7月28日の桐生タイムスに掲載された奈良彰一氏のインタビュー記事「わたしの祭り観・ごった煮は美しくない」の内容をそのまま、転載します。 ----地域固有の伝統を再認識する機運が高まる中、奈良さんは桐生祇園祭りを八木節まつりから独立させるべきと主張されています。"祇園復権"でまつりは変わりますか----
祇園関係者として、いまの「統合まつり」の形が伝統のまつりであると勘違いされるのは非常に困る。もはや祇園は「八木節まつり」から分離、というより、まつり全体を改めて整理・再編する時代にきている。 たしかに、祇園と八木節と七夕と商工祭を統合した昭和39年当時には時代的な意義があり、勇気ある決断だったろう。その当時と現代とで、どこがどう違ってきたのか、どうすれば地元の人も来街者も楽しめるまつりになるのか、もう一度議論する必要が出てきたのではないでしょうか。 私自身、以前は祭りとなれば八木節を踊っていましたよ。でも祇園を研究し始めて、これはおかしいぞと気づきはじめた。文化祭じゃないんだから、歴史も形式も内容も異なるまつりが「ごった煮」になっては、それぞれのまつりの良さを互いに打ち消し合ってしまう。統一感のないまつりは美しくないわけです。 市外の観光客からも、同じ日に八木節の囃しと祇園囃子が同時に鳴っているのではわけが分からないという声を聞く。「桐生市最大の観光イベント」を標榜するのなら、この状況は客に対して不親切ではないか。そういう誤解を解くためにも「独立論」を唱えるんです。そもそも八木節は既にメジャーな存在。私なら「八木節フェスティバル」とかにして、八木節なら桐生という認識を全国に広めたい。そういう全国区のイベントには大スポンサーもつきやすいだろう。そうなればますます、祇園と "同居"できるはずがないじゃないですか。 桐生祇園には、関東随一の「巨大屋台」と「鉾」があり、全国の伝統祭礼の関係者が注目しているんです。とはいえ本町四丁目で平成元年に屋台を出したころはそれほど関心をもたれなかった。それが平成7年に104年ぶりに巡行したとき、あれほど多くの人々に感動してもらい、一昨年の一丁目と昨年の二丁目が屋台を復活させると、マスコミをはじめ多くの目が祇園に向いてきた。それは何故なのか、まつり執行部はもっと考えて欲しい。 具体的には、一、二週間ずらして祇園と八木節をやったほうがいい。問題は経費だが、八木節まつりの中で唯一公式行事として残っている「みこし渡御」が最も宗教的な行事なんだから、「宗教行事に補助金は出せない」とする市の姿勢はすでに矛盾している。むしろ宗教色の薄い「つけ祭り」としての鉾や屋台に対してのほうが、補助金は出しやすいのではないか。登山でも「撤退する勇気」が必要なように、まつり本来の美しさを取り戻すためにも、もっと議論を深めるべきだ。(奈良書店経営、53歳、宮本町二丁目在住) |