"日本の心 伝統の響き"

第3回  高崎伝統芸能まつり!

高崎市文化会館

平成9年10月12日 (日) 午前10時〜午後4時

主催:高崎伝統芸能まつり実行委員会 共催:高崎 市教育委員会

 合い言葉は、 "伝統芸能を守ろう!"

 市民に、地元の郷土芸能を広く知って貰って、 その伝統を守って行こう、との趣旨で始まった「高崎伝統芸能まつり」も、3回目とな った。配布されたパンフレットの中で、市長は“伝統芸能は、遠い昔から、「天下太平 」「五穀豊穣」「悪疫退散」といった庶民の切々たる祈りや願いの表現として演じられ 、生活の一部として、伝統芸能は主に「祭り」とともに歩んできた。しかし、近年の社 会の変化により、伝統芸能の日常生活に占める重要性が減少し、同時に関心が薄れてき ている観があるのは、非常に残念。”と述べておられます。そして、“この「高崎伝統 芸能まつり」が、今日まで伝承されてきている伝統芸能の文化的価値を再認識する機会 となり、今後の保存継承にとっての一助となることを願ってやみません”と挨拶してお ります。


伝統芸能の担い手の心に留めておきたいこと

 と、 題しての民俗研究家 酒井 正保氏の講演で、開幕した。

 酒井正保氏 埼玉県に生まれる。日本大学芸術学部音楽科卒業。昭和24年民謡採集及び民俗調査に入る。元、高崎芸術短期大学教授。 元、育英短期大学教授。

講演の要旨は、

  1. 高崎に伝承されてき た伝統芸能は、かって祭礼や伝統行事で、信仰という付帯目的の中で行われてきた。

  2. 時代の激しい変遷のなかで、貴重な伝統芸能は、浮遊し、ややもすると消滅の方向 性をたどらざるを得ない状況になってきている。
  3. 消滅期にある地域伝統芸能を取り 巻く諸問題

    1)伝統芸能の次代の担い手である地域の若者が、勤めや学業などに忙しく、伝統芸能 を支えようとしない。

    2)生活様式の変化から、地域社会との繋がり、連帯感が薄 れ、若者が地域の伝統文化に無関心である。

    3)伝統芸能なるが故の古い言い回し や唱える節が難解で、現代の若者に敬遠されてしまう。

    4)かっては、子供達が地 域の「こどもの伝統芸能」(鳥追い、かつぎ地蔵、ドンド焼き、十日夜"とうかんや"な ど)を担い、その中から地域の精神の伝統の基礎を身につけ、やがて成人になって、地 域の伝統芸能の力強い担い手になっていった。しかし、今は、この流れが途絶えてしま った。

  4. これらの現状認識に立って、消滅期にある伝統芸能の担い手である我々 が、心しておかねばならないこととして、

    講師は

    1)地域の人々と、日常より 深い連帯感を持っていくこと。

    2)現在、演ずることのできる伝統芸能の内容を大 事にし、伝承活動を続けること。

    3)機会あるごとに、次代を担う地域の子供に、 伝統芸能理解の働きかけを続けること。

 講師の講演の要旨は以上ですが、私も、このDasi World のホームページを発 信した意図と符合する内容で、意を強くした次第です。


高崎地域の伝統芸能の披露

[各芸能のご紹 介は、当日のパンフレットの内容より、引用しました]

上州高声会

"木遣り "




これをクリックして、木遣りをお聴き 下さい。

当日の発声の一部分が録音されてます。RealAudio 118KB.1分

代表者 住谷文雄氏 高崎市片岡町

 高声会 は、明治の末期に当時の木 遣り師達が連合で稽古をするようになったのが始まりです。それ以前は数人ずつの集ま りで稽古をしており、仕事場で喉を競い合っていて、先輩の木遣り師が若衆や仲間に稽 古をつけていました。その連合が発展して木遣り会となり、戦争で中断するまで続きま した。
 戦後は戦前の指導者柳川町の頭領の乗附正吉氏の三男、熊吉氏が昭和21 年に、親方の二世を集めて木遣り会を再発足させ、伝統の灯をともすと同時に、纏まと い振りや梯子はしご乗りを復活させ、その後、有志が若鳶会を発足させ、関東各地の木 遣り師と交流を深めました。

