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 三陸の大津波被災地を訪問しました。<大船渡編>

掲載しました地図は、2012年9月11日(火曜日)、読売新聞・東京朝刊34ページに載った東日本大震災1年6か月のタイトルの特集記事のなかの地図をコピー致したものです。図中の濃い方形の数は死亡者、薄い方形の数は不明者を示すと注釈があります。

津波で大被害の大船渡市を訪問

右の案内地図は"気仙沼ガイドマップ"vol.24より抜粋コピー致しました。

ルート45を、大船渡を目指して走りました。国道を暫く走ると、大船渡市大船渡町上山の歩道橋の交差点の両側の家並が途切れたところで、交差点を右折しましたら、前方に船のマストらしいものが見え、側面の壁が破れたスーパーが建つ、大船渡港でした。水溜まりのある広い空き地は、震災前は建物が建っていたと思われました。そういう空き地があちこにあるのは、陸前高田と同じでした。311大津波の襲来で、大船渡港とルート45の間のルート230を挟む大船渡町中心市街地の、JR大船渡駅の駅舎周辺の住居、商店、ホテルやスーパーは、崩れた外観だけを残すか、基礎土台だけになってしまって、商店街は廃墟と化しておりました。

ルート45から、大船渡港へ進む道のJR大船渡線の踏切です。遮断機や信号機は無く、線路は雑草で覆われており、このレールの先のプラザホテルの前にあるはずの大船渡駅舎は見当たりません。一年半も、市民生活の重要なインフラが姿を消してしまったままの状況であることに、戸惑いを感じました。画面をクリックしますと、拡大します。左上の「←戻る」で、お戻り下さい。

津波に襲われ、外観だけ残ったスポーツ店の脇に、洒落た石造りの時計塔がポツリと立っておりました。塔の先端の脊向いの二つの時計の針は、3時25分で止まっておりました。訪問の翌日、石巻駅で購入した三陸河北新報社の津波報道写真集の説明では、三陸海岸各地の津波到来時刻は、震災日の午後3時半を挟んだ時刻に集中してますから、大船渡湾の津波は、この止まっている時計塔の時刻に襲来したものと、思いました。ご覧の画面、雑草に囲まれ、壊れたままの建物と止まったままの時計をじっと見ていると、地震・津波の被害の恐ろしさ、虚しさ、悲しさが、胸に迫って来る思いが致します。クリックしますと、時計が拡大されます。時計が津波の強い圧力で、傾いております。

大船渡駅前のホテル。隣接するスーパーと供に、津波で内部は破壊され、外観だけのビル。陸前高田でも同様でしたが、津波の破壊で生じた膨大な瓦轢と呼ばれるあらゆる破損物は、震災一年半の間に片づけられて、見当たりませんが、ビルなどの耐久建築物は取り壊さずに残してあり、空き地は雑草に覆われるままになってます。震災後に新築されたと思える建造物は一切無く、新改築中のものも見かけません。時々通る車以外は人通りもなく、一切の活動が止まったままと、思える風景でした。ページの冒頭の読売新聞の三陸沿岸津波被災地図に、大船渡の課題は、"波災した市中心部の再生プラン作成が最大の難関"とあります。復興計画の策定待ちの状態なのかも知れません。
大船渡市の被災の様子の一部をビデオmp4にしました。
大船渡
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第三の訪問地。気仙沼市
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