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本 庄

"本庄まつり"

 

 11月2日(日)、旧街道の中山道(なかせんどう),現、国道17号線が街を突き 貫ける"彩の国"武州,埼玉の北部の都市,本庄市を訪問しました。関東平野に面し、北 は遠く上越の山々が望め、街の東を"坂東太郎"の利根川が悠然と流れ、天気の好い時は 、東の遥か遠くに、筑波山が関東平野の地平線に張り付くように望見できる誠に風光明 媚な環境に位置する本庄市のお祭りを見学しました。

 金鑽神社(かなさなじんじ ゃ)の例大祭の日に行われ、「鎮守様のお祭り」として親しまれている本庄まつりです 。今年の本庄まつりは、11月2日、3日の2日間でした。関越高速道の本庄インター チェンジへの片側3車線のアクセス道路と旧中山道とが交差するところに、大きな木立 に囲まれた金鑽神社(かなさなじんじゃ)があります。この神社に、10台の山車は決 められた順列で奉納を済ませ、商店街の旧中山道を巡行し、午後7時過ぎには、全部の 山車が市民プラザの前庭広場に勢揃いして、詰めかけた市民は勿論、近隣から訪れた観 衆の前で、囃子の叩き合いで、祭りのクライマックスを 迎えました。Real Audio 3.0 118KB 1分。

 やや不謹慎は話でお叱りを受けるかも 知れませんが、本庄市は殿方の憩いの場でありますバー、スナックなどの飲食店即ち、 飲み屋さんが多い街で有名なところでした。今でもそうだと思いますが、祭りのときは お父さん以外の人も、ほろ酔いになってお祭りを楽しみたいですね。

 本庄市の山 車の詳しいご紹介が本庄市のホームページに公開されてますので、先ずご覧になって下 さい。 本庄市の 10基の山車の様式は江戸型そのものです。囃子台は、その場で踊り手が舞うのに 充分な広さのものがありますが、正面の小太鼓を3名、右脇に大太鼓一名、左脇に摺り 鉦が1人立って、同じく立ち姿の笛が3人というのが本庄の囃子連中の陣容でした。ほ ぼ大きさの同じである川越の山車との違いは、川越の囃子台では、小太鼓が2名で、小 太鼓1名分の正面の左手の場所で、獅子、おかめ、天狐などの舞いが披露されてました 。

 本庄の10基の山車の中で1台だけ、宮本町の山車にだけ"おかめ"とヒョット コの子供の舞い子が2人おりました。しかし、囃子台の上に乗ってではなく、前輪梶取 り棒の上に渡した板に乗って、手にした扇子を振る程度のものでした。山車囃子は専ら 、笛、鉦、太鼓の調べを競うことであって、囃子台で舞を奉納するという習慣が無くな ってきたのではないかと思います。

 このことは距離的には川越市より近い群馬の 高崎の山車の囃子も、囃子台上での舞はありません。高崎の山車は、軌道電車や架線の 道路事情で、明治末から大正以降になって、作り替えた山車ですので、山車そのものが 、川越や本庄の山車より小さく作られたため、最初から舞の出来るスペースは採れなか ったのでしょう。しかし、江戸神田祭りの流れを汲んだ山車ですので、舞を中心とした 祭りであったなごりで、高崎の山車の場合でも、今も囃子台の唐破風の屋根の上で、ヒ ョットコ面の舞い手が身振りもおかしく扇子を振ってます。その意味で、川越の山車は 「江戸神田祭りの囃子と舞」を忠実に継承して、今に伝えて来たといえるのかも知れま せん。

 しかし、江戸から遠くなる本庄、高崎では、山車囃子の曲と祭りの演出など も地方独自のローカル色が濃くなって、次第に、舞いはやらなくなって行ったものと推 察出来ます。しかし、本庄市の山車は、10台の内8台が明治時代に製作されたもので 、山車そのものは江戸神田祭り当時の大きさと仕様を残しており、江戸の往時を偲ぶ貴 重な文化財といえます。(8台は市指定の文化財だそうです)

 本庄の山車は、江戸 神田祭りが、徳川将軍拝謁の天下祭りとも呼ばれていた神田祭りの最盛期頃の山車を引 き継ぐものと云えます。なかでも、宮本町、仲町、本町、照若町 、泉町など山車は、江戸型の完成されたものと思えます。先ずは大きさですが、 宮本町の山車は、川越幸町の山車や志多町の山車と大きさが同じでした。囃子台正面に3人の 小太鼓が並んでも、向拝柱との間に余裕があり、囃子台上でも舞いができるスペースも ありました。4輪台車の上は廻り舞台の仕様で、仲町郵便局の交差点で観衆に、囃子台 を2、3度,360度ぐるぐる回転して見せてくれました。これも川越の幸町や志多町の 山車の仕様と同じでした。囃子台が破風屋根式(本庄)であるか、吹き抜け式(川越) かの違い以外は、山車の仕様が大変酷似してますのには驚きました。江戸型をそのまま 受け継いでいるのが判ります。唯、違うのは、本庄の宮本町の山車では舞いが囃子台で なく、舵取り棒の上に渡した板の上での簡単な舞いでした。貴重な伝統芸能ですので、 関係者のご努力で、囃子台でのしっかりした舞いを復活させて貰いたいものと、希望し ます。巡行時の宮本町の山車囃子の一部をお聴き下さい 。Real Audio 3.0 118KB 1分。

