「東下町の曳山は「大黒天像」を安置する東耀山で、福寿山とも呼ばれています。曳山の原作は享保年間で、その後の修繕、増補によって形態・構造が拡充されました。構造は、輻車(やぐるま)の車輪、前後唐破風の屋根で、高さは5.54mあります。天井に格(ごう)天井の手法を用いているのはこの曳山だけで、格縁に16弁の菊紋金具が打ってあります。装飾は大黒天にちなんで、宝珠・宝くずしなどの文様が多く見られます」「御神像 大黒天は、密教では、自在天の化身で、仏教の守護神。戦闘神あるいは忿怒神、後に厨房神とされており、また、七福神の一つ。その姿は、頭巾をかぶり、左肩に大きな袋を負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏まえています。大国主命と習合して民間信仰に浸透しました。安永3年(1774)荒木和助が彫造し、従来までの黒大黒天像と取り替えました。神座の両脇座に操り人形の「ラッパを吹く人形」と「逆立ちかるわざ人形」を配しています。いずれも明和2年(1765)初代荒木和助によって作られたものです」
「庵屋台 小づくりな庵屋台で、平屋建て二棟構えの数寄屋造りです。他の屋台の胴廻りは、水引幕で囲いめぐらされていますが、この庵屋台では格子造りの構造で、格調高い江戸情緒を漂わせています。庵の下の重(じゅう)には10枚の欄間彫刻が入れてあります。高さは3.02mです。庵唄をうけもつ若連中は「宝槌会(たから連)」といいます」