宮側町笠鉾などに見られる。

万度

腰之根笠鉾



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平成10年の改装で新調された万度とその頂きの太陽と御光。
明治11年の創建の腰之根笠鉾の万度の頂きは太陽と柳葉であった。 平成10年の改装の際に柳葉から御光に変わった。柳葉は秩父型笠鉾の原型である江戸万度型山車の名残で、東日本各地に存在した同系の山車形式(電線架設などにより、ほぼ全てが消滅してしまった、現在は秩父等にごく僅かに残るのみ)に多く見られた。その意味では、非常に歴史のある装飾だけに廃止が惜しまれる。

万度

新原笠鉾




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高さ14メートルを誇った新原笠鉾も大正6年の電線架設により、笠を一層に短縮し、万度も省略した姿で曳行さざるを得なくなった。平成8年に大改修を行い、万度、雲形石台、御幣が新調された。

正面の唐破風

春日町




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春日町屋台は四輪の堅固な土台に勾欄と波に龍の腰支輪を前面と側面に廻し、主要な六本の柱で唐破風造りの屋根をのせる。屋根の正面には破風両端近く迄匍匐する巨大な龍の鬼板が載り、軒にも覇気に富んだ雲に鶴の彩色された軒支輪彫刻を廻し、鳳凰の刺繍をした緋羅紗の水引幕を吊る。巨大な彫刻は秩父一で、屋台本体も大きく、秩父市の中町屋台と秩父型屋台の双璧をなしている。屋台は中柱筋で前後に区切られ、前側が舞台、後ろ側が後幕で囲まれた楽屋になっている。

後面の唐破風

春日町



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正面の唐破風

上町屋台



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上町の屋台は四輪の堅固な土台に勾欄と波に飛龍の腰支輪を前面と側面に廻し、主要な六本の柱で唐破風造り屋根をのせる。前鬼板は仙人と龍。後鬼板は応婦人と侍女。懸魚は前後とも波に龍。屋根の軒には雲に龍の軒支輪を四方に廻し、緋羅紗に飛鶴を刺繍した水引幕を吊る。

後面の唐破風

上町屋台



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水引幕と
後幕

春日町




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唐破風造りの屋根の軒には覇気に富んだ軒支輪彫刻を廻し、鳳凰の刺繍をした緋羅紗の水引幕を吊る。屋台は中柱筋で前後に区切られ、前側が舞台、後ろ側が後幕で囲まれた楽屋になっている。お囃子はこの楽屋内で行う。後幕は青地羅紗に猩々酔舞の刺繍であるが、これは水引幕とともに昭和56年に復元新調された幕で、旧幕はどちらも無地であった。後幕の刺繍は明治時代に計画されたもので、その下絵が今でも残っている。

水引幕と
後幕

上町




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唐破風造りの屋根の軒には覇気に富んだ軒支輪彫刻を廻し、飛鶴の刺繍をした緋羅紗の水引幕を吊る。屋台は中柱筋で前後に区切られ、前側が舞台、後ろ側が後幕で囲まれた楽屋になっている。屋台を前後に区切る襖は、表側が松に鶴の図、裏側が桜に雉(きじ)の図であったが、平成7年に春日の神鹿を描いたものを新調した。お囃子はこの楽屋内で行う。後幕は白地に花車を曳く唐子の図で、つづれ織りの幕を復元新調した。これは水引幕とともに昭和56年に復元新調された幕で、旧幕はどちらも無地であった。
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