 乗附熊吉氏没後、高弟住谷文雄氏が中心となり、昭 和48年正月、上州各地の有志に呼びかけ、上州高声会 と名称を改め、現在会員、会 友、賛助会員をあわせて250数名を数える関東最大の規模を誇り、木遣り師の伝統を 今に伝えています。

 正月の消防出初め式や小林山だるま市、高崎祭り等はもとよ り、高崎市文化会館のこけら落としにも上州高声会が行っています。

演 目

  1. 「真鶴」 鶴の一声といって、いかなる時でも、最初に唄われる曲で、仕事始 めの合図でもある。
  2. 「棒 車」
  3. 「鳶掛け」
  4. 「まき城内」 

 


獅子舞保存会


写真をクリッ クして下さい。
当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
RealAudio 118KB . 1分。

代表者  飯塚忠男氏  高崎市飯塚町

 飯塚獅子舞は、今から200有余年遡る天明年間に、飯玉山 長泉寺の住職 第12世 の機外了禅和尚が、寺子屋の筆子達に若者の士気を向上させる意味で、寺の祈祷獅子と して始めたのがその源泉です。

 天明4年、飯玉神社の祭典に奉納してから、獅子 舞は 村人の大きな感心を呼び、以来毎年、神社の祭典獅子として五穀豊穣、災厄退散 、村内安全の願いを祈念してきた。

 これは、当時の若者の生き甲斐でした。神社 に奉納後、村内各戸に備えられた赤玉提灯を頼りに、村内を一巡して村内安全を祈念し た。後継難の時もありましたが、乗り越え、現在に至ってます。

 

演 目

  1. 「花炊い」 獅子舞は、古くからの信仰心から生まれた悪魔除けの架空の動物 で、悪疫や災害を追い払う霊獣として崇められて、現在に至ってます。

    獅子が人々 の為に諸々の悪疫や災害を追い払って、ほっと一息ついたところに、美しい花が咲いて いて、その花の香りを嗅いでいる内に、獅子が花の香りに酔って、踊り戯れる様を表現 してます。"牡丹に唐獅子" という句の如し。

 

末広町山車祭り保存会


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当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
RealAudio 118KB.1分。

代表者  石橋 秀 氏  高崎市末広町

 末広町の山車は、昭和11年夏に新しく製作されました。山車は毎年お正月の「道祖神まつり」に出場し、正月14日の早朝行われた「どんど焼 き」の前日に飾り立て、子供達が町内を巡行しました。戦後は、昭和24年の市制50 周年記念祭典の復活第1号として出場し、昭和32年には人形「静御前」と大幕2枚が 新調され、山車としての威容を整えました。

 山車の巡行参加に当たっては、町内 に山車祭典委員会を組織して運営に当たり、お囃子は7月初めから約一ヶ月間、夜7時 から9時まで、お囃子保存会、青年会の方々の指導で練習しており、本年は小学1年生 から6年生まで24名が練習に参加した。笛は銀 杏屋源兵衛氏の指導を受け継ぐ高橋流で、大人も子供も吹き、太鼓と一緒に練習を 重ねてお祭りに臨みました。

演 目 

  1. 「四丁目」
  2. 「屋台囃子(出ばやし)」
  3. 「梅が枝」
  4. 「神田丸(出 玉)」 
  5. 「あまだれ」

 


下中居町八木節保存会


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当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
RealAudio 176KB. 1.5分。

代表者  中里友彦 氏  高崎市下中居町

 昭和12年頃、堀米源太の教えを受けた故島田助七さんが、地域の仲間を集め近所の 盆踊りで演じたのが昭和会という今の八木節会の前身です。

 その後、昭和34年 頃に今の会名に改め、活動をしておりましたが、会員の高齢化と時代の色々な影響で会 員が減少し、暫く活動ができない状態でした。会員の1人が 国立コロニーの慰問の話をしたので、会の活 性化と少しは人の為になることならと、毎年8月の第1日曜日を慰問の日と決め、 約20年間続けております。これからも八木節の保存と地域の文化活動の向上に努めた いと語ってました。

演 目

  1. 「手拭い踊り」
  2. 「萱笠踊り」
  3. 「唐傘踊り」
  4. 「花輪踊り」 

 


