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東京都青梅市 住吉神社祭礼 "青梅大祭"見聞録

 

 5月3日、連休真っ只中の日曜日、11時6分新宿発JR中央線下り特別快速に乗車、立川で青梅線に入り、立川以降の停車駅毎に乗客数が増えて、青梅駅到着手前で、車内放送が"青梅大祭"で青梅駅のホームが混雑してますから、ご注意下さいとの車内放送が流れる中、正午を少し過ぎた12時5分青梅駅に到着した。青梅駅のホームは下車客で溢れ、階段を降りるのに手間取り、やっとの思いで改札を通り、駅前通りに出ました。

 左の画像はJR青梅駅舎。駅の軒先には"青梅大祭"の提灯がずらりと下がっており、ローターりーを囲む駅前の会社、商店の建物の軒先にも沢山の祭礼提灯が飾られておりました。(駅画像をクリックしますと、拡大します。左上の戻る←でお戻り下さい)早速、駅頭で拝領した"青梅大祭"と表題されたA3サイズ二つ折りのリーフレットの中の「おまつりマップ」を参照して、何はともあれ祭礼の氏神の「住吉神社」を訪ねることにした。駅前通りがぶつかる青梅街道を左折し、お囃子の太鼓の響きがする先を見ると、1台の山車が停車していて、道の左端に鳥居の頭が見えてます。小走りで近寄って見ると、住吉神社の鳥居の下で、三方に祭具が飾られ、神官の立会いの中、木遣が奉納されておる最中でした(下の画像)。本殿は鳥居の奥深くです。


鳥居の奥の登り石段は、踊り場を挟んで80段もあり、少しきついですが、茂みの間に覗く本殿を眺めながらゆっくり登り、ほっとひと息、気持ちが落ち着きました。

本殿脇の高札(クリックして下さい)に、 『応安2年(1369)に延命寺を開山した季竜が、創建と同時に季竜の故郷である摂津国(大阪)の住吉明神をこの地に祀ったのが始まりと伝えられる。旧青梅村の総鎮守であり、祭神は上筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命、底筒男命、神宮皇后である』と、あります。
住吉神社は、東京都青梅市青梅・住江町の稲荷山に鎮座する古刹です。

配布された大祭のリーフレットに『氏子である五町(現在山車人形を所有する住江町、本町、仲町・上町・森下町)で、山車を曳いたのが青梅大祭の始まりです』と、説明があります。人形を掲げた山車を曳行していた住吉神社祭礼は、江戸時代から、今日までの長い間、地元に密着した伝統を誇る祭礼なのです。


さぁ、早速に 青梅大祭"12町の山車"の追っかけだぁ!

青梅大祭のリーフレットの冒頭に、「青梅大祭の歴史と見所」の表題で、次ぎの解説があります。それをそのまま、転載させて戴きます。

『山車人形は江戸末期に青梅の産業であった青梅縞(しま)などで活況を呈していた青梅の商人たちが買い求めたと言われています。山車人形は江戸の人形師たちが腕を振るった傑作揃いで、明治の終りまでは山車の上に高く飾られて巡航し、氏子である五町、すなわち現在山車人形を所有する住江町(すみえちょう)、本町(ほんちょう)、仲町(なかちょう)、上町(かみちょう)、森下町(もりしたちょう)の5台の山車は豪華絢爛を謳われたものです』。

『その後、電線が張られると山車は現在の屋台の形での巡行となり、人形は町内に飾られるようになりました。戦後になり、滝之上町(たきのうえちょう)、大柳町(おおやなちょう)、天ヶ瀬町(あまがせちょう)、裏宿町(うらじゅくちょう)そして西分町(にしぶちょう)、勝沼町(かつぬまちょう)、日向和田町(ひなたわだちょう)も加わり、現在の12台の巡行となっています。
青梅大祭の見所は、華やかな衣装で山車を先導する拍子木と手古舞、粋ないでたちで唱ずる町内衆の木遣り、山車が行き交うときの"競り合い"は祭のもうひとつの見所、それは青梅ならでのケンカ囃子と呼ばれている威勢のいい囃子、また街道を埋め尽くす露天の数々』と、リーフレットは解説しております。

