Sory,Japanese only.



このページは、IE.v5以降でご覧下さい。

遠州・横須賀 三熊野神社大祭 "祢里"を尋ねて!の後編です

 前日の5日の朝8時から、翌日の神輿渡御に供奉する祢里の隊列の順番を決める「祢里供奉順くじ引き」が行われ、その結果を知らせる高札が商店街に掲示されてました。

 この祢里供奉順番が書かれた高札の各組の札をクリックしますと、その祢里の「出し」の画像が表示されます。クリックして下さい。
右端のい組が一番で、順次左へ二番、三番・・、左端の最後の十三番があ組です。 

 ここに掲載の街路図は、大須賀町観光協会発行の遠州横須賀三熊野神社大祭パンフレット\300の中の、大須賀町ごあんないマップを参考にして、管理者が作ったものです。

三熊野神社大祭付け祭り13基の祢里の供奉曳行ビデオ画像

 祭礼の山車や屋台は三輪か四輪が普通です。曳行される途中での山車・屋台の方向転換は、山車・屋台のそろぞれの構造で、いろいろなやり方があります。いずれにしろ、方向を変えることは労力を必要としますが、それが又、祭を盛り上げて、観客には面白く楽しいものです。

 横須賀の祢里は2輪の大きな源氏車で曳き廻しますので、いろいろな特徴があります。古くから、荷車の土台から前方に長く延びた棒を轅(ながえ)と呼んでますが、祢里では枠(わく)と呼んでます。構造・形は殆ど同じです。2輪の祢里は小回りができます。その場で位置を動かさずに90度、180度方向が変えられます。停止の状態でも、枠をわずか左右に振ることによって、祢里自体が左右に振れて、停まっていながら、動きの動作が継続できます。山車・屋台と同じでありながら、祢里本体が常に前後左右に軽く動いていることができるので、あたかも動き廻る祭り神輿を観ているような、観客が祢里の動きにつられて、"まつりだ!まつりだ!"と叫んで踊り出したくなる誘惑を覚えるのが、面白い。

 祢里の枠を操作する曳き手の皆さんは、常に枠をしっかり支えていければならない。枠の持ち手の全員が枠から手を放したら、祢里はたちまち、前か後へひっくり反ってしまいます。枠の持ち手がべた足でなく、軽くステップを踏むような動作もしてますから、左右の動きだけでなく祢里が軽く頭を前後に振るような動きも出て、祢里独特の趣があって、祢里を観ていて飽きが来ない。そのような様子は話しだけでは、なかなか伝えきれない。祢里の独特な情緒深い動きと同時に、祢里の曳き手衆がステップを踏む時の独特の掛け声、シッタ、シッタ、しちゃしちゃ、しちゃしちゃの生の声、三社祭礼囃子をビデオの動画で視聴してみよう。


 受信環境が、CATV 又は フレッツADSL、
YahooBBなどのブロードバンドの方へ

別掲の横須賀地区の街路図の中で、該当する祢里の組名か町名をクリックしますと、Windows OSに標準装備のWindows Media Player が立ち上がって、祢里の巡行の様子が動画でご覧になれます。


