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 城端曳山祭の御輿渡御と6基の山車と庵屋台の巡行

前日の宵祭りで、来訪者の参拝に備え各町の山宿に安置されていた御神像は、本祭り早朝、山車の神座に鎮座されます。午前八時、庵屋台を先頭にして、その後を山車がつづく隊形で、各山宿を出発した曳山は自町内を巡行、一端山宿に戻って、記念撮影。九時過ぎ、各山宿を出発した各町の曳山は、城端別院と呼ばれる善徳寺山門前に向かいました。別院入り口の国道善徳寺交差点で、車輪の大きな軋み音を立てて、三方から進行して来た曳山が待機、今年の隊列順番に従って、別院山門前に進む各町の曳き山は、参集した観客を魅了して、曳山祭りの醍醐味を高揚させておりました。
1台の庵屋台と1台の山車(やま)のペアで1基となる曳山が6基、計12台の曳山隊列は、午前10時の神輿の渡御行列につづいて、巡行を開始します。

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午前10時、巡幸出発です。神輿渡御隊列先頭は「獅子舞」と「剣鉾(けんぼこ)」が務め、つづいて八基の「傘鉾」、「四神旗」の祭具の隊列がつづき、神官と各町の大勢の裃袴姿の町人に護衛され、台車に鎮座した神明宮と他2社の神輿が厳かに行進、それにお供する曳き山隊列の先頭を勤める一番山は、大工町の曳山でした。大工町の御神像の関羽と周倉は今年の曳山祭りポスターを飾っております。

「祭りパンフレット」は、城端曳山祭の神輿渡御を先導随伴する剣鉾、傘鉾、四神旗、神輿について、次ぎの様に紹介してます。
「春日、石清水、神明宮の3基の神輿を先導して、獅子舞、剣鉾、8本の傘鉾や四神旗などが行列し、さらに庵屋台と曳山が神輿の渡御にお供して巡行するという、古い神迎え行列の形式を残したまま、現在まで伝わっていることが城端曳山祭の大きな特徴です。このことが国の重要無形民俗文化財に指定された理由でもあるのです」

巡行隊列の先陣先頭を飾る獅子舞です。関東では一人が一匹を演じ、腹にくくりつけられた太鼓を打ちながら舞う獅子舞が多いが、西日本は胴体に数人の踊り手が入り踊り専従で、太鼓と笛は別に同行するという城端のスタイルの獅子舞が主流のようです。獅子舞の後に、剣鉾、傘鉾、四神旗、神輿、そして供奉庵屋台・曳山が続く巡行のスタートで「城端曳山祭」のクライマックスを迎えました。
獅子舞画像をクリックしますと、拡大します。ブラウザーの戻るでお戻り下さい。


「剣鉾は、悪魔を除き、邪鬼を払う神具で、ニ輪の台座に立てられ、"大神宮"の旗を結び付けています」

「四神旗は、四方の星座と方位を司る神に因んでだもので、朱雀は南神、玄武は北神、青龍は東神、白虎は西神を示し、各神旗を四人の童子が棒持ちしていましたが、現在は四本の旗を台車に立てて、神輿の前をお供します」

「傘鉾は、神霊を天上からお招きする依代(よりしろ)であり、各町氏子の信仰を代表するものです。六つの山町と、野下町、新町との八町、八本の傘鉾が出場します」

「曳山を持たぬ野下町の傘鉾は、"太鼓にラッパと月琴"を載せ、中国的風情を漂わせてます(下図左)。また、新町の傘鉾は、"手箱に鼓と桜の枝"の飾り付け、天明(1781)につくられました(下図右)」


大工町などの曳山6町の傘鉾は、次ぎの表の傘鉾の町名をクリックしてご覧下さい。

傘鉾の町名

傘鉾の特徴(左の町名をクリックして、傘鉾の画像をご覧下さい。
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大工町

傘の上には、木製張子細工の「千枚分銅」を飾ります。

西上町

傘の上には、「争鈴と玉手箱」が三方の上にのせられています。

東下町

傘の上には、大黒天にちなんで「打出の小槌」が飾られています。

出丸町

傘の上には、「将棋盤に柳」、傘の中には「冠に蛙」の作り物を飾ります。

西下町

傘の上には、「太鼓に金鶏」の造形をのせ、諫鼓鶏にちなんだ飾りです。

東上町

傘の上には、「金の鶴に岩波」の彫刻を飾っています。

三味線、笛が奏でる雅び溢れる"庵唄(いおりうた)"