大祭に繰り出す十二町の"山車"と"旧氏子五町の"山車人形"

天候に恵まれ、祭の見物客で埋った街道を山車の巡行が続きます。管理者の撮影した静止画像とビデオの動画像で大祭の様子をご覧ください。

尚、画像の解説は「青梅大祭のリーフレット」の内容をそのまま、抜粋したものです。

山車の画像をクリックしますと、各町の山車の巡行の様子がビデオ動画でご覧いただけます。

人形の画像と居囃子の画像の見だしの脇のアルファベットA,B,C,D,E、数字ABCDEFH は、上に掲載してます「おまつりマップ」の人形場と居囃子の位置を示してます。

住江町(宮本町)・山車

住江町・人形  マップ A


「宮本」の提灯を掲げる住江町の山車は、
白木造りに黒塗りの3輪。彫り物は鳳凰と
龍。囃子連は「墨江町囃子連」。

「神功皇后」の出陣姿。江戸の名人形師の一人とされる仲秀英の明治七年の作。

本 町・山車

本 町・人形 マップ B


黒漆塗り、神功皇后にちなむ鮎の刺繍幕。
欄間に麒麟の彫刻。人形と共に三代目原
舟月の名作。囃子は「本町囃子連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

「神功皇后」と、その子「応神天皇」を抱く
「武内宿禰」。
明治2年、原舟月作。

仲 町・山車

仲 町・人形 マップ C


黒塗りに金の装飾、欄間に四季の花鳥が
施された山車は、昭和初期に新造。
囃子連は「仲町囃子連」と柚木町の
「梅花連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

男装で舞う静御前の姿。江戸末期、松雲
斎徳山の作で、山王祭九番のものと推定
できる。

上 町・山車

上 町・人形 マップ D


江戸時代の製作と推定される古風な三輪
の山車。幕は日本武尊の魂が化身した
という八寿白千鳥。囃子連は畑中の「旭連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

日本神話の英雄「日本武尊(やまとたける
のみこと)」勇姿。作者不祥で、江戸末期〜明治初期の作と推定。

森下町・山車

森下町・人形 マップ E


江戸末期の建造山車は、江戸天下祭りに
も参加。「武内宿禰」にちなんむ波に千鳥
の幕と欄間。「森若囃子会」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

満珠を掲げた戦装束の「武内宿禰」。
江戸末期の嘉永元年、仲秀英の作。
神田祭に三十一番で出ていたもの。

勝沼町・山車

西分町・山車


鳳凰に龍、麒麟に唐子など、山車全体に
施された彫り物は必見の出来。
昭和24年の建造。囃子は「勝沼囃子会」。
これをクリックしますと画像が拡大しま
す。
勝沼町の画像は石川博司氏より借用しま
した。

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黒塗りに極彩色を配した意匠は、西分神社
旧鎮守の妙見菩薩にちな
んだもの。昭和47年造。囃子連は「西分町
囃子連」。
これをクリックしますと画像が拡大しま
す。
西分町の画像は石川博司氏より借用しま
した。

滝の上町・山車

大柳町・山車


旧来より親交のある近隣の千ヶ瀬町の山車で参加。幕は丸い唐花。囃子連は「滝之上囃子連」と千ヶ瀬町の「ち友連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

もともとは仲町の山車。欄間の彫り物は、以前は静御前にちなんだ意匠であったが、現在は鷹の図。囃子連は「静連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

裏宿町・山車

天ヶ瀬町・山車


町内の鎮守でもある摩利支天の言い伝えを山車の各所にデザイン。平成元年の完成。囃子連は「裏宿囃子連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

町内にある天ヶ瀬渕伝説の龍と金剛寺の青梅にちなんだデザインの山車は、平成7年の完成。囃子連は「天ヶ瀬囃子連」。
これをクリックしますと画像が拡大します。

日向和田町・山車

青梅大祭本部


昭和62年完成、白木造り。意匠は、和田
乃神社の三島様と祭事の相撲にちなん
だもの。囃子連は「日向和田囃子連」。
これをクリックしますと画像が拡大し
ます。

市民会館の大祭本部
氏子12町の高張り提灯が目立ちます。

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