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神輿供奉の祢里行列 各祢里の"出し" 

隊列順番

1番

い組

西本町



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"出し"名

太田道灌

〜七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき〜 

出し名をクリックして、道灌の解説を、River Mouth のホームページでご覧下さい。

出し名の解説ページは管理者が選んでリンクしたもので、祢里自体とは一切無関係です。

隊列順番

2番

は組

中本町



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"出し"名

高 砂

〜高砂やこの浦船に帆をあげて…〜

出し名をクリックして、尉姥ニ神(じょうばにしん)の解説を、高砂神社のホームページでご覧下さい。

出し名の解説ページは管理者が選んでリンクしたもので、祢里自体とは一切無関係です。  

隊列順番

3番

に組

西田町



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"出し"名

鞍馬山

〜京の五条の橋の上、牛若丸は・・〜。

出し名をクリックして、牛若丸の解説を、京の住人たよりのホームページの源義経と鞍馬寺でご覧下さい。

出し名の解説ページは管理者が選んでリンクしたもので、祢里自体とは一切無関係です。   

隊列順番

4番

め組

東新町



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"出し"名

日の出と鶴

岩につがいの鶴と、後にそれぞれ雄松・雌松を配し、さらに旭と波濤がくわえられている。

 出し名をクリックして、め組の東新町のスタッフの方が管理するHP「遠州横須賀 め組」で、め組の祢里の解説をご覧下さい。


隊列順番

5番

か組

河原町



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"出し"名

川中島

謙信が信玄の御座所へ馬で乗り寄せ三太刀切りつけこれを信玄が軍配団扇でうけた。

出し名をクリックして、かがわ商工会ホームページの川中島の合戦をご覧下さい。

出し名の解説ページは管理者が選んでリンクしたもので、祢里自体とは一切無関係です。     

隊列順番

6番

ろ組

東本町



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右上隅の出し名をクリックしますと、出し名の由来を参考にしたページになります。  

"出し"名

かめ割小僧

中国北宋時代の政治家・司馬温光(1019〜1086)の故事に因んだもので,遊んでいる唐子が甕(かめ)に落ちたのを,子供時代の司馬温光が大切な甕を割り,中 から唐子が出てくる故事に因んだもの。

出し名の解説ページは管理者が選んでリンクしたもので、祢里自体とは一切無関係です。     

隊列順番

7番

せ組

大工町



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"出し"名

稲村が崎

「・・太平記は、義貞が宝剣を沈めて祈った結果、 干潟が現れ・・」

出し名をクリックして、新田義貞の足跡を追かけるホームページ新田義貞の部屋をご覧下さい。

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隊列順番

8番

み組

西大渕町



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"出し"名

南総里見八犬伝

八犬伝は江戸時代、戯作者滝沢馬琴によって書かれた大長編小説です。

出し名をクリックして、小説の舞台となった千葉県富山町のホームページをご覧下さい。

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隊列順番

9番

旭組

西新町



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"出し"名

二見が浦


  

隊列順番

10番

え組

軍全町



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"出し"名

大森彦七

湊川の合戦で南朝の楠正成を自刃させた武功で伊予松崎の領地を拝した彦七は・・。

出し名をクリックして、日本刀おもしろ話のホームページでご覧下さい。

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隊列順番

11番

ち組

十六軒町



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"出し"名

おろち退治

八岐大蛇退治で英雄神となったスサノオノミコトは、古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔鳴尊」と記されている。

出し名をクリックして、神々の宴のホームページでご覧下さい。

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隊列順番

12番

た組

東田町



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"出し"名

五条大橋

〜京の五条の橋の上、牛若丸は・・〜。

出し名をクリックして、牛若丸の解説を、京の住人たよりのホームページの源義経と鞍馬寺でご覧下さい。

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隊列順番

13番

あ組

新屋町



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"出し"名

神功皇后

14代仲哀(ちゅうあい)天皇の后。仲哀天皇と共に熊襲(くまそ)の平定出陣中、天皇が崩御されるや、天皇に代わって新羅(しらぎ)を制圧した・・

出し名をクリックして、皇后の解説を、邪馬台国大研究 ホームページでご覧下さい。


      
神幸祭・神輿渡御の神社から旅所までの静止画像 

 13台の祢里は午前10時半頃、河原町東詰の道幅が広くなった集結指定場所に、各祢里の勾欄に立てられた番号旗の順番に従って、一番の"い組"から正面を西に向けて、勢揃いが完了しました。一方、神社では子授けの神事がおえて、神幸祭神輿渡御の出発の準備が始まる時刻でした。神社へ管理者が駆けつけた時は丁度、神輿が神社拝殿から担ぎ出されるところでした。既に、境内には渡御行列に参加する人達で一杯でした。 

























































































































































































































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三熊野神社境内には錦旗、幟をはじめ榊、宝剣などの
神具を携えた神職・神官、巫女、各町総代らが衣服を
整えて参集し、子授けを祈願し神子(みこ)抱きの参詣者
も加わる渡御行列は総勢2百人近くになる。


拝殿で子供がほしいひとが「おねんねこさま」と呼ばれる
人形を抱いて子授けを願う神事が行われた後、拝殿の
奥に鎮座していた神輿が外へ担ぎ出されました。


満開の桜の下、神官が神輿の前後に張られた綱を振る
と、爽やかな鈴の音が周囲に響き、神輿渡御が始まりま
した。


両側を露天店が並ぶ鳥居まえの参道を通る榊をささげた
先頭の神官。


旅所で子供がほしいひとに抱かれる神子(みこ)の「おね
んねこさま」が乳母に抱かれて通る。


神輿渡御行列の鼓笛隊。


神楽子の女児、祝詞箱や大麻などの神具を持つ袴姿の
子供達。


旅所へ渡る祭神が乗る神輿。神輿前後に延びる綱を振
ると鈴が澄んだ音を周囲に響かせる。


隊列のお賽銭箱に、おこずかいを投げ入れる子供達。


整列して待機する13台の祢里は、旅所に向う渡御列を
迎える形になります。祢里の人達は皆、沿道に正座して
頭を垂れて迎えます。よその祭礼ではみられない感動的
な場面です。


祢里の人達は皆、沿道に正座して頭を垂れて迎えます。
よその祭礼ではみられない感動的な場面です。


西大谷川の河原の土手の上に旅所があります。


旅所に鎮座した神輿には「おねんねこさま」が載せられて
ます。


旅所で神社宮司の子授けの神事が執り行われた。


旅所で神子(みこ)抱きを行う子授け祈願のご夫婦の皆さ
ん。

 
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