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一番街通の御車山の組み立ての様子と、御車山の構造と工芸 

組立て場面
@

高 欄

山宿の前に管理者が駆けつけた時には、御車山は既に高欄の取りつけが終わる状況でした。御車山は構造的に、高欄から下の部分を「地山」と呼び、地山の上に載る部分を「飾り山」と呼んでます。地山の格子窓の楽屋を「地山箱」と呼ぶ。地山の組み立てがほぼ終了の状況でした。画像は山を後側から撮ったもので、高欄は、外側(外高欄)と内側(内高欄)の二重になっており、内高欄の背部に屏風(びょうぶ)の様な後屏(こうへい)があります。

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組立て場面
A

車 輪

冊子「高岡御車山」の解説では、材質 欅、 直径1.64m。御車山の車輪、轅(ながえ)などには、桜や梅、波を唐草風文様とし、丸みのある肉厚に仕上げた高肉彫りと、不要の部分を削りとる透かし彫りとを併用して作り、それに金渡金を施して黄金色の装飾金具がびっしり貼られている。車輪の黒漆塗りの地に陰影のある装飾効果の高い美しい飾り金具に仕上げている。高岡の彫金技術と餝技術(かざりぎじゅつ)は、初代藩主前田利長の奨励もあって、技術の発展が今日まで引継がれて、高岡の金工は我が国のなかでも名高い。

高岡市木舟町にお住まいの"和三郎"さんに車輪について問い合わせを致しましたところ、次ぎのご連絡を頂きました。車輪は直径1.6Mあまりで、寄木つくりですが、総量約6トンを支える車輪のひとつですから、相当の補強をしてあります。車輪の裏側には、6センチ幅の鉄板16枚をつけ、また車輪の厚さ12cmの周囲を厚さ1,5cm、幅5cmの帯状鉄板2枚でぐるりと巻いています。多分、一番街通の車輪も同じつくりでしょう。

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組立て場面
B

鉾 留

釣 鐘


出場7基の御車山は、二番町の車輪が二輪であることを除けば、酷似した形式です。心柱とその天辺にある鉾留と呼ばれる造りものは、神が降臨するための目印でありますが、それらの個々の形で、各町の山を見分けるシンボルにもなってます。

飾り山に立つ心柱の中ほどに止めてあった釣鐘を柱の天辺迄押し上げるのは、多人数の手間の掛る作業でした。滑車で引っ張りながら、下から押し上げ棒で突き上げて上に移動するのですが、慎重な作業でした。一番上に押し上げたときに、梯子を架けて釣鐘のなかに手を入れて、止め具を差し込むのがやや手間取り、ハラハラして観ておりました。

一番街通の人形は謡曲、高砂の尉(じょう)と姥(うば)の老夫婦と、高砂の松で有名な兵庫県加古川市の尾上神社に伝わる朝鮮伝来の釣鐘を模したと言われる木製、金張りの鐘。
尾上神社

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組立て場面
C

車輪覆い

と、 籠


御車山は収蔵庫に納めるときに四輪に覆い(カバー)を付けるのでしょうか、外した覆いが立てかけてありました。7基の全ての山が車輪に覆いをするかどうかは、確認できておりません。

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組立て場面
D

花 傘


 

高岡の花傘は型取りした和紙を赤、白、黄色に染めて作る高岡独特のものです。花を取りつけた36本の割り竹を放射状に巡らし花傘を作ってます。9本の割竹を1組にしたものが画像に映ってます。4組で36本になります。

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組立て場面
E

花 傘


各割り竹には、下の方から間に緑葉を挟んだ赤・白・赤・黄・赤の5個の和紙で作られた菊の花を飾り、その総数が180個にもなります。

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組立て場面
F


籠は、心柱の上端を巡るように取りつけられ、花傘で隠されている。心柱の天辺に付く鉾留は、本来はこの籠を編み上げて編みっぱなしにすると、ひげのように出て残る部分を装飾化したものである、との説明が冊子「高岡御車山」に載ってます。