八幡原町
太々神楽 (だいだいかぐら)保存会

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当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
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代表者  原田善行氏  高崎市八幡原町

 当地の八幡宮は、建久年間(今から800年程前)に、右大将源 頼朝卿が当地をご巡 幸に際し、当地に御在留の節、鎌倉本社の分社として創建されたと伝えられています。  神楽は、1923年3月15日の春祭りに初めて舞われました。この神楽は、藤岡市 立石の立石神社の神楽組から伝授されたものです。

 特色は、四袴舞(乱舞)で太 鼓の音律にあわせた勇壮な舞です。神楽は笛や太鼓の囃子方と踊り方によって成り立っ てます。舞の数は36座ありますが、現在舞われているのは1回に15座前後で春、秋 2回の祭りに舞われています。後継者不足で一度は途絶えましたが、復活を求める声が 高まり、1993年3月、20年振りに復活させ、地域の伝統芸能として継承されています。

演 目

  1. 「山之神の舞」
     古来、山林の神、山の精と言われ、秋から春に山を下っ て、田の神となります。山の安全、豊猟豊作を祈り、感謝する舞です。
  2. 「巫女舞( 剣の舞)」
     幾つかの巫女舞いのひとつで、神に仕える女官神官のことで、この舞 は神を助けるものです。
  3. 「天狗の舞」
     猿田彦大神で、道の神様(道祖神)、 家庭にあっては庚申様と呼ばれ、家や地域を守っています。

 


秀山流
花車ばやし 保存会

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当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
RealAudio 176KB.1.5分。

代表者  須藤敬文氏  高崎市八千代町

 高崎伝統芸能まつりの3回目の出場です。今年は趣向を凝らした演出として、笛本来 の音色を皆様に訊いて頂こうと考えております。本日の演奏に使う笛は、先代の金井秀山先生が行っていた、お祭り当日に作成する 青竹の笛に因みまして、今朝切り出した青竹笛にての演奏を皆様に御披露いたします。 生青竹の音色をご鑑賞下さい。

 この写真では見えませんが、実際に演奏している 笛の中で、笹の枝が付いたままの笛を吹く方が、マイクの前に立つ人(写真左から3人 目)と、その後ろで4人ほどおりました。

演 目

  1. 「鎌 倉」
  2. 「数えうた」
  3. 「四丁目」
  4. 「花車ばやし」
  5. 「ほか」

 


新保田中町
盆踊り 保存会

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当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
RealAudio 176 KB. 1.5分。

代表者  湯浅春治氏  高崎市新保田中町

 この盆踊り唄は、古い形を持っており、音頭とりは唄うだけで、それを太鼓と笛が囃 す。ゆったりとした口調の曲節で唄われる。これは、明治の初めに既に、新保田中地区 で唄われていたと古老は云う。尚、盆踊りの中に、石を拾って投げる仕草があるところ から、この盆踊りを「石投げ踊り」と地元では呼んでいる。

 歌詞を2行唄うと囃 子となって、その形態で繰り返される。この地区でもこの踊り唄を二段落しという。 かって、盆踊りを一晩中ぶっ続けで行っていた頃の、音頭取りの喉を気遣っての歌の形 式なのである。そして、やぐらを幾重にも囲んで、手踊りで踊った。現在も昔ながらの 手踊りを継承しており、腰を低くして指先を地面の向けて、手拍子を打つ。古い盆踊り の形をそのまま伝承している。

演 目

  1. 「石投げ踊り」

 


埼玉県川越市
中台 囃子連中

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当日の演目の音声の一部がお聴きになれます。
RealAudio 235KB.2分。

代表者  中川雅之氏  川越市大字今福

中台囃子連中は、明治32年創立以来約100年の歴史を持ち、昭和34年、埼玉県無 形民俗文化財の指定を受けている。  川越市今福にある八雲神社の里神楽として始められたと伝えられているが、1648 年に始まった川越祭りが年々発展盛大になるとともに、工夫改良され、江戸末期から明 治初期の頃には現在の王蔵流上覧囃子としての形を整えたようである。