トップページに掲載した曳山祭順路図を再度、ご覧下さい。

 この図の上(北)から、出丸町、西下町(にししもまち)、東下町(ひがししもまち)、東上町(ひがしかみまち)、西上町(にしかみまち)、大工町(だいくまち)と、 六つの山町がつづきます。図中の町名の番号は、午前10時からの曳山隊列巡行の順番です。

本祭りの予定は
☆午前8時 お旅所から、神輿・傘鉾行列が出発し、氏子町内を巡行、3時頃には神明宮(しんめいぐう)に還御します。

☆午前10時 別院前に集合した6台の山車や庵屋台は、庵唄を唄いつつ巡行に出発します。昼食を挟んで、町内を巡行し、午後5時に出丸町で昼間の巡行が終了。提灯を取り付け、夕食。

☆午後7時 帰り山として、国道の南下して、城端庁舎前へ、Uターンして、曳山会館前で解散(午後10時)。各町の曳山は、それぞれの山宿へ帰る。

剣鉾、傘鉾、四神旗、神輿3基にお供する形で、庵屋台と人形山車の巡行が開始されました。曳き物の山車・屋台・鉾などのお囃子は京都祗園祭り、高山祭りなどで代表される情緒深い、静かなものから、秩父夜祭りのように、力強く賑やかなものと、日本全国各地で、それぞれの伝統のものが演奏されてます。なかでもここ城端曳山祭のお囃子は庵唄、つまり江戸端唄です。庵屋台の中で、若連中によって演奏される優雅な雰囲気を盛り上げている庵唄は、城端独特のものであると認められたことが、城端曳山祭が重要無形文化財として国から指定を受けた大きな要因のひとつだと思います。

「城端曳山祭」パンフレットは、庵屋台を次ぎの様に説明してます。

「庵屋台は『庵(いおり)』または『屋台』と称し、曳山を先導します。『重(ジュウ)』とよばれる黒塗の枠を組み、上に『庵』をのせる構造で、庵は各町それぞれに精巧な細工をほどこしたミニチュアの庵です」。ミニチュア庵を写真にすると、本物を撮ったように見えるほどよくできてます。「城端曳山祭」パンフレットを参照して、庵の構造を下図にまとめました。  

庵屋台の町名

庵の構造
(左の町名をクリックして、庵屋台の画像をご覧下さい。
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大工町

平安貴族・在原業平の寝殿造の屋敷を模した。高さ3.06メートル。

西上町

京都祗園の一力茶屋を模した数奇屋造(すきやづくり)。

東下町

格子をめぐらした平屋建てニ棟構えの数奇屋造の料亭、屋台腰廻りが幕でなく、格子造りはこの屋台だけ。高さ3.02メートル。

出丸町

水引幕をめぐらした平屋建てニ棟構えの数奇屋造。高さ3.20メートル。

西下町

格子を巡らした数奇屋造の二階建ての母屋と離れ2棟の料亭。高さ3.29メートル。

東上町

江戸新吉原の料亭、大文字屋・鶴屋・扇屋・玉屋を模した。高さ3.45メートル。


パンフレット「城端曳山祭」は、次ぎの様に庵唄を解説しております。

「庵屋台の重の中で、三味線と横笛、太鼓の囃子に合わせて庵唄が歌われます。進行中や休憩中に演奏する『まわりあい』という間奏曲と『休囃子』があります。庵唄が盛んになってきた文化・文政年間(1804〜30)、加賀藩は、流行している琴や三味線の取り締まりを強化していましたが、文政9(1826)年に緩和しています。また、庵唄のほとんどが『江戸端唄』です。記録によれば、文政年間から江戸端唄が庵唄に取り入れられたようです。それまで京都へ運ばれていた絹の売れ行きが不振で、文政10(1827)年に新しく江戸に販路を開拓したことも江戸端唄が盛んになった一因であります」  
 城端曳山祭のお囃子・庵屋台の庵唄と所望