 唐破風の屋根の精緻な造りと黒漆や赤漆塗り, そして金箔に彩られた上中段高欄、棟端飾り、懸魚、向拝柱などの見事な彫刻の数々、 金糸銀糸の縫い取りで浮き上がった刺繍の錦絵が眼に迫る上幕、中幕。仰ぎ見る人形は 凛々しい武者、神話やお伽話のヒィローやヒィローイン達です。それら人形の神々が祭 りの賓客として、降臨する際の目標であり、祭りを鑑賞する賢所が、天空に高くそびえ 立ち、満艦飾に着飾った山車(突き出た出し物)そのものなのだそうです。本庄の山車 の優美さを表現するには、絢爛豪華の字句を充てるしかないなぁ、と宮本町の山車の造 りの見事さに感心しました。

 唯、残念なのは巡行道路の電柱電線が地下埋設にな ってないので、山車巡行の際、折角の山車の上楼(上鉾)が上へ迫り上げられないで下 に降ろした状態のままで、更に人形も首だけしか出せないままの姿での巡行でした。 山車全体が丈の寸足らずの外観になってしまい、まことに見苦しいし、折角の山車の 素晴らしい姿を表現できぬのは、余りにも惜しいなぁ〜と感じました。

 照若町と 泉町の山車は破風屋根を支える正面左右2本の向拝柱には昇り龍、降り龍の彫刻があり ませんが、見方によってはスッキリしていて、好い感じです。また、本庄の10台の 山車の内、唯一 泉町の山車は破風屋根がありません。吹き抜けの山車は江戸神田祭り の草創期から使われていた様式であり、同一様式の山車が川越にもあり、栃木市にもあ りますが、数は少ないので江戸型山車の貴重な遺産ですので、大切に保存継承したいも のです。

 照若町の山車です。今 年の当番町です。 この照若町と泉町の山車は破風屋根を支える正面左右2本の向拝柱 には昇り龍、降り龍の彫刻がありません。また、本庄の10台の山車の内、唯一、 泉町の山車は破風屋根がありません。吹き抜けの山車は江戸神田祭りの草創期に使 われていた様式であり、同一様式の山車が川越にもあり、栃木市にもありますが、数は 少ないので江戸型山車の貴重な遺産と思います。

 本町の山車 唐破風の屋根 の精緻な造りと黒漆や赤漆塗り,そして金箔に彩られた上中段高欄、棟端飾り、懸魚、 欄間などの見事な彫刻の数々、金糸銀糸の縫い取りで浮き上がった刺繍の錦絵が眼に迫 る上幕、中幕の見事さ。どれもが、川越の山車に勝るとも引けを取らない素晴らしいも のと感じました。 

 仲町の山車 本庄市のパンフレットによると 、この山車の製作年は明治5年となっております。誠に文化財的価値のある山車です。 正面左右2本の向拝柱には昇り龍、降り龍の彫刻がありますが、素地のままのものです 。しかし、そこは、あまりにも正面の目立つ場所なので、山車の破風屋根の見事さ、懸 魚や棟端飾りの彫刻の彩色、金箔や漆塗りなどの目立つ外の部分との対比が出て、素地 の彫刻が違和感を与えているので、他と調和の採れた塗装処理をすべきと思いました。




 宮本町の山車の人形を迫り上 げる仕掛け。ハンドル巻き上げ式が最近採用 されているが、この様な古式のものも残して置きたい。

 仲町の山車囃子連中のスナ ップです。女性の左手をご覧下さい。本庄の山車囃子の太鼓の叩き方は特徴があります 。男子も同じですが、バチを持つ手首を意識的に柔らかく使って、親指と人差し指だけ でバチを握って、手首をしなやかに動かして太鼓を叩いて、その腕を上に上げる時に、 肘を伸ばす様にして手を前に押し出してから、軽く腕の動きを止める仕草をして間を取 り、その後、チョット内側横に、バチを寝かせる仕草をします。それは、非常に気取っ た感じになって、特に女性ですと何故か、艶めかしささえ、感じさせます。

お祭 りは、本人も観客も楽しむものであり、こういった工夫も有っていいなぁと思いました 。




 




宮本町の山車にだけ"おかめ"とヒ ョットコの子供の舞い子が2人おりました。しかし、囃子台の上に乗ってではなく、前 輪梶取り棒の上に渡した板に乗って、手にした扇子を振る程度のものでした。囃子台正 面に3人の小太鼓が並んでも、向拝柱との間に余裕があり、囃子台上でも舞いができる スペースもありました。4輪台車の上は廻り舞台の仕様で、仲町郵便局の交差点で観衆 に、囃子台を2、3度,360度ぐるぐる回転して見せてくれました。

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