祢里の組名
町 名


・・ビデオ画像の場面と、見所のご案内・・

い組
西本町
河原町付近を神社方向へ。祢里が右を向いたり、左を向い
たりしても祢里の位置は余り移動しない。
は組
中本町
河原町総代前を神社方向へ。
*
に組
西田町
河原町付近を神社方向へ。祢里独特の掛け声、シッタ、
シッタ、がいい。
め組
東新町
水神宮供奉曳行の帰り、本町通りから大工町の角を曲がる。
擬宝珠高欄周囲の彫刻が見事。お囃子がいい。
か組
河原町
水神宮供奉曳行の帰り、本町通りから大工町の角を曲がる。
高欄と支輪の彫刻類と螺鈿の入った漆塗りが見事。
ろ組
東本町
水神宮供奉曳行の帰り、本町通りから大工町の角を曲がる。
擬宝珠高欄周囲の彫刻が見事。お囃子がいい。
せ組
大工町
河原町付近を神社方向へ。ステップをしながら枠(わく)左右に
操作する曳き手の軽やかな動きが見所。
「〜した〜、〜した〜」「しっちゃ、しっちゃ」の掛け声がいい。
み組
西大渕
河原町付近を神社方向へ。ステップをしながら枠(わく)左右に
操作する曳き手の軽やかな動きが見所。
旭組
西新町
水神宮供奉曳行の帰り、本町通りから大工町の角を曲がる。
擬宝珠高欄周囲の彫刻が見事。お囃子がいい。
え組
軍全町
河原町付近を神社方向へ。枠を持つ曳き手の活発な動きと
三社祭囃子の「ひょっとこ」手古舞が見所。
ち組
十六軒町
水神宮供奉曳行の帰り、本町通りから大工町の角を曲がる。
お囃子の笛と太鼓が合っている。
た組
東田町
河原町付近を神社方向へ。"祢里子"(枠を操作の曳き手)
が活発にステップしている。
あ組
新屋町
河原町付近を神社方向へ。祢里の後方からの眺め。枠を持つ
曳き手が右へ、左へと動いているのがよくわかる。


遠州・横須賀 三熊野神社大祭 "印象に残った3つの場面です

 6日の午前9時頃から、籤引きで決まった順番の旗を擬宝珠につけた各祢里は、河原町東詰に集結を始め、一番を先頭に本町方面に向って勢揃いしました。枠を降ろして小休止する祢里や、掛け声とステップの"祢里足(練り足)"を止めずに、枠を左右に揺らしながらお囃子を続ける祢里もありました。この三熊野神社大祭付け祭り13台の祢里の勢揃いと供奉を観覧するなかで、特に管理者の印象に残った現象というか、場面が3つありました。先ず最初の二つの場面をご紹介します。

 午前10時過ぎ、一番の祢里が枠上げをすると、二番、三番と、続きます。神社前に到着した祢里は、枠を下ろし、囃子手は祢里から下り、曳く人全員が道端に正座して、神輿渡御行列を出迎えます。これまでも各地の祭礼の神輿渡御を観てますが、奉曳する山車・屋台の人達が道端に跪(ひざまず)いたり、正座をしてまで敬意を表して、神輿渡御を出迎える姿に接したのは初めての経験でした。

 ここに掲載した正座して頭を垂れる姿の画像は、大谷川堤の旅所から水神宮へ向う渡御神輿が、供奉のために神社付近で待機する祢里の前を通過した際に、正座して迎えた親子さんらしい二人が恭しく、頭を垂れる姿です。この場面に接し、大げさでなく管理者は驚愕しました。両足の親指をキチンと合わせて、直に硬い路面に正座する中学生位の男の子が神輿の通過に合わせて、しっかりと頭を垂れる様子を目にして、全く感慨無量になりました。>

 いやぁ、ほんとです。厳かというべきこの情景は、如何に横須賀の皆さんが三熊野神社を崇敬し、大祭を愛しているかを物語っております。伝統の深さをまじましと、感じました。神幸行列に深深と頭を下げるという行為は、横須賀の全ての皆さんが既に、自分の町の祭礼の意味や意義を理解し、祭礼の手順、約束ごとを忠実に実践し、そして、それらを次世代、後世へ引き継ごうという意識がまことに旺盛で、伝統を大切にして、祭礼を守って行こうとの、皆さんの心意気に、しっかりと裏付けされているのだ、と思いました。

 この正座して、神輿に頭を垂れる画像をクリックしますと、神社から西大谷川堤の旅所までの神幸祭神輿渡御行列の様子を、紙芝居風の連続写真で紹介しておりますので、ご覧下さい。

 隣りの画像はご覧の通り、祭装束姿の方が気持ち良さそう?にお休みになっておられます。どこかの総代の前だったと思いますが、管理者はこの姿を非難すべく掲載してのでは絶対ありません!。それどころか、羨ましくさえ思いました。硬い地べたに正座して、渡御神輿を出迎えるという律儀さを持つ一方、お祭りを精一杯楽しもう、皆で思いっきり楽しもう、そんな気概が町の人達にみなぎっているように感じました。

