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小鹿神社例大祭 "春まつり"の屋台・笠鉾 を尋ねて!の後編です

屋台・笠鉾の元宮曳き揃え

 腰之根笠鉾を先頭に、新原笠鉾、上町屋台、そして春日町屋台と、隊列を組んだ四基の笠鉾と屋台が昼間の曳き揃い場所の元宮へ入って来ました。境内を囲む木々の鮮やか新緑で、笠鉾の放射状に下がる造花が浮かびあがり、屋台の緋色の水引幕がひときわ祭りの雰囲気を盛り立てくれるようです。境内に入った鉾・屋台は方向転換をして、到着順に元宮の本殿に向って左端から、腰之根、新原、上町、春日町と横一列に並びました。整列した四基の鉾と屋台は背景の新緑と見事に調和して、華やかななかにも格調の高い造形美は眩しいほどでした。

 四基の奉納お囃子の終了後、上乗りなどの皆さん達が昼食休憩に入ると、屋台・笠鉾のそばに寄って、じっくり拝見させて貰った。

笠鉾画像の左は腰之根笠鉾、右は新原笠鉾。屋台画像の左は上町屋台、右は春日町屋台。屋台及び笠鉾の画像をクリックしますと、秩父地域の曳き山の著名な研究家の解説があります。

屋台の舞台の上で、所作"曳き踊り"を奉納する

 短い昼食休憩中に、上町屋台の舞台の上で所作"曳き踊り"を奉納する準備が進み、最初に上町屋台の舞台で、小学三年生の新井万貴さんの汐汲み、つづいて春日町屋台の舞台で、同じく小三の吉田真奈さんの藤娘が演じられました。お師匠さん、踊り手、三味線奏者の皆さんが地元、小鹿野の人ということも、屋台・笠鉾と同様に、伝統を守る意識、祭りに対する思い入れは並々ならぬものがあるからでしょう。上演終了時に、観客の皆さんから大きな拍手が贈られました。

掲載画像左は上町屋台、右は春日町屋台です。それぞれの画像をクリックしますと、踊りの動画と音声が御視聴できます。
Windows Media Player  30kbps、 160X120、 15fps、 30秒。

 元宮近くの沢から打ち上げられる煙火花火の炸裂音が町全体を揺るがすかのように響き渡り、祭りの雰囲気も最高調に、四基の屋台・笠鉾は秩父囃子と梶取り、曳き手の大きな掛け声が再び盛り上がって、曳き揃え会場から商店街への曳き廻しが始まりました。

 
小鹿野春まつりの紹介パンフレット、「小鹿野春祭りについて」です

 

「4月12日・13日の両日行われる小鹿神社の例大祭は、町の鎮守として市街地の東西に建てられた神社の間を神輿が往復することが祭礼の基本で、起源は江戸時代初期までさかのぼる。町の旧家に残る由緒書きには、諏訪明神を上の森(かみのもり・現在の小鹿神社が鎮座するところ)に移転し、町並みの入口(小鹿神社旧本殿で、元宮と呼ばれる社がある町役場の裏)に小鹿野明神を移転させ、両社を小鹿野の鎮守に奉ったとある。また、諏訪明神の祭日の2月27日には、諏訪明神から小鹿野明神へ、小鹿野明神の祭日の7月27日には、その逆というように、交互に神輿渡御が行われていたことも記されている。

 明治43年、関東地方を襲った豪雨により、小鹿野明神の境内が陥没し、崩落の危険になったため、本殿の建物だけを残し、小鹿野明神を腰之根の上の森の諏訪明神に合祀し、社号を小鹿神社とした。 現在でも、小鹿神社境内に屋台・笠鉾を曳き上げて祭りが終わる年と、元宮に曳きつけて終わる年と、一年交替になっている。このように現在の小鹿神社と元宮の関係は、祭りの原形をそのまま受け継いでいるといわれる。

 祭りは、4月12日午前、春日町(かすがちょう)、上町(かみちょう)、新原(しんはら)、腰之根(こしのね)の四町内の役人(やくびと) が町内ごと揃いの祭り衣装で小鹿神社に参拝しお払いを受けた後、神社旧本殿・元宮に出向き、参拝する「宮参り」で始まる。午後は春日町屋台、上町屋台、新原笠鉾、腰之根笠鉾の4基が各町内を曳行される。絢爛豪華な屋台・笠鉾が秩父囃子をとどろかせながら曳行される。夕方から夜にかけて、屋台の上で歌舞伎の上演がある。屋台芝居は春まつりならではの光景で、その歴史も古い。