別院を出発した「獅子舞」、「剣鉾」、八基の「傘鉾」、「四神旗」の隊列の神輿渡御隊と、それにお供する6基の庵屋台と山車(やま)は、巡行図にそって城端街路の巡行に入ります。神輿渡御隊は止らずに進行しますが、庵屋台と山車は各町の山宿と、"所望(しょもう)"と書いた紙を掲示している民家の前に止って、庵唄を演奏します。庵唄を所望した家は、家族、親戚総出で、正装をして曳き山の到着を待ちます。所望は事前の申請と玉料を要すとのこと。

最初の庵唄の演奏は一番山の大工町の山宿でした(左画像)。右の画像は、紋付袴姿の巡行役員が自町の演奏する庵唄の歌詞が記入された短冊を山宿の主に提出する様子です。
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"庵唄短冊"

庵唄の歌詞 ♪なかなか艶っぽい唄です


一番山 大工町 唄名 ♪玉川

" 玉川の水にさらせし 雪の肌 積もる口説(くぜつ)のその中に とけし島田(しまだ)のもつれ髪 思い出さずに 忘れずに また来る春を待つぞえ"


二番山 西上町 唄名 ♪夕暮れ

"夕ぐれに ながめ見渡す 隅田川 月に風情を  待乳山(まつちやま) 帆上げた舟が 見ゆるぞえ あれ鳥が鳴く 鳥の声  都に名所が あるわいな"


三番山 東下町 唄名 ♪川竹

"川竹の 浮名をながす鳥さえも 番(つがひ)離れぬ 鴛鴦(おしどり)の中に立つ月 すごすごと 別れの辛さに 袖(そで)しぼる ほんに辛気(しんき)な事じゃいな"



四番山 出丸町 唄名 ♪秋草

"秋草や花のひも解く 夜半(よは)の鐘 かたぶく月の露時雨れ(つゆしぐれ) 濡れたふりして そむきてみても いつか尾花が 穂にい出て 人に話せぬ仲じゃぞえ"


五番町 西下町 唄名 ♪萩桔梗(はぎききょう)

"萩桔梗 中に玉章(たまずさ)忍ばせて 月を野末(のずえ)に草の露 君を松虫 夜毎にすだく 更けて行く鐘に 雁の声 恋はこうしたものかいな"


六番町 東上町 唄名 ♪忍恋路

"忍ぶ恋路は さてはかなさよ 今度逢うのが命がけ よごす涙の 白粉(おしろい)も その顔かくす 無理な酒"

庵屋台6基の情緒深い"庵唄"をお聴き下さい!

「重(ジュウ)」とよばれる庵屋台の横幕の中、底抜け屋台ですから、中の演奏者の皆さんは白足袋に草履の紋付袴の立ち姿で、笛、三味線、太鼓を演奏します。笛以外の奏者が唄を合唱します。

庵屋台が進行中や休憩中の時は、唄を歌わない時の間奏曲の「まわりあい」という曲や「休み囃子」と呼ばれる笛、三味線、太鼓だけのメロディーの演奏をします。昼食などの長い停車中は、「重(ジュウ)」の中のカセット再生器で、休み囃子の録音テープを流しておりました。


次ぎにご紹介しますのは、城端曳山6基の巡行の様子を管理者がビデオ撮りをした録画データーのなかの、6基の庵屋台が一番山の大工町の山宿の前で庵唄を演奏している場面の動画です。笛、太鼓、三味線に載せて、端唄の合唱です。山車・屋台のお囃子と言えば、賑やかなのが一般的ですが、城端のお囃子は、静かで、しっとりとした風情を醸しております。


Windows OS に標準装備されているMicrosoft Media Player で再生してご覧下さい。ご使用の通信環境に合わせて、画像脇のブロードバンド又は、ナローバンドのバナーをクリックして、ご視聴下さい。クリックすると、Playerが立ち上がり、「メディアに接続」→「バッファ処理中」を経て画像が出てくる迄、30秒前後は掛かりますので、気永にお待ち下さい。ナローバンドの動画はブロードバンドの4分の1の大きさで、コマ飛びもしまので、見難いかもしれませんが、音声は正常に出ますから、庵唄をお楽しみ下さい。