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組立て場面
G


この籠について、冊子「高岡御車山」は次ぎの解説をしてます。

現在の御車山は、秀吉から下賜された当時の姿であったと思われる鳳輦(ほうれん)の面影は残していない。この地方独特の形式・姿であり、それは、越中一ノ宮として古代より多くの人々の信仰を集めていた射水神社に残る築山行事と深く関連している、と述べ、次ぎの説明をしてます。神社境内の大杉の前に、臨時の祭壇が築かれ、御霊代の御幣を奉り、警護の甲冑の人形と桜の造花と竹籠に入れた木蓮の造花で飾られている。この祭壇に飾ってある木蓮の造花は御車山の花傘と籠を連想させる。

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組立て場面
H

鉾 留

花笠 籠


飾り山の中心に立つ「心柱」に載る鉾留、花傘、籠が取り付けられた御車山。高い位置の組み立て仕事が一段落したので、この後の作業は、かなり速いピッチで進んだ。

飾り山の人形、松、心柱の柱巻き、標旗、地山箱の幔幕張り、などが残ってますが、そう手間を取らずに次々と、作業が進ん行きます。

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組立て場面
I

幔 幕


鉾留と同様に、各町の御車山を特徴付けるのが、この幔幕です。一番街通の幔幕は、祭リーフレットや冊子「高岡御車山」に載ってます解説によりますと、「朱地綴織剣梅鉢紋本金糸刺繍・しゅちつづれおりけんうめはちほんきんしししゅう」と、なってます。専門的なことはわかりませんが、綴れ織りとは下絵に添って、一本々横糸を選んで織る手間の掛る錦織。剣梅鉢紋は高岡藩主であった前田家の家紋。

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組立て場面
J

長 押
なげし


長押とは、画像の高欄の下、ひとの額の位置の飾り金具の打ってある梁を指します。冊子「高岡御車山」の解説ですと、「この長押に張ってある飾り金具は、十二支を題材とした金具で、文様は種々異質な金属を使い、それぞれの金属が持つ色で絵画的な構図にまとめている云々」と、素人の管理者では分からぬ、相当高度な彫金技術で仕上げられておると、紹介しております。他町の御車山も、それぞれ一流の彫金師が携わっており、「御車山の金具製作にかかわった工人達は、一流のものを作れという要望に、懸命に応じてきたもので、その技は後世に誇って余りあるものであり、今日高岡の伝統工芸技術の底には、そうした先人の心と技が脈々と流れております」と、冊子「高岡御車山」は述べております。

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組立て場面
K

送り花


御車山の飾り山の後部に、桜の造花を付けた大きな枝が横斜めに取りつけてあります(巡行隊列一番の通町の御車山は、この桜の造花は付けてません)。

組み立て場面Gでご紹介した籠の意味と同様に、射水神社の築山行事の祭壇に飾られる桜の造花を念頭に、山の後部に取り付けたものと考えられてます。神を迎えるための臨時の祭壇である「築山」に、車輪を付け移動できるようにしたのが御車山ともいえるであろう。神を迎える祭の場が、自然の山から人口の築山へ、動かぬ築山から動く築山へと変遷した過程を、築山と御車山が如実に物語っているのではなかろうか。と、冊子「高岡御車山」は述べております。

画像をクリックしますと拡大します。山の画像の向って左側の飾り山の後ろに、桜の枝が載ってます。
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組立て場面
L

相生の松

標 旗


飾り山の組み立ては、相生の松の設置から始まった。山宿から持ち出された松を載せ、白羅紗地で切りぬいた町名を緋羅紗地に張りつけたアップリケ仕上げの標旗を後部に立てました。

参考:尾上神社相生の松

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組立て場面
M

柱 巻

護符袋


裸の心柱に厚手の柱巻が被さると、木の柱に過ぎなかった心柱が、またたくまに見間違えるほど豪華に変身したのには驚きました。
冊子「高岡御車山」の解説によりますと、柱巻きは上部と下部に分かれている。上部は、緋羅紗地白縮緬剣梅鉢紋(ひらしゃじ しろちりめん けんうめはちもん)アップリケ。下部は紫地雲龍文金羅紗力裂緋羅紗(むらさきじ うんりゅうもん きんらんちからぎれ ひらしゃ 染織専門語はむづかしい)柱の中間に錦織の護符袋が下げられ、中には神名を記した護符が密封されています。