 文久2年(1862)の記録に芝居大当たりとあり、江戸時代末から行われてきた。昭和28年頃までは、上町屋台と春日町屋台は町境を隔てて相向かいで張り出し舞台を組み立て、交互に歌舞伎を競演し、夜通しの賑わいを見せた。屋台は床に回り舞台が付き、両芸座、花道を組み立て、歌舞伎を上演できるように設計されている。近年は上町の子ども歌舞伎も人気を博し、平成12・13年に春日町の屋台芝居も復活するなど、往時の賑わいを取り戻しつつある。
 翌13日は、朝、屋台・笠鉾が各町内を出発し、市街地を通って昼頃、神社または元宮に曳き揃えられる。最初に曳き揃えられるのが神社か元宮かは一年交替となっている。曳き揃えられた四基の屋台・笠鉾は昼食休憩後、屋台の舞台で所作が奉納される。長唄に合わせ少女達による舞踊が奉納される。その後、巡行が再開され、所作は各町内の会所前でも披露され、町中に祭りの華やかさを添える。夜八時、再び屋台・笠鉾は神社(又は元宮)に曳き揃えられ、花火ば町並みを彩る。祭りの終わることを惜しみながら、また来年まで、と各町内に引き上げるのは十時近く、値千金という春の夜が更けてゆく。 平成14年4月12日 小鹿野町教育委員会・作成」

   

 

 
小鹿野春まつりの魅力一杯の催しもののご紹介!

 小鹿神社例大祭の小鹿野春まつりは、毎年4月の12日と13日に行われます。この小鹿野春まつり見聞録は13日だけの祭り観覧で、しかも夕方から夜の小鹿神社での曳き揃えは観ておりません。

 春まつり初日の12日午前、春日町、上町、新原、腰之根の四町内の役人(やくびと)が町内毎に揃いの祭り衣装で小鹿神社に参拝してお祓いを受けた後、神社旧本殿に出向き、参拝する「宮参り」で始まります。午後から四基の屋台・笠鉾の町中曳行が夕方まで行われます。

 12日午後6時から春まつりならではの大きな楽しみの屋台芝居が行われます。上町、春日町両屋台は、屋台本体の舞台の左右に張出舞台が展開できます。張出舞台は右側に唐破風造りの本芸座、左側に切破風造りの仮芸座がのります。

 祭礼曳きもの研究家の作美氏が平成14年の春まつりの初日に撮られた上町屋台の歌舞伎上演の画像を送信して来られましたので、ここに掲載させて頂きます。
 作美氏は「演目は「神霊矢口之渡」です。神霊矢口之渡は、平賀源内が秩父の大滝村中津に滞在していた折に書き上げたもので、近年、秩父地方の地芝居でよく上演されています。春日町屋台では歌舞伎は行われませんでした。町会の人達によるカラオケや踊りが披露されました」と、知らせて下さいました。

 小鹿野町は、「小鹿野歌舞伎」の言葉が定着してしっまたほど、彩の国さいたまを代表する「町じゅうが役者の町」「歌舞伎のまち・おがの」なのです。県指定無形民俗文化財「小鹿野歌舞伎芝居」の小鹿野町内には、常設舞台が六ヶ所あり、その外、掛け舞台や上町、春日町の両屋台も加わって、それぞれの地元の神社の祭りに地元の氏子が中心になって歌舞伎が演じられてます。

 県内はもとより、東京、名古屋などで地域文化交流を目指した歌舞伎公演が行われておるそうです。もともと歌舞伎の盛んな土地柄であるので、芸事への関心が町民全体にあって、春まつりで小鹿神社と元宮の曳き揃いと各町の会所の前で、10分か15分程度の舞台踊りを奉納所作として行う「曳き踊り」の伝統が、今でも硬く守られておることは、祭り好きの者にとっては大感激なのです。秩父の皆さんに聞かれたら、叱られてしまうかもしれませんが、秩父夜祭より小鹿野春祭りの方が華やかだと思うのですが・・・。

 今回の訪問で観られなかった初日の「宮参り」「屋台歌舞伎芝居」、二日目の夜の「曳き揃い」を次ぎの機会に観覧して、レポート致したいと考えております。

 

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