受信環境が、CATV
又は フレッツADSL、
YahooBBなどのブロードバンドの方へ

町名の右隣のブロードバンドと記入のバナーをクリックしますと、その町の庵屋台の庵唄の演奏が動画でご覧になれます。
庵屋台の外観・造作も、詳しくご覧頂けます。

庵屋台の町名

ブロードバンド・バナーをクリックして、庵屋台の画像をご覧下さい。
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大工町

250kbps 320×240 pixel 30fps

西上町

250kbps 320×240 pixel 30fps

東下町

250kbps 320×240 pixel 30fps

出丸町

250kbps 320×240 pixel 30fps

西下町

250kbps 320×240 pixel 30fps

東上町

250kbps 320×240 pixel 30fps


受信環境が、ダイヤルアップ又 は フレッツISDNのナローバンドの方へ

町名の右隣のナローバンドと記入のバナーをクリックしますと、その町の庵屋台の庵唄の演奏が動画でご覧になれます。

庵屋台の町名

ナローバンド・バナーをクリックして、庵屋台の画像をご覧下さい。
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大工町

56kbps 160×120 pixel 15fps

西上町

56kbps 160×120 pixel 15fps

東下町

56kbps 160×120 pixel 15fps

出丸町

56kbps 160×120 pixel 15fps

西下町

56kbps 160×120 pixel 15fps

東上町

56kbps 160×120 pixel 15fps


城端神明宮と御神輿巡行を先導する獅子舞

パンフレット「城端曳山祭」の冒頭の記述に、「『城端神明宮の曳山行事』として、平成14年(2002年)2月、国の重要民俗文化財に指定されました」とあります。

そして「城端神明宮は、天正2年(1574)に産土神(うぶすなかみ)として、勧請され、貞享2年(1685)には社殿を再建し、春秋の祭りも始まった」と記述されてます。

左画像は、神輿倉です。4日の宵祭り、神霊が神輿に乗ってお旅所へ移られます。

神明宮の境内で入手したチラシ「平成18年 城端神明宮春季大祭神輿御巡行行列順序」の記述を紹介します。
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『御発ち』 本祭り日、午前8時30分時 お旅所から、獅子舞、剣鉾、8本の傘鉾、吹流し、子供神輿、春日宮神輿、四神旗、八幡宮神輿、神明宮神輿の順序の神輿の巡行出発。氏子町を巡行して、午前10時に城端別院・善徳寺前に到着し、曳山隊列の先に立つ。

『昼食祭』正午〜午後1時(曳山会館) 午後お発ち午後1時半。氏子町巡行。

『還御』午後5時、城端神明宮へ還御

当日、お旅所発午前8時30分の「御発ち」から還御迄の神輿隊列の巡行を管理者は観ておりません。後で、曳き山会館に問い合わせして確認しましたが、お旅所発午前8時30分の『御発ち』の御巡行には6基の曳山(庵屋台と山車)は参加しておりません。

街中の曳山巡行をひと通り見終えて、午後4時過ぎに神明宮へ参詣しました。神木の欝蒼とした広い境内は私以外の人影がなく、丁度その時に獅子舞だけの一行が神明宮に戻って、拝殿前で奉納獅子舞を演じるのを観ることができました。獅子舞打ち上げの奉納舞であったかもしれません。

既に神輿の還御は済んでいたのかもしれません。拝殿や境内にも、特に当宮の春の例大祭を示す幟や提灯などの飾りもなく、参拝者の姿もないのは、管理者の解釈ですが、城端曳山祭は事実上、浄土真宗の親鸞聖人の弟子蓮如上人の開基といわれる城端別院・善徳寺の祭礼との扱いが浸透しておるからかも知れませんね。

これも神仏混交のなごりかもしれませんが、城端曳山祭は、あくまでも神明宮の神霊を崇敬しお慰みする祭礼であることを現わす神輿渡御巡行を城端曳き山祭りの象徴として、今日まで受継いで来られたのでしょう。唯し、本祭りの神輿御巡行に曳き山がお供し、町内を巡行するという最高の祭礼行事が別院を中心に行われているのが実態です。

左:神明宮へ入る獅子舞一行          右:神明宮拝殿前の獅子舞奉納


城端曳山祭を盛り立てる城端の街並み


城端の街の中心道路は、祭り当日の朝、管理者が城端駅を出て、最初に出会った曳き山の出丸町から、城端庁舎のある南の方向に真っ直ぐ延びる国道304号線です。ゆとりある幅の車道に両端の歩道も広く、遠く雪の残る五箇山の山並が望める素晴らしい眺めは、忘れていた開放感をおぼえ、ほっとして気持ちで暫し立ち尽くしました。
そして、ほっとした落ち着いた気分にさせてくれるのは、道路左右のすっきりした家並みの眺望も素晴らしかったからです。