 どの祢里であったか、祢里の後に引かれている伴走の飲み物運搬車の下段にはビールの箱が一杯詰まっていましたが、上段には"あつかん"とマジックされた蓋つきの丸い大きな容器が載っているのを観て、なかなかやるなぁ、と、おもわず苦笑しました。神話の御世の昔から、祭礼にはお酒が付きものです。お神酒・おみき で、神聖なものです。小生もお酒には眼が無い方ですので、好意的な意味で申し上げてしまうのかもしれませんが、横須賀の皆さんは、お祭りでは、かなりというより、徹底的にお酒を飲まれる様子を見て、楽しそうだなぁ、と感じました。

 この二枚の画像を通じて、大須賀町横須賀地区の皆さんが、祭礼をとことん愛し、楽しんでおられることをありまま紹介したい、との一念で掲載しました。 




 印象深かったもうひとつの場面は笛です。

 「三熊野神社大祭の祢里の上で奏でられるお囃子の"三社祭礼囃子"は、その古い歴史と類稀なる名調子を認められ、昭和30年に県の無形文化財の第一号に指定されている。」と、そして、「祢里と曳き手と囃子が"三位一体(さんみいったい)"となって、独特の名調子をかもしだす」と、大須賀町観光協会発行の三熊野神社大祭の案内チラシの中で、述べております。静岡県指定の無形文化財第一号とは、凄いことです。指定には厳格な審査があります。

 その文化財がどんな歴史を持って、今に現存するのかを口から口への言葉の伝承だけでなく、書かれた時期が明示される具体的な文書、書き付けのなかで、その文化財そのものの存在が証明される記述のあることが必要になります。この見聞録の冒頭でご紹介しました大須賀町出身のT 氏が出版 なさった「遠州横須賀 三熊野神社大祭 そこに江戸の祭文化がある」のなかで、三社祭礼囃子の歴史的記述のある文書の検証を通じ、囃子の起源から変遷を詳しく紹介されております。興味を持たれる方は、是非ご一読をお勧めします。

 河原町に勢揃いした各組の祢里のお囃子を聴いていて、三社祭礼囃子の大きな特徴は、"笛" につきる、と感じました。事前に祢里の笛は一本調子の篠笛と聞いてはおりましたが、長さが60センチはありそうな太い笛を巧みに使って、早いテンポの曲をコロコロと、ころがすように響きのよい音色で、朗々を吹かれる様子に、暫し釘付けになってしまいました。まことにお見事と申し上げる以外の言葉がありませんでした。演奏の曲目は、三社祭礼囃子のなかで最も多く使われる道中囃子の「大間(おおま)」。画像をクリックしますと、その場のビデオがご覧になれます。

クリックして暫く待ちますと、Windows OS に標準装備のWindows Media Player が立ち上がって、動画と音声が再生されます。

 三社祭礼囃子の曲目については、地元の横須賀にお住まいの鈴木さんのホームページに、三社祭礼囃子の6曲の解説が載っておりますので、ご覧下さい。

 「祢里と曳き手と囃子が"三位一体"となって・・・」と、町の観光協会のパンフレットが記述してますとおり、大きな2輪の源氏車が装着された祢里は、もともと左右に蛇行しやすい車体構造です。その特長を生かして、お囃子に合わせて、ステップしながら曳き手が祢里の枠をこまかく左右に振ることで、祢里自身がお囃子に調子を合わせて動いている様に見えるのは、祢里と曳き手とお囃子の三つがうまく合っているからで、それで"三位一体"となって、と表現しているのでしょう。

 隊列を組んで曳行される13台の祢里の様子を後から見ていると、風の盆や阿波踊りなど、民謡踊りのご婦人の隊列が、歩きながら、左右に腕を振り、身を細かく動かしながら進むのと同じように、チョッチョ、チョッチョと歯切れよく蛇行しながら進む祢里の隊列は、華やかさと趣が加わって、観ていて楽しくなります。四輪や三輪の山車・屋台の曳行では感じられない祢里独特のものです。三位一体とは、祢里が曳行される様子をうまく表現した的を得た言葉、と感心しました。

前のページへ戻る
このページの頭へ戻る
"山車とお囃子"へ戻る
"山車見聞録"へ戻る