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組立て場面
N

人 形

尉と姥


柱巻きが終わると、2体の人形が飾り山に載せられた。高砂の松を掃き浄める老夫婦の尉(じょう)と姥(うば)である。尉は熊手を肩にし、左手に扇を持つ。姥は左手に竹箒を持つ。

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組立て場面
O

独鈷・とっこ


高岡市木舟町にお住まいの"和三郎"さんに「独鈷」について問い合わせをしましたところ、「独鈷(とっこ)または、独鈷の金具と呼んでますが、独鈷とは本来、両端の尖った仏教の用具であることを考えると、独鈷の金具と呼ぶのが正しいのかもしれません。つまり車軸の両端が飛び出しているので、独鈷になぞらえ、これを覆っている金具だと思います。一番街通のものには、三つ巴の彫金がありますが、この部分は各山車により柄が異なります。例えば私の町のものは、中国の四神獣に近いです。」と、ご連絡下さいました。今様に云えば、独鈷とは車のwheel cap かな。

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組立て場面
P

轅・ながえ


前田利家が秀吉より下賜されたといわれる御車山の前身となった鳳輦(ほうれん)の形式・様式で、今に引継がれているのは、車輪とこの轅(ながえ)だけではないかと、管理者は推測します。蕨(わらび)に似た優しい品格のある形の轅です。黒漆の呂色塗り(塗りの仕上げに磨きをかけて顔が映るくらいつるつるにしたもの)に、宝相華唐草紋(ほおそうげからくさもん)の彫金を張った豪華な仕上りになってます。

参考@ 宝相華唐草紋水滴
参考A 宝相華唐草の解説

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組立て場面
Q

轅・ながえ


御車山は、前後の轅に横棒を増設して、轅に取りついた十数人の曳き手だけで牽引します。曳き綱はありません。晒しの布を下敷きにして、横棒を轅に取りつけます。山の方向転換は片方の轅を持ち上げて行います。曳き手衣装は綿入れの様な厚手のもので、三つ巴紋と雲龍の見映えのある色柄です。

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組立て場面
R

出発式


神官の祝詞奏上につづいて、袴・裃に一文字傘で正装した町役員の遥拝が終わって、出発進行の合図待ちとなる。夜明けを待って、組み立て開始から約5時間、午前10時過ぎ頃でした。

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組立て場面
S

巡行準備

完了


曳き手は山町の人ではなく、毎年、決められている近郊の町村から応援に来る人達だそうです。曳き手の背中(画像で、曳き手の衣装の背中、巴の紋の下側)に、小形の座布団を背負ってます。これは山の転回の時、轅を担ぐ肩に当ててました。

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組立て場面
21

巡行開始


山宿前を東に向って巡行を開始して、三番町に入りました。この一番街通の御車山は、同じ商店街に面する一番町、三番町そして、源平町の3町で共有されているのです。

山は7基ですが、一番街通の山町は3町とカウントします。それに、御車山の隊列巡行の際に、山でなく獅子頭を掲げた3人衆が先頭に立ちます。この獅子頭は坂下町が担当しており、御車山ではありませんが坂下町も山町として処遇しますので、高岡の山町は
10町となります。御車山の先頭には、鈴棒引き(りんぼうひき)が立って、誘導する。


組立て場面
22

所 望

しょぼう


巡行の途中でに、特別の功績があった人の家や山役員宅前では、御車山を玄関に向け、お囃子を演奏する。これを「所望」と呼びます。

御車山の飾り山に、裃姿の男児が乗ってます。京都祗園の鉾の稚児に倣ったものと思われます。組み立て場面21 の画像で人形の姥(うば)が、この場面22の画像で人形の尉(じょう)が映ってます。この角度から観ると、御車山は大きな車輪、その上の幔幕に囲まれた地山箱、二重の高欄に囲まれた飾り山の心柱と花傘、人形や装飾造り物がバランスよく置かれていて、シンプルでありながらどっしりした安定感がある外観で、雅やかで高貴な雰囲気を醸し出しております。山を構成する全ての部材が、漆工、金工、染織において超一流の工芸で設えたものばかりであり、見惚れるほどの素晴らしい曳きものと思います。

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