西下町より南方向を望む

国道の歩道・車道は放置自転車などなく、綺麗に清掃されていて、道路両側はどれも新築間もない家々ばかりです。その街並みの落ち着きを醸して出しているのは、立ち並ぶ建物が新しいからだけではなく、元の城端の古い街並みがそうであったのかも知れませんが、切り妻屋根(棟を頂点としてふたつの傾斜面が合わさって三角形をつくる屋根の形)に統一して、高さも揃えて壁面は白色系にして、会社商店は道路にはみ出す突き出し看板は控え、正面壁面の屋号などの看板文字は、大きさも抑えケバケバしくなく、街並みをやわらかく
大工町より北方向を望む

落ち着いた風景、眺めになるように工夫していることが感じ取れました。丁度、新築工事中の家が一軒ありましたが、完成している隣の家と同じ高さで、同じ切妻屋根でした。都市中心街の建物の高さが揃っていることで有名なフランス・パリなどにも、街の景観をよくするための建物規制があるから、と聞いてますが、規制のあるなし関係なく、そうしたほうが好いとの合意で、一般の民家や会社・商店だけでなく、道路に面して建つ銀行や郵便局も切妻屋根を採用して、街の景観に重店を置いた設計

郵便局

をしていることに感心しました。
城端庁舎の隣に南砺市城端伝統芸能会館(略称、じょうはなざ座)という多目的ホールがあります。神輿のお旅所はこの会館の中に設置されてます。城端のメイン通りの家並、街並みに興味を覚えた管理者は、じょうはな座の受付に行って、国道拡張時の町造りの様子がどのようなものであったかを質問しました。対応に出て来てくれた男性の管理者の方から、概要次ぎのようなお話を聞きました。


城端第一銀行

丁度、20年前位に、城端中心通りの国道拡幅の議論が始まった。行政側の企画指導をもとに、各町、各班ごとに沿線の住民、商店・会社官庁の話し合いが頻繁にもたれ、城端の街造り、そして町全体の活性化をどう実現するかを相談した。

道路沿線から撤収を希望するひと達、逆に沿線に出たい人達などの調整など、難しい交渉事が多く、それだけでも10年近く要したとのこと。街造りの基本方針に添う形の商店舗の設計から、かなりの細かい部分までも協議の対象になったそうです。
クリーニング屋さん

家造り、店作りをめいめいが好き勝手な設計で行ってしまうと、目指す街造りを駄目にしてしまうので、根気ある話し合いが必要だったことでしょう。それが見事実現できたのは、行政と沿道の住民の皆さんの努力があったからと思います。

商店は人目に付く様に、壁面一杯に大きな看板を掲げ、店先に商品を置いたり、原色の目立つ旗指物をあっちこっち掲げるのが一般的ですが、城端の中心街の商店街では見当りません。

飲食店さん

平成16年に城端町を含めて八つの町村の合併で誕生した人口6万人の南砺市。その一地区となった城端は、町当時の人口は一万人ほどだったそうですから、街中に大規模な量販店も見当らず、地元に密着した店々が活動できている状況が却って幸いして、城端らしい景観を保った街づくりが可能であったのかも知れません。

掲載致しました商店の画像をご覧になって、お感じなられたと思いますが、個々の店の外観が瀟洒で、品があります。

雑貨店さん

午後7時、提灯山となった6基の庵屋台と山車(やま)は、出丸町から国道を南へ巡行を開始しました。道筋で「所望」に応えて流れる庵唄の歌声と暗闇の中に揺れる提灯の灯、照明に浮かび出された御神像の姿、紋付袴の町の人たち、すべてが優雅な雰囲気を醸し出しておりました。

先祖代々今に至る迄、城端の皆さんが大切に、天塩に掛けて護り育てた来た曳山祭り、これぞ「城端曳山祭」の真髄、真骨頂を観た思いで、帰路に就きました。

酒屋さん(この店で缶ビールを買いました笑)


 


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