  早いテンポの軽妙な囃子と情緒ある舞の仕草に特徴があり、川越地方を代表する囃子と されている。  八雲神社の春祭礼と夏祭礼、川越市の小江戸祭り、百万灯提灯まつり、秋の川越まつ り(仲町、羅陵王の山車)などで活動しているほか、県内外での観光PR等への出演も 数多い。

演 目

  1. 「天狐」 曲目:屋台
  2. 「天太」(おかめ) 曲目:鎌倉、子守唄、数え歌、いんば、屋台
  3. 「もどき」 曲目:鎌倉、鎌倉攻め、 四丁目、いんば、屋台
「天狐」
 "あまぎつね"は、神の使者。正しいことは何処までも通す意志と迫力を表す。幣 束を打ち振り、悪霊を退散させ、この世に平和を招く目出度い舞いである。
「天太」
 "おかめ"は、どんな時にも深い愛情と優しさを失わない女性を表現する。
「もどき」
 "もどき"は、色々な面で踊るが、真っ黒に日焼けした面は豊作を表す。四丁目で は囃子に合わせて凧上げの情景を踊り表す。

..おしらせ..です。   今回の 高崎芸能祭りのウェブサイト発信に際し、当祭りの実行委員会へ、下記の 許諾お伺いを提出しましたところ、委員長殿はじめ、出演各位、出演団体各位のご快諾 を頂けましたので、ウェブサイトへ本日、公開を致した次第です。 平成9年12月25日。 


「第3回 高崎伝統芸能まつり」のインターネット公開について

      私は、一市民です。生を受けてより今日迄、高崎市に住む者です。年を重ねるに従い 一層、郷里に対する愛着とでも申しますか、恋慕の念が深くなってます。外の地を訪問 し、新たな見聞に感激をすると同時に、郷里の高崎の良さも改めて認識させられ、その 高崎に生活できることの喜びと、感謝の気持ちを持たれるのは、独り私だけではないと と思ってます。

 そんな思いの中で、幼少の頃より関心のあった道祖神の太鼓の囃子から、現在の高崎 まつりに演奏される江戸神田祭りの伝統を継ぐ高崎の山車囃子と、江戸型の山車の華麗 な姿と、群響に代表される西洋文化が自然と溶け合った文化都市 Takasakiを、"ここに 高崎あり!" と、日本全国に知って貰うと、インターネットの個人ホームページを今年 8月に公開しました。 題して、山車とお囃子の"だしわーるど「Dasi World」です。 アドレスは、http://shinobue.sakura.ne.jp/dasi です。是非一度、ご覧下さい。

    去る10月12日に開催された「第3回 高崎伝統芸能まつり」を見学させて頂きま した。開催の趣旨に全く同感の思いを抱く私として、興味深く拝見しました。 関係各位の周到な準備を伺えさせる素晴らしい内容でした。パンフレットの市長の挨拶 、会場での実行委員長や司会者のお話しで強調されていました様に、郷土の伝統芸能を 健全な形で、後世へ引く継ぐ責任を我々は自覚しなければならないと思います。

 今回の開催内容が、当日の来場者だけでなく、もっともっと広く市民や地域の人々に 知って頂くことが大切なことと思います。また、このことは、日本全体の大きなテーマ のひとつでもあると思います。拙作のホームページの公開の趣旨であります山車祭りの 伝承とも趣旨が合致いたしますので、12日開催の高崎伝統芸能まつりの内容を、私のホームページに新着情報として追加公開を致したいと考え、準備をしました。つきまし ては、今開催の主催、共催の関係各位ならびに、実演をなされた各位、各団体の皆様に 公開の趣旨と内容を御説明申し上げ、御了解を得た上で、インターネットに公開したく 、内容の資料を添えて、申し出でを致しますので、宜しく御願いします。

         平成9年11月15日 

                  


 小生の得た情報ですと、日本各地で伝統芸能の保存継承の必要性が大きく叫ばれはじめており、平成9年10月には、半田市に於いて東海・関東・関西地区の山車祭りを行う市町が集まって、山車サミットが開催されてます。しかし、高崎市では既に、その保存継承の取り組みを数年前から始めていたことは、誠に素晴らしいことと、関係各位に深甚の敬意を表します。これからも、伝統芸能継承活動を積極的に展開がなされるなかで、インターネットがその一助になれば、幸いです。


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