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"山車と屋台"って、同じもの?

"底抜け屋台"

平成9年3月6日,高崎市歴史民俗資料館主催 の講演会を受講しました。「高崎の山車とまつり」という演題で、地域民俗文化に造詣 の深い土屋喜英氏の大変興味のあるお話を聞くことが出来ました。
その時に勉強し た資料の一つで、江戸時代の文政年間の江戸神田祭りの様子を描いた木版本の画の一部 を上の写真で紹介します。土屋講師のお話ですと、これは御祭礼の移動踊り台で芸人が 踊りを舞う舞台の裏側で、伴奏をする笛の男を描いていますが、よく見るとその笛の男 (ダルマの仮装の後ろ)の両足が囲いの下に出ているのが見えます。面白いですね。舞 台は車輪で移動するのでしょうが、囲いだけで床のない囃子の奏者達は歩いて移動した のでしょう。足が見える底抜け屋台でした。この底抜け屋台は、踊り台で祭礼の舞や寸 劇を披露するのが主眼で、囃子はあくまでも伴奏であったようです。固定された舞台だ けでなく移動しながら、普段は見ることのできない芸をみせてくれる祭礼は誰しもが楽 しみにしていたことでしょう。
そして、この画を見て感心しましたが、当時の江戸 町民達が祭礼の時には、あらゆる工夫を凝らして縁起ものを取り入れた仮装をし、祭り を盛り立てるのに大変な演出をしていた様子がわかります。昔も、今もお祭りは我々の 心をワクワクさせるものがありますね。

 江戸時代の街道と江戸周辺の町々
 山車って何?”の中で、紹介され てますが、江戸を中心として発達した経済圏は、物資の流通とともに、江戸と関東在方 (ざいかた=在郷)との生活文化の往来も活発にした。太平の世、様々な分野での庶民 文化の興隆が目覚ましかった。

 江戸と各地をむすんで、"街道"ど呼ばれたさまざまの陸路や、利根川、荒川などの 水路で結ばれて、産物の出荷、中継地として栄えた江戸周辺の町々には、あらゆる江戸 文化が伝播され、祭りの花形の山車もそのまま"江戸型山車"の様式として、周辺の町々 へ伝えられた。
今も関東地方周辺の町々で、毎年聴くことの出きる山車囃子は、 江戸の山王祭りや神田祭りの囃子が地方へ伝わったものだそうです。

 山王祭りや 神田祭りでは、御輿や山車などのさざまな練り物が江戸城の中に入り、徳川将軍の上覧 に供したので"天下祭り"とも呼ばれたそうです。江戸の各町内は、それぞれ工夫を凝ら して、豪華絢爛さを競い合った江戸中の町を挙げてのお祭りだったということです。

 多少内容が変わっているとはいえ、既に本家本元では余り聴かれなくなった往時の 江戸神田祭りや、山王祭りの山車囃子が、地方で今でも脈打って、健在であることは 誠に意義深いものと感じます。

 我が町内の成田町を含む高崎や関東地方の山車 と山車囃子のルーツを学術的に幅広く研究されて、各地で講演会をやられておられる 土屋喜英氏の講演会の内容の一部と、市役所発刊「高崎の山車」の中の同氏の寄稿文を 引用した"山車と山車囃子の歴史"を用意しましたの で、もう少し、詳しく知りたい方はお読み下さい。

 地図の中の市町名をクリックしますと、その市町の山車祭りのホームページへジャン プします。既に東京では見られない江戸時代の山車や屋台が、関東周辺には今も江戸型 として健在しており、各地の祭りを盛り上げてます。江戸型の山車形式を基に、地方の 独自性を見事に採り入れて、立派な山車、屋台が各地で活躍してます。

 この地図 にある市町では、山車や屋台の祭りのホームページが発信されてますが、毎年、山車祭 りは実施されてますのに、今現在、祭りのホームページが発信されてないため、地図に 載せてない市町が関東にはまだ、沢山あります。埼玉の熊谷、深谷、寄居、鴻巣、入間 、児玉、越谷、上尾、加須など。群馬の桐生、伊勢崎、境、沼田、渋川、安中、藤岡、 栃木の小山、宇都宮などです。今後も、新たな山車祭りのホームページや見聞情報で、 追加をして行きます。

中部東海近畿の山車は古顔だ。さすが伝統の重みが見る人を魅了する

お祭りサイトをサーフィンして気付い た事がたくさんあります。 日本人だら誰しもがこころ惹かれる 京都 の祇園祭り。その山鉾巡行を観光で実際に見学したことがありますが、想像以上の 豪華さでした。山鉾そのものも眼を見張るものがありましたが 、伝統と格式を守っての囃子や踊り手の動き、綱を持つ人、鉾を操る人、梶を執る人全 ての人達がまつりに溶け込んで真剣に取り組んでいたのを覚えてます。まさしくまつり の全てが千年の歴史を刻んだ文化そのものでした。訪れた人から必ずそのすばらしさの 話をよく聞かされるのが飛騨高山の山車です。日枝神社の縁起と合わせ、サイトで見学しました。中京地区 での山車祭りの盛んなことは同じくインターネットで知りました。半田市の30数台の山車祭り犬山のカラク リ3層屋台亀崎の 潮干祭りのカラクリ人形の山車。尾張津島 秋まつり神戸岸和田の"だんじり"など、信長、秀吉 の時代から愛知岐阜京阪神地区に隆盛し、華を咲かせ、根付いていった日本文化の意気 込みを現代に伝えていると感じます。

"江戸の山車"は新顔だ。自分たちの発想で作った使いやすい、
機動性豊 かな江戸型の山車は、屋台ではなく文字通りの"山車"だ

一方、箱根以東の"東(あずま)の国"は徳川幕府 の江戸の町作りが始まるまでは中部近畿地方と比べ、文化の後進性は否めなかったと思 います。全国から江戸へ江戸へと人とあらゆる文化が流れ込んで行って、次第に江戸型 のモノが形成されて行ったと想像できます。祭りにしても既存のモノが無かったから、 流入された各地の祭りの手法が、何のこだわりもなく素直に受け入れられた反面、江戸 にそぐわぬモノは姿を消して、幾つもの型式のものがミックスされて、江戸型の祭りの 様式が出来上がっていったと考えられます。

江戸末期の文久年間の神田祭りの山車の木版画です。江戸城 内にも繰り込んで、将軍へ拝謁もした。囃子台に屋根がないのが判る。

こう考えて行きますと、千年の歴史を持つ京都の山鉾、 飛騨高山の山車、犬山のカラクリ人形山車などは、舞台を持った様式のものですから"屋台"と呼ぶのが妥当と思います。 カラクリ人形について。江戸神田祭りの木版画を見ますと、底抜け屋台から発展して いった江戸型の屋台は、江戸後期には様式も完成し固定され、神田祭りや山王祭りを盛 り立てていた様です。当時の江戸型の山車は3輪で、牛が牽引していた様子などが、江 戸東京博物館(東京都墨田区横綱1-4-1 TEL03-3626-9974)に展示されている原寸大に復 元された山車や、模型の屋台から判ります。この復元された江戸型を見る限り、京都、 半田、高山の屋台とは全く姿、形が違います。江戸型には囃子の太鼓と笛を演奏する人 達が乗る囃子台が正面にありますが、踊りや芸を演じるスペースはありません。上層櫓 の天辺(てっぺん)に飾られている人形がその曳きもののシンボル的役目をしてます。囃子台には屋根(一般に、唐破風式と呼ばれる屋根)がありません。この様式は栃木県 栃木市の山車 に引き継がれてます。  この江戸型こそ、屋台ではなく山車と呼ぶ方がスッキリする感じがします。太鼓、笛 、鉦などの囃子方だけで巡行したのが山車で、舞や、演劇も上演出来る様式のものを屋 台と呼ぶのがよいのではないかと思います。それでは、東北の八戸三社祭りの山車は、果たして山車?それと も屋台?・・私は山車と思ってます。そして、江戸文化の影響を全身に承けた江戸周辺の町々は地元のも のを加味しながらも、江戸型,江戸式を模範とした。武州の川越は"北の小江戸"と称し、 上州の高崎 は"お江戸みたけりゃ,高崎田町"などといって、自らを江戸の分身に見立て、誇り にしていた程ですから、両市に現存する山車は神田まつり当時の山車の様式になってい ます。 山車についての詳しい考察をお望みの方は、山車囃子などの民俗芸能文化や、郷土史を 永年、研究されておられる土屋喜英氏の講演と寄稿記事を紹介した"山車と山車囃子の歴史"にお立ち寄り下さい。

日本全国屋台祭りリンク集

このリンク集は国内各地の屋台(山車) 祭りのアドレス(URL)が集合されてます。見やすく、分かりやすいリンク集です。 まだ記載のない屋台(山車)祭りのアドレスをご存じの方は、このリンク集の作者 (品格のあるホームページ"遠州竜洋町掛塚の屋台"の管理者の井熊さん)へお知らせメ ールを出してやって下さい。

"高崎の山車の特徴"


高崎の山車の構造的な特徴として、3点が挙げられます。 

その一つは組立式であることです。従来、各町内では祭りが終わると山車を解体し 蔵に納め、次の祭りにはまた組み立てていました。しかし、こうした作業を長年続けた ために山車の枠組みや彫刻の損傷が著しくなったことと、また作業時間の軽減を図るこ ともあって、現在ではほとんどの町内の山車が組み立てられたまま、山車倉に収納され ております。

2つ目は 梶取り式であることでしょう。高崎の山車は、運行中の方向転換の際に梶棒で前輪を操 作する構造になっています。そして、方向転換が容易にできるように、梶棒で操作する 前輪の軸と車体が接する部分には、それぞれ鉄板が取り付けられております。江戸周辺 に伝えられた江戸型山車で、梶を着けた山車は高崎が最初であったようです。

3つ目の特徴は、江戸型山車は上段匂欄と下段匂欄とで2層の構造に なっており、人形が据えられる上段匂欄は背が伸びたり、低くなったりの昇降操作がで きることです。町の中には街路樹の枝や電線などの障害物が道路を横切ってます。これ らを避けるために工夫されたものです。山車の後部のハンドルを廻すとギアの組合わせ の仕掛けで上段匂欄の床が上下します。

山車囃子などの民俗芸能文化や、 郷土史を長年、学術的に研究なされ、出版もなさっておられる土屋喜英氏 (高崎中部公民館前館長)の講演会(高崎市歴史民俗資料館主催,97/3/16)でのお話 しの中の一部をご紹介してます高崎の山車の歴史 を御覧下さい。

 高崎の山車と山車人形の紹介が、高崎市のホームページの中にありますので、次をクリックして、是非ご覧下さい。

中央・北地区の山車

東・南地区の山車

尚、人形は"神像"と表記されてます。

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